聖騎士様は外堀を埋めているところ 3

 幸にもハロルド様の怪我は私の治癒魔法でその日のうちに完治した。

 痣や傷が完全に消える頃には立ち上がり、歩いてみせてくれたのだった。


 それからどうなったかと言うと、私は自室で籠城している。部屋の中でただひたすらゴロゴロして、時間が経つのを待っているのだ。


 食事はルシファーが運んできてくれるし、その他の細々としたことは城の召使たちがしてくれるから快適に過ごしていた。

 ただ、ひとつ問題なのは――ハロルド様と魔王とルシファーとフローレアさんが訪ねてきては、部屋の外に出てきてほしいと訴えかけに来ることだ。

 

 とりわけルシファーが粘り強く説得しようとしてくるものだから、うんざりしている。

 

 ちょうど今もルシファーが部屋の前にやってきて、扉越しで私に呼びかけているところだ。

 

「ピャァァァッ」

「もうっ、うるさい! 満月の夜になるまで絶対にここから出ないからね!」

「ピャッ……キィィ?」

 

 ルシファーは大声を出すのを止めると、今度は宥めるような声で話しかけてくる。


「何度言っても同じだよ。魔族とは極力関わりたくないの――特に魔王は顔も見たくないんだから!」

「キィィ……」

 

 畳みかけるように言い返すと、ルシファーは困っているような鳴き声を上げたきり、黙ってしまった。もしかすると、諦めて立ち去ったのかもしれない。

 

(はぁ、ようやく静かになった)


 私はベッドに寝転がってひと息つく。

 

 少しルシファーとやり取りをしただけなのに、疲れて体が重く感じる。


(早く次の満月になってほしいな……)

 

 ここにいると、始終モヤモヤとした気持ちになってしまう。

 原因はわかっている。魔王とフローレアさんだ。二人を拒絶したいのに、なぜか思い留まってしまい、中途半端なままでいる自分に嫌気がさすのだ。

 

 だから、早くここから逃げ出したくてならない。


(……魔王の首をとろうと思っていたけど、今はそれすらも面倒になってきたんだよね……)


 なんせ何度攻撃をしかけても躱されるのだ。それだけではなく、攻撃をしかける度に魔王は私に構ってもらっていると勘違いして猫かわいがりしてくるから調子が狂う。


(もういいや。人間界に帰ってから地道に働いてお金を貯めよう)

 

 脱力して窓の外を見つめていると、扉を叩く音が聞こえてきた。今度は誰が来たのだろうか、なんてぼんやりと考えていると――。


「ヘザー、少し話をしないか?」


 魔王の声が聞こえてきたものだから、心臓が早鐘を打ち鳴らし始める。


 私は両手で口元を覆い、息を潜めた。

 

「……」

「ヘザーが部屋から出てこなくなって、もう一週間も経った。そろそろ息苦しくなってきただろう? パパと一緒に散歩するのはどうだ?」

「……」

 

 私は唇をぎゅっと引き締め、黙ってやり過ごすことにした。

 

(部屋に閉じこもるようになった当初は、こんなことをしても魔王が勝手に部屋の中に入ってきて居座るかもしれないと思ったけれど……意外とそんなことはしないのよね……)


 魔王は律儀にも扉の前で待ち、私に入室の許可を求めるのだ。もちろん、何を言われても私は無視しているのだけど。

 

「ヘザー……」

「……」 

「お前に会えないと苦しいんだ。パパと話をしたくないなら黙ったままでもいいから、外に出て来てくれないか?」

「……」 

「お願いだからパパに顔を見せてくれ……」


 魔王の声が尻すぼみになっていく。今までに聞いたことがない、弱々しい声だ。

 

(そんな声で訴えかけてくるのはやめてよね。まるで私が魔王を困らせているみたいじゃない……)

 

