第14話 雨宮結衣、惚れる


 雨宮 結衣の眼前に広がる光景は、十九年の人生において一度も見た事がないものだった。

 当然探索者という職業を漠然とは理解していた、つもりだった。

 結衣の認識では、探索者というのは命を賭けるが鮮やかに魔物を討伐する、芸能界とはまた別の華がある職業だと思っていた。

 だが、目の前で繰り広げられている光景は「お前の認識は間違っている」という事実を、突き付けるものだったのだ。

 結衣の前で戦っている二人の筋肉ムキムキマッチョマンは、己の肉体だけで戦い、時に身体をぶつけ合い、時に太い脚をまるで斧のように横薙ぎを繰り出したり、そして時にポージングをしたり……。

 そこに華はない。

 あるのは、筋肉と汗と、筋肉によって弾けたゴブリン達の血肉のみだった。

 

 四方六方にゴブリン達の血がぶちまけられており、死体は消えて魔石となっていた。

 小さい魔石が数えるのが面倒な程、地面に転がっている。

 そんなゴブリンにとって惨劇の中央で、二人のマッチョマンが誇らしげにポージングをしていた。

 あんなに蹴ったり殴ったりしていたのに、疲労感を一切見せずに爽やかな笑顔を浮かべている。


 気が付いたら、あんなに沢山いたゴブリン達は全滅し、全員血をぶちまけて魔石となっていた。


「……私、助かったの?」


 結衣はぼそりと呟いた。

 

「ああ、あの二人のおかげで助かったんだぜ」


 結衣の隣で二人を撮影している和哉が、頷いて返す。


「う、ううううう、よかったよぉぉぉ」


 結衣は安心感から脱力し、涙をぽろぽろと流す。

 心の底から救われた事に感謝していたのだ。


「「大丈夫かい、お嬢さん」」


 ポージングをして満足をした《モストマスキュラーズ》が、結衣の元に駆け寄る。

 ……何故か胸筋がぴくぴくと動いているが。


「は、はい! 大丈夫です!!」


「ふむ、ならよかった」


「ああ、可憐なお嬢さんを救えて俺も心から良かったと思っているよ」


(……陽介、普段の性格を無理矢理変えて、結衣ちゃんに良く見せようとしてるな)


>よかった、よかったよぉぉ

>結衣ちゃんのファンです! 本当に救ってくれてありがとうございます!!

>おいおい、喜ぶのはいいけど、ナイフが刺さったままだぞ!


 決して口に出さず、陽介の口調に対して指摘をする和哉。

 この二人、下心丸出しである。

 だがそれどころじゃない。


「おい二人共、彼女の脚にはナイフが刺さったままだ! 処置をしないと大変な事になるぜ」


「おっと、そうであった。和哉、すまないが何か包帯かハンカチみたいな布を持っていないか?」


「……持ってねぇな。なら、俺のTシャツを使ってくれ。それでいいか?」


「ふむ、応急処置だから充分か。弟よ、私が彼女を抑えるから、ナイフを引き抜いて貰えるか?」


「合点だ、兄者!」


 兄者が結衣の背後に回り、両肩に手を置いてぐっと抑え込むように力を入れる。


「お嬢さん、今からナイフを引き抜く。相当な痛みだろうが、刺さったままだと手遅れになる場合がある。耐えてくれるかい?」


「……が、がんばります」


 結衣の表情は当然ながら怯えている。

 だが、これ以上悪化させたくもない。

 ならば選択肢は「我慢する」の一択しかなかった。


「よし。弟よ!」

(ああ、この子から凄く良い香りがする。これが芸能人か!)


「行くぞ、兄者!」

(脚ほっそっ! しかも綺麗だ!! ああ、素敵な生足を持てて幸せだ!!)


(……とか絶対に思っているだろうな、女性に免疫が皆無な筋肉バカなこの双子)


 和哉、正解である。

 まぁ表情に出さずに心の中で留めておけたのは評価しよう。

 和哉も自身が着ていたTシャツを脱ぎ、弟者に渡す。


 弟者がナイフの柄を持ち、素早く引き抜く。

 強烈な痛みに襲われ、結衣は絶叫する。

 口からは唾液も垂らし、涙と鼻水で可憐な顔は台無しになる。


>ああ、結衣ちゃん……

>あんなに綺麗な子が凄い顔になって……。そんだけ痛かったんだな

>……ちょっとトイレ行ってくる

>流石にお前、それは不謹慎……俺も行ってくる

>をいwwwwwwwwww

 

 流石、コメントは他人事だ。

 美少女が痛がる様子に性的興奮を覚えた、一部の視聴者がトイレに行ってしまうという事態が発生する。

 ネットはやはり魔境である。


 弟者は和哉のTシャツ(ブランド物で約三万円相当)を半分に破り、一枚を傷口に直接当てて掌で圧迫、止血を試みる。

 しかし、血が止めどなく出てくるので、抑えていた兄者はもう一枚の破れたシャツを太腿部分にきつく撒いて縛る。

 出血が酷い場合の止血方法は、心臓に近い位置の動脈を圧迫するのがセオリーだ。

 そして傷口を心臓より高い位置に上げる。

 傷口を直接触っているので、あまりの痛みに結衣は泣き叫んではいるが必死に痛みに抗っている。


>手際がいい

>さすが双子なのか、息がぴったりだ

>医者をしている者です。応急処置は完璧ですが、あまりにも出血が酷いので至急病院へ搬送した方がいいです。大変でしょうが、その体勢をキープしながらダンジョンから出てください

>医者がいる!

