映画館の恐怖

闇之一夜

映画館の恐怖

 A子さん(二十代、会社員)は、都心の映画館へ行ったが、あまりに混んでいて観る気が失せた。予約すればよかったとビル街をうろついていたら、さびれたビルの入り口にポスターが貼ってあるのに気づいた。それは観たかった映画のポスターで、ここは小さいがどうも映画館らしいので、観れるならこのさいミニスクリーンでもいいと、中に入った。


 ポスターの上に地下一階だと書いてあるので階段で降りると、明かりは薄暗く、ほかに誰もいない。あまりに静まりかえっているので、今日はやってないのではと思ったが、目先に「ホール」と書いたドアがあり、その脇に「上映中」の立て札があるから、まあ大丈夫らしい。壁際にチケットの自販機があるので、とりあえず買って、ドアから中に入った。


 中はさらに薄暗かったが、椅子が左右にかなりの数並び、けっこう広いのは分かった。スクリーンもわりとでかい。ほかに客もいないので独占で観れるし、これはラッキーだと、A子さんは真ん中の席に座り、上映を待った。数分でブザーが鳴り、幕があがって映画が始まったが、なんのCMもなく、いきなり本編だった。


 だがすぐに変だと思った。どこかの浜辺の映像が海を背にしばらく流れ、波の音だけが延々続くのだが、映像が古くさいので、暗い感じがする。だが、やはりおかしい。どう見てもこれは見たかったあの映画ではない。あれは家族連れでもオーケーな軽いアクションもので、こんな仰々しい芸術的なもんじゃない。もしや部屋を間違ったかと思ったが、さっきビルに入ったときは、ここしか映画をやっている場所はなさそうだった。


 不審に思っていると、さらに異様なことがおきた。スクリーンの右端から一人の年配の女性がひょっこり歩いてきて、真ん中に来ると止まってこっちを向いて、そのまま、じーっと見つめだしたのである。

 歳は五十から六十くらいに見え、丸顔の背の低いぽっちゃりした女性で、薄紫の着物姿だ。なんてことのない普通のおばさんのはずなのだが、見開いた冷たい目でこっちをじーっと見つめたまま動かないので、A子さんはなにか気味悪くなってきた。

 そして確実にわかった。これは観たい映画では全くない。Aさんさんは頭きて席を立ち、くるりと背を向けて、入り口のドアから廊下に出た。


 外に出てビルの壁に貼られたポスターをもう一度見て、(ん?)となった。ポスターの下に、何か違う紙が見える。端のめくれをつかんで引っ張ると、簡単にはがれて、下から別のポスターが現れた。それは今まさに見た着物の女性が、紙面の中央に立っている、間違いない、あの映画のポスターだった。

 つまり、本当は今あそこでこの映画をやっているのだが、誰かのいたずらか手違いかで、違う映画のポスターが上から貼られていたのだ。要するに騙されたのである。


 その映画はだいぶ古いもので、昭和初期の、それもかなりマニア向けの映画みたいだった。さっきの非常識なオープニングを思えば、それは分かる。

 ポスターには太字で「アバンギャルド映画、ニューウェーブ界の女王にして超個性派女優、○○×子、没後○○周年記念上映」などと書かれていて、どうもさっきの女性が主演で、それが亡くなってウン十年の記念上映らしい。だがA子さんはそんな人は知らないし、さっきのでうんざりして、これ以上見たいとも思わなかった。



 とにかく、間違いだったのだから、チケット代を返してもらおうと、もう一度入り口まで行ったが、やはり誰もいない。無人なら監視カメラでもあるのかもしれないが、とにかく誰か関係者を捕まえて言わないと気が収まらない。とてもこのまま帰る気にはなれない。こんなの詐欺だ。

 いらついたAさんは、人を探すため、とりあえずまたホールに入ることにした。探せば、誰かいるだろう。いなきゃ、そうだ、撮影室で映している技師がいるはず。最悪、その人に訴えよう。

 というわけで、彼女は再び観音開きのドアを手で押して入った。



 スクリーンは相変わらず浜辺のシーンで、何も変わらず、ただ波の音が静かに聞こえている。ちがうのは、さっきの女優がいないことだ。

 Aさんはあきれた。

(あれから、ずっとこうだったのかよ?!)

(アホな映画だなぁ……)


 見回したが、映像が白っぽいからホールがけっこう明るく、Aさんも目がいいので、隅々までよく見えた。が、誰もいない。

 仕方なく、歩いて探そうと思ったとき、廊下からコトンと音がした。誰か来たと思い、また入り口のドアまで行って、観音開きを手で押した。が――。

(えっ……?)

