茶うさぎから白うさぎへの手紙 2024

メラニー

1 初詣

 こんにちは。


 こうやって新たに小説(エッセイ)を作成するのも新年の行事になってしまいました。私はいつまで続けるんだろう。とりあえず、千日は続けると決めてはいますが……。まぁそれも成り行きです。


 今日から新年ですからね。初詣に行ってきました。

 地元の氏神様です。まずは氏神様から……と思いまして。秋のお祭りの時も、初詣に来ますと言ってしまったし。


 私の家はその神社が管轄してくれている土地の端っこにあるので、結構な距離なのですが、電車で行くほどでもないので歩いて向かいました。

 道中、晴れているのに、傘はささなくても良い程度の雨が、ずっとキラキラと降っているのです。不思議な陽気。


 神社に着くと、神社の参道は結構長いのですが、参道に入ってジャストまで行列が伸びている。しかも二列。今となっては、行列を作る日本人の光景は見慣れたものです。

 でも、ひと昔前は、初詣といえば列では無く、拝殿を奥にして扇形に群がったものです。拝殿の間口いっぱいに広がって、各々が好きなタイミングでお参りをして、終われば横に逸れていくというスタイル。ある程度の前に行くぞ!という思いが無いと弾かれてしまうようなシステムでした。

 しかし今は扇形ではなく列が主流で人がお参りしている間は出来る限り、邪魔をしないように待つスタイルなのだなぁと。

 

 これは、大晦日に東京の友達が神社に参拝に行った時の画像を送ってくれたのだけれど、参拝者の列が参道を大幅にはみ出て長い行列になっている画像だった。

 そう言えば夏に山の神社へお参りをした時も、列になっていたなぁと思い出します。

 日本人のスタンダードが変わったのでしょうね。

 

 列を作る習性は電車の乗降のマナーから派生したものではないかなぁ?と思うのです。私の小さい時はまだ列では無かったなぁと思うし、降りる人が先というルールはあったものの、列を成して待つという事はしていなかったはずなんですよねぇ。

 それは社会的な気運もあると思うし、鉄道会社の校内放送やポスターなどでのルール向上の呼びかけ、そして正しい位置に必ず停車をするという技術向上の賜物で、現在の日本人の性質に結実しているのだと思う。

 実際に、日本人に時間守るという概念が浸透したのも鉄道がきっかけだったらしい。今では乗り物に乗るための時間だけでは無く、あらゆる時間を守るのが当たり前になった。

 ひとつルールが浸透すると、別ジャンルの時にもルールを適応しないと、きちんとして無い感というか、罪悪感が生まれるんですよねぇ。

 

 まぁそんなこんなを考えながら、長い行列を並んでいました。

 周りのご家族の会話なども聴きながら、お父さんが小さい女の子に「この天気は何て言う?」とクイズを出して「雨……?晴れ?……待って!わかった!曇り!」「狐の嫁入り」「えぇ……そんなん、あるんや……」とかやっていて微笑ましいし、お婆ちゃんが昨晩の紅白歌合戦で「知らない人ばっかりやったけど、最後は良かったな」と孫に話しかけ「えー、何?」「ほら、あの人……ミーシャ。あの人上手いなぁ」「あぁ、メドレー!良かった」「アドも出たやろ、見ているか?って電話しようと思ったけど寝ているかもしれへんから、止めたわ」「起きてたからしてくれたらよかったのに。いつでも電話して」とか。孫はどうやらアドさんのファンらしい。

 他にもお父さんが小さい子供を退屈しないように、短い階段の端が滑り台のようになっている所で、滑らせて遊んでいたり。

 その神社のご祭神は神功皇后さまだから、そこらじゅうで子供が元気にしているのをみて微笑ましくされているのだろうなぁと。


 雨も、父親がクイズにするくらいなのでずっと降っていました。空はめちゃくちゃ晴れているんですよ。陽が当たっている肩が暖かいく感じるくらい。

 きっと、清めてくださっていたんでしょうね。行列で手水舎に立ち寄れない感じでしたからね。

 

 今日は顕著だったのですが、最近、時々目がおかしいのです。視線から外れて居る部分で時々空が虹色なんです。

 だから、虹が出てる!と思ってそちらを見ると虹じゃない。そう言う事が最近多くて、今日も本殿の上の空がシャボン玉のように虹色に見えていて。

 空の時は明るくして彩度上げたら彩雲になる雲を感知しているだけかな?とか思っていたのですが、これってオーラ的な奴なんでしょうか……、でも直視すると見えなくなる。もしかして目の病気……?怖。


 本殿と摂社にお参りをして、また歩いて帰って来たのですが、途中橋を渡る箇所がありまして。そこで空がきれいだなぁと思って立ち止まって画像を撮っていたのです。

 すると、けっこう橋が揺れていて。確かに大きなトラックが通ったりすると、特に夏場は揺れるのです。だから、私が気が付かなかっただけで大きな車が通ったのかなぁ?くらいにか思っていなかったのですが、帰宅すると弟と母親が「大きな地震があったやろ?!」と。

 私は全く揺れに気が付いていなかったので、よくよく思い返すと、あの橋の揺れが地震だったようで。画像を撮った時刻を確認するとドンピシャでその時でした。

 神さまが、怖がらないようにしてくださったのだろうか。


 一度お手洗いに行きたくて帰宅したものの、その後も、あの神社かどうかわからない神社に新年のあいさつに行こうと思って。

 お酒はまだ封が切られていないので、持って行くことが叶わないので、代わりに黒糖を持っていました(笑)個包装してある黒糖なので、回収も出来るし。

 という事で、新年早々、少しだけ歌ってきました。自分で言うのもなんですが、頭がおかしいですよねぇ……

 えぇ、分かっているんですよ。でも、そうするのが自然な行為に感じるから仕方がないんですよ……

 変なの。



 辰年が始まりましたね。

 新年早々の大きな災害。心が痛みます。この瞬間も不安で寒い思いをされている方々いると思うと辛いです。

 でも、その「辛い」という思いに心を囚われ居てはいけないのです。そこに注視しすぎると、動けなくなってしまう。それよりも出来る事、この先の事、明日の事、一番いい世界の事に目を向けるようにしないと、自分の心も歪んで沈むし、辛い未来を引き寄せてしまう。

 

 小さなことでも良い、その災害に関する事じゃなくても良い。少しだけ自分にできる良い事をしましょう。丁寧に生活をする。それが大切です。









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