第5話 迫る死期



五話 迫る死期



「ただいま」


 時刻は夜の十時頃。


 玄関の方から父の声が聞こえると、真は自室を飛び出して玄関へと向かった。


「おかえり、父さん」


「お、なんだ。珍しく真がお出迎えか」


 父は嬉しそうに笑った。だが、息子の顔を一目見ただけでその顔から笑いが消えた。


「なんかあったか?」


「ちょっと、相談したいことがあって」


「それは、母さんにはもう話したのか?」


 父の言葉に真の反応が遅れる。


「母さんには、話してない」


「それは俺にだけ相談したいということか?」


 真は黙って頷いた。


「あら、おかえりなさい。今日は随分遅かったのね」


 父が返事をしようとしたその時、台所の方から母も迎えにやってきた。


「ん、あぁ。ちょっと長引いてな。それにしても腹が減った」


「はいはい、すぐ準備しますよ。まずは着替えてきてくださいな」


 母はそう言うと台所へと戻って行った。


「後でお前の部屋に行く。その時に聞かせろ」


「うん」


 父はカバンを持ったまま洗面所へと向かった。真はその背中を呆然と眺めていた。



 それから一時間程経過した頃。



 真が自室のベッドの上で天井をボンヤリと眺めているとコンコンと静かにノックの音がした。


「開いてるよ」


「入るぞ」


 そう言いながらパジャマ姿の父が真の部屋を訪れた。部屋に入った父は物色するように辺りを見回した。


「宿題はもうやったのか?」


「やったよ」


「ふぅん、そうか。で、どこに座れば良い?」


「どこでも良いよ」


 真はベッドから身体を起こしながら答えた。


「じゃあこの椅子借りるかな」


「よっこらせ」と言いながら、父は真の勉強机の椅子に座った。小学生の頃から使っている椅子がギシリと唸った。


「で、話ってのはなんだ?」


 真は一度深呼吸をした。


「父さんは警備員のアルバイトを前にやってたことがあるんだよね?」


「ん、あぁ。あるよ」


「その時に護身術というか取り押さえる技とか教えて貰ったのかなと思って」


 息子の期待の眼差しを受けた父は居心地の悪そうな顔をした。


「いや、教わってないよ。俺が行かされたのは、通ってた大学の近くのお祭りの警備だからな。やったのは交通整理みたいなもんだ。何かあったら本部か警察に連絡。それだけ」


 父は真の机の上にあったボールペンを手に取ると器用に回しながら答えた。

 父のペン回しは手慣れたもので、確実に練習を積み重ねた人間の動きだった。


「そ、そうなんだ」


「それよりも、護身術なんか知ってどうすんだ?」


「どうするって、そりゃ」


 真の視線が少し泳いだ。


「何かあった時のために知っておいた方が良いかなぁ、と思って」


「なるほど。知らないよりは知っていた方が良いに決まってる。でも、だったら何故、母さんには秘密にするんだ」


 父は間髪入れずに質問をした。


「それは、なんか、心配かけちゃうかなぁと思って」


 真の言葉を、父は息子の目を見ながら聞いていた。


「なるほど、ね」


 父はペンを机の上に戻すと、入浴中に剃ったのであろうツルツルになっている顎を擦りながら、しばらく考え込んだ。

