たとえ間違いだったとしても 2024/04/22

 やっちまった。

 私は手に持ったコーヒーを眺めながら、心中で呟く。

 私はコーヒーが嫌いだ。

 とくにブラックのやつが……


 本当は別の物、たとえば紅茶とかがよかった。

 コップを取る際、よそ見しながら取ったからである。

 なぜコーヒー以外にも飲み物があるのに、よりにもよってなぜコーヒーなのか?

 畜生め。


 じゃあ交換してもらえればとなるのだが、それは出来ない。

 今この屋敷にいる人間で集まって、重要な会議をしているから。

 非常にシリアスな場面であり、とてもじゃないが『飲み物を間違えたから変えて(はーと)』なんて言えるわけない。


 私は憂鬱な気分で会議を聞いていた。

「電話は駄目だ。スマホの電波も入らない」

「ここに来るまでの道が土砂崩れで通れなかった」

「車のタイヤがパンクしてる。 しかも全部だ」


 お分かりいただけただろうか?

 私たちは、いわゆる陸の孤島で孤立しているのだ。

 しかも――


「そんな! じゃあ、助けに来るまで人殺しと一緒にいなきゃいけないの?」

「……残念ながら、そういう事になる」

 この会話でお察しだろう。

 私は、いや私たちはこの屋敷に閉じ込められた。

 よりにもよって、人殺しと一緒に……


 面々はこの窮地から脱出しようと、討論を繰り広げるが有効な打開策は出ない。

 不毛な会議を聞きながら、やっぱり来るんじゃなかったと後悔する。

 どうしてもと乞われ渋々来たのだが、こんな事になるとは……

 どうしてこうなった……


「貴女は何か案がありますか?」

 顔を上げると、イケメンが私を見つめていた。

 よく見れば他の面々も私の事を見ている。

 会議の面々は美男美女ばかり。

 こういう場でなければ、眼福だと言って喜んだのだろうけど、今の私にそんな余裕はない。


「別に何も」

 私は感情を込めず答える。

 興味は無いから仕方がない。

 殺人鬼などどうでもいい。

 私の興味はただ一つ、目の前にある嫌いなコーヒーだけ。


「そうですか……」

 私のぶっきらぼうな返事に、声をかけたイケメンは悲しそうな顔をする。

 ああ、イケメンの悲しむ顔は綺麗なのに、なぜこんなにも気持ちが高ぶらないのか……

 やっぱり、来なければよかった。


 憂鬱な気持ちの中、もう一度私は持っているコーヒーを見つめる。

 私は、今からこれを飲む。

 たとえ間違いだとしても、手に持っている以上はこれを飲み干さなければいけない……

 そういう運命だ。


 私は、運命を呪いながら、意を決し、コップの中のコーヒーをあおる。

 案の定、口の中にコーヒーの苦みが広がる。

 やっぱり紅茶がよかったなあ。


 周りの人間は何事かと私に注目する。

 突然、何もしゃべらないヤツがコーヒーを一気飲みし始めたら、そりゃ見る。

 私は視線の中、ゆっくりと、後ろのソファーに体を沈める。

 ああ、やっぱりコーヒーは嫌いだ。


「あの、大丈夫ですか?」

 さすがに心配したのか、イケメンが再び声をかけてくる。

 でも。

「……」

 私は問いかけに応えない。

 そんな気分じゃない。

 それに――


「あの」

 反応のない事を不思議に思ったのか、私の肩を叩く。

 私は返事をする代わりに、座ったまま、ゆっくりと、横に、体を倒す。

 イケメンには悪いが仕方がないんだ。

 だって、私は――

「うわあああ、死んでる」



 ――死んだのだから……






「カーーート」


 🎬



「瑞樹ちゃん、今日も良かったよ」

「はあ、どうも」

 監督にお褒めの言葉に、素っ気ない返事を返す。


「えっと、ゴメンね」

 失礼な返答をしたにもかかわらず、申し訳なさそうに謝る監督。

 私が不機嫌な理由の一つに監督に原因があるからだ。

 

「急にキャンセルされちゃってさあ。」

「分かってます」

 私は本来、この撮影に参加する予定は無かった。

 けれど、予定していた役者がドタキャンしたので、代役の話が私に回ってきたのだ。

 本当なら……本当なら久しぶりの休暇を楽しむはずだったのに……


「あの、怒ってる?」

「いいえ」

 もちろん嘘だ。

 監督から『一生のお願い』とか、『ギャラ倍出す』とか、『あなたにぴったりの役』とか、『おしいい役だから』などのセールストークを受け、嫌々ながらもここに来た。

 にもかかわらず、私の役柄は序盤ですぐ死ぬ『いつも不機嫌そうな女性』……

 これが私にぴったりってどういう意味だ、コラ。


 でも言わない。

 なぜなら私は出来る女……

 仕事に私情はもちこまないのがモットー。


「分かってます。仕事ですから」

「そんな冷たい事言わないでよ。 瑞樹ちゃんと私の仲でしょ?」

「はい、ただの監督と役者の、ビジネスライクな仲ですよね」

「だめ、怒ってるわ。準備してたお菓子持ってきて。なるはやで!」

 監督がスタッフに呼びかけ、すぐに私の目の前にたくさんのお菓子が並べられる。


 先ほどまで不機嫌だった私も、さすがに笑顔になってしまう。

 目の前にあるのは、テレビでしか見ないような、お高いお菓子たち。

 それがたくさんあれば、誰だって喜ぶことだろう。


「仕方ない。コレで許しましょう」

 私は早速、そのうちの一つを口に放り込む。

 うむ、うまい。

 思わず、笑いがこみあげてくるほどのおいしさ!


「あの、瑞樹ちゃん、余計なお世話だけど、一つ言っていいかしら」

 その様子を呆れるように見ていた監督が、口を開く

「ふぁに(何)?」

 私はお菓子を頬張りながら返事をする。

「そんなにお菓子食べたら太るわよ。 役者は体形管理も仕事よ」

 そんなこと言われなくても分かってる。

 目の前のお菓子を全部食べれば、きっと太るだろう。


 でも、それが何だと言うのか……

 お菓子を口に入れるたびに、体中に広がる多幸感。

 そして溢れる生きてる幸せ。

 たとえ間違いだったとしても、この手が止まることは無い。

 

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