 思わず手を引っ込め、数歩も下がる。あいたドアの隙間から今、向こうにいる人の顔が見えたのだ。そいつはドアの目の前に立っていて、彼女の顔を至近距離で見すえた。


 誰かいたのなら歓迎なはずだが、この場合は、全くそうでないばかりか、それは恐怖だった。

 なぜなら、たった今見たそいつの顔は、さっきスクリーンで見た、あの気味の悪い女性そのものだったのである。あの見開いた目、ぽっちゃり顔。間違いない、ポスターにあった主演女優だ。

 だが、それはありえない。あそこには「没後ウン十年」とはっきり書いてあったではないか。今ここに、本人がいるはずがない。


「おやおや」

 不意に年配の女性の声が、ドアの向こうからくぐもって聞こえた。落ち着いた声だが、それがかえって不気味だった。

「来ていただいたのね。よかった。さあ、一緒に帰りましょう。準備は出来ていますよ」

(な、なに言ってんだ、こいつ……?)


 言っていることが解せないので、いっそう気味悪くなったが、そこから出るわけにはいかず、仕方なく、ほかに出口がないかと通路を急いだ。椅子でこけそうになりながら進むと、背後からさっと光がさした。ドアをあけて奴が入ってきたのだ。

 相手がこの世のもんじゃないと確信していたAさんは、振り返りもせず、ひたすらホールの反対側まで進んだ。


「さあ行きましょう。準備は出来てるわ。いつでも戻れるのよ」

 声が近づいてくるので、追ってきたのは間違いない。ぞっとして歩みを速めたが、椅子のせいで進みにくい。

 声が後ろに迫る。

「さあさあ。一緒に行きましょう。本当に、来ていただいてよかったわ」

 声ばかりで相手の足音がしないのも、すごく嫌だった。やはり人間じゃない。

(う、うるせえっ!)

(来んなよお!)

 あせって心で叫んだが、向こうに着いてもドアがあるとは限らない。最悪、大声で技師さんを呼ぶしかあるまい。


 やっと向かいの壁についたが、いつの間にか声は消えていた。振り向いても、誰もいない。

 ほっとしたが、さらに良いことに、壁にドアがある。それも「出口」と書かれている。顔が輝いた。

(やった、これで、この忌まわしい場所から出られる!)(逃げられる!)


 だがAさんが行こうとしたとき、突然、そばでわっとでかい声がした。目の前のスピーカーからだ。

「なにしてるんですか、早く行きましょう」


 振り向いて、あっとなった。スクリーンに、またあの女がいて、映画の中からしゃべりかけている。こっちは端にいるのだが、そのでかい顔は完全にこっちを向いている。相変わらず見開いた氷のような目で、Aさんは凍りついた。


 あわてて走りだそうとした、その右手首を、後ろから誰かが、がっしとつかんだ。振り向けば、スクリーンの女の右手が画面から突き出して、ここまで長々と伸びて、自分の手首をぐっとつかんでいる。そして、すごい力でぐいぐい引っ張られる。

「きゃあああ――!」

 叫んでも引きずられて、ずるずると画面に近づく。ふと気づいたのは、さっき奴が画面にいなかったのは、出番が終わったからではない。そこから抜け出て、ビルの中を歩きまわっていたのである。そんな妖怪と、さっきドアのところで鉢合わせした。そして今、奴はまた映画の中に戻ったのだ。

「よかったわ、間に合って。準備万端よ」

 背後に銀幕が迫るとき、Aさんは女の悪魔のような笑いを見た。




 A子さんはそれきり行方不明になった。

 同じ映画好きだった友人のB子さんは、ある日ネットで、とある映画のチラシを見て、妙に思った。それは誰も知らないマイナーな昔の日本映画で、主演女優の顔の下に、多くの共演者の顔が小さく並んでいるのだが、その一番右端の女性の顔に見覚えがある。

(いや、まさかね)(昭和の映画に、彼女が出てるはずないじゃん……)


 名前も書いていないので、誰だかわからない。まあ似ているだけだろう、とページをとじた。

 そのとたん、なぜか物凄い寒気が背筋を走り、びくっとなった。風邪とはちがう。理由がまるで分からない。

 気味悪くなり、電源を落とした。そしてなぜか、当分映画館に行くのはやめようと思った。

 これも理由は分からない。(終)

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