 次に何を言い出すのかと身構えていた真に父は語った。


「それは、建前だな。俺は建前を聞いてるんじゃない。本音を聞いてるんだ。怒らないから言ってみろ」


「ウッ」


 真のその反応は、建前であることを白状したも同然だった。その事を真自身が一番分かっていたので、覚悟を決めて話すことにした。


「父さんはニュース見た? 速報になってたやつ」


「速報って言うと、中学生二人が刺されたやつか?」


 真は黙って頷いた。


「そのニュースがどうしたんだ?」


「前に防刃ベストを借りたよね。アレ、実はクラスメイトに貸そうと思ってるんだ。でも、ニュースを見てたら防刃ベストだけじゃ足りないような気がしてきて」


 息子の言葉を聞いた父は、視界の片隅にある防刃ベストをチラッと見た。

「貸そうと思っているのなら何故今ここにあるんだ?」と父の頭を過ったが、質問を変えた。


「足りない? 何が?」


「何ていうのかな。準備が、とでも言うのかな?」


「ふぅむ。防刃ベストを貸してあげるだけじゃ心配だから、自分が取り押さえる技を知っておきたいってことか?」


「う、うん。そういうこと、になるかな」


 父は腕を組んで深呼吸をした。


「なんというかな。まるで襲われる前提、みたいな話だな」


 真の身体がビクッと震えた。真は自分が嘘を見抜けることを父にも母にも話していない。

 それは両親のことを信用していないからではなく、牧野に話していないのと同様に、話すことで距離感が変わることを恐れているからだった。


「こ、こんなニュースがずっと流れてたらネガティブにもなるよ」


 苦し紛れの返答だったと内心ヒヤヒヤした真であったが、父は気にした素振りを見せずに背もたれに寄りかかった。


「まぁ、一理あるか」


「だからそういう技を知ってたら教えて欲しいと思ったんだけど。ごめん、仕事遅かったのに変な話をして」


「いや、お前の気持ちが聞けたからそれは構わない。お礼に見せてやるよ」


「えっ、何を?」と真が言うのと同時に、父は椅子から立ち上がるとストレッチを始めた。


「ちょっと庭行くぞ。お前も来い」


 真は、ストレッチしながら部屋を出る父の後を追った。




 二人が玄関で靴に履き替えていると、リビングの方からパジャマ姿の母が現れた。


「え、二人共。こんな時間にそんな格好で何処行くの?」


「ちょっと、庭にな」


「なに? なんかあるの?」


「いや、ちょっとだけ」


 母は話をはぐらかす父を睨みつけた。


「なんで今からなの? もう遅いんだから明日にしなさいよ。明日じゃ駄目なの?」


「んん、まぁ、アレだ。父と子の話、だな」


 父の言葉に母は溜息をついた。


「ハァ、もう勝手にしてください」


 母は「これだから男は」とプリプリ怒りながらリビングへと向かった。


「そんな怒ることじゃねぇんと思うんだけど」


 真はどういう返事が正解か分からず愛想笑いをした。




 外に出ると頭上には月が見えた。外灯にはあまり近くに来て欲しくない虫が何匹も集まっていた。生温い風が吹く中を、二人は少しだけ雑草も混じった芝の生えた庭の真ん中へと歩いた。

