向日葵の下で二人きり

竜胆ろんど

本編

 ある夏の日、蝉がうるさいくらいに鳴いていた。

 あの日、私は知らなかったんだ。私にとっての普通は普通じゃなかったってこと。

 午後の夕焼けが蒸し暑いと感じるくらいの夏、私は鉛筆を固く握りながら新しい学校の宿

題をしていた。明日、引っ越すというのに私は前の学校のことを考えていた。あの頃は楽し

かったって思いつつ荷物をまとめないといけないことを思い出した。もう少し机に向かって

いたかったけれど。

 転校初日、気だるい朝を迎えて朝食を食べる。隣のお父さんが座る椅子に猫が座ってい

た。

「リス、そこお父さんの座るところでしょ」

 そういうと猫のリスは椅子から飛び降りた。そこに溜息を吐いてお父さんが座る。

「ゴホン、引っ越してからも成績は落とすなよ」

 私は食べかけていた冷凍食品のパスタを口に掻き込んだ。

 少し吐気を催したが私はその場を去りたい一心で椅子から立ち上がって、足早に学校に

向かった。

 未だ友達が居ない私は学校への通学は独りぼっちだった。

 そんな時に学校内で一番嫌味たらしくて女子にいやらしい目を向けると話題の先生に難

しい数学の問題を解かされる。私はその難問に息を詰まらせていた。

 前にもこんな先生が居た気がする。

「小井田さん……小井田さん……」

 私の机を優しく指で叩いたのは隣の向日葵の頭をした……向日葵の頭をした!?

「そこの問題、ワタシのノート見て答えて良いよ?そこの問題まだ習ってないのに意地悪だ

よね……」

 私は彼?の頭に驚いてしまっていて口を開けたまま突っ立ってしまった。

 それを見て先生は溜息を吐きながらこう言う。

「10秒で答えられんかったな、減点。向日葵デンキ、お前も転校生驚かせた罰だ。廊下に

立っていろ」

 そんな馬鹿なと思いながら私と向日葵くんは廊下に立たされることになった。

 今時廊下に立たせるなんて体罰問題になりかねないのに何でこの先生はクビにならない

のかしら。そう疑問に思いつつも渋々二人で廊下に出た。

「ごめんね、ワタシのせいかも」

「いや、そんなことないよ。私が大袈裟に驚いていたせいだし……」

 建前だった。いや、向日葵くんが立たされているのは私のせいなのは事実にしても、隣に

こんな容姿の人が居たら絶対ビックリする。むしろ、隣に座っていたのに気付かなかった私

にも驚いている。

「あの先生、学校で浮いてるんだよね……ちょっとこう……」

「圧が強いよね」

「そう!そうなんだ!でもね、あの先生も根は良い人だから、こんなことになっちゃったけど

……嫌いにならないでほしいんだ」

 私はその言葉を聞いて戸惑いを感じた。今この状況になっているのに他人の事を思える

なんて……私は自分の恥を知る。

「向日葵くんは優しいんだね。あのさ、本当は私、向日葵くんの容姿に驚いちゃったんだ」

 私はうっかり口を滑らせてしまった。

「ああ、大丈夫だよ。知らない人にはいつもビックリされるんだよね。ワタシの顔ね、色を変

えるとブラックホールみたいでしょ?吸い込まれちゃうって皆が言うんだ」

「あはは、確かに。ビックリしすぎて吸い込まれちゃったもの……なんか、綺麗すぎるって言

うか」

 ハッとして自分の言葉を飲み込んだ。綺麗すぎるって、そんなこと言っていいものかな?

しかも初対面に。

「でしょー?でもワタシはこれが好きなんだー」

 顔は光る向日葵電球みたいな見た目だけど、なんとなく笑っているように見えた。

「あ、そいえばさっき答え見せてくれようとしてありがとうね」

「いいよいいよ、あの問題は知ってただけだし」

 会話を弾ませている内に校長先生が廊下を通ってきた。

「何故君たちは廊下に立っているのだね?」

「あ、その……先生に言われました」

「ほう、それで……ふむ、門田(かどた)先生!ちょっと!!」

 そう言って校長先生はあの忌まわしい門田先生を呼び出して𠮟りつけた。

 今時は体罰問題になるからと、喝を入れたのだ。

「君たちは教室に戻りなさい。この事は他言無用でね」

「「はい」」

 私達は苦笑いをしながら教室に戻る。門田先生に睨まれた気がしたけれど気にしないふ

りをした。

 それから私達は自分の机に座るのだが、結局さきほどの数学の問題が気掛かりで仕方

なかった。色々な子に聞いてみたけれど、みんな一様にこう言うのだ。

「向日葵デンキくんに聞くと良いよ」

 そんなに向日葵くんは賢いのだろうか。

 ああ、でもノート見せてくれてたし、あの難問を解いたことあるんだし。

 ということで私はノートを借りることにした。何せ、前の学校と今の学校では授業の進みが

違うから、置いていかれないようにしなければならない。

 そして放課後、私は向日葵くんに話しかける。相変わらず何処を向いているのか読むの

が難しい。

「向日葵くん、あの問題なんだけどさ……」

 隣同士で助かった。これで今期は成績を落とさなくて済みそう。お父さんにも、どやされな

いで済む。

「あれ?結構色んな事書いてあるね?ここの回答とか今習ってる所より先じゃない?」

 何だこのノート、先の先の問題まで全部解かれている。

「何で先の先の問題まで解かれてるの?これじゃあまるで未来が見えてるみたいだよ。あ、

しかもこことか後期で習うような問題じゃない?卒業した先輩たちに聞いたりしてたの?」

 謎は深まる一方だ。

「え、ええとねワタシ実は留年してて」

「あ、そうなんだ」

 デリケートな話題に触れてしまったなと口を閉ざす。

 何回留年してるんだろう?頭が悪いってわけでもないっぽいし、留年をした理由が気に

なって仕方ない。

「ワタシね、この容姿だし、いつも先生達の反感を買っちゃうんだよね」

「そっか、でも私はその容姿好きだけどね」

 だって、見ているとチカチカするけど向日葵みたいで綺麗だもの。

「あ、もうこんな時間。そのノート明日返してくれればいいから今日はもう帰ろう?」

「ありがとう、それじゃあまた明日ね」

 私はそう言ってノートを鞄に入れると下駄箱に向かった。

 この答えの詰まったノート、少しカンニングをしているみたいで帰宅中ハラハラしていた。

 でも、これで一時は成績を落とさずに済みそうだ。少し罪悪感はあるけれど。

「ただいま」

「おかえりー新しい学校はどうだった?」

「まあまあかな」

 私の一番の理解者のお母さん。こうやっていつも気にかけてくれるのは嬉しい。

「母さん、気にすることはない。今回も成績トップでさえあればいいんだから」

 まあ、こうやって落としてくるのが私のお父さんなんだけど。

「それじゃあ私は部屋で勉強するね」

「あら、そう。あんまり根を詰めないようにね」

「うん」

 絶対にお父さんには歯向かわない。それが家のルールだ。

 お父さんは怒ると怖い。正論と暴論で潰しにかかってくるから、私もお母さんも反論できな

い。お父さんがルール。お父さんが正義なのだ。

 だから私は成績を落としたことが無い。いつもトップ3位には入るようにしている。それ以

上落とすとお父さんに叱られるから。

 私は長女であり、一人っ子だから、金銭面では甘えられるけど成績面では甘えられない。

 こうやって少しずつ鬱になって勉強をしている時に、ふと向日葵デンキくんから借りたノー

トの端っこに目が行った。パラパラ漫画の一部のようだ。

 少し疲れてきたので休憩にパラパラ漫画の内容を見てみることにした。

 内容は――

 ある日、学校の屋上で空を見ていたら星が降ってきた。

 それを掴もうとする少年。掴んだ瞬間、目の前が真っ暗になった。

 そして目を覚ますと少年は星と繋がっていて、顔が、まるで星のようにキラキラ光る別の

生物になっていた。

 そういう内容だった。向日葵くんもこういう子供心があるのだと少し笑ってしまった。

 そうして眠たい眼は夜に閉じていく。

 夢を見た。それは知らない男の子の夢だった。男の子は学校でイジメを受けていた。あま

りにも明るすぎる性格に嫌気がさした生徒がイジメの主犯格だった。

「どうして、どうして?」

 屋上で困惑する男の子。イジメの主犯格の手には刃物が握られていた。

「お前、八方美人で気持ち悪いんだよ。この学校から出て行けよ」

「八方美人!?みんなが好きなだけだよ……仲良くしようよ」

「そう言う所が気持ち悪いんだよ!!」

 そう言うと主犯格は男の子を投げ飛ばし、屋上のフェンスまで追い込んだ。

「そんなに仲良くなりてえかよ……なら俺の願い叶えてみろよ!そこから降りな!」

 見知らぬ男の子はたじろいだ。そこは6階建ての学校の屋上。落ちれば死んでしまうだろ

う。

「ちょっ……流石にやりすぎ……」

 一人の女子生徒が止めに入ろうとしたが、追い詰められた男の子は笑顔でこう答えた。

「いいよ、それが君の望みなら……」

 そして男の子は飛び降りた。その日は落雷の酷い日だった。

 男の子の意識はほとんど薄れ切っている。頭蓋も損傷しきっていて脳がグチャグチャ。

 そんな中でとどめを刺すかのように落雷が男の子の頭に突き刺さる。

 男の子は無意識に落雷が落ちる一瞬を手で遮ろうとした。

 後は手と体が焼けこげるだけなのに。

「うっ……おぅえ……」

 私は半ば嘔吐しかけながら目が覚めた。えげつない夢を見たと思い、フラフラと洗面台に

向かう。

 何だったんだろう、あの夢は。まるで現実味を帯びていた。ただの悪夢に過ぎないのに現

実さを感じたんだ。

 落雷が偶然、人に当たるなんて珍しいことだ。そりゃあ、記録として残ってるものがあるに

はあるけれど、偶然奇跡的に落ちたと言っても過言じゃない。

 って、何考えてるんだろう?

 あれは夢なんだから、そんなこと考えてる余裕があったら勉強しなきゃ……朝の通勤時

間も勉強勉強。

 そうやって朝食も取らず家を出て、教科書や参考資料に目を通していると少し眩暈がし

た。いやいや、こんな貧血くらいどうってことない。

 そう思っていたら私はいつの間にか道端に座り込んでいた。

 立てないほど衰弱していたのだ。まずい。

「あれ?小井田さん?何してるの?」

 そこに現れたのは向日葵くんだった。かなりの量の鞄を持っている。

「何その量!?」

「ああ、これねクラスの池谷(いけたに)くんが持ってくれって。彼、モテモテさんだから鞄持っ

てたら女の子の相手ができないんだって」

 それって都合よく向日葵くんが使われてるんじゃ……とも思ったけど聞くに向日葵くんは

どうとも思ってないようだ。それより心配そうに立てない私の顔を見ている。

「貧血?肩持つよ……と、思ったけど小井田さん小さいからワタシの肩とは合わないね

……」

 戸惑う彼に私は笑顔でこう言うのだ。

「ちょっと座ってれば大丈夫だよ、それより池谷くん待たせてるんだから行ってきなよ」

「そうだけど……あ、そうだ。乗って?」

 そう言って向日葵くんは私に背を向けてかがんだ。これはもしや……おんぶしようとして

いる?

