君の素顔は優しさでできている
@Caffeine95
第0章
―五年前―
ただの火曜日だった。
放課後の部活をサボり、父のクレジットカードを使って買い物をしている楓には、いつもの火曜日だった。友達の恵梨香と丹と一緒に、晴れた日に遊んで、好きなアイドルの話をしたり、クラスメイトの噂を聞いたりしていた。普通の火曜日のはずなのに、永遠に忘れられない日になってしまった。
部活終了直前に、高校に戻ろうと、B館の後ろを通った時だった。
「なんか、聞こえなかった?」と、丹は言った。
アイスクリームを頬張ることに夢中で、何も聞こえなかった楓は頭を上げる。B館は数学と理科の建物である。高校のメインエントランスから少し離れていて、隠してタバコを吸う学校のヤンキーが集まる場所になった。避けた方がいい、避けないといけない場所になったけれど、楓達は気にしない。怖がっていない。たむろする不良たちを横目に、その場所を通りすぎたことが何度もある。集団から少し離れたところで、一人無言でタバコを吸う滝崎和真の姿を目にしたことも少なくない。でも、彼とは話したことがないし、あえて話したいとも思わない。だが楓の父は彼の親と仲が良く、彼はいい子だといつも楓に言い聞かしてきたので、楓は内心うんざりしていた。
今日も、滝崎はそこにいた。でも、今回は、いつもと様子が違った。
もう食べられていないアイスクリームは溶けてしまい、楓の指に流れている。高校三年生の三人とも信じられないシーンを見つめていて、無言になった。
立った滝崎の隣に、地面に横たわっていた無意識のような人がいる。よく見たら、同じ高校の制服と知らない高校の制服を着ている学生が四人いる。立っているのは、楓達の同級生だけ。滝崎は、震えている手で血まみれの野球のバットを固く握りしめている。後ろから見ているが、今どんな顔をしているだろう。
本当は、知りたくない。視線が交わればと楓が思った瞬間、滝崎は振り返った。夕日の光が一瞬彼の黒い髪に落ちたが、すぐB館の後ろに消えてしまった。暗い夜の中で、楓は滝崎と目が合った。
―現在―
「それで?」とテーブルの上で上体を乗り出す中村は聞いた。
「それでって。それで、逃げたんだよ。当たり前じゃん」と22歳の楓は生ビールを一口飲みながら、答えた。アイスクリームの代わりに、今はガラスに結露した水が指から肘まで流れている。
「信じられん。滝崎くん?本当?目が怖いと思ってたけど」
青森は顎を引いて、腕組みをする。
「それで?それで?」と目が輝いている中村は再び聞いた。
「それでね、友達と一緒に先生に言いに行ったんだね。そして、滝崎は退学になったらしい」
「嘘?殴られたやつは?」
楓は最後までビールを飲み切った。
「すみません!生ビールください」と空のガラスを上げて、店員に叫んだ。そして、中村に向かって、話を続けた。「あいつは分かんない。その後また学校に来たことないんだから。転学かしら」
「信じられません!滝崎くん、怖い!不良な人を雇ってしまったこと、人事課に報告した方がいいんじゃない?」と中村は心配していた。
「いやいやいや、それをやめとこうか。いつでしたっけ?もう5年前でしたっけ?滝崎くんはちゃんと大学を卒業して、過去を消して、やり直す権利がありますよ」
「うん、賛成」とテーブルの奥に座っている大谷が言った。手を伸ばして、枝豆を取った。
「やり直す権利がないって言ったわけないよ」と楓は腹が立った。「なぜ滝崎のことが好きじゃないか聞かれたから、真実を語っただけよ」
「滝崎くんが好きじゃないって急に言ったのは鈴木さんなんですよ」と大谷は枝豆を嚙みながら反論した。
五
5杯目のビールをもらった楓は大谷を無視して、喜んで冷たい液体を飲んだ。
新卒として、4月1日に文房具の商品を販売する会社に勤め始めた楓は、その際に同い年の滝崎と再会した。お互いに相手のことを知らないふりをしてから、3週間経った。滝崎が同期の飲み会に参加できないのは今日が初めてだ。
青森はため息をついて、ネクタイを外して、レモンサワーの隣に置いた。
「滝崎くん、ちょっと冷たいと思ってただけなんですけど」
「でしょ?でしょ?」と身震いして、青森の腕を抱きしめた中村は言った。「私はヤンキーみたいな人と仕事したくないわよ。怖いです。彼はいつも不機嫌そうで、仕事以外の話をすることが全くないよね。変じゃないですか?」
「真面目だからじゃないですか?」と大谷は眉をひそめて疑う。
楓は酔っ払って、笑った。
「みんな、彼のこと知らないんだよ。私はこの目で実際に見たよ」と瞳を指さして言った。「血だらけのバットを持ってたよ。学生を殺しかけたよ!滝崎、接触してはいけないヤバイやつだ!」
「すみません」
後ろから、声をかけられた。
「遅くなって、申し訳ありません」
楓は振り返った。仕事のスーツを着たままの滝崎は、皆お酒を飲んでいるにぎやかな居酒屋で幽霊のように現れた。バットではなくて、ただのグレイ色の携帯電話を持っている。黒くて深い目で、楓を見つめている。その顔は怒りを湛えていた。
話が全部聞こえてしまった顔だ。楓のことを忘れていない顔だ。「すみません」と言いながら、楓に謝る気のない顔だ。
あのころと、滝崎の目は変わらなかった。怖い。
「っくそ」
鈴木楓と滝崎和真、今まで避けてきた二人の関係が、再び交わった。
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