 二人は誰に言われるまでもなく互いに向かい合っていた。


「真、お前はナイフを持ってると思って、その架空のナイフを俺に刺してみろ。場所はどこでも良い。俺は俺の知ってる技術でそれを防ぐから」


 父は挑発するように胸を叩いた。


「いきなりそんなこと言われても」


「俺の技術がド素人のお前にも通用しなかったら見せる意味も教える意味もないだろ? 試しだよ、試し」


「試しだが、本気で来いよ」と父は真の目を見て言った。


「やらなくちゃいけないの?」


「ああ、そうだ」


 真は屈伸をした後に腕や肩をグルグルと回してから「じゃあ、行くよ」と宣言した。


 真は深呼吸をした。

 お互いに向かい合っている場合、どこを狙うものなのだろうか。

 いや、そんなこと考えたって仕方がない。自分が知りたいのは刺し方ではなく守り方なのだから。


 真は自分のタイミングで踏み込んだ。しかし、気が付くと父に手首を握られており、捻られたと思った頃には、そのまま地面へと投げ飛ばされた。


「痛ッッッ」


 あまりにもお粗末な受け身を取った息子の姿を見て父は驚いた。


「お、おいおい。なんだその受け身は。怪我するぞ。受け身ぐらいは授業で習ってるんじゃないのか?」


 真の顔や腕には草や土がついていた。それを払いながら真は答えた。


「柔道は選択授業だから取ってない」


 真はゆっくりと立ち上がった。


「そんなんで技を覚えたいとか本気で言ってたのか」


「わ、悪い?」


 睨みつけた真に父は笑って返す。


「ガッツは認めるよ。ガッツだけはね。いいか真。技って言うのは、まず基礎をかた」


 真は父の話の途中に踏み込んだ。それは不意打ちを狙ったものだった。


「おっ!?」


 父の反応が一瞬遅れた。


「いけるッ!」


 真は架空のナイフを振りかざし、さらにもう一歩、確実に届くエリアに踏み込もうとした。

 しかし、踏み込もうとした真の足は父に軽く払われた。


「くッ!?」


 真は重心を崩されて転びそうになる。何とか踏ん張ろうとするが、既に身体は倒れかかっていた。


「そうしたら、こうする」


 父はバランスを崩した真の腕を掴むと、今度は投げ飛ばす手前で止めた。


「がッッッ!?」


 父は痛がる息子の腕を離した。痛みから解放された真は地面に倒れ込んだ。


「おーおー、こりゃ酷い。死ぬ気で学んでも半年はかかるかな」と父はケラケラと笑った。


「は、半年!? もうちょっとどうにかならないの?」


 半年もかかっていたら意味がない。六月七日まで一月もないのだから。だが、父の答えは変わらなかった。


「それは無理だな。基礎がまるでなってない」


「少しでも早く、使える技が知りたいんだ」


 真は頭を下げた。息子が頭を下げる姿を見た父は頭を掻いた。


「今のお前がすぐに使えるようになる技は、おそらく一つしか無い」


「そ、それを教えてッ!」


 息子の言葉に父は真面目な顔をして言った。


「逃げろ。全速力で逃げろ。それがお前に出来る唯一の技だ」


 真はしばらく言葉が出てこなかった。


「ちょ、ちょっと待って。逃げちゃ駄目なんだよ」


「何故? 勝つ必要なんか無いだろう?」


「何故って、そんなの」


 姫倉と一緒に帰っている時に犯人が襲ってきたらどうするのか。走って逃げる? それじゃあ何のために一緒に帰っているのか分からない。


 真は彼女を助けたいのだ。


「それは、自分だけ逃げるのは、卑怯だからだよ」


 息子の言葉に父は疑問を抱いた。


「別に、クラスメイトと一緒にいるのなら、共に逃げれば良いだけじゃないか?」


「逃げても追いつかれたら抵抗するしか無くなっちゃうでしょ! 僕はその時の抵抗の仕方が知りたいんだ」


 知っているのなら教えてくれても良いのに。そんな思いが真の語気を荒げる。

 息巻いている息子に対して、父は諭すように言った。


「今のお前が付け焼き刃の技術で挑んだところで、お前は何一つ得るモノ無く、守りたい人も守れず、己の命も失い、言葉通りの無駄死にをする」


「そんなの、やってみないことには」


「やらなくても分かる」


 真の言葉は、覇気を伴う父の言葉に掻き消された。 


「犯人が先月と今日で何が違うか分かるか?」


「何が違うかって? そんなの」


 真はしばらく考えたが、その答えが分からなかった。


「即答出来ない時点で、それがお前が無駄死にをすることを物語っている」


 父は一呼吸置いてから口を開いた。


「犯人は今日、人を殺した。今までは怪我をさせて終わりだった。だが、犯人は今日、越えてはならない一線を越えてしまった。一度でも人を殺した人間は、頭の中に相手を殺すという選択肢が簡単に現れるようになる。そうなった人間を相手にお前は何が出来る? 何も出来やしない」


 真は反論しようとしたが、感情論以外の方法で反論する術が見つからなかったために言葉が出てこない。


「そこまで落ち込むことでもない。何も出来ないのはお前だけじゃない。この世の大抵の人間は何も出来ない。たとえ武術を身に付けていようが、訓練を受けていようが、武器を持っていようが、ほとんど変わらない。一度でも人を殺した人間は、この世に存在する最も邪悪な獣になる。そんな獣を相手にして、一方的に制圧しろだなんて言われたらコレしかない」