 いやいや、私も女子高生。流石におんぶされるのはキツイ。

「流石に恥ずかしいって……気にしなくていいからさ」

「でも小井田さん、さっきより青ざめた顔してるし放っておけないよ」

 と、言ったところで無理矢理に私の体は持ち上げられた。沢山の鞄を持っているのに何て

怪力だろう。

「おいおい、向日葵ぃ小井田さん迷惑がってんじゃねえか」

 池谷くんが私を茶化してくる。私は赤面でそれどころではなかったけど。

「小井田さん顔真っ赤じゃん。おろしてあげなよー」

 池谷くんの周りの女子も私を茶化してきたので私の羞恥心はそれはそれはとてつもない

ものだった。

「小井田さんが道端で座り込んでたんだ。具合悪そうだった」

「ああー、またお前のお人好しかよ。お前のそういうところ嫌いじゃないけどな」

「ありがとう、さあ、学校に行こう」

 そう言って私は向日葵くんの背中に乗せられて登校するのであった。

 自分の体温が熱い。夏のせいにしたいほど。

 そんな中でほんのり向日葵くんの匂いがした。石鹸とお日様の香りがほのかにする。

 考えている内に学校に着いた。私は体調も良くなったし向日葵くんの背中から降りた。

「大丈夫?もし熱中症や貧血だったら保健室に行くんだよ?」

「ありがとう。もう元気だから……教室に戻ろう」

 まだ体が熱かったけどきっと大丈夫だろう。

 これ以上心配かけるわけにはいかない。

 教室に戻ってこっそりノートを向日葵くんの机の中に入れる。

 ノートを返した後、少し向日葵くんの机を見てみると机の隅っこに落書きがあった。どうや

ら自画像のようだった。

 よく描けている。向日葵くんは本当に落書きが好きなのだなと思って微笑んでいると教室

のチャイムが鳴った。

 私は急いで自分の机に戻る。丁度、池谷くんに鞄を返し終えた向日葵くんが戻ってきた。

 そして授業が始まる。向日葵くんのおかげで今回の授業は頭に入る。成績を落とさずに

済みそうだ。

 授業が終わって昼休み。向日葵くんにお礼を言おうと屋上へ向かう。

 池谷くんがいつもそこに向日葵くんは居るからと教えてくれた。

「向日葵くん、あのさ、ノート貸してくれてありがとう……って眩しい!!」

 夏の太陽と向日葵くんの眩しい頭が相まって目がチカチカした。

「ごめんね、屋上にはあまり人が来ないと思っていたから……はい、サングラス」

「いつも持ち歩いているの?」

「たまに屋上に来ちゃう子が居るから……」

「そうなんだ」

 私は貰ったサングラスをかけて向日葵くんを見た。あ、眩しくない。

 とても不思議そうに彼を見ていると向日葵くんは自身の弁当に入っていたタコさんウイン

ナーを私の口元に持ってきた。

「お腹すいてるんじゃない?」

「え?」

「ダイエットのことは詳しくないけど、小井田さん朝食抜いたりしたんじゃないかなって思っ

て」

 ああ、またそういう風に人のことを思いやってる。

 私が朝食を抜いた理由はダイエットなんかじゃない。

 あの場所に居たくなかったからだ。

「ダイエットはしてないよ、タコさんウインナーかわいいね」

 渡されたウインナーを食べる。いい感じの焼き加減、それでいてしつこくない塩コショウが

振ってあって美味しかった。

「美味しい……向日葵くんのお母さんは料理上手なんだね」

「ワタシの家は両親は居ないよ」

 あ、地雷を踏んでしまったと私は反省する。

「ワタシは今、遠い親戚の叔母さんの家に居るんだ。小井田さんは両親は居るの?」

「私!?私は両親共に居るけど……あんまり馬が合わないかな」

「そうなんだ、でも両親が居ることは幸せなことだよ」

 そうかな?私の両親は二人共微妙な関係だけど。

 一番の理解者はお母さんだけかな……でも、向日葵くんにはお母さんが居ないんだ。

「ワタシの母はワタシを産んで死んでしまって、父はそれがショックで身投げ。小説みたい

な話。まあ、親戚の叔母さんはよくしてくれるから良いんだけどね」

 そう言って弁当を食べ終わった向日葵くんは寂しそうに腰を上げた。

「お昼休みがこんな話でごめんね。次のお昼休み、また来てくれるんだったら楽しい話をす

るから」

「あ、うん。また来るね」

 寂しげな背中を見るばかりの私。ああ、サングラスを返しそびれたじゃない。

 放課後、心なしか向日葵くんが寂しそうに見える。

 いつもより猫背にも見えてきた。いやこれは先入観という奴かもしれない。と思って声をか

ける。

「向日葵くん、サングラスありがとね……ってうわぁ」

 向日葵くんのYシャツが汗でビショビショだ。

「うう……小井田さん、ありがとう。ちゃんと持ってきて偉いね」

「それより凄い汗だけど大丈夫?」

「ああ、平気。ちょっと屋上に長居し過ぎたみたい」

「保健室に行こうよ、朝のお礼におんぶはできないけど、肩を貸すくらいできるからさ」

「そんなの悪いよ……」

 強がりめ、本当は熱中症にかかってるくせに。あの後、多分だけど思い悩んでたんで

しょ。両親のこととか考えて……と、思いながら彼の肩を持った。

「重たいでしょ……ワタシ背が高いし……」

「何言ってるの、軽いくらいよ、向日葵くんの方がもっと食べてほしいわ」

「ええ……小井田さんって意外と力持ちだね」

「余計なお世話」

 私は片足で保健室のドアを開いて、先生に事情を話す。

「はいはい、じゃあそこのベッド使って。酷い汗だねぇ……はいペカリ」

「あの、先生、ペカリはワタシには……」

「いいから飲んどきなよ。ほんと、向日葵くんって遠慮しがちだよね」

「そうじゃなくて……ううん、何でもないや、飲むよ」

 そう言うと向日葵くんは、何処に口があるのか、水を飲み始めた。

 何というか、弁当を食べている時はじっくり見なかったけれど向日葵くんはブラックホール

が星を飲み込むかの如く食べ物や飲み物を口(?)に入れる。

「あの、小井田さん。あまり見ないでほしい」

「ああ、そうだね。なんか不思議な生物見てるみたい」

「よく言われるよ。ワタシには口が無いのに食べ物や飲み物がすぐ消えていくから不思議

だねって」

 本当に不思議だ。キラキラした向日葵くんの頭に飲み物が吸い込まれる様は綺麗すぎて

見惚れてしまう。

 その清涼飲料水は円を描くようにして向日葵くんの頭の中心に消えていくのだ。やっぱり

ブラックホールだ。

 って、あんまり見られるの嫌なんだっけ。私も食事時に口元をジロジロと見られると嫌な

気持ちになるし、これ以上見るのはやめておこう。

「先生、ペカリありがとうございました。あとは帰って休みます」

「あら、そう。じゃあ保護者の方によろしくね」

「はい、ありがとうございます」

 向日葵くんはペカリを飲んだからか少し汗が引いていた。

 私は向日葵くんの鞄を持って保健室を出ていく彼を追いかける。

「家まで送ろうか?」

「大丈夫だよ……」

「大丈夫じゃないでしょ」

 向日葵くんは私から鞄を取り、靴箱から靴を取って帰ろうとしている。けど、そこは私の靴

箱なんだよね。

「向日葵くん、もしかしてまだ体調悪い?」

「え?あ……そんなこと無いよ。たまにボケるとモテるぞって池谷くんが言ってたから……

その、これはボケって奴なんだ」

 思ったより体調がすぐれないようだった。ていうか、誰にモテる気だよ。

「あーもー……ほら、こっちでしょ向日葵くんの靴箱!今日は絶対家まで送るから!」

「うーん……わかりました」

 何で敬語なんだと背中を音を立てて叩いた後、私は向日葵くんの背中を押していった。

「坂道きっつい」

「無理に押さなくても良いよ」

 保健室に連れて行ったときは何とも思わなかったのに坂道だと汗が出るほど重かった。

「タコサンウインナー食べ過ぎなんじゃないの!?」

「そうかもね」

「そうかもねじゃないわよ!少しは痩せろー」

「ええ……これでも平均体重だよ」

「そういうことじゃない!!」

 そんなことをしていたら向日葵くんの家に着いていた。向日葵くんは靴を脱ぐと綺麗に揃

える。

「ただいま帰りました」

「あ、おかえりー」

 向日葵くんの帰りを大きな音を立てて出迎えたのは髪の黒い女の人だった。縁が分厚い

眼鏡を人差し指と親指で支えてこちらを見ている。

「え?彼女??」

「違うよ叔母さん!!この人は転校生の小井田さん!」

「ごめんごめん!色恋沙汰が好きだから!じゃあ、どうぞ上がって上がって」

「お邪魔します」

 サバサバした人だなと思いつつ私は通学靴を脱いだ。

「叔母さん、今日アレが必要な日だそうです」

「分かった」

 アレって何だろうと思いつつ私は部屋の一室で出されたお茶を啜った。美味しいミント

ティーだ。

 向日葵くんは叔母さんと何処かへ行ってしまった。

「アレってなんだろう」

 気になった私はトイレに行くフリをして向日葵くんの後をついていった。

 狭い部屋があった。その部屋のベッドで横たわっている向日葵くん。叔母さんは何か調合

しているようだった。

 何だろう?キラキラした宝石を砕いているような?

 よく分からないけれど「アレ」って言ってた物かな?

 叔母さんが部屋を出ていくようなので私は陰に隠れて事を過ごした。向日葵くんが無言で

宝石を吸い込んでいく。その後、宝石が入っていた瓶を見つめていた。

 私はそっと向日葵くんの横に行く。

「小井田さん?叔母さん鍵かけてなかったのかな……?」

「ねえ、この宝石?星屑?みたいなキラキラしたものってなに?それを飲む向日葵くんっ

て、やっぱり人間じゃないの?」

「人間……人間だったと言っても良いのかな?この星屑はね、ワタシの人間の身体の腐食

を防ぐための不思議な粉なんだ。叔母さんがどういうわけか作れる。今日、体調が悪かっ

た理由は身体が腐食してきたからだよ……夏だと腐食が進むんだって」

「変だよ、腐食?病気なの??」

「違うよ……うっごめん、ちょっとまだ体調が優れなくて頭が回らないや」

 心なしか青ざめた表情に見える。私はそれ以上言及しなかった。

 向日葵くんは向日葵くんだ。多分クラス全員そう思ってるし……あれ?何でここでクラス

のこと?これは言い聞かせようとしてるのかな?

「ごめんなさい向日葵くん。私、もっと向日葵くんのこと知りたい」

「ワタシは……ワタシは君と仲良くしたいけど、人には言えない悩みとか秘密とかがあるん

だ」

「それを打ち明けてくれないかな」

「……君と仲良くいたいから話せない」

 私の心は探求心に駆られていた。向日葵くんのことが知りたかった。

「どんなことでも受け入れるよ……話して」

「わかった」

 向日葵くんは淡々と話しだした。

 それはある夏の日だった。向日葵畑の横を通っている最中、豪雨に見舞われた日。

 向日葵くんはイジメを受けていた。それは日に日にエスカレートするようなイジメだった。

けれど向日葵くんはイジメてくる人達とさえも仲良くしたいと願っていた。

 イジメの原因は向日葵くんの人柄からであった。誰にでも優しく仲良くしたいと願っていた

ことがイジメの主犯格である多田くんという男の子の火をつけた。

 多田くんはクラスメイトに向日葵くんのあることないことを吹き込んだ。

 本当は仲良くなって悪い噂を集めているとか、裏で情報収集係をやっているだとか。

 そんなこと向日葵くんがするはずがないのに。

 そして最後には向日葵くんの味方は居なくなった。多田くんは向日葵くんを屋上に呼び出

した。

 落雷警報が鳴り響く中でクラスメイトと多田くんは向日葵くんを屋上のフェンスに追いや

る。

 屋上で困惑する向日葵くん。イジメの主犯格の多田くんの手には刃物が握られていた。

「お前、八方美人で気持ち悪いんだよ。この学校から出て行けよ」

「八方美人!?みんなが好きなだけだよ……仲良くしようよ」

「そう言う所が気持ち悪いんだよ!!そんなに仲良くなりてえかよ……なら俺の願い叶えて

みろよ!そこから降りな!」

 向日葵くんはたじろいだ。そこは6階建ての学校の屋上。落ちれば死んでしまうだろう。

 その光景を見て、とある女の子は止めに入ったが多田くんはヒートアップするばかりだ。

 それを見て向日葵くんは思いついた。

「いいよ、それが君の望みなら……」

 これで、多田くんの怒りは鎮まってくれるだろう。そして自分を好きになってくれると信じた

のだ。

「ちょっと待って!それ夢で見たよ!?」

「え?この話はしてないはずだけど」

「夢だよ!夢で見たの!!その後、飛び降りて雷に打たれるんでしょ!?」

「あ、あれって雷だったのかな?ワタシはてっきり流星でも落ちてきたのかと思った」

「流星って……ファンタジックな……ていうか、その話って借りたノートのパラパラ漫画の内

容に似てるね」

「うん。自分のうろ覚えの記憶を漫画にしたくて描いてた」

 ノートの内容は少年が星と繋がる物語。

 向日葵くんの頭、星と言われれば星っぽいし、雷と言われれば雷っぽい。角度によって色

が変わるし不思議な頭だ。手もキラキラ光ってる。

「そういえば向日葵くんの手って電気っぽいね」

 何気なく彼の手を触ろうとするとヴォンという電気が通るような音がした。何度触ろうとし

ても突き抜けて触れない。

「あれ?でも鉛筆とかノートとか持てるよね?」

「触ろうと思うものは触れるんだ。触らない、感じない、と思えば突き抜けていくよ」

「不思議……」

 考えれば考えるほど向日葵くんは不思議な人間。いや?人間なのかも怪しいけれど。

「不思議なのは君の方だ。何でワタシの記憶を夢に見るのか」

「そうだね……強いて言うなら運命?」

 それを聞いて向日葵くんは大笑いをした。よほど面白かったのか腹を抱えている。

「君と会うことが運命だなんてロマンチックだね」

「笑わないでよ!そのくらいしか考えられないじゃない!!」

「そうだね!運命かもしれない」

 その時、私の手は優しく握られた。これは向日葵くんが触れたいと感じたからだろう。

 そう思うと少し照れくさかった。

「な、なんか暑いね!この部屋!冷房ほしいなー」

「そうなの?そっか小井田さん今日、倒れてたしね。今リモコン探すよ」

 本当に、暑い夏の日だ。

 向日葵くんがエアコンのリモコンを探している間、私はずっと赤面状態にあった。

 向日葵くんの手に温度は無かったのに……やけに触れた場所が熱くて仕方ない。

「ほんとだ、あついね」

「ひえ!?」

 変な声が出た。私の体温を感じ取られたかな……それとも熱気が伝わったかな。

「これ見て、38℃だって」

「ああ、温度計か」

 落胆すると共に安心もした。いやいや何に安心してるのよ私。わけわかんないな。

「エアコンの温度25℃で大丈夫?」

「うん!」

 何故かハキハキと喋ってしまう。

「はぁ……」

 急にため息を吐く向日葵くん。

「どうしたの?」

「ワタシって何者なのかな」

「ええ……幽霊とか?」

「幽霊?そうかな?でも未練なんてないよ。飛び降りたのは正しいと思ってやったし」

 幽霊じゃないなら目の前にいる頭の光る生物は一体……考えているとガタリと物音がし

た。

「説明しよう!」

 音の主は向日葵くんの叔母さんだった。

「向日葵デンキの正体はズバリ、雷で頭をぶち抜かれた時に走った電流が体内に取り込ま

れて抜けず、電流の入り口である頭と手のみに常に電気が放電しているという謎の生命体

である!!ちなみに放電する光は見えるものの、電流が私達に危害を加えないのは微電

流だからかと思う!あと手が突き抜けたり突き抜けなかったりする理由に関しては頭の悪

い私には分からん!!」

「へえ、そうなんだ」

 向日葵くんも知らなかったんだ。叔母さんは眼鏡をクイッと上げて誇らしげに垂れた大き

な胸を上げる。

「それって人間なんですか?」

「身体は血も出るし、頭と手以外は痛みを感じてるし、元より向日葵は人間なのだから人間

なんじゃない?」

「ふわっとしてるなぁ……」

 私は眉間にシワを寄せつつも、向日葵くんが人間じゃないとして何だって言うんだろう?

と思ったので考えるのをやめた。

「そうそう、例のコレ、防腐剤って私は言ってるんだけど、これはね、ただの砂鉄に宝石混

ぜた物だよ」

「えっ!?」

「身体が腐ると言うから最初は防腐剤を試したけど雷に撃たれて特殊な身体になったのか

……砂鉄とか磁石とか宝石を吸収すると身体の腐食が治るんだよね不思議だねぇ」

「叔母さまも理由は分からないんですか?向日葵くんが死んでない理由とか」

「私、専門家じゃないし、色々と試して彼が生きていけてるからそれでいいんじゃない?」

「ゆるいなぁ……」

 向日葵くんのどことなくゆるい性格の理由が分かった気がする。

 物事には気にするよりも、今をゆるく生きている方が上手く行くことがある。

「フッフッフッ、向日葵のことはこれで満足かな?彼女さん」

「か、彼女じゃありません!」

「あら?さっき手を繋いでた気がするんだけど見間違いだったかな?」

「なっ!もしかしてわざと鍵かけなかったんですか!?盗み見聞きするために!?」

「さあねー、さてと、向日葵ぃー夕御飯作ってー」

「はーい」

 唖然としている私を置いて、向日葵くんは台所に向かってしまった。

 叔母さんもパソコンに向かって何かしている。

 私は一人ぽつねんになってしまったので帰ることにした。

「小井田さん帰るの?」

「ここに居ても仕方ないもん」

「夕御飯食べていかない?」

「いい、うち門限あるし」

「そっか、今日はありがとう」

「ううん、こちらこそありがとう。今日聞いたこと、誰にも言わないから」

「うん、それじゃあまた明日」

「じゃあまたね、おやすみなさい」

 私達は別れを告げる。また明日。また会えると思うと不思議と胸が弾んだ。

 この日から向日葵くんは私の生きる糧となった。

 家に帰って父の罵声を聞いても気にならなくなったし、勉強も捗るし、何より、握られた手

の感触が残っていて……それが向日葵くんを思い出させて止まなかった。

 私はこの時、恋をしたのだ。

「人であるようで人でないような変な人に恋だなんて私も変わってるな」

 無意識に笑みが浮かんだ。目を閉じれば向日葵くんの顔が浮かんでくる。彼に表情は無

いものの仕草などで感情が分かる。

 いつも猫背な彼。死んでしまった彼の両親。頭がゆるい叔母。イジメを受けていたこと。

 そんな過酷な彼の人生。なぜ彼は未だ高校に通うのか?今の日本で教育が義務化され

てるのは中学生までだ。高校なんて留年してまで通う必要あるのかな?受かりたい大学が

あるとか?

