芝生の上、空の下

外東葉久

 私は歩いていた。

 芝生の上、空の下。

 生命力あふれる緑の芝生じゃなく、黄色くて一面ぺちゃっと潰れた芝生の上。

 突き抜けるような青空じゃなく、白くて一面無表情な空の下。

 でも、嫌な気分じゃなかった。寒いけれど空気は澄んでいて、誰もいない。誰も見えない。誰も聞こえない。

 歩いていた。後ろは見なかった。見ようとも思わなかった。走ろうとも、止まろうとも思わなかった。

 地平線で、黄色の芝生と白い空がくっついていた。ただ、その方向に向かっていた。


 なんでここにいるんだろう。

 そうか、逃げてきたんだ。いや、逃げたというのは少し違うかもしれない。とにかく、ここに来たかったんだ。

 誰もいないところなんて珍しいなあ。最高じゃないか。安易に言う最高じゃなくて、本当の意味で最高。

 でも、叫びたいほどではない。自分の呼吸する感覚を体感するだけで十分満足だった。

 歩く、歩く、歩く。

 歩くこと以外、考えていなかった。足を出せと、心は思っていないのに、脳は足を出すことをやめさせなかった。好都合だった。止まればどんな思考が頭に流れ込んでくるだろう。


 光、音、温度、味、におい、ことば。

 気付かぬうちに、意味の洪水にのみこまれる。自分がどこに足を着いているのか、分からなくなる。

 この芝生と空は、言いたいことがあるようで、何も伝えてこない。無意味のプールにどっぷりと浸からせてくれる。洪水のなかで鈍った感覚が、再び自分の中に沈み込んでくるのが分かる。まだ、手放していなかった。


 日が差してきた。

 無表情だった空が、表情を現し始める。意味を発し始める。意味を受け取ろうとしてしまう。本当は、ただあるだけなのに、意味がまとわりついてくる。

 鋭い感覚は、長くは持たせてもらえない。でも、鈍るまでの長さを長くすることはできる。

 意味に抵抗する。歩く。芝生と空が、許す限り。


 息が切れてきた。

 目の前に、木のドアが現れる。どうぞと言わんばかりに、ドアノブが問いかけてくる。

 手を伸ばす。私はこの世界の住人ではない。


 さあ、捨てきれない意味の世界へ。

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芝生の上、空の下 外東葉久 @arc0

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