彼女の瞳が苦手だった。

@chauchau

第1話


「馬鹿にしないで」


 苛立ちを孕んだ声から逃げるように僕は窓の外へと視線を移した。昨夜から振り続けていた雪は、窓の外を一面の銀世界に変えている。


「ねえ」


「聞いているよ」


 近所の子ども達がこの辺りでは珍しい世界に瞳を輝かせている。着せてもらったモコモコの上着で立派な雪だるまが生み出されていた。


「ちゃんと聞いてよ」


「そのつもりなんだけどね」


「うそ」


「どうして?」


「だってこっちを見てくれないんだもん」


「僕の悪い癖だね」


「うん」


 彼女の瞳が苦手だった。

 零れ落ちそうなほど大きな瞳に僕が映っているのを見るたびに、どうしたって逃げられないと自覚してしまうから。


「もう一度」


「うん」


「もう一度話してくれるかな」


「いいわよ。私は、カフェに行きたいの」


「異論はないよ」


 カフェ巡りは彼女の趣味で、僕の趣味だ。

 コーヒーなんて目覚まし代わりになればいいとしか考えていなかった僕の価値観を変えてくれたのが彼女で、僕が彼女に惚れたのも美味しそうにコーヒーを飲む彼女の笑顔だった。


「でも、今日はさすがに寒すぎるわ」


「そうだね」


 テレビでも異常気象だと言っていた。不要不急の外出は控えるようにとお達しが出れば、ただコーヒーが飲みたいだけで外に出るのは不謹慎かもしれない。


「だから今日はこの部屋がカフェになるの」


「……そこなんだよなぁ……」


「なに?」


「君の行動力は大したもんだと思っている」


「ええ」


「僕にはないものだ。何度だって言うけど、僕は君のそういうところを尊敬している」


「私もそうやって素直に褒めてくれる貴方が好きよ」


「でも、同時に頭を抱えてもいる」


「どうしてよ」


「絶対に凝るでしょ」


「そこまでじゃないわ」


「この間、僕に黙ってピザ釜を注文していたよね」


「そんなこともあったかもしれないわね」


「燻製樽もあるよね」


「好きでしょ」


「好きだけど。きっと今回も部屋カフェなんて始めたら明日には焙煎用の道具を注文してるよね」


「だから、馬鹿にしないで。そこまで突拍子がなくはないわよ」


「明後日」


「それは保証しかねる」


 彼女の要望を叶えた自宅は、檜材をふんだんに用いた一軒家だ。後悔はしていない。むしろやってよかったとさえ思っている。だけど。


「何度かうちをカフェと間違えた人が訪ねたきたよね」


「あったわね、そういうことも」


「ぶっちゃけさ」


「ええ」


「狙ってない?」


「……」


「……」


「……」


「……」


「てへ」


 彼女はいつだって僕に新しい世界を見せてくれる。だからといって、自宅でカフェを開くほど僕の肝はまだ据わっていないんだ。


「ねえ」


「なんだい」


「どうしてずっとこっちを見てくれないの」


「そういうことだよ」


 彼女の瞳が苦手だった。

 見たら、見てしまったら最後だと。わかり合っているからこそ、無駄な努力は僕は続けるしかなかった。

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