第7話 修行を始めます――自己流で

「そりゃまた興味深い。次は私もその世界に連れて行ってくださいな」


 日記の中の世界の話をすると大沢さんは感心したように言った。


「でも、無事に戻れて良かった。これからはもちかえってきたアイテムを試すのは私がいるときにしてくださいな」


 心配そうに言われ、僕らは大沢さんに頭を下げた。


「で、次に触るときには私もその世界に行けるかな?」


「いや、無理でしょう、たぶん。だって撮影したとき何もなかったでしょう?」


 僕は大沢さんに目を向ける。今日は暑いのでこの家出は大沢さんもかなり軽装になっている。薄いシャツに3分丈のスポーツスパッツだ。澄香と違う大人の色気がある。


「ダメです」


 澄香が僕の頭を後ろから持って、視線の方向を無理矢理変えた。


「不便だ。目線が読まれてる」


「そんな露骨にガン見していれば誰でも分かります」


「お嬢、私に嫉妬することなんかないですよ。真田くんはお嬢にメロメロですから」


 僕は否定しないが無視もする。澄香は答える。


「嫉妬ではありません。モラルの問題です」


「じゃあ見られる本人がいいんならいいんじゃないですか? 別に生足見られるくらいどうってことはないし。そもそもお嬢も生足じゃないですか」


「だってエアコン苦手なんですもの~」


「30度を超えたらエアコンにしたいんですけどね。パワハラだ」


 この辺は郊外なのでエアコンの排熱が少なく、正直都市部よりは涼しい。それでも30度はいっている。大沢さんが続ける。


「でも真田くんは女子2人が薄着の方が嬉しいでしょ?」


「幾ら嬉しくっても欲求不満がたまるだけなので……」


 正直、苦しくなるだけだ。


「あー 男の子だもんね」


「どういうことですか」


「お嬢は知らなくてもいいことです」


「えっ、そんなのずるいです。2人だけの秘密なんて」


「2人だけの秘密ではないよ。単に僕が困っているだけで……」


「真田さんがお困りなら力になりますよ! 私にできることなら言ってください!」


 大沢さんはお腹を抱えて大笑いした。


「知りたいですか?」


 澄香は大きく頷き、大沢さんは彼女に耳打ちした。すると彼女は真っ赤になって顔を手のひらで覆った。


「――それは確かに物理的にはお力にはなれるのですが、そしておかずのご提供くらいなら今朝も言ったとおりやぶさかではないのですが、そこまではまだお会いしたばかりですし、私、心の準備ができておりません」


「お嬢、真面目だなあ」


「気持ちだけで十分だよ」


「私はおかずの提供は基本的にしないからね。そもそもお嬢で満たされるでしょ?」


「いやもう本当にお気持ちだけで十分」


 既に拷問に近い。澄香が僕に耳打ちした。


「でも、真田さんが私のことをそういう目で見てくれるのは嬉しいです」


 そしてすぐに離れてこう言った。


「なんちゃって」


 我が耳を疑う出来事に、僕は茫然自失としてしまっていたに違いなかった。


「あ、フリーズしてる。真田くんが元に戻るまで普通に話を進めよう。日記の解析には2日くらいかかるらしい。それでたぶん、2人の経験したことが日記の内容なのかどうか、分かるはずだ。でも、日記に書いてあることなら、それで済むと考えるのが普通じゃないかな。読めなくなるくらい時代が下った子孫に向けて書かれたものとも思えないし、それならそのメッセージには別の意味があると考えるべきじゃないかな」


「どういうことです?」


「つまり、見たことに意味がある。イベントの内容ではなく」


「ああ。僕は鬼継さんの力の使い方の感覚が伝わってきました」


「私は式神を使役しているイメージがわかりました」


「それぞれ別のことを感じていたんだ。もしかして力を発露するきっかけ作りの意味があったのかな、とか思いたいんだ」


 大沢さんは難しいことを言うが、確かに何の訓練も受けていない自分たちが敵の襲撃を受けたらひとたまりもないだろう。今、攻撃されていないのは単にじわじわと呪いが進行して我々が死に近づいているからなのだろうか。


「呪い? そういえば神木さん、呪いって言っていた!」


「もしかしてやっぱり再生不良性貧血って呪いだったの?」


 澄香が大沢さんに目を向ける。


「うーん。医学的には発症する確率があったからなんですが、呪術的には何故それが発症したのかに理由を求めるのです。確率とはまた別に、世の中の全ての出来事には理由があるって理屈ですね。その理由が、他者からの呪い――って意味だと思います」


