第6話 ナイフ

 応接室にてマルタンとやり取りをしていたゲランは、リュカの戻りが遅いことに引っ掛かりを覚えていた。トイレ云々は建前のつもりで言ったことだったが、例え本当に行っていたとしても、少々時間がかかりすぎている気がする。ゲランは懐中時計を取り出し、リュカが部屋を出てから十分程経っていることを確認してから、不安げに、ゲランから見て左側の隅に配置されている扉の方に目を向けた。


「息子さんが心配ですかな、ゲラン氏」

「……えぇ、まぁ。なかなか戻ってこやんもんですから。もしかして腹を下しとったのかも、と思いまして」

「その可能性はありますな。迷うただけという可能性もあるんやけど……トイレでなんかあったのかもしれまへん」

「……すみませんが、様子を見てきても?」

「え、えぇ、もちろん……。よろしければ、私も共に行きましょう。ご案内いたしますで」

「……ありがとうございます」


 マルタンの言葉に応じてゲランが立ち上がったその時――勢いよく応接室のドアが開いた。その先にいたのはリュカと見知らぬ男で、彼は、リュカの体を太い腕で抱き抱えるようにして拘束している。見たところ、リュカは猿轡もされ、後ろ手で軽く手を縛られていた。

 そして男は、リュカの頭部に回転式拳銃の銃口を押し当てながら鋭い目つきでゲランを睨みつけて力強く叫ぶ。


「おいてめぇアジュールのクソ野郎! うちのマルタンさんを見くびってんじゃねぇぞ! これ以上ほたえたふざけた真似するとあんたの息子をぶち殺してやるさかいな!」


 鬼の形相で怒鳴る男を見た途端、マルタンの顔がさぁっと青ざめた。眉を下げ額に汗を浮かべるマルタンが、八つ当たりをするようにソファを殴りつけて慌てて口を開いた。


「イクス! まだ動く指示は出してへんやろう! 勝手なことするんやない……!」

「ですけど、こいつうちの立場が悪いのを利用してさっきからずっと嫌な条件ばっか出してるやないですか! 隣の部屋から聞いとったんですさかいね!?」

「そうなるのは分かりきっとったことやろう! 馬鹿者! なんで私が腹を括るまで待てん!?」

「ほないな事せんでもこいつぶっ殺したらええやろうが!」

「ほないな簡単な話な訳があらへんやろうが!」


 マルタンと武装した男――イクスが絶叫するような口調で会話をする中、ゲランは『父親』のように焦り動揺しながらどう対応するか頭を悩ませる。

 もちろん、この場にリュカを連れてきたのは己だから彼を生かして連れて帰る算段も責任もある。切り捨てる選択自体も一応存在するが、息子役をさせるほどには情が移ってしまっているため、可能なら無傷で保護したいと思っている。

――しっかし、なんでリュカ坊は捕まったんや? たまたま鉢合わせたんか?

 思案しながら、ゲランは男にリュカを返すよう言葉を掛ける。怒りを向けている相手はこちらで、子供は無関係だと。しかし男は当然のように反抗する。


「あんたがそうやって大人しい態度になるってことは、こいつには人質の価値がある。やったらそう簡単に返す訳にはいかんな!」

「……確かに、その子は……『ルイ』はうちの大事な子だよ。でも、あんた、命令無視して『ルイ』を人質にとるのはどうかと思うが?」

「そっ、そうだ! こないな勝手なことして、話し合いが拗れたらどないすん! 馬鹿者……! 大人しゅうしとればええものを……!」

「そっ、そんなぁ……!」


 マルタンが頭を抱え、イクスが眉を下げ衝撃を受ける中、ゲランは相手の男、イクスを注視する。彼は、はっきりいって頭が弱い人物なのだろう。マルタンの思考も策略も考慮せず、ゲランに対する怒りのみで行動する。非常に単純で愚かにも関わらず、己の頭で考えて失敗するタイプか。ともかく、早めに制圧しリュカを保護しなくてはいけない。抵抗する意志を見せずに相手を油断させていいようにできないだろうか――そう考えるゲランの目線の先で、リュカは感情の読み取れぬ無表情のまま、とんでもない行動を試みようとしていた。



