じゃれているつもりはない 1

 次の満月まで魔王城の居候になることが決まった私とハロルド様は、滞在する部屋を魔王から貸してもらうことになった。


 ハロルド様は客間、私は――魔王たちが用意していた私が使うはずだった私の部屋を割り当てられる。


「ヘザーが帰って来たらいつでも使えるように毎日掃除させているから安心しろ」

「そうよ、内装だって定期的に変えているの。大人になったヘザーに子どもっぽい部屋を使わせるわけにはいかないでしょう?」


 魔王とフローレアさんは嬉しそうに私の部屋の話をする。


「――よし、せっかくだから今からヘザーを部屋に案内しよう」

 

 と、魔王が直々に私たちを件の子ども部屋に案内すると言い出した。

 ハロルド様とフローレアさん、そしてルシファーも一緒だ。

 

(どうしてこんなことに……)


 そうして私は今、魔王に抱えられて廊下を移動している。

 魔王が私を抱っこしようとしたから逃げたのに、あっという間に捕まってしまったのだ。


 ハロルド様はヘザー様と一緒に後ろからついてきており、私たちの様子を爽やかな微笑みを浮かべて見守っているだけ。

 全く助けようとしない彼に「裏切者!」と抗議したけれど、それでもにこにことしている……。

 

 ハロルド様は私と魔王を交流させようとしているからなのか、一歩引いて歩いているのだ。

 だから彼に助けてもらうのは諦めることにした。


 頼れる者はいないから、自分でどうにかするしかない。

 私は魔王をポカポカと叩いてみる。

 

「お、下ろしてよ! 自分で歩けるから!」

「こんなにも軽いのに歩かせたら倒れてしまいそうだ。人間どもはヘザーに十分な食事を与えなかったんだな」


 私は平均体型だけど魔王からすると軽いようで、その赤い瞳に憐憫の色を滲ませる。


(魔王もこんな顔をするのね……)

 

 人間界にいた時に伝え聞いた魔王は、凶悪な性格で戦いと血を好む化け物だった。


 だけど目の前にいる魔王は私の父親として私の身を案じてくれているし、フローレアさんを心から慕っていて――少しも残忍には見えない。

 

「ここではたんと食べるのだぞ。ヘザーのために毎日ごちそうを作らせよう」


 魔王がそう言うと、フローレアさんが嬉々として賛同する。

 

「そうね、料理人たちに張り切ってもらいましょう。ヘザーは何が好きなの? ヘザーが好きなものを作らせるわ」

「ヘザー様は鶏肉のクリーム煮が好きですよ」


 なぜかハロルド様が間髪入れずに答えて私の好きな料理を言い当てた。

 

 確かに私は鶏肉のクリーム煮が好きだけど……誰にも言ったことはない。

 

「ど、どうして知っているの?!」

「一緒の食堂で食事をしていたからわかるよ。ヘザー様は鶏肉のクリーム煮が出た時はいつもよりゆっくりと時間をかけて食べているから、好きなんだと思ったんだ」

「……っ」


 ハロルド様は当たり前のように言うけれど、私は他の誰が何が好きかなんていちいち気にしていないし知らない。

 

 そうこう話している間に子ども部屋に辿り着いた。

 

