王妃の苛立ち
場所は変わってカロス王国の王城。
静寂な城内に、王妃の怒声が響いていた。
「あの小娘はまだ見つからないの?!」
声が聞こえてきたのは王妃――元大聖女プリシラの部屋からだ。彼女は元大聖女とは思えないような鬼のような形相で従者を睨みつけていた。
というのも、神殿に追放された直後に魔王に連れ去られた元聖女を探し出せずにいるから腹の虫がおさまらない。
プリシラはヘザーを内密に捕らえ、濡れ衣を着せて監獄に送り込もうと画策している。そうすることでプリシラは長年心の中に抱いている澱を取り払おうとしているのだ。
王妃――元大聖女プリシラは、聖女フローレアに対して劣等感を抱いていた。だから彼女に似ているヘザーに並々ならぬ憎しみを抱いている。
その因縁はヘザーが生まれる前――十八年以上も前からあった。
***
フローレアの方がプリシラよりも聖女の力が優れており、プリシラはいつも劣等感を募らせていた。おまけに夫の現国王はもともと、フローレアを好いていたということもあり、彼を慕っているプリシラはなにもかもが面白くなかった。
誰もがフローレアの実力を知っている中でプリシラが大聖女に任命されたのは、彼女の実家の後ろ盾があったからだ。
残念ながら当時のカロス王国の神殿は腐敗しており、高位神官たちは己の利益のために真実を隠して偽りの神託を吹聴していたのだった。
彼らもフローレアの実力をわかっていたものの、いざ大聖女を決めるというときに欲に目がくらんでしまった。
公爵令嬢のプリシラと伯爵令嬢のフローレア。天秤に彼女たちの家門をかけて大聖女を選んだのだ。
そうしてプリシラは晴れてフローレアの上に立つことができたのだが、それでも気が晴れることはなかった。むしろ以前に増して自分とフローレアを比較するようになり、堕ちていくのだった。
実力ではなく家柄で選ばれたということが、プリシラの自尊心をずたずたに傷つけたのだ。
深まる心の闇に蝕まれたプリシラは、普段は大聖女らしい穏やかな笑みの仮面の中にその澱がたっぷりと詰まった心を隠して大聖女としての任をこなしていた。
しかしフローレアへの憎しみが強まるにつれて光属性の魔法の威力が弱まってしまい――プリシラは焦燥に駆られるのだった。
転機が訪れたのは、魔王討伐の話が持ち上がった頃。
魔王は長年、カロス王国の脅威だった。国内にある深い森の中に魔界と繋がる扉があるせいで、国民たちはいつも魔族に怯えていたのだ。
そんな中、救世主が現れた。
平民出身の傭兵の男が次々と竜を倒して名を挙げるようになり、彼なら魔王を倒せるかもしれないという期待が高まったのだ。
実際は男はずる賢いだけで剣の実力はたいしたことはなく、彼と一緒に竜討伐に同行した仲間たちをこき使って最後とどめを刺すときだけ剣を振るっていた。しかし彼の仲間たちは魔法をかけられていたせいでその事実を告げられなかったのだ。
かくしてハリボテの勇者が誕生してしまい、事実を知らない国王と神官たちが彼に魔王討伐を命じた。魔王討伐部隊には大聖女のプリシラと、彼女のサポート役としてフローレアの名も連なった。
普段は討伐の遠征なんて乗り気ではなかったプリシラだが、今回は違った。魔王を倒した大聖女として名を馳せることができればフローレアよりも力のある聖女として胸を張れると考えたのだ。
そうして意気揚々と魔王討伐に繰り出したプリシラだが、魔王の手下たちは想像以上に強くて苦戦した。そんな中、討伐部隊の面々を支えたのはフローレアだった。
彼女が率先して仲間たちを治癒したり、光属性の魔法で魔物たちの動きを鈍らせたりと献身的は働きをみせたおかげで一行はなんとか手下たちを倒していった。
しかし魔王の右腕であるルシファーは段違いに強く、仲間を庇うことも治癒することもできないくらい追い詰められた。
戦力が半減してしまい、勇者とプリシラはほとんどの部下をルシファーと一緒に魔法のシールドの中に閉じ込めることにした。それから彼らにルシファーの足止めをするように命じて、残りの部下たちを引き連れてその場から逃げたのだ。
こうしてごく少人数になった魔物討伐部隊の中にフローレアもいた。彼らは魔王のいる大広間に辿り着いて魔王との戦いに臨んだものの、圧倒的な力の差に苦戦する。
フローレアと勇者とプリシラだけが生き残った状態で、さすがのプリシラも死を覚悟した。ここまでなのかと諦めたその時、フローレアの攻撃が魔王に致命傷を与えた。
魔王はその場に崩れて動かなくなった。フローレアが倒したのだ。
プリシラは討伐された魔王を見て一瞬だけ安堵したが、その感情はすぐに殺意へと変わった。
――魔王を倒すのは私だったのに。
大聖女として功績を上げる夢を打ち砕かれたプリシラの心は憎悪と怒りの色に染められる。負の感情に蝕まれた彼女は、戦いを終えて満身創痍のフローレアの頬を打った。
「いつも私の邪魔ばかり……あなたって本当に目障りなのよ」