 こうやって向日葵くんのことを考えている内に朝がやってきた。寝不足で幻覚でも見てい

るのか視界に向日葵くんが見える。

「小井田さん!」

 どうしよう幻聴も聞こえてきた。ここは、二階の私の部屋。向日葵くんが居るわけがないの

よ。

「小井田さん!」

 ああ、眠たい。何か目の前に眩しく光る向日葵型のよく分からないものが……うーん向日

葵にしては触れられない。

「寝ぼけてるの?小井田さん起きてよ!」

「へえ?」

 目の前に居るのは確かに向日葵くんだった。

「わあ!いつから居たの!?」

「さっき小井田さんのお母さんに部屋を開けてもらった時からだよ。気づかなかったの?」

 全然気付かなかった。向日葵くんは忍者か何かだろうか?あ、私未だ寝ぼけてる。

「ところで何の用?」

「朝早くにごめんね。君のところの猫が家に入ってきちゃって……叔母さんが飼おうとしてた

から急遽止めてここまで連れてきたんだ」

「え?リスが?」

「え?栗鼠?違うよ、猫だよ?」

「あー、リスって名前なのうちの猫」

 リスを返してもらい、ふてぶてしいリスの顔を拝む。猫って嗅覚あるのかしら?私の臭いを

辿って向日葵くんの家まで辿り着いたのかな?

「変わった名前だね」

「そうね……まあ、話長くなっちゃうから外で話したい。着替えるから外で待っててよ」

 そう言うと向日葵くんは口に手を当てて気まずそうに私の部屋をあとにした。

 向日葵くんも照れることとかあるんだなと洋服を着替える。というか、私の寝ぼけた顔見ら

れてたのかなと思うと恥ずかしかった。

「お待たせ」

「じゃあ行こうか」

「リスの話してもいい?」

「リス……猫の話だよね」

 そうそう、リスと名付けられた猫の話。

 猫のリスは私が飼っていた栗鼠が死んだので墓を建てていた時に庭の外からやってきた

元野良猫だ。

 勘のいい人は気付くだろう。そう、向日葵くんも早々に気付いた。

 私としては単純過ぎる話。飼っていた栗鼠の墓を作っていたときに偶然庭に住み着いた

からリスという名前。父には反対されたが、ずっと言い続けると次第に父も違和感なくリスと

言い出した。

 そうして定着したのがリスだ。

「リスは不思議な猫だね」

「そうなんだよね、私も最初は栗鼠の生まれ変わりだと思ったりしてね」

「そっか、ワタシも実は雷の生まれ変わりだったりして?」

 オバケの身振り手振りをして笑わせてくる向日葵くん。

 この登校時間は最高に楽しかった。

 学校について下駄箱で靴を脱いでる途中、池谷くんに会った。

「よう小井田と向日葵!今日から合唱コンクールの朝練あるってよ」

「はあ!?合唱コンクールって秋頃じゃないの!?」

「うちは夏休み入る前にあるんだよ、ほらこれ歌詞な」

 突然のことに戸惑いを感じている。

「向日葵、お前は今回も指揮者な。お前の声入ると頭おかしくなるから」

「そうだね。ワタシの声特殊だし」

 向日葵くんの声は頭に響く感じの不思議な声だ。人の声帯をしてないという感じだ。という

か……向日葵くんに声帯ってあるのだろうか。

「つーことで、俺は朝の部活動終わったら行くって委員長に言っといてくれ。じゃあな」

 あ、これは私達に色々と押し付けられたなと思った。向日葵くんは鼻歌(鼻どこだろう)を歌

いながら指揮棒を振る素振りをしている。

 私はこの後に委員長の罵詈雑言を聞くはめになることを想像して嫌気がさしていた。

 場所は音楽室。委員長の雛菊さんがまだかまだかと靴を鳴らして待っていた。

「あ、やっと来たわねー?指揮者が来たことだし皆!並んで!!」

 テキパキと指示をする委員長に心の中で流石だと言いつつ位置につく。

「バカ谷は今回も居ないけど調子揃えていくわよー」

 バカ谷?あ、池谷くんのことか。納得した自分に少し喝を入れて背筋を伸ばす。

 声は通った。向日葵くんの指揮は凄腕のものだった。声を張るタイミングやトーンの上げ

下げの時を分かりやすくしてくれてる。

 そうしてクラス全員がまとまっていく。

 みんな綺麗な歌声だ。

「はーい、また練習するからちゃんと来てねー」

 雛菊さんが手を叩くと皆解散していった。

 向日葵くんに私の声の調子はどうだったか聞こうと向日葵くんの方向を見ると女子が群

がっていた。

「向日葵くん!私の声どうだった?」

「最高だったよ!君の声はハスキーで素敵だと思う」

「あたしの声はー?」

「よく聞こえていていい声だと思うよ」

 こんなに向日葵くんはモテるものだったろうか。

「この時だけ妙にモテるんだよなー、褒められたい女子の心を鷲掴みってかー?俺の方が

億倍モテるってのによ」

 私が嫉妬にかられていると後ろから池谷くんが声をかけてきた。

「ていうか池谷くん委員長に怒られなかったの?」

「はあ?さっき億倍怒られたさ。あいついつも俺のことばっかカンカンでよぉ」

「サボりするからじゃん」

 私が池谷くんを小突いていると後ろから雛菊さんが池谷くんの耳を引っ張って行った。

 耳が痛くなるようなくらいこっぴどく、また叱られるんだろうなと思いつつ池谷くんを見送

る。

 そこに女子の相手が終わった向日葵くんが顔を出した。

「雛菊さんは池谷くんのこと好きなんだよ」

「ああ、どうりで」

「恋って不思議だよね……ワタシは未だよく分からないけど素敵なことだよね」

「そうだね」

 そうだね。それが実るような恋ならきっと素敵だろうね。向日葵くんは私のことどう思って

るんだろう。最近よく話したり、秘密も聞けたりしたけど池谷くんとか雛菊さんとかに、あの

話はしていたりするのだろうか。

 私は向日葵くんを見てため息を吐いた。

「元気がないね」

「別に……」

 心配そうにこちらを見ている気がする。目が無いから視線が分かりにくいけど最近なんと

なく分かるようになってきた。彼の目線や表情……

「向日葵くんは恋したことないの?」

 後ろに居た女子が楽しそうに笑う。

「ワタシ?うーん、無いな」

「勿体ないー恋って楽しいよ」

 ああ、こんな子みたいに人懐こい笑顔を彼に向けられればなと話を聞く。

「やっぱり楽しいんだね。そんな気がするけど、ワタシには不釣り合いかな」

「どうして?」

「ワタシは人間か分からないから……ってネガティブかな」

 意外。人間じゃないかもなんて考えてるんだ。でも、人間じゃないと恋をしてはいけないな

んて誰が考えたんだろう。私は人間じゃなくても向日葵くんが好きだ。

「変なのぉ―じゃあ愛は?愛してる人居ないの?」

「恋と愛は違うの?うーん、よく分からない」

「お子ちゃまだなぁ、でもきっといつか分かるよ」

 恋と愛の違いを考える内に女子との会話は終わっていた。

 彼女は恋と愛の違いを分かっていたりするのだろうか。私には未だ分からなかった。向日

葵くんも小さく頭を傾けていた。

「あ、小井田さんなら――」

「私は知らない。教室先に戻るね」

 私なら知ってる?って言おうとしたんでしょうけどお生憎さま。私の方が知りたいわ。

 態度悪く音楽室から抜け出して、その日一日向日葵くんを遠ざけた。

 向日葵くんはというと女子に囲まれて私に見向きもしなかった。それはそうか、いち友達

に構ってる暇はないんだ。合唱コンクールの指揮者って目立つもの。

 いや、それでなくても目立つ姿してるんだし。それに向日葵くんは私と違って人当たりが

良くて、優しくて、汚い所なんて無くて、凄く綺麗で、素直で、一番の頑張り屋で……考えて

いると気持ち悪くなった。動悸がして眩暈がして恋ってこんなに苦しかったかな?恋をした

のは二度目だった。初恋は交換日記を初めて交換した男の子だったような?