 時は少し遡り、リュカがイクスと呼ばれる男と対面した時のこと。男は、これは僥倖ぎょうこうとばかりにリュカを人質として別室に連行した。そして、リュカにゲランとの関係をあれこれ聞き親子であると確信をした上でゲランに脅しをかけようとしていた。

 だが、それを周りの仲間たちは止めた。『気持ちはわかるが、マルタンさんからの指示が来ていない』『この部屋から会話を聞き取ってはいるが、正確に聞き取れていない会話もある。知らないだけで上手くまとまっとるかもしれん』――しかし、彼への説得は通じなかった。己の言動がマルタンにいい影響を与えると信じ、リュカを人質にゲランを従わせ、己の組織に有益になるよう風向きを変えようとしていた。

 その結果、イクスはリュカに布による猿轡を施し後ろ手で軽く縛り、小脇に抱えるという形をとってゲランに脅しを掛け、現在に至る。



 リュカは拘束を施され抱えられ、イクスに内心呆れる思いを抱いていた。同時に、ゲランの様子をじっと観察する。

 リュカの目線から見て、ゲランは相当焦っているように見えた。リュカに学ばせるためとはいえこのように連れてきて危険な目に遭わせていることに、少々心が痛む気持ちもあるのだろう。もしかしたら、本当の息子が目の前で拘束されているような気持ちにすらなっているかもしれない。いや、それが『親子』を強調させるための演技である可能性があることも分かっているが、いずれにせよ、リュカからすれば違和感を抱く様子であった。

――……へんなの……。

 しかし、リュカはその違和感を無視してひとまずここから脱出する方法を考えることにした。

 今、ゲランが行動を起こせないのは、間違いなくリュカ本人に人質の価値があるからである。そのせいで、ゲランの行動を制限されてるならば、自分が此処から脱出しゲランの負担を軽減するために動くべきだ。そうすれば、ゲランがイクスを始末するにしろ、この場を収め改めて話し合いをするにしろ、ゲランが動きやすくなる。

 ひとまず、リュカは周囲に目を向け観察する。

 頭の上では、怒り心頭のイクスと焦るマルタンやゲランが、リュカの解放を求めてやり取りをしていた。穏便に収めたいマルタンと、リュカの解放を求めるゲランと、とにかくゲランを叩きのめしたいイクスで揉めに揉めていた。本来の交渉など脇に置いて、イクスを大人しくさせるための声掛けは続く。マルタンも明らかに苛立ちを隠せない様子だった。

 2人のやり取りに耳を傾けながら、リュカはゆっくりと拘束を解こうと奮闘する。そう簡単に4歳の子供の幼い手で解けるとは思わなかったが、手の結ばれ方が後ろ手であり、重ねた手首を布で纏められていたため、地道に手を動かせ結び目を緩ませれば解ける可能性があった。ということで、イクスにバレないようにしながら手を握ったり開いたりしていたが、途中でふと気づく。

 それは、自分はこのまま手首の布を解いて、どうするのかということだ。

 確かにゲランの元に戻ることが出来ればいいだろう。しかし、ここからどう動いてゲランの元に戻る? 人質になっている以上、そのままゲランの元に走ればいいというわけでもなかろう。なら、ゲランを怯ませてその隙に逃げるか? しかし、いくら裏の世界に関わるようになったとはいえ、リュカはまだ大した戦闘経験も受けていない子供である。そんな子供が、いくら手を自由に使えるようになったからといって、銃を持った若者であるイクスからどう逃れるというのだ。

 おおよそそういったことを考えて、やはりここで大人しくしている方が得策かと思い始めたその時、リュカは馬車の中でのやり取りと、その時に受け取ったものを思い出した。

 そして、ある作戦を思いついた。出来るかどうかは分からないし、成功する確率は低い。しかし、いつまでもゲランの負担になっている訳にはいかないため、リュカは、その案を実行に移すことを決意する。……とはいえ、流石に緊張かもするしがバクバクと高鳴る。更には心做しか額に汗も滲むような気がした。

 それでもリュカは、心を落ち着かせるように鼻でゆっくりと息をして決意を固める。念の為に、ゲランにを向け己の意図を伝えるようにじっと見つめてから。そんなことをしても、意味は無い、そもそも伝わることもないかと思ったリュカだったが、数秒後に視線に気づいたゲランと目が合った。リュカは一瞬驚きに目を瞬かせた後、更に自分の思考を伝えるように目を尖らせる。