 迷惑をかけられているのは私の方だ。なんせ突然この魔王城に連れて来られて、滞在を余儀なくされたのだから……。


 それなのに、どうしてだろうか魔王が落ち込んでいると心がざわりとして落ち着かない。

 

「――すまない」


 魔王がポツリと呟いた。彼が謝るなんて思いも寄らなかった私は、始めは聞き間違いかと思い自分の耳を疑ってしまった。

 

「ヘザーは俺が、あの鼠を害したことが許せなかったのだろう? だから謝るし、これからはあの鼠に危害を加えないと約束する……いや、あいつがヘザーを泣かせたら許せないからそれは例外としてだな……」


 と、もそもそと弁明する。

 

 すると扉を挟んだ向こう側から足音が聞こえてきた。音は次第に大きくなっており、こちらに近づいているようだ。


「お義父さん、私は誓ってヘザー様を泣かせたりなんかしませんよ」

 

 耳を澄ませていると、ハロルド様の声がした。どうやら足音の主はハロルド様らしい。


「ヘザー様は絶望の底にいた私を助け出してくれた恩人なのです。そんなヘザー様を、どうして傷つけたり裏切ったりできるでしょうか?」

「ふん、口先ではいかようにも言えるのに信じられるものか」

「それでは、私の心臓を賭けて誓いましょう」


 魔族に自分の心臓を差し出すなんてどうかしている。

 

 あまりにも話が怪しい方向へと進んでいくものだから、私は慌てて扉を開けてハロルド様を止めに入った。

 

「ちょっと、そんなことのために自分の命を投げ出さないでよ!」

「ヘザー様! やっと部屋から出てきてくれたね!」

「うっ……」

 

 ハロルド様は私の姿を認めるなりとろりと瞳を蕩けさせる。


 なんだかハロルド様に嵌められたようなような気がしてならない。

 

「私をおびき寄せるためにわざと自分の心臓を賭けると言ったのね?」

 

 ギロリと睨みつけると、なぜかハロルド様はより笑みを深めた。彼の水色の瞳の奥に不穏な影が揺らめいだような、そんな錯覚がした。

 

「ヘザー様のためなら本当に命を賭けられるよ? だけど、ヘザー様ならきっと止めてくれると思った」

「……っ」


 真面目なハロルド様が嘘を言うとは思えない。だからこそ、彼が心から私を愛してくれているのだとわかって、戸惑ってしまう。

 

(どうしたら、いいんだろう?)


 ハロルド様が純粋な好意を伝えてくれる度に、頭の中で様々な感情が渦巻く。

 戸惑いや恐れ――その中に喜びもまた混じっているせいで、考えがまとまらなくなるのだ。


 相反する想いを持て余してしまい、そしてハロルド様が返事を急かさないのをいいことに、私は宙ぶらりんな状態でいる。


「ハロルド様……」


 思わず彼の名前を呼んでしまったその時、不意に魔王がコホンと咳ばらいをした。はっとして魔王の顔を見ると、どことなく拗ねているように見える。

 

「ヘザーが部屋に籠ってから、パパはいろいろ考えたんだ」


 魔王はそう切り出し、悲痛な面持ちになった。

 

「ヘザーが望むのなら人間界に帰るといい……パパはヘザーと一緒にいたいが、無理強いはしない。ヘザーの幸せがパパの幸せだからな。魔界で生きるか、人間界で生きるかはヘザーが決めるといい。……パパはヘザーと一緒にいたいがな」


 さりげなく自分の要望を差し込んでいるつもりだろうが、二回も言われるとさすがにさりげなさが薄れてしまう。


 選べると言われなくても人間界に帰るつもりだったのに、いざ魔王から提案されると、すぐに答えられなかった。

 

「お義父さん、どちらかなんて言わず、どちらも選べるようにしてはいかがでしょうか?」


 そうして私が答えに臆している間に、ハロルド様が提案してしまった。

 

「どちらもだと?」


 ハロルド様の提案に、魔王が目を瞠る。

 

