本来なら最低限の知識しか持ってないはずなのに
「お兄様……お兄様、どうかしたのですか?」
「え? あ、あぁ、いや、なんでもないよ」
別になんでもないことは無いんだけど、俺はそう言った。
俺はこのままイリーゼと一緒に帰っていいのか? なんて、イリーゼ本人に言えるわけないしな。……さっきの感じからして、尚更。
……と言うか、未だに抱きつかれてるのはなんなんだよ。嫌なわけじゃないし、嫌われてないんだと思えて、むしろ嬉しいんだけど、そんなわけないし、複雑な気分になるんだよ。
……ずっと当たってるし。
「そうですか? でしたら、先程私が話していた話ももちろんちゃんと聞いていましたよね?」
「え? あー、うん。あれ、だよな?」
流石に兄妹なのに……ついこの間までいじめていた相手の胸を意識していて話を聞いていなかったなんて言えるわけが無いから、俺はなんとか誤魔化すようにそう言った。
「はい、そうです。大丈夫ですか?」
「……大丈夫? ……えっと、な、何がだ?」
「はい? お兄様、ちゃんと聞いていたんですよね? まさかとは思いますけど、私の話を聞いていなくて、適当に返事をしたわけではありませんよね?」
「あ、当たり前だろ。ち、ちゃんと聞いてたよ。あれ、だろ? もちろん大丈夫に決まってる」
「ほんとですか?」
「あ、あぁ、ほんとだよ」
……大丈夫、だよな。
何か頷いちゃいけないことに俺は頷いたりしてないだろうな?
と言うか、話を聞いてなかったのは俺のせいじゃないからな? イリーゼがそんな立派なものを当ててくるから、話が入ってこなかったんだよ。
そんなの仕方ないだろ。
「でしたら、今から行きましょうか」
「え? い、今からか? どこかに行くのなら、流石に一度帰って護衛をつけた方がいいんじゃないか?」
「お兄様がいますし、大丈夫ですよ。それに、お兄様も大丈夫だと思ったから、頷いてくれたんじゃないんですか?」
……うっ、今更話を聞いていなかったなんて言えないし、何処に行くのかも分からないけど、また頷くしかない、のか。
「あ、あぁ、そう、だな」
「はいっ。それでは、行きましょうか、お兄様」
はぁ。こんなことなら、ちゃんと最初に話を聞いていなかったんだって正直に言えばよかったな。
いや、正直に言ってたら言ってたで、なんで聞いていなかったのか、とか聞かれてただろうし、結局後悔することになってたような気がする。
そう思いながらも、相変わらず俺はイリーゼに腕に抱きつかれて、目的地も分からないまま、イリーゼと一緒に歩いていた。
「お兄様、着きましたよ」
「え……ここか?」
そこは劇の会場だった。
別にイリーゼが劇を見たいって思うのは全く問題ないんだけど、その相手が問題だ。
少し前まで自分をいじめていた相手だぞ? なんでそんな相手と劇に行こうだなんて思ったんだよ。
と言うか、どうやってここの存在を知ったんだ? 俺と同じで、友達なんていないはずだよな? 外の情報だって、本来なら最低限の知識しか持ってないはずなのに。
「はい。お兄様と一緒に来たかったんです」
そう思っていると、イリーゼはそう言って頷いてきた。
まぁ、変なところって訳でもないし、劇なら別にいいか。
……俺と一緒に来たかったっていうのは、100%嘘だろうけど。
そう思いながらも、俺はイリーゼと一緒にその建物の中に入った。
さっさと入らないと、席が埋まっちまうかもしれないからな。
……侯爵家の立場を利用すれば特等席を用意できるだろうけど、護衛もいない状況で下手に身分をひけらかせるのは絶対よくないと思うしな。
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