遠くの街へ 2024/02/28

 日曜日の朝、誰もいないリビングで一人パンを食べながらニュースを見る。

 いつもは妻と二人で昼食をとるのだが、妻は出張でいない。

 そして今日は出張に行ってから、初めての休みの日。

 一人きりで過ごす休日なんて何年ぶりだろうか?


 数年ぶりの一人の時間なので、何をすればいいのか分からず、とりあえず朝からテレビを見ている。

 けれどどうにも落ち着かない。

 結婚してからいつも妻と一緒にいるのが当たり前だったので、一人でいるとなんだか悪いことをしているような気分になる。

 これが寂しいって事なのだろうか?

 テレビを見ていても、何一つ頭に入ってこない。

 結局テレビを見ることをやめて、気分転換に散歩に出ることにした。

 少しは気が晴れるといいけれど。


 玄関を開けて、外に出ると霧が出ていた。

 ここは地形的に霧の出やすいところなので、珍しいものではない。

 珍しいものではないが、ここのところ毎日霧が出て気味が悪い。

 異常気象であろうか?

 自分の小さな身で気にしても仕方が無いので、考えないことにする。


 霧の中、あてもなく近所を歩いていく。

 歩きながら考えるのは妻の事。

 本当は一緒に付いて行きたかった。

 だけど自分の仕事のこともあるので、それは叶わなかった。

 それにしても短い間かから大丈夫だと思っていたが、まさかこんなに心をかき乱されるとは……


 妻と話をしたい。

 そう思って何かメッセージを送ろうと思ったが、何を送ればいいのか分からない。

 しばし熟考した末、この霧を送ればいい事に気が付いた。

 スマホを取り出して写真を撮り、妻にメッセージと一緒に送ってみるとすぐに着信が来たので、通話ボタンを押す。


『君が行く 海辺の宿に 霧立たば 我が立ち嘆く 息と知りませ』

 妻は開口一番、短歌を詠む。

 妻は短歌が好きで、事あるごとに詠んでくるのだが、あいにくこちらは無教養である。

 それを知ってか、短歌を送ってきた後は必ず訳文を言う。


『あなたが行く海辺の宿に霧が立てば、それは私の立ちつくして嘆く私の息と知って下さい』

 なるほど、吐く息と霧を同じものをみなしたのか。

 昔の人はなかなかロマンチックだと感心する。


「じゃあ、この霧は君のため息って事?」

『そう。君がいなくて寂しいの』

 妻は普通恥ずかしくて言えないことを平然と言う。

 聞いているこっちの顔が赤くなりそうだ。

『でも、こっちに霧が出ない。私の事、もしかして寂しくないの?』

「えっと、俺も寂しいです」

『ふふふ』

 電話越しに嬉しそうな声が聞こえる。

『知ってた。君、寂しがり屋だからね』

「お互い様だろ」


 そうして妻と取り留めのないことを話す。

 彼女の声に安心している自分がいる。

 やはり俺は寂しかったのだ。

 朝から感じていた憂鬱な気分は消えていた。

 妻もそうなのか、彼女のため息だという霧がどんどん晴れていく。


『そろそろ、切るね』

 十分くらい話したところで、妻が終わりを切り出す。

 電話の終わりを告げるのはいつも妻だ。

「じゃあ、また」

『うん、またね』


 電話を切ると、さっきまで満ち足りていた気持ちが消え、急に寂しくなる。

 なんとなく昔の人の気持ちが分かる気がする。

 遠く離れていても、ずっと繋がっていたい。

 いつでも話せる電話があるのにコレだから、昔の人はもっと切ない思いだったのだろう。

 俺は昔の人の思いをはせながら、大きな息を吐く。

 どうかこの息が、妻のいる遠くの街へ届きますように。

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