 毎日、交換日記をして、いつも一緒で、転校して離れ離れになったけどメールのやり取り

とかしてたけど、相手に彼女が出来て、初恋は終わっちゃった。

 あ、ダメだ。私今日すごく嫌な奴じゃん。

「馬鹿じゃん」

 本当に馬鹿だ。恋ってのはいつも片想いだ。

 そうやって数日トイレに籠ったりして涙を流した。

 そうして涙で目を腫らし切った後に教室に戻ると皆にギョッとされた。

 ヒソヒソと話し声が聞こえる。私の顔の悪口でも言ってるんでしょ。

「あのさ、小井田さん。後ろ……」

「え?」

 クラスの男子が指差したのは私の顔じゃなくて後ろの向日葵くんだった。

「うわぁ!」

 いつもの黄色い向日葵みたいな明るい色の向日葵くんの顔面が黒く変色していた。

「ど、どうしたの向日葵くん」

「小井田さんが最近元気が無くて、いつも朝練後に居なくて、ワタシの指揮が悪かったのか

なって」

 涙は出ていないけど心に響くような訴え声を出している。

「ち、違うよ向日葵くん、これには色々事情があって……あれだよ!女の子の日ってや

つ!」

「え?そうなの??ごめん、そんなこと言わせて」

「いいよ!言わなかったの悪いし、これからは気にしなくていいからさ!」

 全然女の子の日じゃないけれど、こんなに顔色(?)を変えた向日葵くんは初めて見た。ク

ラスの皆はたまに見るのかなこういう向日葵くん。珍しい方ではあるみたいだけど。

「そっか、じゃあ気にしないよ。じゃあ、授業だし席に着こうか」

 まるで豆電球が付いたように彼の表情は元に戻った。

「黒い時は悲しい時なんだ……」

 心の中のメモ用紙にそう書いておいた。

 時は過ぎて合唱コンクール間近。委員長の目と向日葵くんの力も入る。

「男子ちゃんと歌って―」

 委員長が指示をしてクラスがまとまっていく。池谷くんのサボりも日に日に少なくなってき

た。池谷くんは意外にも綺麗なハスキーボイスだった。

 こうして日々は過ぎていく。私の想いも薄れるだろう。そう思っていた矢先、女子の間で話

題になった気になることが出てきた。

「ねえねえ小井田さんは誰と夏祭り行く?」

「え?夏祭り?」

「知らないの?夏休みの一週間ずっと夏祭りがある日があるじゃん」

 知らなかった。まあ、転校してきて初めての夏祭りだし、知らないのも無理はないけど。

「あたしはさ、高校卒業したら就職するから学生最後の青春なんだー」

「へえ、そんなミキちゃんは誰を誘うの?」

「あたしは池谷くんかな!イケメンだし!」

 あ、委員長がこちらを睨んでる。

「辞めた方が良いと思うよ」

「えーでもさー……でさ、小井田さんは誰誘うのよ?」

「うーん、分かんない」

 向日葵くんを誘いたいな。高校生活最後の夏祭りだし、せっかくなら片想いでも好きな人

と夏を過ごしたい。

「浴衣とか着たいよねー」

「いいね、ミキちゃん似合いそう」

「小井田さんも似合うよきっと!!あ、私のおばあちゃん家さ浴衣沢山あるの!今時のもの

から昔のレトロなものまで!夏祭り一緒に行こうよ!男子連れてさ!」

 ミキちゃんの圧力に勝てずに私は夏祭りに行くと約束した。ミキちゃんからはある提案を

持ちかけられる。

 それは、好きな男子を連れてくること。

 ミキちゃんの意地悪。

 でも、この片想い、成就するかしないかは分からないから……いい機会かもしれない。

 その日は浴衣と恋の話で一日を過ごした。

 浴衣の色は何色にしようかな。というか向日葵くんの好きな色知らないな。

 黄色とかかな?でも男子だから黒とか?それは偏見か……意外とピンク色が好きかもし

れない。

 そんなことを考える下校中。ミキちゃんが私の脇腹を指でつついてきた。

「うわっ!何よ」

「今日、家で夏祭りの浴衣選びしない?」

「まだ気が早いんじゃない?夏休み前の合唱コンクールも終わってないのに」

「そう言わずにさぁ……あたし池谷くんガチ狙いしてるからさ!ね!ね!?」

「もぉー分かったよ……」

 こうして私はミキちゃんのおばあちゃんの家にお邪魔することになった。

 ミキちゃんの家は老舗旅館だ。両親共に共働きでミキちゃんのことは家政婦さんとおばあ

さんが見ているらしい。たまに両親が居ない時間が寂しいとぼやいているし、今回は付き

合ってあげるか。だなんて偉そうに言う私も内心は浴衣選びに心が躍っていた。

「ねえ、小井田さんは誰が好きなの?」

「え!?」

「浴衣貸してあげるんだから教えてくれてもいいでしょー?」

「う……」

 浴衣のお礼にしては重い気もするけど、ミキちゃんは好きな人を教えてくれているのに私

は言わないだなんて失礼だ。

「あ……頭の綺麗な人」

「ああ、向日葵くんね」

 名前は言わなかったけれどミキちゃんの勘は鋭いもので、すぐに言い当てられてしまう。

「正解……誰にも言わないでね!?」

「言わないけどさー夏祭りに連れてきたら皆にバレちゃうじゃん」

「あ……」

 旅館の奥の着物置き場で立ち止まってしまった。それを見たミキちゃんは笑みを浮かべ

て私の背中を押した。

「あたしが連れてきてあげるよ!そしたら分かんないっしょ!!誰もあたしが向日葵くんの

こと好きとか思ってないだろうし、てか、疑われても池谷くん連れてきて否定するし」

「ありがとう」

「あたし達ともだちなんだからこのくらいヘーキヘーキ」

 安心の吐息を漏らして置いてある浴衣を色々と見ていく。

「そういえば向日葵くんの好きな色知らない」

「え!?知らないの!?」

「だってこの時期に聞けないじゃん」

「成績良いのにあんた鈍いんだねぇ……向日葵くんの好きな色は水色だよー。ほら、制服

向日葵くんだけベストが水色じゃん?」

 そういえばあまり気にも留めなかったけど向日葵くんのベストだけ水色と青のグラデー

ションだ。うちの学校は黒のブレザーなのに。

「あれって特注らしいよー」

「なんで特注なんだろ?成績がトップだからとか?」

「んー、ママの噂では学校に貢献した人は特注ベストが配布されるんだって。ほら、池谷く

んとか向日葵くんの真逆の赤ベストじゃん?あれってサッカーの大会でゴール決めまくった

かららしいよ」

「へえ、そうなんだ」

 学校に貢献……向日葵くんなら凄く沢山のことに貢献してそう。

「特注とか羨ましいよねぇ、あたしなんて学は無いし、裁縫くらいしか特技無いからさぁ……

「それでも充分いいじゃん私なんて……」

 私なんて成績がいいだけで好きな男の子にも振り向いてもらえない。好きな子の好きな

色も知らなかったバカ女だし。

「あ、ねえ、あったよ水色の可愛い浴衣!」

 ネガティブになっているとミキちゃんが私に水色の浴衣を見せてくれた。

 それは清流に金魚が美しく舞う少し大人びていて、可愛さも兼ね備えたものだった。さり

げなく帯留めの玉が向日葵で出来ている夏らしい浴衣だ。

「向日葵くん喜んでくれるかな」

 着付けをしてもらう。浴衣を最後に着たのは家族で夏祭りに出掛けた以来だったかな。懐

かしく思いながら帯留めの玉を親指と人差し指の間で転がした。

「ふふ……向日葵くんみたい」

 それを見てミキちゃんは微笑んでいた。

「恋してんじゃん」

「かもね……」

 私の恋は叶うか分からない。でも今この気持ちを無駄にしたくない。忘れたくない。心臓

が締め付けられるようなこの気持ちも、叶わなかったらどうしようという不安も、捨てたくな

かった。

「ミキちゃん、この浴衣最高だよ」

「マジ!?じゃあ夏休みこれ自分で着れるように家で練習しなよ!!持ってっていいから

さ」

 そう言ってミキちゃんは手提げ袋に乱雑に浴衣を詰めた。あああ、シワになっちゃうじゃな

いかと思うのも束の間。私は手提げ袋を持たされて外に放り出された。

「じゃあ、また学校でね」

 時計を見ると門限に近かった。ミキちゃんなりに気を使ってくれたのだろう。

 私の家の門限は午後10時だ。門限の厳しい家庭からすれば緩い門限ではあるものの、

帰りが1分でも遅れるとお父さんの天誅が下る。

 私は急ぎ足で家に帰った。

「ただいま」

「あら、何?その手提げ袋」

「ええとね、ミキちゃんからなの」

「そう……お礼言わないとね」

「このことはお父さんには内緒にしといてお願い!!」

 その言葉に全てを察したお母さんは口に手を当てて、あらあらと頬を赤らめる。

「分かったわぁ……もうヤダこの子ったら大人になっちゃってぇ」

「変なこと言わないでよ!てかお父さんに聞こえちゃうから私部屋に戻るね!」

 大きな音を立ててドアを閉めた。私は内心ドキドキしながら手提げ袋を胸に抱きしめた。

 お父さんにバレたら大変。向日葵くん浴衣気に入るかな……。

 混乱する気持ちを抑えつつ勉強に励んだ。

 励み過ぎて徹夜になっちゃったけど。

「おはようーリス」

 いつの間にか猫のリスが膝に座っていた。というわけで足が痺れて立ち上がり辛い。

「あいたたた」

 立ち上がろうとしたとき、痺れた足が悲鳴を上げて私は床に転げ落ちた。

 顔をぶつけたものだから結構痛かったけど転げた先には昨日クッションの上に置いた手

提げ袋が目の前にあったので元気が出た。

 早く夏休みに入らないかな……ってその前に合唱コンクールの練習があるのだった。

 今日は合唱コンクールのリハーサル。早めに行かないと委員長に怒られてしまう。

 私はまた朝食を抜きにして早足で学校へと向かった。すると、体育館の方から女の子達

の黄色い声援が聞こえてきた。

「どうしたの?」

「見てみてー!燕尾服だよ!カッコイイ!!」

 体育館の女子の大群を押しのけて壇上を見上げると燕尾服を着た向日葵くんが居た。白

い手袋をして指揮棒を持っている。

 女の子達が悲鳴や歓声を上げるのも分かるくらいピシッと着こなしている。足が長いから

ズボンもだらしなくない。まるで執事みたいだと皆は言っていた。

「はいはい、見た目大好き女子ぃー早く並ばないと先生来るわよー」

 委員長の雛菊さんが来るとモーゼの川の如く女子の大群は引き、クラス全員一列に並ん

でいく。さすが委員長。

「はーい、じゃあソプラノから入ってー」

 ソプラノの私は階段を上がった。ソプラノは雛壇の一番上に並ぶからだ。

 リハーサルが始まる。私はというと向日葵くんの燕尾服に見惚れて上手く声を出せなかっ

た。

 すると、向日葵くんが何かを手に私の元へ来た。

「喉の調子悪そうだから」

 そう言って渡されたのは小さなのど飴だった。

「本当は学校にこういうもの持ってきちゃいけないから皆には内緒」

 指先を私の唇に当てた彼の手は飴と共に私の手を包んだ。

 ありがとうを言う前に向日葵くんは壇上に戻る。

 私はというと紳士的な振舞いに頬を赤らめてしまい更に声が出なくなった。

 皆は執事だと言うけれど、私からしたら王子様だ。赤面が表に出過ぎる前にのど飴を飲

み込んだ。ミントが効きすぎて辛いくらいの飴に目が覚める。

 その後はアルトとテノールが一頻り歌った後に明日の本番に向けての会議を開いた。

「アルトはもう少し大きめの声でお願い。テノールはもっと腹から声出して。ソプラノは音程

ズレてたから直しといて――以上、解散」

 委員長が手を叩くと各々散っていった。

 私は心臓の鼓動が鳴りやまないままグラウンドを見ていた。暑すぎるのか蜃気楼が浮か

んでいる。

「小井田さん、喉の調子はどう?」

「あ、向日葵くんさっきはありがとう」

「いいんだ。明日は最高の日にしたいから」

「そうだね」

 燕尾服の向日葵くんが隣に居ると意識しないようにグラウンドを眺め続ける。

「ねえ、小井田さん」

「どうしたの?」

「この服、どうかな?小井田さんに見せるのは初めてだよね?」

 私は素直な感想を言おうとしたいのに向日葵くんに目を向ける事すら出来なかった。

「やっぱり変かな……毎年着てるから丈が合わないのかな」

「そんなことないよ凄く似合ってるよ」

 たまたま吹いた風が向日葵くんの香りを鼻に運んでくる。待って、今は向日葵くんの情報

で頭がいっぱいなんだってば。

「小井田さん……」

 そう思ってると、向日葵くんの手が私の頬に当てられた。無理矢理に首を回される。見た

くなかった……というのは大嘘だけど、向日葵くんの燕尾服が見えた。

「ちゃんとワタシのこと見てよ」

 どことなく切ない声の向日葵くんに私の心は揺さぶられる。動悸が激しくて地震でも起こっ

てるんじゃないかと勘違いするくらいに。

「朝から様子がおかしいよ。ソプラノ得意な君が音程外すし声裏返ってたし……もしかして

またワタシのせい?」

「ち、違うよ」

「じゃあ、誰のせい?」

 顔が近い。近すぎる。誰のせいってそんなの決まってるけど口には出せないんだよ。分

かってくれとは言わないから誰かこの場から私を連れ去ってくれ!

 手袋の向こう側は超微電流で出来た手の塊に過ぎない。体温も無い物体が入っていると

いうのに、私は私の体温のせいなのか触れた手袋が温かいと感じてしまった。

「熱い……」

「え?あつい?あ……ごめんワタシかな?燕尾服って長袖長ズボンだし、その上で手袋っ

て暑苦しいよね!?蒸し暑かった!?」

 急いで手を離された私はそのまま体育館の固い床に頭を落とした。

 衝撃で私は気を失ってしまった。いっそのことこれが良かったと言うばかりに。

 目を覚ますと燕尾服の向日葵くんと保健室の先生が見えた。

 保健室の先生は私の意識の確認にライトを点滅させている。

「あー、大丈夫そうね。向日葵くんがお姫様抱っこであなたを担いできた時はビックリした

わ」

「おひ!?お姫様抱っこ!?」

「そうよぉ、それはそれは王子様とお姫様みたいだったわ」

「先生!変なこと言わないでください!ごめんね、小井田さん。ワタシも焦って保健室に行

かなきゃと思って」

「そうよ?本来、気絶した子を乱暴に運んじゃいけませんからね!」

「はい……」

 反省する向日葵くんはどことなく可愛かった。

「診察も終わったし、小井田さんは帰る支度をしなさい。私は帰るわ。もう放課後よ」

 そう言って先生は立ち去った。

 保健室のカーテンを開けてみると確かに日が暮れていた。というか、私こんな間抜けなこ

とで気絶して一日を過ごしちゃったのか。

 あれ?でも放課後のわりに向日葵くんは未だ燕尾服だ。

「もしかして私が起きるまでずっとそこに居たの?」

「え?あ、うん……ワタシが首なんて回しちゃうからああいうことになったわけだし……」

 けなげだなぁ。

「それに、君のことが心配だったんだ!何だか最近君から目が離せなくて」

 それを言うと向日葵くんはモジモジと指先を引っ付けては放し引っ付けては放しを繰り返

していた。

 照れてるのかな?いや、まさかな。お姫様抱っこだって私だけじゃなくて他の子にも躊躇

なくするだろうし、最近私から目が離せないのは私の体調の悪さのせいだし。

「え、燕尾服も小井田さんに……小井田さんだけに見てもらいたかった」

 え、なんかやだそんな……これじゃあ向日葵くんが私のこと好きみたいじゃない。

「でも、小井田さん顔を合わせてくれなかったから、ついムカっとして……この燕尾服ね。昨

日一晩手入れしてたんだ」

 その一晩私のことを考えてくれていたのだろうか?私に、私だけに見せたいがために。い

や、自惚れかもしれない。

「指揮者になってからクリーニングに出すくらいしか手入れしなかったんだ。後は学校側に

任せてたから……でも、昨日はどうしてか自分で手入れしたくて……変なんだ。一晩ずっと

君のことばかり考えていた」

 嘘だ。嘘だ嘘だ。向日葵くんが私のこと好きなわけない。だってあのお人好しの向日葵く

んだもの。それともこれは夢?夢落ちという奴!?それだったらもう一回寝よう。

 言い聞かせるように私は保健室のベッドに横になった。

「え……眠るの?放課後だよ?」

「これは悪い夢なの」

「夢じゃないよ、起きて?話が途中だし」

 現実逃避とでも言うべきか、私は嘘の大きな寝息を立てて向日葵くんに背を向けた。

「本当に眠ったの?それとも眠ったフリ??そんなにワタシの話聞きたくない?聞きたくな

いなら喋らないから!小井田さん起きてよぅ」

 一時私は向日葵くんに肩を揺らされるも、耐えた。只管に耐えた。正直求めていた展開

だったはずなのに心の準備が出来ていなかった。不甲斐ない。

 肩の揺すりが終わり静まり返った保健室。諦めたのかなと思い目を開けると、眩しい光が

頬を掠めていた。向日葵くんの手が私のお腹の横にある。

「起きないと……キスするよ?」

「い"っ!?」

 私は飛び起きて向日葵くんを見た。

「あはは、やっぱり寝たフリだった!池谷くんがね、寝たフリしてる女子にはこう言えって

言ってたんだ」

「なっ――最低!!」

 あのバカ谷!!何てことを向日葵くんに教えてるんだ!怒りと羞恥心で我を忘れた私の

拳は向日葵くんの頭を貫通した。

 貫通したことに安堵と苛立ちが同時に生じた拳の矛先は当然向日葵くんに行くも、超微

電流の向日葵の形をした頭には当たらない。

「ごめんごめん、女子からすると迷惑な冗談だったんだね」

「そういう問題じゃないわよ!!」

「ええ……ワタシはどうすれば」

「黙って殴られてて!」

 空振り三振。そんな時に後ろから保健室の先生のカルテが向日葵くんの肩に強く落とさ

れた。

「痛いですよ、先生。そこは神経通ってるんですから」

「イチャコラしてないで早く帰んなさいマセガキ共!」

 こうして私達は保健室から追い出された。私は無事に正気を取り戻して苛立ちも変な安

堵も無くなって平然を取り戻した。

「門限あるし、帰るね」

「小井田さん」

「何?また冗談かましたら今度は胴体に拳当てるわよ」

「あ、いや、冗談じゃなくて……燕尾服ちゃんと見てほしいって思って」

 いつの間にか向日葵くんは私の袖を掴んでいた。今度は燕尾服を上から下までしっかり

と見ることにした。椅子に座っていたにしては綺麗に真っ直ぐな尾はどうやって手入れした

んだろう。ずっと私のことを考えながら仕立てたのだと言っていた。

 あれも冗談だったらなんて思わせない程にシワのない上着。

「いいんじゃない?」

「そうかな?そうだよね!」

 赤面する私を他所に向日葵くんは子供の様にはしゃいでいる。

 燕尾服を仕立てている時、どんな気持ちだった?私は浴衣を選んでる時、向日葵くんの

ことで頭がいっぱいだった。それと同じだと私も嬉しい。

「明日はきっと最高の日だね!」

「うん」

 また会おうねと手を振って二人で同時に背を向けた。

 その日、私は珍しく深い眠りにつけた。

 夢は見なかった気がする。誰かが言っていたけれど、幸福な時ほど夢は見ないそうだ。

 私は眠る時、いつの間にかミキちゃんから借りた浴衣の入った袋を抱きしめて寝ていたら

しい。袋がシワだらけになっていたので咄嗟に中身を開封した。

 安堵。中の浴衣はシワにならずに済んでいた。

「気が早いんだよ、私」

 袋を隅に置いて心を静める。今日は向日葵くんがあんなに楽しみにしていた合唱コン

クール本番。私にとっても最後の合唱コンクールになる。自前ののど飴を口に含んで登校

した。

 向日葵くんは昨日より更にビシッと決まった燕尾服で壇上に既に上がっていた。

 皆も各々で準備を始めている。私は最後に楽譜に目を通し、ミキちゃんと歌のレッスン。

委員長の雛菊さんも張り切ってピアノに向かう。

 準備は整った。後は心に任せて歌うだけだ。

 調律の取れた綺麗なピアノの音に始まり、アルトの声とテノールの声が重なる。そしてフィ

ナーレを飾ったのはソプラノだ。私は精一杯歌った。声を張り上げ過ぎず、クラスの皆と波

長を合わせるように。

 こうして合唱コンクールは幕を閉じた。ミキちゃんも含め大勢の人が最後の合唱コンクー

ルだと泣いていた。私も切ない思いがあったけど、泣かなかった。

 高校時代の最後の歌声。後は各々に旅立っていく。そのお別れはきっと美しいもので

あってほしい。そう思ったから涙で視界を濁したくなかった。

 一頻り泣いたミキちゃんをあやした後、私は向日葵くんの元に向かった。

 でも、向日葵くんは居なかった。クラスメイトに聞くと燕尾服を返しに校長室に向かったら

しい。

 校長室に入るのは流石に躊躇したので校長室の外で待つことにした。中で向日葵くんと

校長先生の声が聞こえる。

「今年もご苦労様」

「いえ、ワタシの存在意義でもありますから」

「面白いことを言うね。君にはもっと価値があるだろう」

「生徒としてのですか」

「冗談が上手い。よろしいことだ。でもな、自分の価値を間違えてはいけないよ」

「間違い……ですか」

「君があの件で雷に打たれたあの日、君は死んだはずだった。死んだはずの人間が生きて

いる。おかしい話じゃないか。いや、電気頭の姿自体おかしいことだが、それを揉み消した

のは我ら大人だよ」

「重々承知しています」

「うむ、恩返しとしてこれからも我が校に貢献したまえ。特注のそのベストは伊達じゃないだ

ろう?」

「はい、失礼します」

 どういうこと?我が校に貢献?揉み消し??