 ちなみに、リュカが伝えたいことを大まかに表すと『ここから脱出するために、相手に危害を加えてもいいか』ということであった。そんなことが伝わるわけもないが、ゲランに何も意思表示をせずに進めるのもよくないと考慮しての事だった。

 また、こうすることでマルタンにリュカの行動がバレる恐れがあったが、今はイクスとのやり取りに必死だったのが幸いした。いつまで喧嘩をしているのかと呆れたくなるが、こちらへの気が逸れているのだから結果的にはいいことである。

 そして、リュカからの視線を受けたゲランは、短く頷いた。言いたい事が伝わったかは分からない。しかし、『やれ』と言われたようにも思えたため、リュカは己の行動力に火を灯す。

 形はどうあれゲランからの許可が出たとあれば躊躇いは必要ない。リュカは、結び目に隙間ができた布を難儀しつつ解くと、自分の上着の内側に手を入れた。そして服の内側に隠した獲物を素早く取り出し開いたかと思うと、己の体を抱える腕に目掛けて勢いよく振り下ろした。


「っ、おいガキ! お前なにしっ――っ、ぐっ、あ゛、でめぇ、なにしやがる!」


 流石に己の腕の中で大きく動くリュカの異変に気づいたのだろう。慌てて声をかけたがもう遅かった。リュカが振り下ろしたナイフは想定以上にイクスの腕に深々と突き刺さってた。そして、リュカは体から解放されると同時にナイフを腕から抜き、体勢を崩しながらも彼の足首を目掛けて全力で振り抜く。その刃物は、足首には当たらなかったが、ズボンの裾を引っ掛け裂け目を作る。続けての攻撃を行おうとしたリュカだったが、最初の振り抜きの勢いが強かったのか、それともズボンへの引っかかりのせいか、ナイフはリュカの小さい手を抜けて明後日の方向に逃げてしまった。そして、同時に足を滑らせ地面に転倒した。


「……っ!」

「なっ、何しやがんだお前!」

「イクス!」

「『ルイ!』大丈夫か!?」

「……ッ!」


 焦りながらも慌てて起き上がろうとするリュカに、リュカの行動に動揺するイクス。その光景を見て取り乱すマルタンに、想定外のことが起こり心中穏やかではないゲラン。混沌とする状況の中、イクスの行動をリュカは見逃さなかった。

 腕を刺され、更に足にも攻撃をくらいかけたイクスは、多少なりとも心を乱したのだろう。つい回転式拳銃を取りこぼしてしまったのだ。『あっ』という声と共に焦りを顔に滲ませすぐに拾おうとしたが、銃は妙な転げ方をし、なんとリュカのすぐ横に鎮座した。それに気づいたリュカは、慌てて銃を拾い上げぎこちなく起き上がると、イクスから数歩距離をとる。

そして、警戒しているという意思表示のため、銃を両手で構えながら、ゆっくりと後退りし、ゲランの元へ辿り着く。すると、ゲランはほっと安堵した顔つきになり、前方を警戒しながらリュカの猿轡を外す。


「大丈夫か、『ルイ』……!」

「……っ、ゲホゴホッ、はぁ、ど、どうも……おおきに……」

「怪我は!? アイツになんかされてへんか!?」

「……っ、はぁ、だ、だんない大丈夫で、す……」

「……それならいいが……あとでちゃんと医者にみせよう。ほら、銃を貸して。これはまだ君には早いから」

「……っ、はい……」


 咳き込むリュカの背中をさすり、銃を取り上げたゲランは、内心この展開に驚いていた。

 つい先程、ゲランは、リュカからの鋭い視線に気づいた。最初は何かと焦ったが、彼が、自分で脱出するための行動をするという意思表示に見えたのだ。何故そんなふうに見えたかは分からない。しかし、つい頷いてしまった。

 何か行動を取るとしても直ぐに露呈する可能性もあるが、かといってリュカ本人も大人しく拘束されている気もなかったのだろうと推測した。上手くいく可能性は低かったが、そこは運も良かったのだろう。結果的に脱出は成功し、リュカは見事己の元に戻ってきた。その事に胸を撫で下ろす一方で、少々この子供に対する違和感を抱いていた。

