守る
放課後、文芸部の部室へ向かっていると後ろから声が聞こえた。
「春原君」
後ろを振り返ると男子生徒が立っていた。同じクラスではない知らない生徒だ。
「ちょっと話したいことがあるんだけど、いいかな。あっ、僕一人だよ。呼び出しているとかじゃないから」
男子生徒が嘘を付いているようには思えなかったので、おれはうなずいた。
「僕は桑原聡という名前で、松野さんと同じクラスで学級委員をやっているんだ」
桑原は緊張しているのか、あまり目を合わせなかった。
「何の用?」
「松野さんのことなんだけど。松野さんは元気かな?」
「…元気そうに見えるけど」
良かった、と桑原は言い少し笑ったが、すぐに固い表情に戻った。
「春原君と松野さんのことで色々と噂があるんだけど、知っているかな」
「なんとなく」
「あの…。言いにくいんだけど、松野さんが妊娠しているというのは嘘だよね」
一瞬、怒りの気持ちが心に芽生える。桑原もその感情に気付いたらしく、少し怯えた表情になった。しかし、ここで何かをしたら理央が悲しむだろう。それに、桑原の態度から興味本位や茶化しているという感じはしなかった。真剣に心配しているような感じだ。
「それは絶対に違う。確かに理央…松野さんと一緒に一晩閉じ込められた。でも、身体に触れてすらいない。まあ、話をしたりして、親しくなったのは事実だけど。そんな行為はしていない」
嘘を付いた。いろいろ話してもややこしくなるだけだ。あれは理央とおれだけの秘密にしたい。
「そうだよね。ごめん、こんなこと言って」
「松野さんにこんな噂が流れているってことを言わないでほしい。さっき、元気そうに見えるとは言ったけど、傷ついていることは確かだから」
「もちろん、言わないよ。ごめんね。呼び出して」と桑原は立ち去ろうとしたので「待って」とおれは呼び止めた。
桑原は少しびくっとしたように立ち止まった。
「どうして松野さんのことそんなに気にするんだ。正直、松野さんはクラスに馴染んでなくて浮いていただろ。まあ、おれもそうなんだけど。学級委員としての責任感からなのか」
「それもあるけど…」
桑原は迷っているようだったが息をはいて「松野さんのことが気になっていたから」と言った。
「松野さんを見ていると、中学までの自分を見ているみたいだった。いつも一人で、最低限のことしか喋らなくて、僕も中学の時までそうだった。でも、高校生になって自分を変えなければと思って、友達をつくる努力をして学級委員にも立候補した。疲れる時もあるけど、周りから浮くことがなくなった。僕は努力して変われたんだ。だから、松野さんに教えてあげたかった。少し努力すれば、みんなとなじめるよって。でも、松野さんと関わると、また、浮くのではないかと思ってできなかった」
ため息をつく桑原を責める気持ちはなかった。ほとんどの人は桑原と同じ態度をとるだろう。人と関わることを放棄していたおれに責める権利はない。
「春原君、できたらでいいんだけど、松野さんに伝えてくれないか。名前は出さなくていいんだ。心配しているクラスメイトもいるってことを。本当は直接言えたら良いんだけど、僕が言ってもうまく伝わらないような気がして」
「わかった、伝えとくよ。名前も伝えるよ。その方が松野さんにとっても良いだろうから」
桑原はありがとう、と少し頭を下げた。
「そうなんだ…。桑原君がそんなことを言ってたんだね」
部室で理央にさっきのことを伝えた。
「桑原君は偉いね。ちゃんと努力したんだ」
「理央だって努力しただろ…」
「何を?」
「…生きることを」
「それは努力って言って良いのかな。それだったら、春原君はすっごく努力したんだよね」
「ああ、そうだな、おれ達って努力家だったのかもしれないな」
理央はその言葉に少し笑った。
理央はあきらかに前よりも笑うようになった。それが、嬉しかった。
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