第6話 日記の中へ

 13時過ぎに旧大林邸に戻ってきて、僕らは窓を開け放って換気をして熱気を外に出した。エアコンはついているが、古い建物なのであまり効かない。扇風機で耐えられるなら耐える方が解放感があっていいのだ。熱中症警戒アラートが出ていないうちは、フルオープンにする予定らしかった。


「せっかくですから夏を満喫したいのです」


 笑顔の澄香にそう言われると、僕はそうしてあげたくなってしまうのだった。


 弱い。弱いとは思う。しかし出会ってから丸1日経過しただけで、もう僕は澄香の魅力にどっぷりはまってしまっていた。


 まずかわいい。立ち振る舞いにも品がある。表情が豊かで、コロコロ変わってそのどれもが魅力的だ。そして言葉遣いも丁寧で、僕のことを気にかけてくれる。


 そしてなんというか、一言で言えば可憐なのだ。


 可憐な澄香に僕が本当に恋に落ちるのも時間の問題だった。


 こういうのをチョロいというのだろうと僕は自戒したが、止まらないものは止まれないだ。


 そしてそう僕が思っていることはなんとなく澄香に伝わっているようで、彼女はさっきから黙りこくっている。うん。それはそうだ。気が早すぎる。距離を詰めるにしてももっと慎重にしなければならない。なんと言ってもしくじれないのだ。しくじったら彼女は、そして僕も死んでしまうのかもしれないのだから。


 しかし気のせいかもしれないのだが、彼女からは悪い感覚は伝わってこない。僕の気持ちを迷惑には思っていないらしい。それは救いだった。


 僕らが掃き出し窓を開けている間に、大沢さんはさっそく昼ご飯作りに取りかかっていた。しかし彼女は少々お怒りだった。


「簡単なものしかつくりませんからね! 外で食べてくれば良かったのに!」


「期待してます~」


「大沢さんの料理になれてしまったんです。美味しいですよ、毎日」


「くう。お嬢のアゲてくれるお言葉に弱い私」


 僕らはキッチンで持って帰ってきたアイテムを広げる。


「杖でしょ、鏡でしょ、眼鏡でしょ」


「そして日記だ」


 澄香が杖刀を手にして鞘を抜くと、サビ1つない刀身がLEDライトと窓からの明かりに照らし出されて輝いた。ぱっと見たところ、神木さんが言っていたように刃は付いていないように見えるが、その代わりに何かを帯びており、それが刃の代わりに紋様を作り出していた。


「マジックアイテム?」


「私たちの間にこんなオカルト現象が生じているなら、マジックアイテムがあっても不思議はないかもですね」


「鏡は、鏡だよな」


 鏡を包んでいる布をはがし、鏡の裏の面、文様が鋳出されている方を見る。草の模様や龍の模様や分からない人物などがいるが、どうやら物語の一部らしい。いや、神話だろうか。意味はあるに違いない。