 まず、人質になった子供がここまで冷静に動けるだろうかという疑問である。人質の子供なんて、泣き叫ぶかただ怯えた顔をするか、そういったものだろう。それを、涙ひとつ見せないどころか冷静に拘束を解いた。例え、緩く縛られていたとしてもそれだけの頭が働くだろうか? そこから見事脱出し、念の為渡したナイフを使って相手を怯ませるまでやってのけた。

 その結果、リュカは及第点どころか非常にいい働きをしてくれた。そしてなにより、一連の流れにおける判断力や行動力からして、充分に戦闘員としてやっていける素質がある。ゲランは想定以上の素質のある子供を見つけたことに淡い喜びを抱く。だが、同時に僅かな不安も抱いた。

――この子、裏の世界の人間としてやって行ける素養は充分ある。けど……相当危ういで。俺はとんでもない子供を傘下に入れちまったなぁ……。

 冷や汗を浮かべながらも、リュカがまた人質にならないよう彼を自分の背後にやる。

 そして警戒のため銃口を相手に向けながら、ゲランはマルタンとイクスを睨みつけた。


 その一方で、リュカに逃げられたイクスは、驚きに目を白黒させた後、ぎこちなく床に落ちたナイフを拾い上げて不愉快そうな顔つきで懐にしまった。その顔つきは苦虫を噛み潰したようといってよく、腕の怪我と合わせて彼に相応の衝撃を与えたのだろうと思われる。

 続けて、一旦胸の辺りで両手を軽く上げたイクスは、酷く焦りを見せるマルタンへ顔を向けていくらかやり取りをした。直後、バチンと乾いた音が響く。原因はマルタンがイクスの頬をぶったためであった。眉間に皺を寄せて怒りの表情を向けるマルタンと違い、大人しくなったイクスは悔しそうに顔を歪めた。どうやら、反省はしているようだ。

 それからまた何度か短く言葉を交わした後、マルタンは徐にゲランへと向き直る。そして、どこか不快そうにではあるが降参と言わんばかりに両手を顔の横まで上げ、厳しい顔つきで口を開いた。


「……降参です。あなたの言うことを聞きましょう」

「――っ……ありがたいお話ではありますが、何故急に?」

「……自分のところの子供の制御すらできず、かといって上に逆らうこともあなたに素直に従うことも出来んかった私に、人の上に立つ資格はありませんよ。……とはいえ、うちの部下を無惨に扱われても困るので、そこはお慈悲をいただけたらと」


 短く息を吐いて諦観したように苦い笑みを浮かべたマルタンは、ゆるゆると首を振りそう言った。その顔つきは悲痛なものであり、今のところ反抗する意思はないようである。

 もしかして不誠実な行動にも事情があったのだろうか。しかし、ゲランにとってそこは些細なことである。それよりもなによりも、マルタンがこちらの意図を汲んでくれることが大事であった。


「……そう、ですか。では……部屋をある程度片付けてから、もう一度話し合いましょうか」


 身を縮こませる思いで佇むマルタンに対し、ゲランはにこりと目を細めると、くしゃくしゃになった大きなラグや位置がズレたソファーに目を向ける。

 それを見て、慌ててマルタンとイクスは慌てて部屋を片付け始め、ゲランとリュカにも指示をする。リュカは素直に指示に従い、散らばった紙を拾い上げた。


 それから改めて話し合いが行われ、今回の交渉は終わりを迎えた。マルタンはゲランの提示した条件を大方受け入れ、『フォル』は、『エタン・アジュール』に組み込まれた。すんなりとは行かなかったが、損傷は少なく非常に僥倖であった。

 ただ、この出来事により相手側上層組織には大きく恨まれることになったが、元々敵対組織である上戦力差が大きいために手を出して来ず膠着状態となっている。

 また、今回の交渉の成功をもってゲランは相応に評価され多くの報酬も得たという。

 更には今回の件を機に、リュカは正規の構成員となった。あまりにも幼い正規構成員に周囲は驚いたが、彼は幼い故に組織にとっても都合がよく、しかもある程度の経験があったためちょうど良かったのだ。

 そしてこれを契機として、リュカは、どんどん裏の道を歩むことになるのだった。

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橙の幻想 不知火白夜 @bykyks25

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