MAN/MADE

紫陽_凛

第1話 歯車

──「歯車」におなりなさい。貴女あなたにできることはそれしかないのです。


 奥様に最初に言われたのがそれでした。13になったばかりのあたしは、「歯車ってなにかしら」とそればっかり考えていました。見かねたお姉様方が柱時計ルームウォッチをお示しになって、あれのことよと教えてくださいました。


「私たちはあれにならなければならないのよ」


 意味は直ぐ分かりました。時計に合わせて私たちの予定は決まっておりました。

 

 朝の六時に起きて暖炉の灰を掻き出し、磨き上げ、新しい薪ねんりょうを用意して……そういう力の要る仕事が、分刻みで小部屋のせまい壁に表になって書き記されておりました、それも新入りの私のために奥様がご用意したものだとお姉様達はおっしゃるのです。

 

 恥ずかしいことにその頃の私は字が読めなかったものですから、お姉様達に読み上げていただいて、それを毎晩毎晩復唱するという、そういうことをしなければならなかったのです。


 覚えるのにはたいそう時間がかかりました。お姉様達は口々に、「ジェニーがこれを覚えられれば、立派な『歯車』になれるわ」と仰いました。今となっては、卑しい労働者階級の私にできるわけがない、という嘲笑ちょうしょうも混ざっていたような気もしますが、時効ということにしましょう。


 ミルチントン伯爵領をお治めになっている伯爵ご夫婦の間にはノアというお子様が一人いらして、「坊ちゃま」と呼ばれていらっしゃいました。

 この女王Nネオヴィクトリアフォー様のご時世、2123年頃でしたでしょうか、私がメイドになったその年、坊ちゃまは8才でいらっしゃいました。金髪で、利発そうなお顔立ちだということだけ分かれば十分でした。

 

 私はただのハウスメイドで、伯爵嫡子ちゃくしのノア坊ちゃまのことは遠目に見られるかどうかという具合ですから、お顔を見ることができるのは本当に偶然か、幸いかのどちらかなのでございます。




 さて、その頃のお姉様達の関心事かんしんじは、執事頭チャールズの禿げ頭でした。お姉様達は彼の仕事ぶりがあまりに機械じみているので、彼がMMエムツーMan-Madeアンドロイドではないかと疑っていたのです。


 「あの禿げ頭を人工アートで再現できるものかしら」と誰かが言い、


「できやしないわよ」とまた誰かが言い、


「でも振る舞いは機械そのものよ、あれこそMMだわ」と誰かが言い返しました。


 揃いの制服を着て揃いの帽子を被ったお姉様達は誰がだれなのやら見分けがつかないのです。


 「歯車」とはそういうことなのです。私たちはお互いを「姉妹達シスター」と呼んでおりました。だから、私が新入りのジェニーであることもそのうち忘れられる運命にあるのでした――実際、しばらくすればその通りになりました。

 私は、ジェニーであることを忘れないよう、自分に「私はジェニーよ」と言い聞かせなければなりませんでした。



 そのときお姉様達が、おもむろに持っていた雑誌を黙っていた私に寄越しました。見せられたページには美しい女性が微笑んでいる写真が載っています。


「貴女はどう思う? チャールズはMMだと思う?」


 私は曖昧あいまいに微笑むほかありませんでした。


 執事頭チャールズという人は、分厚い眼鏡の奥に瞳をすっかり隠してしまった白髪交じりのご老人です。仕事ぶりはたいへんよく、誰よりも機敏で正確で、そこに彼の生来の生真面目さがにじみ出ているのでした。


 お姉様達が「MM」「機械」と揶揄やゆするのもうなずけるほど、きっちりとした仕事をなさるお人でした。三人居る執事を束ねているのが執事頭ですので、チャールズは私たちよりひとつ偉い、執事バトラー達のさらに上司に当たるお人です。


 ですから、「歯車」たる私たちがその禿頭とくとうを笑うのははっきり申し上げて無礼であったのですが、わびしい「歯車」の娯楽など低俗ていぞくな雑誌か、いけ好かない上司の髪型をからかうくらいしかなかったのです。チャールズはいつもお姉様達の格好の餌でした。


 今思えば、よく分かります。お姉様が寄越したその雑誌の頁にはこう書かれていました。


――貴方の家にも一人、美しい恋人ダッチワイフはいかが?

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