緑山 彩音

コブハクチョウのヒナを追いかけて

【6月のある日】


『あっ!ヒナだ!あれ、そうじゃない?』

 と叫ぶなり私は走り始めた。息子にはいつも笑われる。突然走り出すんだって。


 雄大なを仰ぎ見るような景観の良い湖には、たくさんのハクチョウがいる。北帰せずに一年中日本にいるコブハクチョウだ。昔町おこしの一環で連れてきたのが住み着いて、毎年増えているらしい。


 旅行と動物が好きな私は、1月にたまたま見かけたコハクチョウ飛来の記事を見てどうしてもそこに行きたくなり、電車とバスで片道3時間もかけて、トイレもない不便な田舎町の飛来地に2ヶ月半の間に3回通った。

 クチバシや目元がシュッとして見えるコハクチョウは本当に美しく、3時間くらいしゃがんだまま眺めていたものだ。生理的現象が起きないよう、飲まず食わずで。

 私が最後に行った日はすでにほとんどのコハクチョウは北に帰ってしまっていて、まだ首が茶色い幼鳥を含む1家族3羽が残るのみだった。3日後、彼らも姿を消したらしい。


 ハクチョウロス。ああ。ハクチョウに会いたい。ため息。


 しばらくして、湖のコブハクチョウのヒナが生まれたというニュースを見た。

 大柄なコブハクチョウの成長はおどけた顔立ちをしている(失礼)が、ヒナはフワフワで小さくてぬいぐるみみたい。眠そうな顔をしている。かわいい。見たい。


 息子はすでに成人しているがまだ学生で、私についてくると美味しいものが食べられたりあちこちに連れて行ってもらえることを知っている。もしかしたら無鉄砲な母が心配なのかもしれないけれど。

 息子にハクチョウのヒナが生まれたらしいよ、見に行く?と誘ったら二つ返事だった。おそらくお気に入りの湖畔のカフェに行きたいのだろう。


 かくして高速バスで湖畔に着き、あらかじめ調べておいたヒナがいそうな所に行ってみたら、船着場に並んだボートの間に母鳥がいて、その後ろに4羽の小さなヒナが見えたのだ。大したこともない小さな波に、激しく上下に揺られながら母鳥にくっつき回っていた。相当軽いのだろう。

 かくして私は近くに走り寄っていったわけである。


 母鳥は左方向に向かってゆっくり泳いでいたが、ふと動きを止め、右側を向いた。

 方向転換すると右方向に迷いもなくスイスイと進み始めた。わらわらとついていく4羽のヒナたち。チャイコフスキーのバレエの《4羽のヒナたちの踊り》みたいにちょっと滑稽な感じ。

 少し離れてついていくと、なんともう一羽成長がいた。そうか。父鳥だ。

 父鳥に誘導されるように水草の茂るところに着いたコブハクチョウ一家は、スーッと窪みに入って行き、水を飲んだり草を食べたりし始めた。

 ピーピーと小さく鳴きながら母鳥の真似をするヒナたちを、父鳥は周りを警戒しながら離れたところで見守っていた。

 お父さん。カッコいい。


 うちはそういう家じゃなかったね、と私。

 いや、もういいよ。うちはうちだから、と息子。

 少し切ない空気が流れた。

 それを振り払うために、私たちは湖畔のカフェで好きなだけ食べて、満足して帰路に着いた。息子はバスに乗るなり寝てしまった。



【7月のある日】


 そろそろまたコブハクチョウのヒナを見に行こう。せっかくだからペンションに泊まっておいしいものを食べよう。

 息子にはカゾクリョコウ、という言葉とは無縁な子供時代を過ごさせてしまった。友達から伊豆に行ったとかハワイに行ったとか聞いて、いいなあと思ったこともあるだろう。

 それを埋め合わせるわけではないけれど、学生のうちにできることはしてやりたい。


 まさに湖畔のペンションに夕方チェックインしておいしい夕食をいただき、ゆっくりお風呂に入った。極楽極楽。

 夜の湖畔は真っ暗で少し雨が降っていた。波音しかしない静かな湖畔に、カエルの美しい声が響いていた。


 翌朝4時半に目覚めた私たちは、ペンションを抜け出して湖に向かった。空はすでに白んでいて、釣りの船を出している人もいた。

 白い成鳥1羽と、すっかり成長して首が長くなったグレーの幼鳥が4羽、ゆうゆうと泳いでいた。あの親子だ。

 6月に見た姿が幼稚園生なら、入学したばかりの中学生といったところか。

 "俺たちなんでも自分でできるぜ。もう中学だし。かーちゃんなんてうぜぇ"