突然のことに茫然とするフローレアに、あらゆる属性魔法を使って攻撃した。そうして痛めつけた後、動けなくなった彼女をその場に残して勇者とともに魔王城を去ったのだ。
勇者には大金を握らせ、プリシラの所業を他言無用としてフローレアが殉職したことにさせた。
二人は真実を隠し、自分たちが魔王を倒したと国王に報告し――今の地位を手に入れた。
それでもプリシラの胸は晴れず、フローレアへの嫉妬心を持て余していた。
***
プリシラは溜息をつき、従者を睨みつける。彼女の実家が密かに忍ばせた従者は優秀で、これまでに幾人もの邪魔者を葬ってくれた。
だというのに、プリシラが悪魔と手を組んで平民の孤児に落とした少女――ヘザーを捕らえるのは難航しているらしい。
従者はプリシラの圧に震えながらも、彼女に理由を説明した。
「魔界への扉を探したのですが、完全に閉じているんです。」
「だったら早く、その扉を開ける方法を探し出しなさい! 今すぐに!」
「しょ、承知しました!」
従者は逃げるように王妃の部屋を後にした。
「はぁ……手のかかる子だわ」
プリシラは苛立ちを滲ませつつソファに腰かける。かつての仇敵と瓜二つの少女の姿を脳裏に思い描いては悪態をついた。
「バエルがいてくれたらもっと上手くやってくれるのに……ハロルド・ウェントワースがあれを倒したせいで滅茶苦茶よ」
彼女がバエルと呼ぶ存在は、かつて魔王の部下だった悪魔だ。しかし野心家のバエルは魔王を裏切り、魔王討伐隊が来ても彼らを止めずに高みの見物をしていた。
プリシラたちに魔王を倒させ、自分が次代の魔王になろうとしたのだ。
しかしプリシラたちの様子を見ていたバエルは、プリシラが抱くフローレアへの憎悪に興味を持った。というのも、バエルは人の憎悪が好きな悪魔だったのだ。
結果的に魔王が生き残ってたため、バエルは次の手段を考えた。それが、ヘザーを使った方法だった。
娘のヘザーを溺愛している魔王をとことん苦しめて蹴落とす為に、バエルはヘザーを誘拐して人間界に連れていったのだ。そしてフローレアへの憎悪を募らせているプリシラのもとにわざわざヘザーを届けたのだった。
王妃となったプリシラが孤児院を訪問している時を狙って、孤児院の扉の前にヘザーを置いて行った。彼女の名前が書かれた紙片を、その手に握らせて。
ヘザーを見たプリシラの反応は大いにバエルを満足させた。彼はさらなる憎悪を引き出す為にプリシラの前に姿を現し、彼女に囁いた。お前の憎しみを晴らせばいい、と。
初めは悪魔の言葉に耳を貸さないようにしていたプリシラだが、神官にヘザーの魔力を鑑定させるとフローレアと同じくらい光属性の魔力が強かったこともあり、悪魔の提案通り、彼女を使って不完全燃焼だった復讐を遂げることにしたのだ。
そうして好物である憎悪を堪能するために、バエルはヘザーを不遇な境遇に置いては、プリシラにその報告をした。もとより良心のなかったプリシラは、フローレアに似た容姿の子どもが苦しむ様子を聞いては歓喜した。
いつしか彼女はまったく光属性の魔法を使えなくなってしまったが、復讐に囚われているプリシラはまったく気に留めなかった。
しかしある日突然、バエルが姿を消したことでプリシラの心の平穏が崩れ去った。
理由はすぐにわかった。聖騎士のハロルドが倒したのだ。
よもや隠れてその悪魔と手を組んでいたとは言えないプリシラは、内心歯ぎしりをしたくなるほど恨めしく思いながら、国王と共にハロルドに賞賛の言葉を贈ったのだった。
バエルがいなくなり、ヘザーを苦しめてくれる存在がいなくなったことでプリシラの心は盛大に荒れた。そうして彼女が自ら動くことになった。
ヘザーが濡れ衣を着せられたのには、そのような経緯があったのだ。
「ああ、腹立たしい! どうしてあの小娘を庇うのよ?!」
プリシラは綺麗に結い上げた髪を乱して怒り狂う。
思い出しても腹立たしいのだ。ヘザーを更に追い詰めようとして周囲の人間にけしかけてみたが、誰も応じてくれなかった。
魔王がヘザーを迎えに来たのだから彼女は魔族の仲間だろうと言ってみたが、前から目障りだったあの堅物な神殿長が否定したせいで誰も信じてくれなかった。
おまけに姪の大聖女――アシュリーときたら、ヘザーが魔族の仲間なはずがないと主張するうえに彼女の救出をしようと聖騎士たちや王国の騎士団に呼びかける始末。
大聖女のアシュリーが肩を持つと、今までヘザーを強欲聖女と罵っていた者たちは手の平を返してヘザーに同情してしまった。だから彼らの協力も得られないのだ。
「……そうだわ。騎士団も聖騎士団も動かせられないのなら――実家から討伐隊を出せばいいのよ」
実家――公爵家の私兵なら思い通りに動かせる。なんせ父親は自分の味方であるうえに、魔王を討伐して家門の評判を上げようとするだろう。自分と似て、欲深い性格だから――。
プリシラはニタリと不気味に笑うと、父親に向けて手紙をしたためるのだった。
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