35 紗希と拓也

「ただいまぁ」


「おお、おかえり。思ってたより遅かったね」


「すまん、二次会が長引いたから」


 拓也はかなり酒臭かった。飲める体なので仕方ないが、たまにこれでもかというくらい酔っぱらって帰ってくることがある。今日はまだまし——かと思ったがそうでもなかった。


「飲みすぎたかも。めっちゃ回ってる」


「えぇ。水は? いる?」


「ああありがと、コップ一杯でええわ」


こっちでの生活はずいぶん長いはずなのに、拓也の関西弁はまだ抜けない。普段からふとしたタイミングで出ることが多いけれど、アルコールが入ったときは特にひどい。別に嫌なわけじゃないんだけど。


「はい」


「ありがと」


 拓也は透明なガラスコップに入った氷水を一気に飲み干すと、まるでビールの最初の一口のように顔をくしゃくしゃにして「くはああぁ」と息を漏らした。


「どうだった、久しぶりのメンツ」


拓也は笑いをこらえきれずにぶふっと吹き出した。


「めっちゃ楽しかった」


「だろうね。ずっとニヤついてるもん」


 体の芯からあふれ出る興奮を抑えられないといったように、拓也の肩は小刻みに震えていた。


「思い出したら止まらんくてさ……。変わらんやつもおれば、めっちゃ変わったやつもおったよ。瀧本なんかいっちゃん地味やったのに大学デビューしたらしくて、そんときの写真見せてもらったけどマジでイケイケやった」


「え、瀧本さんって、こないだ話してた」


「そうそう。あいつが柏原よりも派手んなっててん」


「へええ」


 私の適当な相槌にひるむことなく、拓也は耳までまっ赤にさせながら飲み会の様子をべらべらしゃべる。一方で、お堅い職業に就いているのは自分だけだということを、やたら寂しそうにも語る。この妙な感情の動き方はまさに酔っているとき特有のものだ。この吞んべえ、明日が休みだからって羽目を外したな。同じ教師なのに、松田先生とは大違いだ。


「あ、風呂は? 入った?」


「うん。もう入った」


「ふうん。俺湯船浸かったらほんまに寝るかもしれん、シャワーだけにしとくわ」


「うん」


 酔い潰れてだるそうな体をなんとか動かして、拓也は脱衣所の中へ消えていった。あの様子じゃ二日酔いするかもしれない。せっかくの休日を気持ち悪いまま過ごすなんて、私なら耐えられない。時刻は午後十時半。私は冷たい麦茶を一口飲んで、いつもより長いシャワーの音を聞きながら、電子コミックの新作を読み始めた。




 私と拓也は今年の二月に入籍したばかりの新婚夫婦で、お互い教師をしている。私が高校の国語、拓也が高校の化学。大学時代、体育会テニス部の同期として知り合った。拓也は一年浪人して入学したので、入部年度が同じでも歳は拓也のほうが一つ上だ。学生のうちから付き合い始め、社会人になって職場が離れても心の距離は遠ざかることなく、気づけば婚約していた、というのが私たちの物語である。


「拓也のどこに惹かれたの?」


 結婚を知らせると、友人たちからはこんな声をよく聞いた。これは別に拓也が悪いのではなくて、私の好みと拓也の性格が大きく異なっているように思われたからだろう。周りに打ち明けていた私のタイプは、大人っぽくて知識人で、冷静だけど情熱も持っていて、——そう、まさに松田先生のような人物だった。実際、二年生で一度好きになった同じ学部の先輩はそんな感じだった。


 その先輩は私には似合わないくらい教養があって、まさに知的好奇心の塊と呼べるような人だった。学部内でも成績はトップクラス、教授たちからも信頼されており、海外の大学院への進学も射程圏内だった。話す機会は多くあったが、彼に嫌われたくなくて、また私への興味をずっと持っていてほしくて、無理矢理彼の趣味嗜好に合わせにいっていた。ありもしないことを平然と喋りそうになって初めて、自分の愚かさと等身大で勝負できない恋愛における肩身の狭さが身にしみてわかった。友人に相談したところ、やはりそういう関係は仮に付き合えたとしても長続きしないと言われ、私はさっぱりと諦めることができた。まあどちらにしろ結果オーライだった。彼女に相談した次の日、彼に恋人がいるということを、彼自身の口から聞いたのだから。

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