許すまじ、長文タイトル!

 どうも、熊ノ翁です!

 なろう小説と言えば、その大きな特徴として長文タイトルの作品が多い事なわけですが。

 これがまー毎度毎度物議を醸してますよね。


「長文タイトルは単純に醜い!」

「タイトルとあらすじを履き違えてんじゃねえクソボケ!」

「長文タイトルは露骨に媚を売ってるようで嫌い」

「長文タイトルなんて付けちゃって、恥ずかしくないの?」


 愛と平和のインターネッツでちょろっと長文タイトルについての感想を調べてみたら、上記のように親兄弟を長文タイトルにでも殺されたのかと思うほどの散々な言われようです。

 何故、ここまでボコボコに言われる長文タイトルをなろう作家は我が子とでも言うべき自作品につけるのでしょう。


 確かに、キラキラネームを子につけるのは現代においても非難の対象です。

 そんな虐待まがいな真似を自作品に行うなろう作家たちは、とんだDQN野郎共と言えますね。

 では、彼らは本当に考え無しに長文タイトルを付けているのかというと、実はそういうわけでもありません。

 今日は少しそこの所について語っていきますので、皆様どうぞよろしくお願いします。


 まず、ボコボコに言われてる長文タイトルですが、あれはあれで結構な利点があります。

 第一に、長文タイトルは作品を読まずともその話の概要が大体わかる、というものです。

「なんじゃそりゃ。それのどこが利点だって言うんだよ。あらすじ読めば良いだけの話だろ」と思われるかもしれません。

 ですが、ことネット小説においてはそうでは無いのです。

 そもそも、あらすじまで読んでくれる読者さん自体が少ないという事情があります。


 なろうに投稿されてる作品の数は100万作品近く。

 この膨大な数の作品群の中から何を読もうか決めるのに、一々全部あらすじなんて読んでられないのです。


 多くのライトユーザーな方は、タイトルでまずどんな感じの物語があるのか当たりをつけて、その後に良さげな作品のあらすじ見てから読む作品を決めるって方法を取ってるんじゃないでしょうか。

 ランキング作品の中から。


 よく訓練されたスコッパーさん達ならいざ知らず、大抵の人は「出来る限りハズレを引きたくない」という思考が働きます。

 自分の好みの話なのか、また内容は誰かからの評価という多少の信頼材料となるものはあるか、その辺の条件を満たした作品だけでも結構な量が引っかかるわけで。

 タイトル見て中身のわからない作品は、それこそやたらと評価集めててランキングにでも入ってなければ読む作品の候補として選ばない、という方も結構な人数いるかと思います。


 そういう状況下で「どうにかして自分の作品を見てもらいたい。読者さん達の読む作品の候補にまず入れてもらいたい」と考えて使われ出したのが「じゃあまず目に入るタイトルの段階で話の概要やタイプを載せておけば良いんじゃね?」という長文タイトルなわけです。


 実際これは読み手側から見ても作品を選定するのに一定のメリットはあったようで、故に今日までなろうでは数多くの長編タイトル作品が人気を博し、ランキングに多く名を連ねる事となっているわけですね。

 実際に読者さんに読まれて評価されなきゃ、ランキングには入らんわけですし。


 なので「なろう長文タイトルばっかだからクソなんだよ! なろう作家の連中、マジでタイトルつけるセンス無さすぎ!」とディスるのは、発言はもちろん自由ですが書き手側のそういう背景事情も多少は考慮の上でして頂けると有り難いかなぁと思います。

 なろうのトレンドを決めるのは神様読者様であって、迷える子羊な作者達では無いですし。


 というわけで、長文タイトルこそジャスティスなわけです!

 読者の事を考えるなら、長文タイトル以外に正解なんて無いでしょう!

 にも関わらず長文タイトルを使わない作者連中は一体何を考えてるんでしょうか!?

 作品を探す読者の事なんでどうでも良いと思ってるんでしょうか!

 だとしたら、本当に読者の事を馬鹿にしてますよね!

 読み手の皆さん、最適解である長文タイトルを使わない作者達はアナタの事をバカにしてますよ!


 と、まあここまで過激な思考を持つ書き手さんは少ないでしょうけども。

 どうもベクトル的にそんな感じの思考をされてる方をちょこちょこ見かけた記憶があるので、少しこの辺の「長文タイトルは絶対的なジャスティスか」についても触れておきます。

 

 まず、この長文タイトルは「なろうのようなレイアウトのネット投稿小説において」は有用な一手段ではあるでしょう。

 が、その他の場所でどうかというと、例えば「本屋等では来店客の目を引く手段としてどの程度有用かはわからない」というのが実情でしょう。


 本屋とネット小説では作品の展示のされ方も違いますし、目ぼしい物を探す来店客の動向もまた変わってきます。

 書籍にゃ表紙イラストや写真もありますしね。

 ネット投稿小説とはまた違った環境下、選ばれ方をするわけで、その中でも同じように長文タイトルが有効であるとする保証はどこにも無いわけです。


 また、もう一つ。

 これはTwitterの方でも少し触れましたが、もしかするとなろうさんであっても今後長文タイトルは無くなる事はないにせよ減少していくかもなーと熊は見ています。

 これに関しては異論反論ある方いるでしょうが。

 特に根拠となるデータの無い、熊の私見に過ぎませんし。


 んでは、私見を語っていきます。

 長文タイトル作品が今後数を減らすかもしれない理由について。

 それは、長文タイトルの合う作品のジャンルが実は結構固定されている場合、長文タイトルと合わないジャンルがなろうのトレンドとなったら自然と使われなくなるのではないかという物です。


 例えばですが、超有名な純文学の「人間失格」が「万人に愛される勝ち組イケメンとして裕福な家庭に生まれた僕ですが、いつの間にかザマァされる側に転落してました。異世界転生まだですか?」みたいなタイトルだったなら、今ほど読まれて評価される事はなかったでしょう。

 まあ「あの太宰治が晩年に遺した作品! やっぱ色々壊れてた」とか別の意味で話題になってたかもですが。


 とはいえ、現在長文タイトルで多く使われている文体は、笑いの少ないシリアスな作品にはあまり合いません。

 チートスキルを持った主人公がモブや敵役をからかいながら活躍するような、ギャグ成分のそこそこある物語につけるならともかく、ガチなホラーやどシリアスなハードSF等のタイトルとして使うには、どうしても違和感が拭えない面が出てきます。


 そして、現状なろうさんはそのトレンドジャンルをハイファンタジーから異世界恋愛に移しています。

 ギャグ要素があったり、明るい雰囲気の異世界恋愛ならともかく、シリアス度の強いラブロマンスにおどけた文体の長文タイトルが合うかというとちょっと断言出来ません。


 もちろん、長文タイトルは作品を選ぶ上で読み手側からすると便利な面があるという強みはありますが、それにしたって限度があるわけで。

 あまりにも作風と合わないタイトルの作品は、やはり読者評価に響く面も出るでしょう。


 そんな、なろうの状況が変わりつつある今、長文タイトルが今後も変わる事なく使われ続けるかというと、それは断言出来ねぇやなぁというのが熊の思う所です。


 時が経てば分かる事ではありますが、五年後のなろうのランキングはどんな風になってるんですかなぁ。


許すまじ、長文タイトル!……END

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