 裏返し、鏡面を向けて自分をのぞき込むと、少々やつれた自分の顔が映し出された。


「それはそうか」


 だが、普通の鏡ではないのか、一瞬、自分の顔が違う何かに見えた。


「うわ。やっぱりこれも普通の鏡じゃない」


「どうしたの?」


「顔が変わって見えた……」


「学校の怪談みたいだね。貸して」


 そして澄香も自分の顔を鏡で見ると、恐らくさっきの僕と同じような顔を澄香もした。


「本当だ! 私に似ているけれど、違う人が写ったわ!」


「そういうアイテムか。何が写ったのかは分からないからまだ慎重に扱わないとならないけど。日記に鏡のことも書いてあればいいのだけど」


「そうよね。日記よね」


「眼鏡は日記を見てからにしよう」


 そんなことを相談している間に大沢さんが作っているお昼ご飯が完成した。


「パスタです」


 3枚の皿にそれぞれ山盛りの熱々パスタが乗せられている。


「それは見れば分かるよ大沢さん」


「簡単なものしか作らないって言ったでしょ?」


 そして冷蔵庫からバターとニンニクのチューブ、そして刻み海苔を取り出した。


「はい、味の調整はご自分で」


 大沢さんのお怒りは鎮まっていないようだった。


 仕方なく僕らはバターをパスタに載せてチューブのニンニクと刻み海苔をふりかけ、テーブルこしょうを振りかけて混ぜた。


「美味しい!」


 澄香が驚きの声を上げる。確かに美味しい。ただ、力業感は否めない。


「簡単なものとは言いましたが美味しくないものとはいってません」


「それは分かるけど、B級だなあ」


「ふりかけご飯みたいなもんですから。ああそう。さっき、日記が、って言ってましたよね。全部画像に取り込んで解読を依頼しますからご心配なく」


 そして熱々パスタのバターのせを一瞬で平らげ、日記を開き、スマホのカメラで撮影を始めた。時間が掛かるのならば急いだ方がいいのは分かるが消化に良くなさそうだ。


 しばらく撮影した後、画像を整理してどこかに送っていた。


「よし、後は待ち」


 大沢さんはプンプンしながら自分の皿を洗った。


「今度は何を食べるか決めてから出かけましましょうね」


「本当ですか、お嬢!」


「大沢さんは何を食べたいですか?」


「なんでも。自炊でなければ!」


「ファミレスでも?」


「食い倒していいなら!」


 元気な女性だなあと心から僕は思う。


 僕らもパスタを食べ終えて、自分の皿は自分で洗い、居間に戻る。蚊取り線香の匂いが今もきつく漂い、暑さも残っていたが扇風機があればなんとか過ごせそうだった。


 扇風機の方が澄香が軽装になるのでいいかな、と思ってしまう。だが、これも感じ取られてしまうかもと思うと反省するしかない。


 アイテムも居間の座卓に持ってきて、今度は日記を開いてみる。


 歯を磨いた澄香が戻ってきて、僕に声をかけた。暑いからだろう。かつらはとっていたし、やはりTシャツにショートパンツという軽装で、長くて白い脚を惜しげもなくさらけ出してくれていた。一言でいうと、嬉しい。


「読めます?」



「達筆すぎて無理」


 澄香は僕の隣にちょこんと座ると日記をのぞき込み、僕の肩と触れただけでなく、彼女の頭が僕の鼻先をかすめた。男慣れしていないからか距離感が分かっていないらしい。


 女の子のいい香りがした。制汗剤なのかグレープフルーツの香りもした。


 そして思い出したように僕の空いている方の手を取った。おそらく身体を休めるためなのだろうと思ったが、そのとき、日記が輝きだしたように僕には思えた。


 もちろんそれは心象風景なのだろう。


 少しずつ輝く野原が広がり、その速度は加速し、僕と澄香の存在が輝きとともに広がっていくのが分かる。


 本当にファーストガンダムのニュータイプ能力か! と思ったところで、僕の意識は途絶えた。




 意識が途絶えていたのは、おそらくほんの一瞬だったのだろう。


 気がつけば僕は見知らぬ街を上空から眺めていた。いわゆる鳥瞰視点というやつだ。


 しかしそれは見知らぬと言っても、現実で見たことがなくても映画や歴史ドラマで見たことがある街並みだ。


 それは戦前の東京、いわゆる帝都というものだ。


 路面電車が走り、道も狭く、建物も木造と鉄筋と低いのと高いのとが入り乱れている。


 ところどころに空き地があるが、その大半は都市計画道路になるであろう場所だと分かった。関東大震災を経て、復興しつつある時代らしい。


「ここは日記の中の世界ですね、たぶん」


 澄香はすぐ隣を漂っていた。


「日記に呪術を仕込んであったんだね」


「でもこんな形で見られるなんてすごいです……」


「情報だけ伝達しているんだけど、実際に脳が理解するのにこんな形になっているのかもしれないよ」


「100年離れてますからねえ。子孫が何を考えて、どんなメディアに触れているかなんて想像を絶するでしょうから、分かりませんけどそうかもですね」


 僕らの眼下ではドラマが早速始まっている。


 路地で小汚い若い兵隊とヤクザがケンカしており、1対多数にもかかわらず、兵隊がヤクザを圧倒する様子を上空から眺めている。視点が旋回しながらだと分かるので、何かで飛んでいるのだと思われる。