 父は親指と人差し指だけを立てて「バンッ」と銃を撃つ真似をした。


「さて、話を戻そう。お前はそのクラスメイトのために命を賭けて立ち向かえるのか? 刃物を持ち、お前を殺すという選択肢を選ぶことに何の躊躇もないような獣を前にして、お前は立ち向かえるのか? 目を逸らさず、相手の動きを見極め、相手よりも強い力で、一方的に制圧することが、半年も特訓出来ないと抜かすお前に出来ると思うか?」


「それは」


 真の目には涙が溜まっていた。

 それが、父の質問に対する答えとなった。


「今のお前は、いや、いついかなる時であろうとも、お前は武器を持った人間に挑むべきじゃない。お前がすべき事は、武器を持った人間と闘う力を身につけることじゃない。武器を持った人間に会わないようにすることだ」


「それが出来たら、苦労しないよ」


「確かにそうかもしれないな。時には一方的に相手が絡んでくることもあるだろう。だが、お前が闘うという選択肢を取るのは最後の最後にして欲しい。それが俺の思いだ」


 父の言葉に、納得出来ないと言いたげな息子の顔を見た父は再び口を開いた。


「もしも、必ず襲われるのだとしたら」


 そこまで言いかけて父は口を閉ざした。真は父の顔を見た。


「必ず襲われるとしたら、どうしたら良いと思う?」


「いや、”何でも無い”」


 身体がゾワゾワと痺れた。父の言葉は嘘だった。


「良いから教えてよ」


「参考にならないから言わない」


「参考にならなくても良いから教えてよ」


「気分を害するから言わない」


「気分を害することになっても良いから教えてよ」


 息子の言葉が、単なる好奇心から出た言葉ではなく、確かな覚悟を持った上での言葉だと感じたのだろうか。父は腕を組み、長い溜息をした。


「もしも、必ず襲われるというのなら」


 父は月と星が輝く空を眺めながら口を開いた。


「お前が先に殺せば良い」


 何処かから虫の鳴き声が聞こえてくる。月が庭にいる二人を照らしていた。




 二人は家の中へ戻った。


 父は全然汚れていなかったが、地面に投げ飛ばされた真の方はパジャマや顔や手には土や草の汚れがついていた。


「シャワー浴びるなら出る時に換気扇回しとけよ」


「うん」


「じゃあ俺は寝るから」


 父は隠す素振りも見せずに大きな欠伸をした。


「ねぇ」と寝室に向かおうとする父の背中に真は声をかけた。


「なんだ?」


「父さんは、もしも僕や母さんが襲われてたらどうするの?」


「ぶちのめす」


 食い気味に即答した父の目は、真が今まで一度も見たことがないドス黒さを秘めていた。


「それは、相手が武器を持っていて、父さんは素手だったとしても?」


「ぶちのめす。完膚なきまでにぶちのめす。相手が許しを請うまで、一切の手加減無く、一秒も休まずに、一方的にぶちのめす」


 父の目に光が戻った。


「なんてな。”冗談だよ。冗談”」


 父はニカッと笑いながら自分の部屋へと向かっていった。

 身体を疾走る痺れが、これ程までに不気味だったことはないと真は思うのだった。




 真は脱衣所で服を全て脱ぎ、浴室に入った。頭と身体を冷やすために冷水のハンドルを捻った。

 頭上から冷たい水が降り注ぐ。想定していたよりも冷たい水が出てきたことに思わず身体を震わせた。

 真はシャワーを浴びながら、現在抱えている問題点を整理してみた。


 一つ目。六月七日の十九時頃に姫倉さとりは何者かに襲われる。

 これは恐らく変わらないだろう。


 二つ目。走っても道を変えても結果は変わらない。これは犯人が前もって姫倉を狙っているということなのだろうか?

