いかぬなら

ソイデハポン

いかぬなら

 とある8月、会社を辞めたばかりの私は暇を持て余していた。宿題も受験もバイトも課題も仕事もない。何にも追われることのない今の時間は然るべき「人生の夏休み」である。転職活動は失業手当をもらいながら行うとして、今はとにかく暇。暇の特権を利用して平日の空いている美容院に行くことにした。

 

鏡台の前に座るとファッション雑誌が並んでいた。そのうちの1冊を何気なく手に取ってペラペラとめくる。そして数分後、私はとあるページのとあるコラムに出会うことになる。

 そこには「セルフプレジャー」という見出しが書いてあった。どれどれ、内容を読むと「セルフプレジャー」というのは、いわゆる「自慰行為」のことだという。女性向けの雑誌なので、女性のためのセルフプレジャー法が紹介されていた。

 なるほど、たしかに自慰行為と聞くと、どうしても「はしたない」とか「ふしだら」な印象を持たれがちだ。だが、それを「自分を悦ばせるための行為」と言い換えることでポジティブな印象に誘導することができる。この記事には、他にも女性のセルフプレジャーのための商品が紹介されていた。パステルカラーだったり、現代アートのような抽象的な見た目で、どう使うのかわからない物もあった。

 セルフプレジャー未経験の私は、背後の美容師の目も気にせずにコラムを熟読していた。そして、好奇心のあるがままに、ソレを実行すると決意したのだった。


 まず、ネット通販で気になるグッズを探す。最近のネットはすごい。少し検索するだけで、星の数ほどヒットする。私は恥ずかしがり屋さんな一面もあるので、一見アダルトグッズとは思えないようなデザインを選んだ。

 

 待つこと3日、ついにブツは届いた。決戦の木曜日である。


 届いたらすぐ、私は下半身を露出していた。そしてベッドに潜んで、セルフプレジャーなるものに挑むのだ。

 説明書通りにブツを操作すると、微細に振動し始めた。私は雑誌のイラストを思い出しながら、己の秘部にソイツを押し当てた。さあ、お手並み拝見だ。私は今、旅行の前日くらいワクワクしている。


 しかし、その期待は大きく裏切られることとなった。おかしい。全く「プレジャー」な気分にならない。女性はアソコを刺激すれば、かつてレディコミで読んだように、恍惚とした表情になって、艶めかしい声が自然と出るんじゃないのか。

 今、部屋には布団越しに謎の振動音がこだましている。それ以外は何もない。私はその光景を想像して、なぜか京都の龍安寺を思い出した。多分、そこで石庭を眺めた時と同じくらいマインドフルネスで、凪のような気持ちだったからだ。

 でも、ここで諦めるわけにはいかない。私はなぜプレジャーできないのか分析することにした。

 まず、集中力が欠如している。今の私は、まるで幽体離脱をした時のように「セルフプレジャーしている自分」を俯瞰してしまっている。この客観的な捉え方が己をエロティシズムから遠ざけている。

 次に、想像力が足りない。エロティックな世界に没入するために、いわゆる「オカズ」的なものにサポートしてもらわねばならない。


 以上を踏まえ、私はまず、己の股間に意識を全集中させた。自分自身に「ブツが当たっているぞ。」「それは気持ち良いものだぞ。」と暗示をかける。

 そして、脳内に好きな乙女ゲームのキャラクターを召喚した(仮称:「推し君」とする)。推し君は今、主人公と化した私を愛撫している。おこがましい、申し訳ないと思うのは全てが終わってからでいい。


 


 そうして30分が経った。結果からいうと、夢は破れた。私の頭の中には、推し君と枯山水が交互に出てきて、余計に集中できなくなるだけだった。

 いかぬなら、いかせてみせよう、クリトリス。そう意気込んだものの、私は乱れ咲くどころか夏の陣で大敗し、時代は太平の世へと変遷した。


 けれど、私はあきらめない。いつかオルガスムスを迎えるその時が来るまで。

 

 いかぬなら、いくまで待とう、クリトリス。

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いかぬなら ソイデハポン @ecnomy1999

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