「はい、ヘザー様が人間界と魔界を好きなように行き来するんです。可能ですよね?」

「それは可能だが……」


 魔王は言葉を詰まらせると、小さく呻き声を上げる。


「……果たして、ヘザーが魔界に来たがるだろうか?」

「……」

 

 いったいどうしたのだろうか、珍しく魔王が気弱なことを言う。

 彼のことだから、「絶対に人間界に帰さない」とでも言うと思っていた。……今日の魔王は、なんだか様子がおかしい。


「ヘザー、どうしたらパパを許してくれる?」


 魔王は私が黙っているのを、まだ怒っているからだと思っているようだ。

 

「……まずはハロルド様に謝って」


 絶対に魔王と口をきくものかと思っていたのに、私は思わず返事をしてしまった。


「わかった」

「えっ……?!」


 てっきり嫌がるだろうと思っていたのに、魔王は即答するとハロルド様に向き合う。


「すまなかったな」


 と、ぶっきらぼうな声で謝った。

 

 するとハロルド様は「気にしないでください」と言ってすぐに許してしまう。致命傷ではなかったものの、魔王の不意打ちのせいで怪我を負っていたのにもかかわらず。

 

 ハロルド様は優しいから許してしまうのだろうけど、私は許せない。

 

「ハロルド様、ボロボロにされたんだから慰謝料くらい要求したらどうなの?!」

「しないよ。だってお義父さんがヘザー様を想ってしたことなんだから」

「……!」

 

 さも当然のように答えられてしまい、私は言葉を失った。


「実はあの後、お義父さんとは何度も話したんだ。ヘザー様が生まれてからのことを、じっくり聞かせてもらったんだよ。だから、お義父さんがヘザー様にどれだけ会いたかったか、どんなに心配していたのか知っているんだ。私と同じくヘザー様を守ろうとしている人を責めたりはしないよ」


 と、ハロルドは魔王びいきなことを言う。


 茫然と立ち尽くす私の視界に、魔王が遠慮がちに入ってきた。

 

「ヘザー、どうか許してくれ。せめてここにいる間は、パパの話し相手になってくれないか?」

「むぅ……」


 正直に言うと、心はもう「許す」に傾いている。だけどハロルド様の怪我を思うとそう簡単には許せないと思った私は頭を捻った。

 

「……まだ許したわけじゃないよ。話してほしいなら、ハロルド様を鼠と呼ぶのは止めて」

「うっ……わかった。もう鼠とは呼ばない」


 魔王は眉間に皺を寄せてぐぬぬと呻くと、ハロルド様を一瞥した。


「ねず――小僧、お前の力は俺には及ばないが、俺の次くらいには強いと認めてやる。だからこの先ずっと……一生涯、ヘザーのそばにいて護衛しろ」

「はい、この命に代えてもお守りします!」


 ハロルド様は眩いばかりの笑みを浮かべると、魔王に対して騎士式の礼をとるのだった。ハロルド様も魔王も、どことなくお互いを信頼しているように見える。

 いつの間にか二人の間に見えない絆ができたような気がしてならない。


「人間界に戻ったら、決してヘザーのそばから離れるなよ」


 魔王は私が人間界に帰ると確信している。私がずっとそう主張してきたのだから、そう思うのも当然だろう。

 そして今も、私は人間界に帰る気でいるのだけれど――。

 

(私が人間界に帰ったら……魔王たちはどうなるのかな?)


 ふと脳裏を過った疑問に、なぜか胸がきゅっと締めつけられる感覚がした。


(変なの。さっきまでここを去った後の事なんて、少しも考えていなかったのに……)

 

 魔王の弱々しい声や表情、毎日私に声をかけてきたフローレアさんやルシファーのことが気がかりになってしまう。

 

(もしも本当に、人間界と魔界を行き来できる方法があるのなら……教えてもらおうかな……?)

 

 私は胸を押さえながら、窓の外に浮かぶ真昼の月を見つめた。

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