二人だけの秘密 2024/05/03

 私の名はセバスチャン。

 この家で働く、しがない老執事でございます。

 もともと旦那様に仕えていたのですが、今は沙都子お嬢様にお仕えしています。

 お嬢様がお生まれになった際、旦那様から教育係と世話係を任命されたのです。


 それ以来、教育や食事の用意はもちろんのこと、お嬢様のお客様の対応も、私の仕事でございます。

 

 今日も、ご友人の百合子様が遊びに来られたので、紅茶を出しておりました。

 既に出していたティーカップを下げ、新しい紅茶を机の上に置きます。

「では私はこれで失礼します」

「ありがとう、セバスチャン」

「ありがとうね、セバスさん」

 恭しく礼をして、部屋から退室します。


 下げたティーカップを持って、廊下を歩きます。

 考えるのは、ご友人の百合子様のこと。


 沙都子お嬢様は、選ばれし人間です。

 世界有数の大富豪の元に生まれ、それに相応しい人間になるよう教育を施されました。

 人の上に立つための教育です。

 ですが、それ故に孤独でした。

 選ばれし人間であるがゆえに、対等でいられる友人がいなかったのです。

 

 そんなお嬢様にもご友人ができました。

 百合子様は一般家庭で生まれ育ったお方……

 生まれの違いから恐縮する人間が多い中、百合子様だけは全く物怖じせずお嬢様に接します。

 多少物を壊す悪癖があるのですが、問題ありません。


 物は壊しても、また買えば良いのです。

 しかし沙都子お嬢様の笑顔だけは、お金では買うことは出来ません。

 笑う事がほとんど無かったお嬢様が、百合子様と話す時、ああも豊かな感情表現をされるとは思いもしませんでした。

 本当に良い友人をお持ちになりました。

 歳のせいか、涙腺がゆるく――


「おっと」

 感傷に気を取られ、足元の注意もゆるくなっていたようです。

 小さな段差に躓き、手に持っていたカップを落としてしまいました。

 当然落としてしまったカップは、床に落ちてパリンと音を立てて割れてします。


「年は取りたくないものですね」

 誰もいないからでしょう。

 つい、独り言が漏れてしまいました。

 私がこの家に仕えてから40年、まだ現役だと思ってましたが、そろそろ引退も考えねばならないのかもしれません。

 持っていたハンカチを取り出し、破片を拾おうとした、まさにその時でした。


「あっ」

 そこにいたのは、沙都子お嬢様の友人、百合子様でした。

「すいません、トイレに行きたかったんですけど……」

 彼女は見てはいけないものを見たような顔で、気まずそうに私を見て――

 いたのも一瞬のこと、すぐにイタズラを思いついた子どものように悪い顔となりました。


「ねえ、セバスさん。この事が沙都子に知られたら困るよね」

 なんということでしょう。

 百合子様は、私を脅すつもりのようです。


 正直おどろきました

 百合子様は、そんな事をするような方には見えなかったからです。

 いよいよ人を見る目すら衰えたか?

 本気で引退を考えようとした、その時でした。


「悪いんだけどさ、私の割った花瓶も一緒に隠してくれない?」

 前言撤回、意外でも何でもありませんでした。

 今日も、百合子様はまた物を壊されたようです。


 そして、百合子様は、どうやら割ってしまったカップを私が隠すと思ったようです。

 私は仕事中の不注意で壊しただけなので、報告書を出すだけなのですが……

 百合子様もまだ学生なので、もしかしたらその辺りのルールを知らないのかもしれません。


 しかしそれを考える前に、聞かないといけないことがあります。

「……百合子様、また壊されたんですか?」

「その、違くて、きれいな花だと思ってたら、転んじゃって、あはは」

 相変わらず子どものような言い訳をするお方です。

 それにしても、百合子様は遊びに来るたびに何かを壊していらっしゃいますが、他人ながら将来が心配です。

 

「セバスさんなら沙都子にバレないように隠せるでしょ?

 私が隠してもすぐ見つけるんだよね。

 なのでセバスさんに一生のお願い、バレないように隠して!」

 私が何も言わないことを肯定取ったのか、百合子様は色々と残念なことを話し始めます。

 なんだか、沙都子お嬢様の教育に悪い気がしてきました。


「セバスさんが割った事も、沙都子には秘密にするからさ。私が花瓶割ったことも内緒で。

 二人だけの秘密ってやつです」

 まさか秘密の共有を提案されるとは……

 私が思っている以上に面白いお方のようです。

 しかし――


「申し訳ありません、百合子様。

 それはお約束できません。

 私は、沙都子お嬢様に隠し事は出来ないのです」

「セバスさんもバレちゃうのか……」

 私は『主従関係として嘘をつけない』と言ったつもりなのですが、百合子様は『沙都子お嬢様に見破られるから駄目』と受けとったようです。

 勘違いされているみたいなのですが、訂正するほどのことでもないので黙っておきます。


「うーん、じゃあさ。

 沙都子に絶対にバレないような隠し場所って無い?

 こっそり教えて」

 百合子様は、あくまでも隠し通すつもりのようです。

 ですが――

「百合子様、隠す必要はありません」

「セバスさん、やっぱり隠してくれるの?」

「いいえ、違います」

 私は百合子様の言葉をしっかり否定します。

 その上で、百合子様の後ろを見ます。


 私の目線に、百合子様は何かに気づいたのか、急にビクビクしだしました。

「そっか、セバスさんが忙しいなら仕方がない。

 私はもう行くね」

「あら百合子、ウチの執事とのお話は終わったの?」


 百合子様の体がビクッと跳ねます。

 そして恐怖に引きつった顔で、恐る恐る振り返ります。

「あ、沙都子じゃん。どうしたの?」

「ええ、私もトイレに行きたくなって」

「そっか、じゃあ一緒に行こう」

「ええ、トイレに行くまでにお喋りしましょう。

 セバスチャンと何を話していたのとか、何を秘密にするのだとか。

 二人だけの秘密のお喋りをしましょう」

「ひえええ、バレてる。助けてセバスさん」

 百合子様は、沙都子お嬢様に引きずられるようにトイレに向かわれました。


 さすがに自業自得だと思うのですが、あまり他人事にも思えなくなってきました。

 沙都子お嬢様と相談し、百合子様にメイド教育を施すべきなのかもしれません。

 そうすれば、物に対する力加減を覚えて、物を壊さなくなるかもしれません。

 かつての私のように。


 私も昔、物を壊してはあんな風に旦那様様に怒られたことが懐かしい。

 沙都子お嬢様と百合子様の様子を見て、しみじみ思うのでした。

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