「発症する確率を引き上げたり、治癒する確率を引き下げるのも呪い?」


「ああ、確率を上げ下げするってわかりやすいですね。運命のサイコロの目を操作するのが呪い、と言い直しましょうか」


「じゃあ成功の確率を引き上げるのもまた呪術」


 澄香は考え込んだように頷いた。


「カミガタが飛ぶのは別の理屈だよね」


「あ、日記の世界では飛んでたよ!」


「もう訳分かりませんな」


 大沢さんは吐き捨てるように言った。


「でも意味があるのなら、試す価値があるよ!」


 澄香は前向きだ。見習わなければならないと僕は思う。


「その前に冷房入れましょう。もう無理」


 大沢さんが掃き出し窓を閉めてエアコンを稼働させる。設定温度は30度だ。妥協点なのだろう。僕は口出ししないが、助かる。


「寒くなる~」


 澄香がそういって上着をとってくると大沢さんが言った。


「真田くんが恨めしそうな顔をしてる」


「そんなことないですよ」


「仕方ないな。私はしばらくこのままでいてやろう。あーでもまだ暑いな」


 そしてシャツの第1ボタンを開けて胸元をちらりと見せる。


「大沢さんはおかずを提供しないといったばかりなのに!」


「サービスだよ、サービス。お茶入れるね」


 そして立ち上がってキッチンに向かった。


 澄香のツッコミに笑顔で応える大沢さんは大人の女性だった。


「真田さんは私が上着着ていない方が嬉しいですか!」


「怒ってる怒ってる!」


「怒ってません!」


「澄香さんの体調が最優先だよ。なにせ僕の生命力に直結しているからね」


「真面目に答えてください」


「これ以上、どんな真面目があるんだ!?」


「――ないですね。でも面白くありません」


「なにが?」


「真田さんは、私の式神になる人ですから!」


 ああ。日記の世界で彼女がそう感じたのだということを僕は察した。


「大丈夫だよ。大沢さんが言っていたとおり、僕は澄香さんの魅力にメロメロだから。メロメロ死語だけど。あ、悪魔の実があるから死語じゃないのか」


 澄香はまた赤くなった。


「どうしてそういうことを平然と言えちゃうんですか!?」


「魂がつながっていなくても、なんかこう、守ってあげないとならない可憐な女の子だなって心から思えるから。大切にしてあげないとと思う」


「いや、だから、どうしてそんな歯が浮くようなことを――」


「なんでだろう」


 自分でも不思議に思う。


「君が校門に現れたときに確信があったから。本心隠していいことないしね。別に僕から澄香さんに要求することはないから、言ってもデメリットは生まれないと思うんだ」


「いやも~~分かりません! 真田さんのこと。いえ、本当のことを言っているのは、つながっているからわかりますよ。その思考回路が不明です!」


「かわいい女の子を守ってあげたいと男が思うのは自然だと思うよ。単にそれだけ」


 澄香は俯いた。


「――夕ご飯は私が作ります」


 顔を上げた澄香は真剣な表情だった。


「はい」


「それまではちょっと考えがあるので修行を始めます」


「日記の世界にヒントがあったんだね。実は僕もなんだ」


「では、各々修行に励みましょう」


「はい」


 澄香の真剣な気に圧されつつ、僕は立ち上がった。




 さて、何をしようか。


 僕は暑い日差しを避けて、軒下の日陰で小さな折りたたみ椅子に腰掛けて考える。


 日記の世界で感じた鬼継さんの身体の使い方を思い出し、実践してみようと試みる。


 うん、こんな感じかな。


 この2ヶ月の間、澄香とつながっている感覚を自分の四肢に行き渡らせる。この感覚はなにも彼女とだけつながっているわけではない。感覚全体が身体より外に広がっている感じだ。だから筋肉や腱の動きなどは容易に確認できる。これは熟練の武道家や一流のスポーツマンが会得するような感覚ではないかと思う。


 すっと真っ直ぐ立ち、右の拳を突き出してみる。


 つま先から拳まで、筋肉を連動させることができたことが意識的に確認できた。


 鞭を振ったときのようなパンという音がした。


 右の拳を見ると手の甲が赤く腫れていた。拳のスピードに耐えられず、毛細血管が裂けたのかもしれない。


「素人の身体じゃこうなるわなあ」


 安易だが、もう鬼の力が使えるようになったらしい。


 しかし一発放っただけで既に使った筋肉が痛い。


 今度は軽く見よう見まねのミドルキックを宙に放ってみる。


 今度はパンという音こそしなかったが、目の前をバイクが通り過ぎたような空気の渦が生じた。これでは危なくて練習すらできない。困った。


 今度は意識せずにミドルキックを放ってみる。すると素人のへろへろキックが出て安心した。どうやら意識さえしなければ、普通の力しか出ないらしい。


 どちらにしろもう全身が筋肉痛だ。どれだけ筋繊維が切れたのか見当もつかない。体調が悪いわけでもないのに、がっくり項垂れ、とぼとぼと家の中に戻る。


 居間では澄香がチョキチョキと紙をハサミで切って、手を大きく広げたヒトガタを作っていた。頭上ですでに1体が旋回していたので、呆れた。


「習得早っ!」


「真田さんも何か掴んでいたでしょう?」


 身体を動かしていなかった分、僕の動きも感じ取れたらしい。


「大丈夫? 僕は今、全身疲労に筋肉痛なんだけど、伝わってない?」


「うん。大丈夫。でもほどほどにしないと真田さんの負担が大きくなりますね」


 それは容易に想像ができる。


 2体目を完成させると澄香は念を込め、ヒトガタを座卓の上に立たせ、うやうやしく挨拶させた。


「ヒトガタ2号くん、よろしく」


「いや、本当にすごいことになってきた……」


 とても現実には思えない。これまでもいろいろそうだったのだが、ついにここまで現実離れしたかと思う。


 いや、その中でも1番は澄香ほどの美少女と同居していることの方が現実離れしている。そのことを思い出し、改めて僕はその幸運を喜んだ。


「沢田さんに何か買ってきて貰う? 湿布とか……」


 澄香からはそれほど苦しそうに見えるらしい。


「うん。メモる」


 そうして僕は沢田さんにお願いするお買い物のメモを書き始めた。

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