 しかし、それを確認する術は無い。


 三つ目。力尽くで抑えることは非現実的である。

 父の言っていた通り、今の自分がどれほど武術を学んだとしても、力尽くで対抗することは無理だろう。


 四つ目。何故かその時間帯に姫倉は自分と一緒にいない。

 理由は分からない。何か違う策を思い付いたのか、誰かに邪魔をされているのか、それとも自分の身に何かあったのか? しかし、それを確認する術は無い。


「何も分からない」


 しかし、考えることを辞める訳にはいかない。思考を放棄した瞬間に、姫倉の死は確実なモノになるのだ。


 真は四つの問題を解決する術が無いか、頭の中で何度も何度もシミュレーションをした。


「一つ目から三つ目まではどうしようもないし、四つ目も原因が特定出来ないとなるとどうしようもない」


 その時、急に真の頭の中に父の言葉が蘇った。


『今のお前は、いや、いついかなる時であろうとも、お前は武器を持った人間に挑むべきじゃない。お前がすべき事は、武器を持った人間と闘う力を身につけることじゃない。武器を持った人間に会わないようにすることだ』


「それが出来たら、苦労しない」と真は返事をした覚えがある。

 全く持ってそのとおりだ。会わずに済むのならそれに越したことはないのだから。


 いや、その後に何か言ってなかったか?


 真は会話を思い出そうとする。「それが出来たら、苦労しないよ」と返事をした後に父は何か言ったはずだ。


 その言葉を、真は思い出した。



『もしも、必ず襲われるというのなら』


『お前が先に殺せば良い』



 あの状況で父が冗談を言ったとは思えない。だとするならば、父の言葉の本意は何なのか。


 数分間、一言も発さず、手も動かさず、頭の先からシャワーを浴び続けていたが、結局何も思い付かなかった。

 真はシャワーを止めた。真は身体についた水滴を手で軽く払ってから脱衣所へと向かった。



 翌日の朝のホームルームの時間。



 担任の先生は重要な話があると切り出した。


「ニュースを見て既に知っている者もいると思うが、昨日の夜に南区で星ノ浜の生徒が何者かに襲われる事件があった」


 ニュースを知っている者も知らない者も近くの人と話し始めた。


「お前等、静かにしろッ!」


 担任の怒鳴り声で教室は静まり返った。


「今朝の職員会議で用の無い生徒は速やかに帰るように、と決まった。具体的に言えば、図書室や自習室の開放時間が一時間短くなる。それと、帰りのホームルーム終了後は部活動で使用する教室を除いて全て閉める。用の無い奴らは速やかに帰宅するように」