 頭が混乱している間に向日葵くんは校長室から出てきてしまった。

「あれ?小井田さん?」

「あ、ええと、本日もお日柄も良く……」

 てんぱっていて上手く台詞が出せずにいた。いつもどんな口調で話していたかさっぱり

だ。

 そんな風に目を泳がせている内に私の口は次の言葉を出す前に向日葵くんの手で塞が

れた。

「今の聞いてたの?どこから聞いてたの?何を知ったの?」

「な、何も聞いてないよ」

「嘘だ、この距離は校長室での会話が聞こえる」

 私の口元を鷲掴む向日葵くんの手は昨日と違って非常に冷たい。

 怖い。いつもと違う雰囲気に圧倒される。あの時優しく私の手を掴んだ温かい手は何処に

行ったの?

「向日葵くん……怖いよ……」

「……さっき聞いたことは忘れて?忘れるべきだ。君のために」

 そう言うと手を放してくれたけれど、向日葵くんの顔は何処となく悲しさの中で怒っている

ように見えた。

「無理だよ……だって、もしかすると向日葵くんは校長先生に利用されて……」

 私が泣いていると校長室のドアが開いた。校長先生は血相変えてこちらを見下してきた。

「聞かれたのか?」

「いえ、校長先生。この子はワタシの燕尾服が気になると言って先程来たばかりの子です」

「そうかい、ははは、青春だね。でも恋愛ごっこは程々にしたまえよ」

 先程の鬼の顔は裏返り仏の顔になった。腹黒とは正にこの事だろう。

 私は校長先生に何も言えずに立ち尽くすのみだった。そんな力の無い私を恨んだ。

「合唱コンクールも終わったし、気晴らしに屋上に行かない?」

 向日葵くんはいつもの表情に戻っていた。私は言われるがままに向日葵くんと屋上に向

かった。どうやら屋上の鍵は特別に向日葵くんしか開けられないようになっていたらしい。

 休み時間にミキちゃんと屋上に行こうとしたことがあるけれど開いていなかったのはこの

せいだったらしい。

「さっきはごめんね。ワタシのさっきの話を聞いた限り、君はどう思ったの?」

「え……返答次第ではとかないよね?」

「さあ……」

 それって私の命が危ういのでは?と思ったけれど、多分あの話を聞いた人は生きてはど

の道帰れないのだ。そう思った私は淡々と気持ちを伝える。

「向日葵くんが存在できるのって校長先生や大人が関係してるのかなって思った。大人に

弱みを握られて操られてるんじゃないかなって」

「……実際そうなんだけどね。ワタシの身体を維持できたのは奇跡としか言いようがないん

だけど……前にね、多田くんの所に訪ねたことがあったんだ。多田くんは驚いてた。何で死

んだ奴が生きてるんだって……」

「多田くんはどうしたの?」

「極度の鬱状態で今入院中。ワタシは……多田くんと結局仲良くなれなかった。多田くんは

今も精神病院の隔離施設で暴れているそうなんだ。ワタシの頭が吹き飛ぶ夢を見ては魘さ

れているらしい」

 それを聞いて、夢に出てきた映像が脳内で再生される。私は少し吐気がしたけれど、向

日葵くんは気にせず話を進める。

「多田くんとワタシは仲良くなれなかった。それだけが気掛かりだったけど世間はワタシの

この容姿に興味を持ち始めたんだ。それを隠してくれたのがこの学校だった。ワタシのこと

を校長先生がこういうマスコットが居るんだって大々的に宣伝したんだと思う。ワタシはこの

学校の名物にはなったけど、誰も真相を知らない。そうして月日が経って、ここの地域の人

たちはワタシを珍しがらなくなった。後は恩返しとして学校側にお礼をしていくだけ。汚いこ

とはしてないよ。ただマスコットとして生きてるだけ」

「なにそれ……誰も救われてないじゃない」

「そうだね」

「辞めるべきだよ!そんな……まさか留年してる理由ってそれ!?」

「そうだよ」

「それじゃあ向日葵くんの未来はどうなるの!?このまま死ぬまで飼われた犬みたいに生

きてくの!?」

「じゃあ、君は他に道があると思っているの?」

「それは……」

 向日葵くんは屋上のフェンスに手を伸ばして深く吐息を漏らす。

「ワタシには恋愛も感情も未来も無いけど君には未来があるでしょ?それでも君に言いた

いことがあって……小井田さん……ワタシはね……」

 言わないでよ。私は涙を流した。向日葵くんの袖を必死で掴む。やめてよ。今は聞きたく

ない。

「ワタシは……君が好きだよ」

 彼の背中を強く叩いて私は涙を拭った。

「ばっかじゃないの。子供は大人に抗ってなんぼでしょ!!大人に抗って成長していくって

誰かが言ってたわ!!抗議よ!抗議しにいくわ!!」

「え?でも……小井田さんは何も覚えてないフリをしてれば幸せになれるんだよ?」

「私の幸せは私だけではムリよ!」

 私は向日葵くんの襟首を引っ張って校長室に向かった。向日葵くんは何度も私を説得し

て引き返そうとしているけど、私に聞く耳など無かった。

「校長先生、向日葵くんの件ですが」

「おや、燕尾服が欲しかったりするのかね?第一ボタンが欲しいとかかな?」

 校長室に殴りこみに行くかの如く入っていったけれど、相変わらずはぐらかすのがお上手

で何よりだわ。

「向日葵くんの頭の件ですが、どう見てもおかしいですよね」

「え?小井田さん突っ込むところそこ?」

「あー、バレちゃったかな?そうなんだよ、よく作られてるだろう?向日葵くんは胴体と足は

機械で頭と手はホログラムなんだよねぇ」

「ホログラムなのに何で手が掴めるようになっているんですか」

「んー、何だろうねぇ?校長先生は専門家じゃないから分からないなぁ」

「じゃあ、どうして機械の胴体から血が出るんです?」

「よく出来てるよねぇ」

「イタタタタ……小井田さんちょっとそれは痛すぎ……」

 伸びた爪で向日葵くんを引っ掻く。ごめん向日葵くん。

「私は向日葵くんと多田くんのことを知っています。それに校長先生が向日葵くんのことを

広告塔として利用してることも知ってます」

「何のことかなぁ?向日葵くんこの子妄想症?」

「あ、ええと……」

「それとも本当のこと話しちゃったとか??」

 校長先生が持っていた鉄の指揮棒が向日葵くんに向けられる。

「な、何も話してません!!」

「何言ってるの!?自由になるための一歩なんだよ!?」

「本当に何も話してない?」

 怯える表情の向日葵くん。向日葵くんの胸ぐらを掴む私。指揮棒を手で叩く校長先生。

「その様子だと話したみたいだね。うん。やっぱり転校生は呼ぶべきじゃなかったかな?」

 そう言って私の学生証を抜き取り、燃やす校長。

「君はこれにて退学処分とする。なーに、今までのことは夢だと思えばいい」

「ふざけんな!私を退学処分するんだったら向日葵くんを解放しなさいよ!!!」

「向日葵くんは我が校に不可欠なのだよ。大事な広告塔なのだから君がどうこうできる相手

ではないんだよ」

「じゃあこっから連れ出すわ!!」

「え?」

「は?」

 私は渾身の足蹴りを校長に食らわせた後、向日葵くんの腕を掴んで学校を出た。

 真面目に生きてきた中で一番の不良行為だ。でももう退学なんだし私の人生お先真っ暗

かもしれないけど、この時だけは、この時だけは向日葵くんの幸せのためだけに動きたい。

 でも、どこに行こう?お互いの保護者の場所は校長にバレてるから……このまま野宿?

「小井田さ……小井田さん!走るの止めよ……ワタシでも……流石にキツイ」

「わっ……こんな所まで来ちゃった」

 そこは見知らぬ廃墟が並ぶ山の中。周りが暗くて何も見えないと思いきや向日葵くんの

頭の灯りで薄っすらと周りが見えている。

「サバイバルに持って来いなのかなワタシって」

「冗談言ってないで薪拾いするわよ」

「ははは、小井田さんたくましいね」

「いいから薪拾って!こちとら身体冷えると死んじゃうんだから!」

 ぶつくさと向日葵くんの頭の光を頼りに薪を拾う。向日葵くんはというと私の足元に光を当

てつつ薪拾いをしている。相変わらず他人のことを思いやる優しい性格をしている。

 こんな優しい彼を校長はどのくらい閉じ込めていたんだろう。思い返すとゾッとする。人の

不幸を利用して得をする人間は居るのだと言う教訓にもなるけれど。

「火はワタシの電流を集中させてつけるとして……」

「え!?そんなことできるの!?」

「そうだよ、ワタシの体内には電流が常に流れてるんだけど自分で微調整できるんだ。小さ

な雷を起こして火をつけることもできる。ただ、原動力が体内の砂鉄なんだ。これをするとど

うしても身体が怠くなる」

「そうなんだ……なんか便利だね」

 そう言って物珍しそうに点いた焚火を見ていると向日葵くんの指先が私の額に当てられ

た。

「実はね、脳に刺激を与えて記憶喪失を起こすこともできるんだ」

「私の記憶も消すの?」

「……場合によってはそうしようと思った。でも、出来なかった。ワタシが君を好きになった

から」

「他の人達の記憶は消したの?」

「消したよ。特に同世代のクラスの子達は……そうしないと政府に殺される所だったから」

「政府!?」

「そう、政府も絡んでる。何故ならワタシは珍しい生き物だから。医療にも使えそうだと言っ

ていたし、記憶を消す能力だなんて凄い好みそうだろう?」

 向日葵くんのことが突然怖くなってきた。数々の人々の記憶を消してきたのだ。

 私の記憶も口では消さないと言っているけれど向日葵くんのことだ。優しいからこそ私の

知らない間に消し去りそうで、知らない間に向日葵くんのことを忘れそうで。その夜は眠れ

なかった。向日葵くんは眠ったかどうかも確認できないのでこの戦いは一生続きそう。

 そうして3日が過ぎた日、向日葵くんは私に寄りかかってきた。

「向日葵くん、寝たの?」

 向日葵くんはぐったりとしている。

「向日葵くん?」

「小井田さん……砂鉄を集めてきてくれない?」

「あ、そういうことか」

 この3日間で得た知識がある。向日葵くんの原動力は太陽と一部の宝石と砂鉄などであ

ること。

 それ以外は食べたり飲んだりしなくても生きられるということ。

 太陽を浴びず砂鉄も底を尽きたら恐らく死んでしまうということ。

 向日葵くんの体内の80%が砂鉄であるということ。

 そのことを教えてくれたから、私は急いで向日葵くんの持っていた磁石を取り出して砂鉄

集めをする。地味な作業なのに腰を痛めるので本当は向日葵くんにやってほしいけれど彼

は焚火を消さずに寝ずの番をしてくれていた。

 本来ならイノシシやクマが出てきて攻撃されてもおかしくないのに。

「はい、この分で大丈夫そう?」

「うん、ありがとう」

 砂鉄と太陽さえあれば生きていける人間。政府も黙っていないわけだ。

 でも、向日葵くんを隔離している様子を見ると未だ同じような人間は作れてないみたい。

「小井田さんはお腹空いてないの?」

「うーん、カロリーメイトも底を尽きたし、そろそろお腹空いてきたかな?」

「あ、それじゃあ面白いもの見せてあげる」

 そう言って連れてこられたのは川だった。月灯りが程良く川を照らして水中に魚が居るこ

とを知らせてくれる。

「ああ!ここで魚釣りね!」

「違うよ、小井田さんは水に近付かないでね」

 そう言うので私は川から出来るだけ遠ざかった。

 すると向日葵くんは川に指を付けて、指先を光らせた。

 すると川の中に居た魚がプカプカと浮いてきた。

「えっ!?」

「不思議でしょ!電気ショック漁って言うんだって」

「でも何か可哀想……」

「大丈夫だよ。この子達は今ワタシの放った電気で気絶状態になってるだけだから……食

べる分だけ取ったら後は放置で大丈夫。それに食べるのは外来種のみだし」

 こんなこと何処で覚えたんだろう……ネットかな?そういえば外国でそういう漁があると聞

いたことがある。

 電気ショックを受けた魚は一時的に気絶状態に陥って時間が経つと元通りに動き出すと

いう。魚にとっては拷問じみた漁だ。

 でも、食べるため、どちらかが生き残るため……いただきます。

「向日葵くんも案外たくましいよね」

「そうかな?」

 焼いた魚を頬張っていると向日葵くんも魚に手を出していた。私だけが食べていても仕方

ないから良いのだけれど、向日葵くんの身体事情を知った後で食べ物を摂取しなくても良

いのに、どうして食べたりするんだろう?

