11 昨日の続きの話
こんにちは。
昨日、これを書いた後、西宮神社について何も知らないかったので、一応公式サイトくらいは見ておこうと思って覗いてみたのですが、ご祭神は、蛭子さまなんですね。
確かに恵比須様は蛭子さまも同一視される神さま。しかも、天照大神様と大国主さま、そしてスサノオさまもお祀りしているそうで。
私は事代主さまかな?と思っていたから、ちょっと違ったのかもしれない。恵比須様で間違いないのだから、問題はないんですけどね。
お祭りされている場所も私が流されてお参りをした一番右は蛭子さまだったそうで。やっぱり蛭子さまに呼んで頂いたようですし。福の神。有り難いです。
少し思い出していたことがあります。
私の家の玄関に、大黒様と恵比須様の可愛らしい張り子のお面があるんです。手のひらサイズほどの小さいものです。
私の記憶だと、私が小学四・五年生ごろに、祖母が誰かからもらったとかで、うちに持って来た気がします。
その時、まぁ縁起物だから飾っておく?みたいな話になって、どうして七福神の中でこの二人なんだろう?という話題になった気がするのです。
そして誰かが「大黒様の義理の息子が恵比須様らしいから?」と言っていて。その時に、へぇ~とは思っていたものの、どう見てもどちらもおじさんだし、年齢差があるように見えないし、その上「義理の息子」という事は他人でもあるし、なんだか考えるのがややこしくなって、どうでもいいや、と考えるのを止めた記憶があるのです。
あの話をしたのは誰だっただろう。それが思い出せないんですよねぇ。
時々登場する叔母さんもその時に同席していて、叔母さんだったかなぁ?とか思ったもするのですが、自信が無い。叔母さんは、そう言う事に興味がある感じが無い人なんだけれど……というか、それを言うと、うちの家系はだれも興味が無いんですよぇ。誰がそんな話を知っていたのか、本当に不思議で。
子供の頃に聞いたあの話を、今はややこしいとか思わずに分かっている自分がいて不思議です。
大黒様は大国主さまと同一視されていて、恵比須様は事代主さまと同一視されていて。大国主さまの末娘と結婚して、この頃は末子相続だったので、義理の息子である事代主さまが統治者であったという話し。まぁ神話と歴史が曖昧な時代の話です。
国譲りから先の話からしても、事代主さまが神さまの中で一番頭が切れる方だったのだろうなぁと思う。そして昨日参拝して、境内に放送されていた伝説を聞いていても、あの一帯に残る風習の「逆さ門松」?は、町内を馬で駆け抜ける恵比須様が怪我をしないように、松の葉を逆さに飾ったのが始まりだと聞いて。そういう話を知るとより一層、福の神というより、どちらのエピソードもクレバーで勇ましい印象を受ける。
そう思うと、日本中を回って生活の基本を教えて回っていた平和的で温厚そうな印象と、争わないで国譲りをしたエピソードから、大国主さまの方が福の神のイメージ。
どちらも神さまも尊く、超越した存在なのだから、そもそもがニコニコした福の神なので、大黒様と恵比須様は笑っている絵が主流だと思うんですけどね。
関係ない話ですが……
スサノオさまの義理の息子が大国主さまで、大国主さまの義理の息子が事代主さま。
そう思うと、日本ってもともとは、自分の子供に継がせる仕組みでは無く、適任の人材に継がせる仕組みだったんですね。
これまた関係ないですが、私はそんなに詳しくないですが、蛭子さまって女神さまだと思っていたんですけど……男神さまなんでしょうか。ひる「こ」だから勝手にそういうイメージを持っていたのかな?それとも、サマータイムレンダのイメージなんだろうか……
あの小学生の頃から、何気に学ぼうと思ったわけでも無く、そういう事を少しずつ知って来たことが、本当に不思議な流れだなぁと思うのです。
考えたり知ったりするのが邪魔くさいと思っていたのに。本当に人とは変わっていくものですね。
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