第3話 優しさと温かさと

◇アルフィリア視点◇


「ふんふ~ん♪」

「あ、あの……」

「なぁ~に?」


 早乙女家との話し合いの後、ありがたいことにこの家に身を置けることになった。

 この家の人たちは私の命の恩人だ。

 条件として提示された家事や亭主である希さんの仕事のお手伝いを精一杯頑張ろうと、恩に報いる努力をすることを誓った矢先、彼らが私に言ったのは「先にシャワー浴びてきて」だった。

 この世界では湯浴みのことを『しゃわー』と呼ぶらしい。

 居候の身分で湯浴みなどと遠慮していたら、私の服や体は、魔力災害に巻き込まれた際に巻き上げられた泥などで汚れていたこともあって入浴を強く勧められ、現在は希さんの奥様である愛さんとともに浴室に来ていた。

 

「……本当に、よろしいのでしょうか。私なんかが湯浴みなど……」


 正直申し訳なさが勝り、入り口で立ちすくんでいる。


「もちろんよ。ずっと汚いままでいるわけにもいかないでしょう?」

「そのためにわざわざ火魔石ひませきを使ってまでお湯をご用意いただかなくても、水で体を拭くだけでも……」

「ひませき?」

「えっ……そのお湯が出ているので、沸かすために……」


 とそこまで言って私はこの世界には魔法的な概念が存在しないということを思い出し、魔石などもないということに思い至る。

 私のいた世界では魔法が使えない人たちはそこそこの値を張る魔石を使ってお湯を沸かしたり、明かりを灯すので、この世界でもそういったものでお湯を沸かすものとばかり思っていたが、改めて元いた世界と常識がかけ離れていることを思い知らされる。


「……いろいろ不安もあると思うけれど、まずはこっちの世界に慣れて行きましょう?」

「……ありがとうございます」


 そこまで言われ、最初に出会ったのがこの家の人たちであった幸運に感謝しながら、バスルームへと足を踏み入れる。


「せっかくだから私が背中を流してあげるわ~」

「いえ、その……自分で洗えますので……」

「そんなこと言わずに、ね?」

「えっ……その」


 愛さんは私がまだ後ろめたさから遠慮していると思ったのか、少し強引に浴室へと引っ張り、私の背後に回った。


「……っ!?」


 まずい、と思ったときにはすでに遅かった。

 浴室についている小さめの鏡に映った愛さんの表情からも、絶句していることが伺えた。


(……この痕を見れば、そういう反応にもなりますよね)


「これ……どうしたの?」

「……私への罰、です」


 愛さんが見て絶句しているのは、私の背中にある大きい火傷の痕だ。

 聖女としての役目に失敗してしまった際や、マルガゼント家の名に泥を塗った際の罰として親に刻まれたものだ。

 見るに堪えないものなので、人に見せることには抵抗があった。


「……ごめんなさい」

「気になさらないでください。これは、聖女として不出来な自分への罰なのです。受けて当然のもの……」

「……っ!ダメよそれ以上は」


 そういって、愛さんは私を優しく抱きしめる。

 私の前に回された腕はかすかに震えている。


「……愛さん?」

「それ以上自分のことを無下にするようなことは言っちゃダメよ」

「……」

「この傷は、魔法で治せないの?」

「……魔法も万能じゃないので、どうしても痕が残ってしまうのです」

「そう……」


 愛さんはそれ以上はなにも言わなかった。

 ただ無言で優しく私を抱きしめ続けている。

 

(……気を遣わせてしまいましたよね)


 さっそく失敗してしまったと後悔する。

 無理にでも1人で入ると断れば、愛さんにこんな顔をさせずに済んだのだ。

 

「……私にできることはないけれど、せめてこっちにいる間は、遠慮せず私たちを頼りなさい。約束よ」


 愛さんは静かに、ささやくように言うと、私の力になるという決意を込めるように、ギュッと抱きしめる腕に力を込める。

 私のことを本気で心配してくれているのだとわかった。


(……あぁ、人に心配されるというのは、こんな感じなんですね)


 いままで国民からも、王族からも、そして家族からも心配されたことがなかった。

 時が経つにつれて諦めていった憧れを、こんな見知らぬ世界で知ることができるとは思わなかった。

 誰かに心配されるというのは、こんなにも……。


「……温かい」


 ふいに口から零れたのは、そんな言葉だった。

 愛さんの優しさが私には温かく感じたのだ。

 そう感じたと同時に、なにかこみ上げてくるものが抑えられず、一筋の雫となって頬を伝っていく。


「……あれ?」


 ダメだ、止まらない。


「うっ……ひっく……あぁ……」


 止めなきゃいけないのに、止められない。

 自分の感情と思考がリンクしない。


「うぅ……ぁあ!……ひっく!」


 泣き続ける私を愛さんは何も言わずに優しく抱きしめ、赤子をあやすように頭を撫でてくれる。

 どうして、会って間もない、愛さんたちからすれば怪しいと思ってもおかしくない相手にここまで優しくできるのだろう。

 わからない。

 けど、いまはただこの感情を抑えられなかった。

 そのまま私はしばらくの間、不安と、悲しさと、自分の知らなかった感情の嵐を声と涙にして出し続けた……。



「……失礼しました。お見苦しいところを」

「ふふっ。いいのよ」


 しばらくの間私は子供のように泣き、その間愛さんは静かに抱きしめてくれていた。

 落ち着いた後、今度は恥ずかしさや申し訳なさで胸が押しつぶされそうになる。

 優さんの前でも涙を流し、さらにはそのお母さまの前でも泣いてしまうとは、前の世界にいた私からは想像できないほどの醜態だ。


「……うん。少しスッキリしたようだし、早めにシャワーを済ませちゃいましょう」

「す、すみません」

「気にしないでいいわよ。それじゃあ背中から洗うわね~」

「あ、あの!やっぱり自分で洗いますから!」

「ダメよ~。私に世話を焼かせなさいな」


 そうして、愛さんにされるがまま身体を洗われてしまった。


 この短時間で分かったことが一つ。

 愛さんはいい人だが、少し距離が近く、一緒に居るとちょっと疲れてしまう人だということだ。

 この先一緒に過ごすうえで私はこの人のテンションの高さについていけるだろうかと不安になるのであった――。

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