「あ、食べちゃダメだった?」

「ううん、不思議に思ってただけ」

「ワタシが食事を必要としないのに食べる理由が気になった?」

「うん、お腹空いたりするのかな?って」

「なんだろう……ワタシの中にも習慣があって、食べることは人間の欠かせない習慣だから

食べる……のかな?食べると元気が出るから……とかかなぁ」

 自分でも不思議そうにしている向日葵くん。

 向日葵くんは人間だという証。私はそう思う。

「あ、そういえば今日って何日?いや、何日目かな」

「3日目だけどどうしたの?」

「ああ、ミキちゃんとお祭り行く約束してたから……」

 あ、そういえば合唱コンクールが終わって夏休みにもう入っているんだ。

「ミキちゃんとデートだったんだ」

 私は事情を知っているのに意地悪を言う。本当はミキちゃんはその後私にバトンタッチし

てくれる約束だったけど、否定してくれるのを待ってるんだ私。

「違うよ!遠藤(えんどう)ミキさんのこと好きだけど本当は君と行きたかったのに遠藤さん

が絶対来いってうるさくて……」

「え?うん?ミキちゃんのこと好きなの?私を誘いたいのに??」

「うん、ワタシは池谷くんのことも好きだし、雛菊さんのことも好きだし、遠藤さんのことも好

きだよ?」

 私は自分の勘違いに気付いて唖然とする。もしかすると彼は博愛主義者なのかもしれな

い。誰でも好きだし誰も嫌いにならないんだ。

「呆れた……わたしが馬鹿じゃん」

「どうして?君は賢いと思うよ??」

「向日葵くんの好きってlikeのことだったんだって話」

「なにそれ?likeとloveの違いみたいな話?英語の授業?」

「あー……もうやだぁ」

 呆れてものが言えない。虫刺されも酷くなってきたし眠ろう……って眠れないんだった。

 記憶を消される可能性があるから。前に私のことを好きだと言っていたけど嘘かもしれな

いし。

「向日葵くんはさ、どうして私とお祭り行きたかったの?」

「どうしてだろう?遠藤さんより君と行った方が楽しそうに思えたからかな?」

 私は少しの優越感を得たのか満足して眠りそうになった。ダメだ。睡眠不足すぎて目が開

けられない。

「向日葵くん、私も向日葵くんと同じ考えだよ。きっと向日葵くんとの夏祭りは楽しい」

「そっか。初日に行けなくて残念だね」

「未だ行けないって決まった訳じゃないじゃん」

「あれ、見て」

 山の向こう側で花火が上がっていた。そうか、今日が夏祭りか。

 静かな山の中にお囃子が聴こえる。

「学生服で夏祭りを過ごすのか―」

「どうして?夏のキャンプも結構楽しいよ」

 本当に分かってないな向日葵くんは。乙女心とか知らないんだろうな。

「浴衣準備してたんだ」

「そうなの!?それは見たかった」

 段々と眠くなってきた。そうして向日葵くんの膝の上で私は寝息を立てる。薄ら意識の中

で向日葵くんが私の額に手を当てている所が見えた。

「嫌だよ……記憶消さないで……」

 私は涙が止まらなかった。

「夏祭り行けなくていいから……ずっとキャンプで良いから……だから消さないで」

「ええと、何か君は勘違いをしているね」

「え?」

「君の記憶は消さないよ。消せないんだ。言ったでしょ、恋をしている相手の記憶は消せな

いんだ」

 それってつまり向日葵くんは私に本当に恋をしているということ?いやでも彼のことだ。博

愛の度合いが私だけ強いとかそんなこと言うんでしょ。

「さっき英語の授業とか言ってごめん。本当は君とずっと居たいし、君に恋愛感情を抱いて

いるよ」

「はあ?でも博愛主義なんでしょ!?皆のこと好きって……」

「博愛主義者が恋愛をしない定義は無いよ。ワタシは皆を平等に好きなだけ。でも、君だけ

は特別なんだ。全てにおいて君を優先したい」

 打ち上げ花火が私の心と共に跳ね上がった。向日葵くんの膝から上へ顔を向けて彼を見

ていると向日葵くんも花火みたい。チカチカしてて綺麗。

「君はどうなの?ワタシのこと好き?」

「急に言われても困る」

「……君から好きって言葉を聞きたかっただけ……君がワタシのこと好きかも分からないの

に変だね」

 ここで私が好きと答えれば両想いだけど、この状態で告白をしたくなかった。

 サバイバル生活状態で、吊り橋効果で、好きになっているかもしれない。このときめきも

今だけかもしれない。

 雰囲気も重視したかった……なんて言ったらミキちゃんに怒られそう。

「このまま逃げられたら好きになるかもね」

「本当!?でも政府から逃げるなんて……国外に逃げるとか?何だかワクワクするね」

 何というか、向日葵くんって単純だったんだと気付く。純粋で単純で楽しいことに顔を向け

ることを無意識にしている。

 私は考え過ぎたのかもしれない。

「君が言っていた未来がちょっと見えてきたよ」

「よかった。それじゃあもう寝るね」

「うん、おやすみ」

 こうして向日葵くんの膝で私は久しぶりに深く眠った。3日ぶりの睡眠は次の日の夕方ま

で身体を休ませてくれた。

 向日葵くんはというと、凄い黒い顔をしていた。

「わあ!?どうしたの!?不安要素でもあった!?」

「違……あの……足が痺れてて……」

「気付かなかった!重かったよね!?」

 私の体重で下敷きになった向日葵くんの足。そういえば砂鉄80%以外の20%は肉なの

かしら。皮かな?まあでも下は岩だし無理もないか。

「いや、その……君の寝顔が見れたから良いかなって思ってるよ」

 口説こうとしているのかなと思った。向日葵くんは少し顔を背けて存在しない鼻をかく素振

りをしている。照れているようだった。

「起きてる時はどうなの?寝てた方がいい?」

「それは……どちらも良いと言うか……うう……あまりワタシをいじめないでよぅ!」

 限界を感じているようだったので責めるのは止めにした。

「睡眠も取れたみたいだし今日は少し移動する?」

「そうね。3日も4日も滞在していれば近所の人が通報しそうだし」

「じゃあ歩こうか」

 そうやって一歩を踏み出そうとした瞬間、山の茂みの向こうから足音が聞こえる。

 私と向日葵くんは茂みの奥の存在に怯えながら静かに茂みの主が姿を現すのを待った。

 茂みの音は徐々に近づき、目と鼻の先まで来た。

「小井田さん!」

「え!?ミキちゃん!?」

 茂みの奥から出てきたのは目を腫らした浴衣姿のミキちゃんだった。

「遠藤さん?どうしてここに」

「うっ……聞いてよ向日葵くん」

「聞くよ。そんなに目を腫らしてどうしたの?」

 ミキちゃんは鼻を啜って腫れた目をボロボロの爪先でこすっている。

 私はミキちゃんに持っていたハンカチを渡した。未だ綺麗なハンカチだ。

「池谷くんに夏祭りで告白しようとしたら委員長が告白してた所見ちゃったのー!しかも池

谷くんOKしてたし!あたしの出番すら無かったよぉ!」

「ミキちゃん雛菊さんと池谷くんの関係知らなかったの?」

「知ってたよ!知ってたけど未だ告白してないって知ってたからワンチャンあるかなって

思ったの!わーん向日葵くん頭撫でてよぉー」

 向日葵くんはミキちゃんを哀れんで頭を撫でてあげていた。しっかり向日葵くんの腰を掴

んで放そうとしないミキちゃん。少しジェラシーを感じるけど、失恋したんだもの、このくらい

許してあげないと。

「うう……ごめんね向日葵くん」

「いいんだよ。失恋辛かったね」

「違うよ、裏切ってごめん」

「えっ……?」

 それは瞬きもできない程の出来事だった。向日葵くんは突如現れた自衛隊のヘリコプ

ターによって連れ去られる。

 ミキちゃんに説明を仰ぐ前にミキちゃんは自衛隊と共にヘリコプターに乗り込む。

「ミキちゃん……嘘だよね」

「嘘じゃないよ。夢でもない。あたしは校長先生に頼まれて小井田さんの監視をしてたの」

 ショックだ。でもそれよりショックなのは、また向日葵くんと離れ離れになることだ。

 ここで離れ離れになったら一生会えないような気がする。

「小井田さん!後ろ!!」

 向日葵くんの声でハッと後ろを振り返るころには私はスタンガンで眠らされた。

 目を覚ますと手足が縛られていて身動きが取れない状態だった。

 目の前にはあの憎たらしい校長が居た。隣には向日葵くんが立っていた。

「校長先生も一人の生徒に構うほど暇じゃないんだよ?でも今日は特別な日だ。君のため

の教室を開こう」

 校長は指揮棒を片手にふてぶてしくこちらを眺めている。そして、向日葵くんに指揮棒を

刺す。向日葵くんは驚いて身体を跳ね上げた。

 もしかすると一種の催眠に向日葵くんはかかっているのかもしれない。指揮棒で指示が

出せるほどの深い催眠に。

「どうせ記憶は消すのだし、君から質問はあるかね」

「向日葵くんを解放する気は無いわけ?」

「無いよ、手放す時は不要になった時くらいだろう」

「向日葵くんは人間なのよ」

 それを聞いて校長はきょとんとした目で私を見た。次に大きい口で汚く笑った。

「ぶぁっはっはっ!!この頭で人間?いやむしろ頭が無いじゃないか!君の見ている頭と

いう概念はただの電気の塊だよ」

「それでも……感情があり理性を保ててるわ。あんたよりはね!!!」

「どうだかなぁ、我々には何でも言うことを聞くロボットにしか見えんが?」

 最低。それに従って何も言わない向日葵くんにも腹が立ってきた。

「向日葵くんはこんなんで良いの!?このままじゃ幸せな未来を掴めないよ!?」

 向日葵くんは黙っている。校長は細い目で私を見た。

「ふんふん、ところで君達はどういう関係にあるのかね?」

「私達は……」

「ワタシ達は友達です。校長先生、もうよろしいでしょうか」

「んん?ああ、もう少し話をしたかったが会議に行かねばならない時間か。手短に済ませた

まえ」

「はい」

 ぶくぶくと太ったお尻を上げる校長。隣の部屋で身支度をするようだ。

 私は向日葵くんを睨みつけた。

「私のこと好きじゃなかったの?」

「好きだよ……記憶を消せないくらいに好きだ」

「じゃあこの紐ほどいてよ」

「この薬を投与したらほどいてあげる」

 向日葵くんの左手には注射器があった。注射器にはデスクロロクロザンと書いてある。有

名な記憶削除薬だ。

「私の記憶、消しちゃうの?」

 また涙が込み上げてきた。今までの思い出が無かったことにされるなんて耐えられない。

忘れてしまえば向日葵くんはまた奈落の底で踞ることになる。

 それに、この恋心が消えてしまうのが一番に嫌だった。

「ワタシのことは忘れてしまって?小井田さんには素敵な恋人が出来るだろうから」

「そんなの出来ないよ!向日葵くんのこと好きなの!!」

 身体を捩らせて必死で抵抗する。

「こんな所で両想いになりたくなかったね」

 本当にそうだ。私は零れる涙を見つめた。

「向日葵くん……さよならは嫌だよ」

「ワタシも嫌だ……だけどこれは君のためなんだ」

 音を立てた注射器。私は床に倒れこんだ。

 目の前が真っ白になる。頭を刺されたのか頭が痛い。

 頭痛と共に多くの走馬灯のようなものが見える。

 これは向日葵くんとの思い出だ。今、思い出しているのか忘れていっているのかも分から

ない。

 でも決して忘れてはいけない思い出。

「ひまわり……くん……」

 微かに視力が機能している。校長と向日葵くんの会話が聞こえてきた。

「よくやったな」

「これで小井田さんを助けてくれるんですよね」

「ああ、当初は処分しようと思っていたがな?君の意向を尊重してのことだ」

「ありがとうございます」

 人のこと処分って考えが残酷すぎるのよ。私は床に落ちていた注射器を睨むと共に意識

を失った。

 ある夏の日、蝉がうるさいくらいに鳴いていた。

 あの日、私は知らなかったんだ。私にとっての普通は普通じゃなかったってこと。

 目を覚ますと自宅にいた。いつの間に眠っていたんだろう。学校に行かなければ。あれ?

もう夏休み?カレンダーを見ると夏祭りが開催されていると記載されていた。

「夏祭りかぁ、お母さんの浴衣借りようかな」

 布団から起き上がると、足に何か引っかかる。床に手提げ袋が置いてあった。

「なんだろうこれ」

 中には水色の浴衣が入っていた。帯留めは向日葵の形をしていた。

「へえ、綺麗。お母さんがあしらってくれたのかな」

 浴衣を取り出してスマホで浴衣の着付け動画を見ながら着ていく。見よう見まねだから多

少不格好になった。

 爪には水色の青空模様を描いたマニキュアを施した。

 私はウキウキ気分で夏祭りに出掛ける。

「いってきまーす」

「あらぁ、綺麗ね。もしかしてデート?」

「はあ?友達が居たらいいなって思ってるだけだよ」

 私はお母さんに行ってきますの挨拶をした後に家を出た。

 高校生活最後の夏祭りだ。楽しまなくては損だ。

 お囃子が聞こえてきた。もうすぐで会場につく。沢山の屋台が建ち並ぶ中、私は誰かを探

していた。誰とも予定を立てた覚えはないのに誰を探しているというのだろうか。

 それでも胸がざわついて、誰かを探せと心が訴えていた。

 足が自然と小走りになった。私は神社の階段を登って鳥居を潜った。

 鳥居の先には一人ぽつんと電気頭の男の子が浴衣を着て立っていた。

「あなた、誰なの?」

 今までずっと動いていた足が止まった。まるでこの子に会わせるために走っていたよう

だ。

「ワタシは……」

 キラキラと光る向日葵頭を持った男の子が目の前に居るのに不思議と変に思わない。そ

れより親しみを感じていた。

「あなた、前に会ったことある気がする」

「き、気のせいだよ。誰かと見間違いしてるんじゃないかな」

 こんな特徴的な姿の人を見間違えたりするだろうか。凄い。横から見ると向日葵のように

花弁が広がってるようにも見える。

 私はピンと来ないだろうかと、その男の子のことを360度見て回った。空に花火の音が聞

こえてくるまで見回したけれど何も思い出せなかった。

「せっかくだし、花火一緒に見よっか」

 そう言って私は見晴らしの良さそうな場所を探して座った。男の子も私の隣に座って花火

に夢中になった。赤青黄色、色々な形、色々な表現。花火は本当に芸術だ。

 私が花火に見惚れている間に男の子は私と手を重ねていた。雰囲気に呑まれたのだろう

か。

 しかし、この感触には覚えがあった。男の子の手には体温がなかった。指先が冷たいと

かいう類いじゃない。手の感触も人間とは違う。まるで霧に包まれてるような不思議な感

覚。

「ひ……まわり……くん?」

 ひまわり?向日葵って何だろう。花の名前なのは分かるけれどそうじゃない。私はどうし

て花の名前にくん付けをしたんだろう?

