薬
K.night
第1話 それでは私とは何か【1】
「本当に、本当に、申し訳ないこと、を。」
それ以上言葉にならなかった。俯いた先にある、スチール製のテーブルに水滴が落ちる。ああ、自分から流れているのかと、妙に冷静に脳内でする言葉と震える手がテーブルの下で強く握られている。体と、心、だけではなく、脳も離れてしまったようだ。テーブルの下で震える手は今にも、テーブルを揺らしそう。
「では、○○さんを殺したことは認めるが、貴方は彼に執拗にストーカーをされていた、ということであってますかね?」
この言葉を発している、このテーブルの向かいにいる男は、検事だったか、あれ、でも白衣を着ていたような気もする。何だったろうか。とにかく今受けているのは事情聴取だ。それは大丈夫、覚えている。
「は、は、は」
はい、と言え。何十回も脳が私に命令しても恐ろしく口が動かない。体が役に立たない、心臓はもう鳴っているのかわからないくらい激しく暴れまわっている。手はもう、自分のものかわからないくらい冷たい。顔を上げろ、顔を上げろ、顔を上げろ!!脳は激しく命令する。何か、なんでもいい、「今」を掴めるものを視界に入れるんだ。何か、何か確かなものを掴まないと沈んで、粉々になりそうだ。少し、ほんの少しだ。少しづつ、首を、顎を、瞼を上げる。
カタン。
そこに映るはずの形は、席を立ち、その広い背中が視界に映る。男の人のセナカ、セナカ、セナカー・・・!!!
絶望という絶叫は体の中を隅々にまで響き渡っているのに、声にはなっていなかったのか。制服を着た男が私を立たせ、腰や手を拘束していく。
「〇〇〇!」
脳は理解をしていない。けれどかすかな重みの移動を足に感じる。歩いているのだ。そうか、歩けと言われたのか。ああ、大丈夫、大丈夫だ。脳はまだ動いている。私はちゃんとまだ動いている。大丈夫だ、大丈夫だ。
「入れ。」
ほら聞こえる、大丈夫だ。私はまだ、大丈夫。拘束は解かれ、独房の暗闇にまたほうり出される。手のひらくらいの窓から、光が入るだけの四角い、箱。床に放りだされた私は憑りつかれたように何かはよくわからない下にあるものをぺたぺたと触っていく。床、床、床。冷たい、たいらい。わかる、わかる。これが、床だ。
ぺたぺたぺたぺたぺた。
隅々まで、自分がどこにいるかわかるように。手が何かに当たる。ああ、そうだ。ベッドだ。ベッドの、脚、だ。細い、か弱い。だけど、もうこれにしかしがみつけない。両手を回す。はいつくばったまま。
「ああー!!」
妙に、響く。
「ああああああ!あああー!!!」
私は叫べているか?叫べているのだろうか。誰も、何も反応がないからもうわからない。光が見える、四角い、か弱い光が。
「ああああああああああああー!!」
光に向かって叫んでも、何も届かない。誰も、助けてはくれない。
「ああああ、、、」
喉は、痛い。叫べてはいるのだろう。光の中に、セナカが見える。男の人のセナカ。恐ろしかったのだ。それが、それがとても恐ろしくて仕方なかったのだ。いつも感じていたのだ、そのセナカの気配を。カフェにいても、街角の電柱の側でも、家の中にいてさえも。ずっとずっと恐ろしいほどに感じていたのだ。ただただ恐怖だったのだ。何かとても大きな何かだったのだ。だから、だから刺したのだ。だから何度も、何度も刺したのだ。私が悪かったのか。誰かに相談すればよかったのか。誰にだよ。誰に誰に誰に?ずっと一人なのだ。もうずっと。どこからだっけ。そう、あれはお父さんが出て行ってから。あの、恐ろしい、そう、あれも最後に見たのはセナカ。
サヨウナラ。
そう、何度も言いたかった。セナカ。
「ふひゅ、っくく。」
あれ、私、笑っている?そうだよね。そうだ。そうだった。私は、覚えている。何度も、何度も刺したセナカ。その血を顔に浴びた時、私は歓喜していた。途方もない、震えるほどの歓喜を。それを私は覚えている。確かに覚えている。だからそう、私は間違いなく犯罪者なのだ。救いなんて、ない。
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