「ここはお前の部屋だから好きに使うといい。必要な物は何でも言ってくれ」

「広っ……!」


 神殿の食堂と同じくらいありそうな大きな部屋にはピカピカに磨かれた家具が備え付けられている。

 どの家具もマホガニーで作られており意匠が凝らされていて、高級品であるのは一目瞭然だ。


 カーテンや敷物はロイヤルブルーで統一されており、洗練された空間に仕上げられている。


 ……けれど寝台の上にはこの部屋には似つかわしくないクマのぬいぐるみが置かれている。

 私の背丈ほどありそうな、水色のふわふわな毛と赤い目が特徴的なクマだ。


「どうしてクマのぬいぐるみがここに……?」

「それはヘザーが生れた頃に作らせたぬいぐるみだ。大人になったヘザーはいらないと思うかもしれないが、どうしても渡したくてな……残していたんだ」

「ふ~ん……」

「天井に下げているシャンデリアから床の敷物まで全て俺とフローレアの二人で選んだんだ。――気に入ったか?」

「……ま、まあ、豪華な部屋で寝泊まりできるのは嬉しいよ。神殿の部屋は狭いし、そもそも仕事で野宿が多かったから、寝台付の部屋で泊まれるのはありがたいし……」

「……そうか、今までよく頑張ったな。ここではパパにたくさん甘えろ」


 そう言い、魔王はまた私の頭を撫でる。


 見上げて見ると、魔王は目尻をだらりと下げて緩みきった笑顔を浮かべている。


(締まりのない顔……。魔王なのにこんなにも無防備でいいの?)


 私が本当の娘だから、こんなにも油断しているのだろうか。

 そのようなことを考えてしまい、慌てて首を横に振る。

 

(絆されてはいけないわ。魔王が私に油断しているなら好都合……! 倒せるかもしれない!)

 

 私は魔王の動きをじっと観察する。

 そうして攻撃する隙ができるのを持つことにした。


「ねぇ、あのクマのぬいぐるみを見ていい?」

「ああ、いいぞ。ヘザーの目の色に合わせて紅玉ルビーを縫い付けた特別なぬいぐるみだ」

 

 赤子にあげるぬいぐるみに宝石を付けるなんて……と衝撃を受けたけど、今は驚いている場合ではない。


「このぬいぐるみは魔界でも有名な職人に作らせた一級品で――」


 魔王はぬいぐるみの説明にすっかり気を取られているから、攻撃するなら今がチャンスだ。


 私は咄嗟に身構え、短縮呪文を詠唱する。

 

「隙ありっ!」


 そうして至近距離で魔王に浄化魔法をかけたのだけど――魔王は「おっと」と声を零して見事に躱してしまった。

 さすが魔王と言うべきか、同じ手は通用しないらしい……。


(ま、まずい……失敗した……!)


 一度ならず二度までも攻撃すると、魔王は怒るだろう。

 

 報復されるだろうかと恐れている私に、魔王は嬉しそうに頬擦りをしてくる。

 

「ははは、急にパパと遊びたくなったのか。ヘザーは甘えん坊だなぁ」

「ち、違うから!」

「意地を張るな。俺だってヘザーと遊びたいと思っていたところだ」

「ひえっ?!」


 魔王はいとも簡単に私を持ち上げると、その場でグルグルと回り始めた。


 あまりにも勢いがあるものだから、ぐわんぐわんと目が回ってしまう。


「は、放して!」

「照れなくていい。パパはヘザーが甘えてくれると嬉しいから存分に甘えろ」

「そうじゃないから!」


 魔王は私が遊びたがっていると勘違いして構ってくる。


「ヘザー様!」


 ハロルド様の慌てた声が聞こえてくる。


「た、助けて!」

 

 涙目になって助けを求めたその時、紫色の毛の塊が私たちに向かって飛び込んできた。


「ピャァァァッ!」

「ルシファー……!」


 ルシファーが魔王の頭の上をポコポコと跳ねて、魔王を止めようとしてくれる。


 けれど毛玉が頭の上を跳ねたところで魔王は痛くもかゆくもない。


「ギギッ!」


 ルシファーは眦を釣り上げると、魔王の頭から飛び降りる。


 するとルシファーのふわふわの体が宙を舞った途端、ぼわんと煙が立ち昇ってルシファーの体を覆った。


「な、何が起こったの?!」


 驚いていると魔王の両肩を、どこからともなく現れた大人の男の人の手がガッチリと掴んで――。


「魔王様、お止めください。そのように振り回すとヘザー様が怪我をしてしまいます!」


 聞き覚えのない男性の声が、耳元に落ちてきた。

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