 不思議に思っていると男の子は先程より少し強めに私の手を握った。

 空には大輪の花火が打ち上がっているというのに男の子の視線はこちらを向いている。

気がする。

「ひまわり……向日葵くん……?」

 名前を呼ぶ度に頭の隅にあった記憶の引き出しが開かれていく。花火が一つ、また一つ

と打ち上がる。音と共に忘れていた記憶が蘇る。

「向日葵くん……思い出した……私の好きな人だ」

「おかえり小井田さん」

 向日葵くんはずっと待っていたと言わんばかりに私を抱き締めた。向日葵くんの石鹸の香

りがする。

「小井田さん……小井田さん……ワタシのエゴなんだこれは全部。あの時、薬の量を減ら

したんだ。そうすればまたワタシのこと思い出してくれるのかなって……でもこんなことして

も小井田さんにまた迷惑がかかるだけなのに」

 向日葵くんの大きな腕が、指先が、私の背中に食い込む。

「会いたかったんだ。いつもの君に」

 強く抱き締められて私はドキドキしていた。

 もう離したくないと言う声が聞こえてきそうなくらい強く優しく抱き締められていた。

「私も向日葵くんを思い出せて嬉しいよ」

 そっと抱き締め返す。花火の音と心臓の音が交差する。向日葵くんの心音は聞こえな

い。

 心臓が止まっていたりするのかな。胸に耳がつくくらいの距離なのに聞こえない。

 向日葵くんには聞いてみたいことが沢山ある。けど今は静かにこの時を満喫しよう。

「これからどうしようか」

「今その話をするの?」

 私は少し残念に思いながら向日葵くんの胸から離れる。

「大事な話だよ」

「そうね。このまま記憶を失っているふりをすればやっていけそうな気もするけど」

「君とワタシが居る時点で怪しまれるよ」

 さっきまで浮ついていた心が嘘のように消えてしまった。

 現実的に考えれば私達は未だ囚われの身なのだ。向日葵くんは校長に頭を押さえつけ

られたままだし。

 校長をどうにかしても今度は政府が追いかけてくる。そうするとまた記憶を消されて日常

に戻される。

 そのまま時だけが過ぎていけば私は向日葵くんとは二度と会えなくなるだろう。

 阻止しないと。

「そういえば向日葵くんは校長の記憶を消そうと思ったりしないの?」

 それを聞いた向日葵くんは両手を上げて驚いた姿をしていた。まさか、思い付きもしな

かったのか。確かにお人好しの向日葵くんのことだ。そんな酷な事思いつくわけがない。

 私は大きな溜息をつくと作戦会議をしだす。

 まず、私が思いつく限り、校長と政府は向日葵くんを殺そうとはしない。というか、向日葵

くんが死ねるのかも分からないけど。

 そして全信頼を彼にゆだねている。それを利用して、まずは校長に近づき記憶を消す。

「政府の人たちのことはどうしようか」

「一番権力のある人の記憶を消せばいいんじゃないかな」

 そう言うとまた驚いた姿をしている。どこまで邪心が無いのか。

「小井田さんは凄いね。この作戦なんだかワクワクしてきた」

 向日葵くんが馬鹿なだけだよ。と言いたかった。

 一頻り作戦を説明した辺りで、外では雨が降ってきていた。

 お祭りの屋台も閉まってしまった。

 夏祭りが終わろうとしている。

「花火も終わったし帰ろうか」

 少し寂しいけど、この作戦が成功すれば、きっと来年もここに来れるはずだ。

 そう思って立ち上がろうとすると浴衣の袖がピンと張った。

「向日葵くん?」

「雨だし浴衣濡れちゃうんじゃないかな」

「え?大丈夫だよ。傘持ってきてるし」

「で、でも裾が濡れたりすると勿体ないよ」

「クリーニングに出すから平気だよ」

 袖を払おうとすると向日葵くんは寂しげに俯いた。

「小井田さん……」

 か細い声が雨の中で響いた。沈黙が続いたけれど、モジモジしている向日葵くんを見て

私はハッとした。

「一緒に居たいならそう言えばいいじゃない」

「そんなの恥ずかしくて言えないよ」

「言わないと伝わらないわ」

 腕を組んで神社の縁側に大きな音を立てて座った。

「門限破ることになっちゃうね」

 時刻は10時を過ぎていた。家に帰ったらお父さんにしつこく言及されるだろう。けどもう私

は校長に立てついた不良少女だ。

 もうどうにでもなればいい。そう思って縁側に横たわる。

「あーあ、全部責任取ってよね」

「うん」

「向日葵くんのせいで不良少女になりましたーって言うからね」

「うん」

「高校行けませんでしたーって」

「うん」

「うんうんばっかじゃん」

 そう言うと二人で笑った。雨は強くなってくる。

 スマホの落雷警報が鳴り響いた。外では雷の音がする。近くに雷が落ちた。驚いてスマ

ホの通知音を消していると向日葵くんの異変に気が付いた。

「え?」

 そこには向日葵くんの顔があった。人間の顔だ。

「え?急にどうしたの」

「ん?ああ、お盆だから」

 どういうことか説明をしてほしいと頼む前に向日葵くんは私の身体を引き寄せてきた。

「お盆の雷雨の日だけ顔が物質化するんだ」

 私は向日葵くんの顔をまじまじと見た。白く透き通った陶器のような肌、ルージュを塗った

ようなピンクサファイア色の唇、瞳は紺色で深海を思い浮かばせるよう。髪の毛は黒色で

サラッとしている。

「こんな顔してたんだ……綺麗だね」

「うん……」

 向日葵くんの瞳は私をじっと見つめている。私はというとお互いの顔の近さに目を合わせ

られなかった。

 顔がとても綺麗だから?身体の距離が近いから?心が騒がしいから?きっとどれもだ。

「ひ、向日葵くん……顔近いよ」

 気付けば向日葵くんの鼻が私の鼻にくっついていた。

 向日葵くんは一つ息を吸うと瞬きをした。長い睫毛が肌に触れる。

「キスしたい」

 私はビックリして顔を逸らした。

「好きだよ小井田さん」

 逸らしたからか向日葵くんが切ない声で寂しそうな表情をした。その顔を見て胸が締め付

けられる。すると彼の吐息が首筋に当たった。驚いて身体が跳ねる。

 どうしよう……頭の中で向日葵くんの言葉が何度も響く。頬が火照る。

「いいよ、キスしても」

 私は覚悟を決めて顔を戻して目を瞑った。腰に回っていた向日葵くんの手に力が入って、

動いた浴衣の音が耳に響く。

 もう一度鼻がくっついて唇が重なる。雷雨の中で私の初めてのキスは始まった。

 目を瞑っているからか嗅覚が過敏に反応する。向日葵くんの匂いがする。石鹸の香りと

は違う匂い。レモンに近い、すごく好きな匂い。

 数秒後、一度目のキスが終わった。私達は目を開いて見つめ合う。そうして何の同意もな

く、私は向日葵くんにキスをした。

 がっついていると思われるかな?でも、もっとしたい。キスをしたい。

「んっ……小井田さん」

 息が続かずに離れた唇。向日葵くんが私を見ている。赤い顔をしていた。

 向日葵くんも私と同じ気持ちなのかな。ドキドキしていたりするのかな。

 それを証明するように向日葵くんは私にキスをする。

「好きだよ」

「知ってる……」

「何度も言いたいんだ」

 向日葵くんから熱さを感じる。物質化するって言ってたから今の向日葵くんは普通の男子

高校生なのかも?向日葵くんもドキドキしてたんだろうな。

「小井田……藍(あい)さん」

「ちょ……名前で呼ぶなー!」

 私が恥ずかしく頬を赤らめていると向日葵くんは熱いキスをしてきた。黙らせられたみた

いで悔しかったから私も仕返す。

 そうやってキスのしあいっこをして夜は更けていく。

 真夜中、雷雨は止んだ。満天の星空が見える。私達は縁側で手を繋いでいた。

「あの作戦が成功したら一緒にデートしよう。今度は待ち合わせて」

 向日葵くんの顔はいつの間にかいつもの向日葵色のオーロラみたいな顔に戻っていた。

雷雨が止んだからだろう。

 でもこの顔も眩しくて好き。

「いいよ、何処に行こうか」

「……花馬車公園で待ってて」

 花馬車公園……聞いたことないなと思いながらも内心ワクワクしていた。

「今日は遅いからもう帰ろう」

 そうして向日葵くんの手は離された。夜の闇に消えていく背中。私はずっと見送った。

 向日葵くんの灯りが消えるまで、ずっと、ずっと――

 翌朝、私は夏休みが残りわずかなことに気付いた。でも今日は作戦決行日。張り切って

いかないと。

「どこに行くんだ、香水なんか付けて」

 お父さんが止めに入る。私はバレてしまったと焦った。香水は向日葵くんの香りに似たも

のを朝にこっそりお母さんに借りていた。

「口紅なんかめかしこんで……」

「リップだよ……お父さんには関係ないでしょ!」

「はあ……これを持っていきなさい」

 お父さんから渡されたのは意外にもブレスレットだった。

「御守りだ。なーに、最近のお前はそそっかしいからな」

「お父さん……」

「いってらっしゃい、気を付けてな」

 私の胸は熱くなった。事情は知らなくても、お父さんはお父さんだ。私のことをしっかり見

てくれていたのかもしれない。ありがとうを告げて走った。

 行き先はあの神社だ。

「お待たせ」

「いいよ、行こうか」

 その日は学生服を着た。勝負服でもあり、戦闘服だ。退学になっても私は高校生だ。いい

や、退学なんて校長脅してでも取り消してやる。あんな薄汚い野郎に私の人生狂わされて

たまるか。

「やっぱり休みでも、この格好がしっくり来るね」

「呑気なこと言わないでよ!今から殴り込みよ!」

「そうだね!……って殴るの?」

「はあ?あの憎き校長、グーパンの一つでも浴びせないと気が済まないわよ!」

 私はボクシングをするフリをしながら歩いた。向日葵くんは優しいからグーの一つも出せ

ないんだろうな。代わりに私が成敗してあげる。

 そうやって話している内に校長の住む屋敷に着いた。立派な校長像が玄関に飾られてあ

る。壊したいくらいだが、私は門の柵をよじ登った。

「流石に危ないよ!そ、それにその……」

「何よ!その身長で登れないとか言わないでしょうね!?」

「そうじゃないよ……その……スカートの中が……」

 私はそのことに気付いてスカートを抑えて着地した。恥ずかしさのあまり拳を握る。

「よいしょ……流石に女の子が登るもんじゃないよ」

 向日葵くんが着地した瞬間に拳は右ストレートでみぞおちにヒット。

「イタタタ……何でそんなことするの」

「ヘンタイ!バカ!ドスケベ!!」

 私は思いつく限りの罵声を浴びせて先に進む。最悪だ……今日のパンツはイチゴ柄の可

愛くない奴だった。

「兎に角進むわよ!今のは忘れて!」

「うー……忘れたくない」

「またグーパンされたいの!?」

「……ごめんなさい」

 向日葵くんを引っ張って私は先頭を走った。校長の姿は一階の居間にあった。さあ、殴り

込みだ。

 ドアを開けて長い廊下を進むと家政婦さんの姿があった。向日葵くんは咄嗟に家政婦さ

んを抑えて頭に電流を注いだ。記憶を消して気絶させたらしい。

「この家の人にこれ以上見つからないためにも先を急ごう」

 向日葵くんは校長の屋敷の地図を把握していた。何度も呼び出しをくらって覚えてしまっ

たらしい。

 そうして進んでいくと校長が居間で寛いでる姿がハッキリと見えてきた。椅子から立ち上

がった校長。私は最初に校長のブヨブヨした腹に一発食らわせる。

「退学届けを取り消しな!」

「ななな、何で君が向日葵くんと居るんだね!?」

「うるさい!黙れ!」

「向日葵くん!この子を止めたまえ!」

 私が校長の腹や顔をボコボコにしていると向日葵くんが私の腕を掴んだ。

「そ、そうだ……ゼエゼエ……向日葵くん、この子を処分しなさい」

 向日葵くんは私を押し退けて校長の胸ぐらを掴んだ。額に指先を当てている。

「処分するのは校長先生の記憶です」

「な!?何ぃ!?居場所を与えたのは誰だと思っている!?両親も居ない友も居ない天涯

孤独なお前を支援してやったのだぞ!?ええい!指揮棒!指揮棒は何処だ!?」

 必死に指揮棒を探す校長。ざんねん、大事な指揮棒は私の手に握られている。

「くそぉおおおおおお!」

 一瞬電光が走って校長は白目を向く。

「やるじゃん」

 私は向日葵くんとハイタッチをした。作戦成功。と思いきや、校長は立ち上がった。

「え!?」

 ゆっくりと二足歩行する校長。家政婦さんはずっと倒れたままなのに、こんなに早く立ち上

がれるものなの!?