 そんな感じで自由気ままに泳いだり水草を食べていた幼鳥たちだが、やはりまだ母鳥の監視の範囲を超えられないらしい。

 母鳥がスーッと餌場を離れて行き、それに3羽は着いていったのだが、1羽だけ夢中で草を食べていたため取り残されてしまった。

 遠くでキョッ!キョッ!と金切り声を上げる母鳥。1羽いないことに気付いたのだろう。

 "またいないの⁈もう、なんど言ったら分かるのかしらねター坊は。ター坊!どこにいるの⁈"

と言わんばかりに。

 母鳥の声に反応して、ピーピー、ピーピー、と金切り声を上げる幼鳥ター坊。首も長くなりけっこうな体格なのに、まだピーピーなんだ(笑)

 無事に母鳥ときょうだいたちと合流したター坊は、母にはまたキョッ!と叱られ、きょうだいたちにはオイオイ勘弁しろよという態度を取られながらも揃って去っていった。


 先月といい、コブハクチョウにもドラマがあるねぇ。そんな話をしながらペンションに戻り、一眠りしてからおいしい朝食をいただいたのだった。


【10月のある日】


 コブハクチョウの幼鳥は成長して夏を過ぎると親元を離れて、若い鳥たちのコミュニティに参加するようになるらしい。そこでつがいとなるそうだ。ハクチョウは種類によらず命尽きるまでペアで過ごすらしい。素晴らしい。


 もうあの4羽は巣立っているだろうか。子育てがひと段落して、親鳥はのんびり過ごしているのかもしれない。

 ちょうど仕事が休みで何の予定もなかった平日、ふらっとひとりで湖に向かった。


 あの親子がよくいた場所に行ってみると、コブハクチョウの姿はなかった。子供たちはみな巣立って行ったのだろうか。

 ぐるりと見回してみると、何か動く白いものが立っていた。コブハクチョウだ。

 近づいてみると、身体は大きいがやや首が黒っぽい。ペタペタとやたら内股で歩く様子がなんとなくぎこちない。あの歩き方はター坊だ。

 もしかしたら先天的に脚に問題があるのかもしれない。前回の様子を見て、医療関係の私はそう感じていた。ほかのきょうだいの姿は見えないが、ター坊はまだ実家の近くにいるということだろうか。

 草むらの後ろで真っ白な成鳥が草を食べていた。母鳥だ。やはりまだ親元から離れられない理由があるのだろう。


 しゃがんで見ている私に気付いたター坊がこちらにペタペタと寄ってきた。コブハクチョウたちは人馴れしている。

 クチバシが目の前に来るほど近づいてきたター坊は立派だった。ムクムクとした白い胸元。翼は折りたたまれているがほぼ成鳥と変わらないだろう。首から上はまだちょっとグレーがかかっていたが。

 ピィ、と小さな声が聞こえた。まだピィなんだ(笑)

 でも、ほんとに立派になった。

 大きくなったね、とつい声をかけた。

 折しも太陽は山の向こうに沈みかけていた。標高が高いところの強い夕陽が逆光になって眩しい。ター坊の顔がよく見えない。

 すると、すっと背を伸ばして、ター坊が羽根を大きく羽ばたいた。視界が遮られるくらい見事な羽根。どこまでも飛んでいけそうな。

 見て。立派に育ったよ。

 そう言っているようにも見えた。

 母鳥はただひたすら水草を食べていた。


 その後はなんだか忙しくて湖には行っていない。ター坊はどうしているだろう。

 もしかしたら親元から離れられないのではなく、離れないのではないだろうか。

 湖面が凍った様子も美しい湖なので、冬の間にまた行ってみようと思う。





















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緑山 彩音 @vie_amusante

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