>ありがたい、ありがたい!!


 今コメントを拾えるのは和哉のみだ。

 医者と名乗る視聴者のコメントを拾い、二人にそのまま指示を出す。


「わかった。お嬢さん、すまない。今の体勢を維持する為に臀部付近を触らなくてはいけない。よろしいか?」


 弟者が確認を取る。

 決してグラビアアイドルのお尻を触りたいとかそういう願望は、ほんの少ししかない。

 だが、患部を心臓より高くするには、お尻部分を持って彼女の脚を弟者の肩に乗せて運ぶしかない。

 結衣は、力無く頷くと弟者が「失礼する」と言って両掌で彼女の尻を持ち、兄者が結衣の上半身を支える形の担架状態となった。


>これは医療行為、医療行為なんだ

>状況が状況なんだけど、ちょっと弟者が羨ましい

>いや、兄者も羨ましいだろ

>おい、そんな事を言って不謹慎だ!

>頼むモストマスキュラーズ! 結衣ちゃんを救ってくれ!

>後でセクハラで訴えられなきゃいいな

>てめぇ、結衣ちゃんがそんな性格ブスな事をする訳ねぇだろ、死ね


 コメントが荒れ始める。

 

(まぁそうなるわな。とりあえず配信は止めるか!)


 和哉は今回の配信を終了する事を決断した。


「じゃあここからは時間との勝負だから、配信は終了する! また近く配信をするから、その時は見てくれ!」


>了解

>結衣ちゃんを頼みます

>モスマス、頼んだぞ!


 視聴者全員がコメントを打っている最中だと思うが、構わず配信を終了した。

 そして、テレビクルーが置き忘れていったカメラを回収し、和哉は双子に的確に指示を出す。


「二人共、彼女に振動が行かないようにしながら、可能な限り早く移動するぞ!」


「「了解だ」」


「後結衣ちゃん、体調が良くなったら是非俺の動画に出てくれ。今回の出来事を配信するから」


「わかり、ま、した」


 息絶え絶えな結衣は、力無く承諾する。

 

(さてさて、このカメラの中にどんな映像があるのやら……。別に俺は暴露系じゃないんだが、登録者数が多い俺のチャンネルを利用して暴露してやろうじゃないか)


 結衣を抱えて移動を始める双子を見て、和哉も急いで移動を開始するのだった。











 結衣は、不思議な感触に包まれていた。

 あまりの痛さで意識は朦朧としているのだが、安心感に満たされていた。

 最初は訳が分からなかったのだが、その内はっきりと理由が分かった。

 そう、筋肉に包まれているからだ。


 この双子の鍛え抜かれた身体は、一見硬そうに見える。

 確かに硬いのは硬いのだが、不思議と弾力があるのだ。

 ゴブリンの攻撃も跳ね返し、魔物を薙ぎ倒す程の強度がある筋肉なのに、不思議だ。

 それに心地良い熱を持っていて、さっきまで血が少なくなっているせいか寒くなっていた身体が暖かいと感じるようになっている。

 まるで人間湯たんぽだ。

 抱き枕のように抱き着きたいが、残念ながらそんな余力も余裕もない。

 結衣の後頭部に当たっている兄者の胸筋は、Gカップを誇る自分の胸より大きく感じるし張りがあるように思える。

 上半身を支えてくれる腕なんて、逞しくて頼もしい。

 弟者のお尻を持っている掌も、とても広く感じる。

 彼の肩に足を乗せているが、全くびくともしない。


 筋肉が、逞しくて頼もしすぎて、この時が長く続けばいいと感じるようになっていた。


(……そっか、私)

 

 ふと、結衣は自分の心に気付いてしまった。

 惹かれているのだと。


(私、筋肉に惚れちゃった)


 ……筋肉に。


 この出来事がきっかけで彼女は芸能界活動を約一年休止する。

 そして復帰するのだが、Gカップ巨乳は分厚い胸筋に変化し、細い腕と脚は筋骨隆々へと進化。

 魅惑的なお腹なんてエイトパックとなってバッキバキに割れていた。

 顔は可憐なままなのだが、首から下が「雑コラか」と言わんばかりの似合わなさとなっており、多くのファンが血の涙を流した。

 だが、筋肉業界においては「天使が舞い降りた」と大評判となり、筋肉系雑誌の専属モデルとなってグラビアアイドルの頃よりも売れるようになった。

 その話は、また別の機会にて。

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