夢見る人間
世良ストラ
夢見る人間
「今日は、町の上空を飛び回ったよ」
「わたしは海の中を縦横無尽に泳ぎ回ったわ。しかも、イルカと一緒にね」
「ぼくは見知らぬ町でショッピング。平凡だけど、知らない町は楽しかったな」
昔は、こんな他愛もないことを――それでも、各々が自ら見た夢のことを――話し、楽しんでいたという。
ある時、何の前触れもなく人間は〈夢〉を見なくなった。
もちろん、その当時、世界中の研究者は夢を見なくなった原因を探ったという。
だが、そうやって原因を探る間にも世代交代は秒針のごとく刻々と進み、夢を見たことのある人間は徐々に姿を消していった。
そうして早二世紀。
一度も夢を見たことのない人間達が地球の表面を埋め尽くし、夢がおとぎ話のように語られる時代。
こんな時代であっても、夢は幻想である、と切り捨てられることはなかった。
というのも、この時代の研究者が夢に群がっていたからだ。
夢は彼らにとって一振りの魔法のように甘い蜜だったのだ。
だが、彼らが群がっていたのは夢を見なくなった原因ではない。
夢という存在自体、夢を見るという行為に、彼らはどうしようもなく惹きつけられていたのだ。
この夢そのものへの探究と欲求。
これは当初、研究者にとどまった話だった。
だが、ある日記の登場により転機が訪れる。
その日記とは『夢日記』。
著者は、人類で唯一夢を見られる特異体質の男であった。
「クレーンゲームでお金を取り放題なんて最高よね」
「現実では遠慮したいが、夢の中なら殺し合いも楽しそうだな」
「それよりも、好きな人と自由にデートできるんだってよ」
この日記が世に出るやいなや、夢のことを何気なく話す光景が世界中で戻り始めていた。
なかでも人気があったのはお金、命、男女関係の夢々。
そうアンケート結果が出ているし、社会で暮らす人間の行動を見ていれば、この結果はある程度予想可能なことであっただろう。
こうして、『夢日記』という一冊の本から夢の実在を知った夢見ぬ人間たち。
彼らは夢のことを自由に設計可能なシミュレーターとして捉えていた。
夢を見ている当人からすれば、夢はまぎれもなく現実であり、そもそも夢舞台は、自分の意思に関係なく勝手に作られることなどは知りもしない。
いや、知ろうとはしない。
日記を書いた男は「夢は自由であり不自由なのだ」と確かに注意書きを書いた。
にもかかわらず、夢見ぬ人間たちは夢の自由さにしか目が行っていないようだった。
そして、夢のこの自由さが、いわずもがな彼らの夢を求める心に火をつけた。
夢は研究者だけでなく、夢見ぬ人間にとって、つまりは全人類にとっての甘い蜜へと変貌を遂げたのだ。
今や全人類の関心事はお金や戦争ではない。
それらを包含した夢に置き換わった――いや、正確にはその男の見る夢というべきか。
だが、夢について会話を交わそうとも、その夢は何をどうあがいても他人の夢でしかない。
中身のないタマゴと同じ。
外見だけ繕っても、殻の中には空虚があるだけだ。
となれば、その空虚を満たそうとするのが人間という生き物である。
その日記を書いた男だけが持つ夢。
男はその夢を持ったために、国の違いをこえ、全世界から幽閉された。
男は夢を見ているときの脳活動を毎日のように測定、記録されている。
夢見ぬ人間でその脳活動を再現し、夢を見ようとする実験、その実験のためのモルモット、それが今の男の姿だ。
とはいえ皮肉なことに、一人の男の犠牲によって――昔の人間には普通だった〈夢〉という存在によって――世界は一丸となり始めていた。
戦争も何もかも忘れ、夢を求めて足並みを揃えていたのだ。
人類の歴史始まって以来の平和が訪れていたのだ。
しかし、実験は失敗を繰り返すばかりで、未だに成功の兆しは見えていない。
私はそのことを肌で感じている。
私はいつも通り寝室で目を覚ました。
キングサイズのベッドからふかふかの絨毯に足を振り下ろし、一階下のキッチンで、新鮮なフルーツと焼きたてのトーストをいただく。
それから、街路樹の木漏れ日の中を散歩し、家に戻って昼食をとる。
テレビを見たあとは室内ジムで汗を流し、夕食はフレンチのフルコース。
そのあとは、バルコニーでラジオを聞きながらシャンパン片手に涼み、シャワーを浴びてからまたベッドへと戻る。
あなたにはわかるだろうか……。
なんと単調でつまらない毎日の繰り返しなのだ!
こんな日々であろうとも、誰かとおしゃべりできるならば幾分かはマシであろう。
だが実際は、誰かと会うこともすれ違うこともなく、入ってくる言葉のほとんどはテレビとラジオという電波信号のみ。
唯一生に近い形で聞ける言葉に希望を見出そうとしても、その言葉はいつも同じで、変わる気配さえ一向に見えない。
「博士、またダメです。この男の脳活動を夢見ぬ人間で再現しても――あの日記のような夢を見たという者はひとりもおりません」
今日も私は頭に装置を被され、装置が動かないようにと全身を固定されたまま眠ることになる。
私以外の全人類は、夢という自由の世界を求めて私を不自由な世界に置いている。
皆、自分達でどうにかしようとはせず、私から夢を得ようともがいている。
私はすべてが不自由なのだ。
本物の世界に出向くことすらできない。
偽物の太陽と、町と、木々と、家と……。
そんなモルモットの檻に閉じ込められてから、私は同じ夢しか見られなくなった。
不自由を得て、夢を自分の思い通りに見られるようになったとは皮肉なものだ。
いや、夢からも自由がなくなったというべきか。
どちらにせよ、毎日見るその夢とは以下のようなものである。
ベッドの上で、気持ちよく寝返りを打ちながら眠りについている夢。
夢を見ず、ただ死んだように眠っている夢。
この夢とは言い難い夢のことは、『夢日記』の二の舞にはなるまいと、私だけの〈夢〉として墓場まで持っていくつもりだ。
そして、今日もまたあの声が聞こえてくる。
「博士、またダメです。この男の脳活動を夢見ぬ人間で再現しても――夢を見ず、気持ちよく寝ているだけで――あの日記のような夢を見たという者はひとりもおりません」
これは長い悪夢なのだろうか。
そうであって欲しいと思いながらも、目覚めた世界のことを思うと不安がふつふつと湧いてくる。
もしこれが夢ならば、私一人を犠牲にした世界の平和もまた夢なのかと……。
そんな一抹の不安を抱えながらも私は今日も眠りにつく。
〈夢〉を見ることこそ私の生きる道であり、そこにこそ、私の理想の世界が待っているのだから。
夢見る人間 世良ストラ @atlas11
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