「部活動はどうなるんですか?」と声が上がった。


「部活動については各部の顧問の判断に任せることになった。だから詳しいことは顧問に聞くように」


 教室が再びざわつき始めた。


「話は終わってないッ!」


 担任の怒号が再び教室に響いた。



 その日の昼休み。



 空き教室で弁当を食べている真の元へ牧野がコンビニ弁当を持ってやってきた。牧野は真の隣の席に座り、ビニール袋から弁当を取り出しながら言った。


「知ってたか真。家庭科部の人達がいれば家庭科室のレンジ使って良いんだとよ」


「へぇ、そうなんだ」


「家庭科部様のおかげで、俺は平日の昼にセブンの大盛り唐揚げ弁当が熱々の状態で食えるってわけよ」


 牧野は弁当の蓋を開けると、口と手で割り箸を割ってから唐揚げを一つ摘んで口に放り込んだ。


「熱ッ!」


 牧野は急いでペットボトルコーヒーの蓋を開けると、口の中を冷やすために一気に流し込んだ。


「一気に口に放り込むからそうなるんだよ」


「唐揚げはガブッといかないと美味くないだろ。ガブッと」


 牧野はジョーズのように口を大きく開けてバクバクとジェスチャーをした。


「まぁ、そうかもね」


 真は空返事をしながら母の作った甘い卵焼きを口にする。

 牧野は、真の反応の薄さを感じ取り話題を変えた。


「それにしても、昨日のニュースはヤバかったよな」


 箸を持つ真の手が止まった。


「これで五ヶ月連続だぜ。来月もあったら半年になっちまうよ」


 悪気など一切無いであろう友の言葉であっても、真の心に影がかかった。


「そう、だね」


「警察は何やってんだかなぁ」


「ホントにね」


 真は箸をソーセージに刺した。


 グジュル、肉汁が溢れる。


「文化祭に影響しなければ良いけどなぁ。コスプレが見れなくなる」


 真の胸が締め付けられたように痛んだ。

 文化祭への影響なんてもんじゃない。クラスメイトの一人が死ぬかもしれないのだから。

 そう口走りそうになったのを理性が何とか抑えた。


「牧野は部活動に影響は無いの?」


 真は話題を変えるために無理やり質問をねじ込んだ。


「え、あ、俺? 普通に練習あるってさ。まぁ無くなっても困るけど」


 牧野は唐揚げを一つ口に放り込むと、ご飯も一緒にかきこんだ。


「大体の部活はさぁ、六月に予選なり地区大会があるんだからさぁ、今の時期に部活の時間をさぁ、制限されたらさぁ、たまったもんじゃねぇのよ」と牧野はハムスターのように頬を膨らませながら喋る。


「口に物入れたまま喋るな」


「わりぃわりぃ」と牧野は笑った。


「大会控えてる部活がどこも制限関係なく練習するってなったら、図書室を早く閉めるとかがちゃんと機能してないような気がするな」


 真がそう呟いたのに対して牧野は「学校として、とりあえずやってますよアピールがしたいだけでしょ」と手をヒラヒラさせながら言った。


「それは、まぁ、ありそうっちゃありそうだな」


「だろ? 本気で考えてるなら部活動禁止とか言うだろうに」


「でも、実際にそうされたら困るんでしょ?」


「そりゃそうだよ。でもさぁ、そこまでされたら本気なんだな、とは思うだろ」


 同じように空き教室にわざわざ移動して昼食を取っていた同じ学年の知らない人が真達の方を見ながら「南高は一週間午前授業らしいぜ」と言った。


 真はその人物のことを知らなかったが、どうやら牧野の知り合いだったらしく、牧野は「マジかよ。何で知ってんの?」と返した。


「兄貴が南高だからだよ。帰ったら即ネトゲやるってほざいてた」


「そうなんだ。ちなみにネトゲって何やってんの?」


「他のゲームに移ってなければ鋼鉄やってる」


「鋼鉄」とは「鋼鉄機械兵」というロボットゲームの略称で、他のゲームに比べると人気は劣るものの、一部のユーザーからは高く評価されるタイプのゲームである。

 真は少しだけ遊んだことがあるものの、コツコツとレベルを上げたり装備を強化して強くなるゲームと違い、完全にプレイヤーの腕に依存するタイプのゲームであったために、触るだけ触って今はやっていなかった。


「マジ!? お前もやってる?」


「兄貴はハマってるけど俺は別に。難しいだけで面白くないし」


「動けるようになりゃ面白いって。キャリーするから一緒にやろうぜ」


「兄貴もそう言うけどさぁ。ゴチャゴチャうるせぇイメージしか無いんだよね」


 真の目から見ると、相手はあまり乗り気ではないようだった。しかし、牧野は諦めずに交渉を続ける。


「まぁまぁまぁ、ゴチャゴチャ言わねぇからやろうぜ。それに余り武装ならあげるからさ」


「うーん、まぁそこまで言うなら一度やるか」


「よし決まり」と牧野は指をパチンと鳴らした。


 真は蚊帳の外になってしまったので、残りのご飯を黙々と食べ進めていた。


「もう少しで六月頭の中間テストを迎えるというのにオンラインゲームにハマり込んで大丈夫なのだろうか」と真は思ったが、楽しそうに話す二人に水を差すようなことはしなかった。


「もうすぐ中間テスト、か」


 それは、中間テスト二日目、六月七日が近付いていることを意味していた。


 真は誰にも聞き取れないぐらい小さな声で呟きながら、ミニトマトを口に運んだ。


 ブジュ。


 真の口の中でミニトマトが弾け、ドロリとした液体と程良い酸味が口の中に広がった。

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