 校長は私の目の前でこちらに顔を向けた。

「あピょ!」

 校長の様子がおかしい。白目を向いたままなのに立ってる。それから校長は私から離れ

て外に出た。奇声を発しながら近所を徘徊する声が聞こえる。

 庭には衣服が散らばっていた。その中には見たくもない校長のトランクスが――

「わあ、どうしよう。記憶を消すときの電流が強かったみたい」

 私が渡した校長の持っていた鉄の棒を真っ二つに折った後、向日葵くんは遠巻きに校長

の様子を観察している。

「いいんじゃない?放っておけば……自業自得でしょ!」

 パトカーの音が聞こえた辺りで私達は退散した。退学処分の件は校長が頭がおかしくて

下した決断だったと次の校長に言ってやろう。それですべては解決だ。

「スッキリしたね」

「うん!スッキリした!今なら何でもやれそうだ」

 向日葵くんの顔が何処と無くいつもより輝いて見える。

「よし!じゃあ次も殴り込みよ!」

「殴り込みだ!」

 さっきまで殴り込みに積極的じゃなかったわりには凄く生き生きと私と拳を合わせた。

 向日葵くんの言うお偉いさんはとあるビルの最上階の研究施設に居ると言う。

 校長が向日葵くんを広告塔にしてから、その動画を見て、目を付け、ここの施設の人が向

日葵くんに色々な実験をしたらしい。

 残酷なものが多かったと言う。内容は聞けなかったけど身の毛もよだつことをされたのだ

ろう。

 私達は施設の人達を眠らせて最上階へ向かうエレベーターに乗った。

「もうすぐ自由よ」

「ドキドキしてきた」

 私は向日葵くんの背中を叩いて元気付けた。

 エレベーターが最上階につく頃には向日葵くんのドキドキは止まったらしく、自分に喝を入

れてる様子が見てとれる。

 エレベーターを降りると床までガラス張りの廊下が並んでいた。

「凄い!どうしてガラス張りなの!?」

「ここの場所だけは全部ガラスとプラスチックで出来てる。電気を通さないようにね」

 そうか、そういう原理か。ガラスやプラスチックは電流を通しにくい性質を持つ。

 考えている最中でガラスの床を進んでいくと様々な所に猿のロゴマークが施されているこ

とに気付いた。

 ガラスの向こうにはガラスのメモ帳が置いてあり、マジックインクで様々なメモ書きがされ

てあった。

「あの向こうが博士の居る所……少し待ってて?最後の蹴りはワタシ一人で付けたい」

「分かった。気を付けて」

 そう言って向日葵くんはスモークがかったガラスの部屋に行ってしまった。中は見えない。

私は一人残されてしまったので施設の中の物を調べることにした。

 ガラスのメモ帳には向日葵くんの身体のスケッチと無数の針が描いてある。これで何をし

たのかな?いくつかのメモ帳を取ってみる。そこにはこう書かれてあった。

 観察記録A、被験者である向日葵デンキの体調は良好。あまりにも彼の首元の損傷が酷

かったため、チョーカーを渡した。喜んでくれたようだ。さて、これより向日葵デンキに針を

刺して反応を観察する。観察結果、向日葵デンキの身体には電気が走っているようだ。針

に電流が走ってゴム手袋を装着しないと掴めなかった。実験の後、彼は針を見ると怖がる

ようになった。痛覚があるのだと言う。何にせよこれは今後、使えそうだ。

 観察記録B、向日葵デンキの電気の流れは彼自身で操れないかと聞いてみた。彼はやっ

て見せようとしていたが失敗。どうやら彼の電流はコントロールするのが難しいらしい。

 観察記録C、向日葵デンキにスマホを持たせてみた。これも実験の一環だ。向日葵デン

キはスマホの扱いは知っていたが、手に持った瞬間に壊してしまっていた。どうやって壊し

たかって?彼の手は電気に変わっていたため、コントロールが効かなかったのだ。

 観察記録D、向日葵デンキに生物を見せてみた。デスクロロクロザンの実験用ペットだ

が、彼は猿のことを気に入ったようだ。愛玩動物を与えることで自然と彼は自ら発する電流

をコントロール出来るようになった。素晴らしい結果だ。

 観察記録E、向日葵デンキの学校の校長が訪ねてきた。最近、向日葵デンキが服従しな

いことに悩んでいるんだとか。私は良いものがあるじゃないかと校長の胸ポケットから指揮

棒を取り出した。私は校長から賄賂を受け取り、スイッチを押すと強い電撃が流れる仕組

みの指揮棒を渡した。

 観察記録F、向日葵デンキはパブロフの犬だ。校長が裏で何をしたか容易に判断できる

ほど彼は大人しくなった。私達は彼の開発に更なる精を出せるようになった。

 観察記録G、観察記録をつけるのは今回で最後だ。彼の能力は充分把握できた。あとは

政治家の金を巻き上げるだけ巻き上げよう。政治家共には彼の情報は秘密だ。私達だけ

が、私だけが彼を利用できるのだ。

「酷い……そんなことをしていただなんて」

 こんなもの、無ければいいのに。私はメモ帳を全部叩き割った。割り終わるとスモークが

かったガラス張りの部屋から眩い光が放たれた。電光だろうか?きっと向日葵くんが事を

終わらせたのだろう。

「待ちな!」

 声の主はミキちゃんだった。

「あんたら校長に何をしたんだよ!?丸裸になって盆踊りしだしてたよ!?お陰でポリスに

捕まっちゃったわ!あたしの進路どうしてくれんの!?」

「進路?」

 ミキちゃんは涙を流し始めた。顔を覆って事の経緯を話そうとする。

「あたしは学がないから校長にお願いしてどうにか免除してもらおうと必死だったんだ。でも

免除なんかしてくれるわけない……そんな時、あんたが転校してきて向日葵くんと仲良くし

てるじゃないか。向日葵くんはそれまで孤立はしてなかったけど、孤独を感じてたんじゃな

い?そうでしょ?」

 丁度、向日葵くんが博士の記憶を消して帰ってきた。

「……別に孤独を感じてたわけじゃないよ。皆のことは好きだけど、深く関わらなかっただけ

だ」

「はっ……あんたらしいね。親しくなりすぎると自分のことバレちゃうもんね?そうするとまた

大好きなクラスメイトと同じように記憶を消さなきゃいけなくなる。多田さんのは消せなかっ

たみたいだけど……辛いよね?」

「多田くんは関係ないよ」

「嘘つき!多田さんに特別感情移入してたって校長が言ってたわよ!!だから今、記憶も

消せずに多田さんは苦しんでるんでしょ!?」

 向日葵くんの顔が黒く変色している。苦しそうに呻き声をあげている。

「やめてよ!多田くんは関係ないでしょ!?」

「関係あるのよ……多田さんの資料見る?」

 床に並べられたカルテ。カルテには痩せこけた男性が写っていた。書いてあった事柄は

……不眠症、過敏症、拒食症、統合失調、極度の鬱状態……ありとあらゆる精神病がそこ

には書かれてあった。薬の投与内容もビッシリと記載されてあり、雷雨の日にはいつも暴

走癖があるので隔離することとあった。

「多田さんがしたことは酷いことだと思うけどさ、元気に生きてる向日葵くんに一生苦しめら

れる人のことも考えてみなよ」

「ワタシ……ワタシは……」

 向日葵くんは極度の混乱状態にあった。カルテを見せてはいけないと体でカルテを覆い

隠すけど、向日葵くんの記憶はきっと蘇っている。

 その証拠に今まで見たことないくらい黒くザラザラした頭になっている。砂鉄が頭に登って

きているみたい。

「ミキちゃん!これ以上はやめてよ!」

「はあ?こっちだってお先真っ暗なんですけど?」

 向日葵くんの顔は全部砂鉄まみれになった。よく見ると砂鉄が零れ落ちていってる。この

ままじゃ向日葵くんは体内の砂鉄が無くなって絶命しちゃう!?

「何でもかんでも向日葵くんのせいにしないでよ!」

「何言ってんのさ!あたしの進路がなくなるんだよ!?」

「元はと言えば全部あなた達の決断じゃない!」

 私は大声で怒鳴った。

「多田くんだって自分がしでかした罪で今苦しんでるんだし、ミキちゃんは自分の得意なこと

が見えてないだけじゃん!」

 それを聞いたミキちゃんは驚いた表情で私を見る。

「ミキちゃんは……ミキちゃんはおばあちゃんの老舗旅館があるじゃん……それに裁縫も

上手いし、こないだ作ってきたお弁当だって美味しかったし……素敵なお嫁さんになれる

よ」

「ばっかじゃん……そんな褒めても何も……」

「ほんとのことだよ!ミキちゃんは幸せになれるよ!」

「で、でも学が無い奴は幸せになれないって校長が……」

「洗脳だよ!ミキちゃん騙されてたんだよ!」

 ミキちゃんは唖然とした表情で私を見る。そして、決心するように笑った。

「あは、あんたってほんと賢すぎるわ!」

 そう言うと、博士の部屋に入っていく。中を見に行くと博士がぐったりと寝ていた。

「退いて、邪魔」

 ミキちゃんは博士を退き倒すとノートパソコンに目をやった。パソコンにはロックがかかっ

ていたが、いともたやすく解除して、画面を見せてくれた。画面には「ブラックホールを発生

させますか?」と書かれている。

「これさ、私の役目なんだ。何かあった時に証拠隠滅する役目」

「み、ミキちゃん……流石にブラックホールは……」

「大丈夫大丈夫、頭のいい人たちがサイズ調整してるらしくてさ、発動実験見せてもらった

けど、このビルが無くなるくらいのサイズだったよ」

「このボタン遠隔操作できるの?」

「いいや……」

 私は全てを察して必死にパソコンの電源を落とそうとした。

「無駄だってば、この画面になると、はいかいいえかしか押せないの」

「じゃあいいえって押してキャンセルしようよ!」

 焦る私の目の前でミキちゃんは「はい」を押した。

「ミキちゃん!?」

「あー、押しちゃったーってね……こうでもしないと、このビルの隠れた奴等が情報を外部に

漏らすよ?そうすると向日葵くんは自由になれないじゃん?」

 そうこうしている内に頭上に極小粒のブラックホールが現れた。少しずつだけど着実に物

を吸い込んで大きくなっていってる。

「逃げよう!?今から逃げれば間に合うよ!」

「実はそれは無理なんだー発動した人はずっとここに座ってないといけない。発動した瞬間

に自動で足枷されたしね……」

「そんな!?」

「ああ、そうそう、そこでうなだれてる向日葵くんにさ、謝っておこうと思うんだけど」

 向日葵くんは呼ばれたからか砂鉄の顔をゆっくりとこちらに向けた。

「本当は多田さん退院してるよ、今は畑仕事してるんだって。嘘ついてごめん」

「え?そうなの?」

「一年前に退院してるよ。一年間騙されてたんだよ、あんたも」

 そう言って私が渡された写真には多田くんと思わしき人物が居た。見た感じ中年の姿をし

ている。私はこの写真を向日葵くんに渡した。それを見た向日葵くんの顔は砂鉄の塊から

いつもの向日葵顔に戻った。

「それと、小井田さんさ」

 ミキちゃんは私の耳に手を当て小さな声で話す。

「向日葵くんと上手くやりなよ」

 そう言って私を押し離した。

「あんたは私の分まで幸せになんなよ!あたしの最高の友達なんだからさ!」

 向日葵くんが手を引っ張る。ミキちゃんとの距離が離れれば離れるほどにブラックホール

は大きくなっていった。

「向日葵くん放してよ!ミキちゃんが!!」

「このままじゃワタシ達まで巻き込まれてしまうよ」

「でも!ミキちゃん一人を置いてくだなんて」

 そんなの嫌だ。ミキちゃんが居ない世界はとても悲しい。

「ミキちゃんは幸せになってほしいと君に願った!幸せは生きていなければ訪れない……

だからワタシは君を選ぶ」

 ミキちゃんはこちらを向かずにブラックホールを見ている。

 何か、何か方法はないのか?私は頭をフル回転させて考えた。

「そうだ、向日葵くんの電気をブラックホールに放つんだよ」

「そうか!!」

 瞬きも出来ない程の電気を何度も繰り返し流すとブラックホールが蒸発するということを

思い出した。

「こんなことやったことないから分からないけどやってみよう」

 私と向日葵くんは目を合わせて頷いた。

 向日葵くんは全身に電磁波をまとう。大きな音を立てて足場が崩れていく。

 そのエネルギーは膨大なものだ。向日葵くんの腕がブラックホールに吸い込まれていっ

ている。

 一か八かの大勝負。

 大きな重たい音が響いて視界が真っ白になる。向日葵くんの放った電磁波がブラック

ホールに飲み込まれ、ブラックホールはまるで悲鳴を上げるように縮小していく。次に爆風

が私達にふりかかろうとしてくる。

 ホーキング放射が発生した。この現象が起こると私達は逃げられない。

 その時、お父さんから貰ったブレスレットが暴風で外れてしまった。

 私は飛ぶブレスレットを掴もうとしたけれどブラックホールに向かってブレスレットは飛ん

でいってしまった。

 ブレスレットが膨大なエネルギーに触れた瞬間、エネルギーが逆再生を始めた。

「どういうこと!?」

ブラックホールが放出したエネルギーは逆再生を始めたブレスレットに吸い込まれていくよ

うにも見える。

 お父さんはあの時、どうして私にブレスレットなんか渡したんだろう?そういえばお父さん

の職業をしっかり聞いたことが無かった。宇宙の研究をしているくらいしか知らなかった。

「お父さんは全部見越してたんだ」

 ブラックホールを吸い込み終わったブレスレットを見詰める。

 パキッという音と共にブレスレットが砕ける。まるで役目を終えたと言わんばかりに。

 私はミキちゃんの方を見た。ミキちゃんは気絶していた。けれど生きてる。足枷も外れて

いる。

 安心して私は腰を崩した。

「結果オーライだね」

「でも、この施設残ったままだね」

「大丈夫、ワタシの研究施設はこの場所のみだよ。見ての通りボロボロでデータも吹き飛ん

だだろうし」

 見回してみると辺りはボロボロだった。この様子だと向日葵くんの情報の詰まったものは

全て無くなっただろう。たとえこの出来事を目にした人が居ても事実を証明できないだろう。

 こうして向日葵くんは自由になった。

 その後、私達は無事帰ることが出来た。

 そんな夏の日、蝉がうるさいくらいに鳴いていた日。

 私と向日葵くんは花馬車公園で待ち合わせをしていた。

「夏祭り以来のデートだね」

 ミキちゃんはあの後、一部の記憶を消去した。校長のこと、施設のこと、向日葵くんのこ

と。

 向日葵くんは私とミキちゃんとの思い出だけを残してくれた。

 私は彼女の未来が無くならなくてよかったと思う。

「暑いからペカリ買っといたよ」

 渡されたペカリ。とても火照った身体を冷やしてくれた。

「今日行く場所って結局どんな場所なの?」

「まだ秘密。でもきっと気に入る場所だよ」

 私の手を引っ張って鼻歌を歌う向日葵くん。とても上機嫌そうでなにより。

 そうして着いたのは大輪の向日葵が咲き乱れる向日葵畑だった。

「わぁ!綺麗!!」

 目を輝かせていると向日葵くんがこちらを見つめている。

「どうしたの?」

「今日の格好可愛いなって」

「は!?急に何よ……」

 私の頬は一気に赤くなった。私は平然を装いたくてベンチに座る。

「キスしたいくらい可愛い……けど来年のお盆までできないね?」

 空は快晴だった。そうか、向日葵くんは盆の雷雨の時にしか顔を現すことができないん

だ。

 そんなことを考えていると向日葵くんと私の肩が触れ合った。

「来年もここに来よう……その次もその先も……」

 そう告げる彼を愛しく思った。

「ずっと一緒に居ようね」

 幸せに目を閉じた。

 そうして目を開けると車椅子に乗った私が居た。今までのは夢だったのかしら?と周りを

見る。

 私の手はよぼよぼのお婆さんの手になっていた。左手の薬指に指輪がある。

「おはよう、藍さん。眠っていたの?」

 車椅子を押していたのは向日葵くんだった。どうやら私は歳を取っているらしい。向日葵く

んは若かりし頃のままだ。多分、向日葵くんの時間は止まっているんだと思う。

 年老いた頭で思い返せば夢で見たのは昔の思い出の記憶だった。

「そうみたい、昔の夢を見ていたの」

「最近よく見ると言っていたね」

 周囲には向日葵畑が続いていた。ここは花馬車公園のあの場所だ。

「ねえ、あの後私達ってどうしたんだっけ?最近物忘れが激しくて……」

「そうだね、あの後、ワタシは高校を卒業して大学で色んな研究をして、君は高校を無事に

卒業して保育士を目指したよね。お互い忙しくなったけど……」

 向日葵くんは車椅子を止めて私に覆いかぶさるように手を握る。

 向日葵くんの左手には私と同じ指輪がはめられていた。

「ワタシと結婚して今まで一緒に過ごした」

「そうだったかしら」

「そうだよ、君は今月9月で89歳だ」

「向日葵くんは?」

「ワタシは……忘れちゃったな」

 彼は本当に年齢を覚えていないようだ。そうか、色んなことがあったのだ。記憶が曖昧に

もなるだろう。

「また指輪がズレてるね」

 向日葵くんが私の薬指に指輪をはめなおす。私の指はというと細くなっていて指輪が上

手く引っかからなかった。やっと綺麗に指輪がはまって、私はそれを眺める。

「歳を取ったのね」

「それでも君は可愛いよ」

「また私を口説こうとしてるの?」

「愛しているからね」

 またそう言うことを……それが嘘じゃないことを知っているから余計に恥ずかしかった。

 そうか、私は向日葵くんと結婚したのかと満足げに指輪を太陽にかざす。

 空にかざすとガラスで出来た指輪がキラッと輝いて綺麗だ。

 心地の良い沈黙が続く。夏草の匂いがする。

 こんなにも満たされた気持ちは初めてかもしれない。

 幸福感でうとうととしてきた。

「おやすみ」

 向日葵くんの声が耳に響く。今日は特別深く眠れそうだ。そうしてゆっくり目を閉じた。

 蝉が鳴いていた夏の出来事だった。

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向日葵の下で二人きり 竜胆ろんど @RindouRondo

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