「使い魔か式神の視点?」


 澄香が鋭い指摘をした。


「それっぽいね」


 ヤクザが1人、マンガのように吹き飛ばされて、電柱に身体をぶつけて泡を吹いて倒れるのが見えた。


「人間の腕力とはとても思えない」


「となるとあの人が鬼継さん?」


「なるほど。本当に人間離れした力を持っていたんだ」


「どうして兵隊が1人でこんな街中でケンカしているんだろう」


「マンガ知識だと戦争帰りを想像するけど。あのマンガじゃ日露戦争だったけど時代的には第一次世界大戦後だから――」


「第一次世界大戦で日本って戦ったんでしたっけ?」


 また眼下で1人、文字通り千切って投げられた。


 ヤクザの2人が巻き添えをくって、3人が路上に仰向けになって倒れた。


「本当に人間凶器だ」


「プロレスでもこうはならない。ああ、その頃の日本は中国で、どさくさに紛れてドイツの租借地を奪っているよ。軍服を見る限り、実戦経験者って感じだ」


 倒れたヤクザの1人が拳銃を抜くが、兵隊さんは独特な歩法で瞬時に距離を詰め、銃口を見切って突きを放ち、またヤクザを遠くへ吹き飛ばした。


 ヤクザたちは散っていき、街の人たちに感謝されるが、兵隊さんは名乗らず去って行く。というか助けたつもりはないようだ。


「ワイルドだ」


「ものすごく体格もいいし、いかに現代人がヤワか思い知らされるね。鬼継さんが別格だとしても。あ、もしかして鬼継さん系のああいう感じがお好み?」


「そ、そんなこと言ってないよ!」


「でもご先祖の土御門さんはOKだったんでしょ?」


「ご先祖はご先祖だよ――あ、これってそのご先祖の式神の視点だ」


 澄香が思い至ったとおり、視点に土御門さんと思われる人はいない。本人が飛んでいるのでなければ式神だろう。


「ご先祖様がストーカー、マズいですね」


「違う。土御門さんが式神候補にしている鬼継さんを観察しているんだよ」


「そういえば神木さんが僕らと同じような関係だっていっていたね。え、つまりそれってやっぱり僕は澄香さんの使い魔ってことか」


 ちょっとしょんぼりしなくもないが、そこまで悪い気はしない。ちょっとM気でもあるのだろうかと思ってしまった自分の方が恐ろしい。


「言い方!」


「イヤ実際、それっぽいよ。ほら」


 瞬時に時間が経過し、夜中になる。


 狭い路地のひさしがあるところで、もう僕らは小汚い若い兵隊さんを鬼継さんだと決めてかかっているのだが、彼が座って夜を明かそうとしているシーンにでくわす。


 そこに数頭の野良犬が現れ、襲ってくる。どう考えてもただの野良犬ではなく、強化されている。おそらく野良犬も何ものかに使役されているのだと思われた。なにせヤクザを千切って投げていた鬼継が苦戦しているほどである。殴り飛ばしても空中で姿勢制御して壁を蹴って帰ってきて攻撃に転じるなど、野良犬はなかなかアクロバティックな反撃をしてくる。しかも力も強い。鬼継は黒い短剣を手にして潰し切って野良犬の数を減らした。


「苦戦してますね」


「そろそろ土御門さんの出番かな」


 僕の想像通り、見かねたのか、大きなリボンを髪に結び、着物に袴、編み上げのハーフブーツを履いた絵に描いたような大正ロマンの少女が現れ、助太刀するが、鬼継さんは余計なことをとばかりに吐き捨て、土御門さんと思われる少女は激高しつつも野良犬を撃退。野良犬の死体から式神の証拠を見つけると、土御門はどうして襲われるのかと鬼継に問い、知るか、逆恨みだろうとしか答えない。


「ふーん。鬼継さんは巻き込まれ型なのね。他人には思えませんな。実際、ご先祖か」


 彼が戦っている間、鳥瞰している僕にもその感覚が伝わってきていた。身体と気の使い方とでもいえばいいのだろうか。鬼としての力の揮い方だ。それは子孫の僕の中にも眠っている可能性がある。だとしたらこの感覚は貴重だ。


「あ、怒って土御門さん、いってしまったわ」


「ツンデレだ」


 後に結ばれないと我々が存在しないので、僕らは気楽な傍観者だ。デレることは分かっているのだ。


「式神の記録が残ってるってことは以前から鬼継さんのことはマークしていたんですね」


「そりゃあんな怪力の鬼の子孫ならマークもするでしょう」


「式神候補なのはまだ言わないのね」


「言ったら交渉もなにもないでしょう。いい大人があんな女の子にはいそうですかって仕えられないよ」


「でも鬼継さん、お金に困ってそう」


「あ、場面変わるよ」


 今度は昼間になり、上野公園で空き腹を抱えているところに、自転車に乗った土御門が現れ、上から目線で弁当を渡そうとするシーンになる。


「餌付けしようとしてる……」


「自分の式神で鬼継さんがいる場所は把握してたんだ。それでお弁当を作って持っていくなんてかわいい」


「自分が鬼継さんに接する姿を、客観的にみたら悶え死にそうですが」


 鬼継は最初、貰う義理がないとつっぱねるが、いろいろ会話をかわした後、観念して食べ始めた。中身は白米に梅干しにお新香そして干物だったが、鬼継にはごちそうだったらしく、また、長い間空腹だった彼の胃を満たせるほどの量があり、生き返った顔をした。そんな彼の姿を見た土御門は隠れて笑顔になったが、鬼継の目が彼女に向くと顔を引き締めた。


「わあ。ご先祖様、ツンデレ」


「デレてるの見せてないって。それにしても神木さんがおっしゃっていた通り、土御門さんは顔の作りや全体的な雰囲気が澄香さんによく似ているね」


「そうなんだ。自分では分からないけど、雰囲気が似ているのは認めます。というか感じます」


「あ、お礼を言われて土御門さんがデレてます」


「見てるこっちが赤面しますね……」


「でも、澄香さんはご先祖様と違ってツンデレじゃなくてよかった。澄香さんにツンられたら僕、耐えられなくて死んでしまいそうだし」


「なんですかそれ!?」


「普通がいいって話です。おおお、画像が乱れ始めた。式神が何かに襲われてる!」


 僕らが見ている画像がめまぐるしく動き始め、敵が使役すると思われる紙ペラ1枚の人形ヒトガタが攻撃を仕掛けてくる。


「やっぱり敵がいるんだ!」


「ってことはその敵が――」



 

 日記の世界の中でそこまで言いかけたところで、僕は現実で続きを言葉にした。


「今の僕らを殺そうとしている」


 僕は座卓の前で目を覚ました。どうやらうつ伏せになっていたらしい。


 外から蝉の声が聞こえ始めていた。


「やっぱり疲れていたんですね、真田くんもお嬢も」


 澄香は僕の隣で同じように座卓にうつ伏せて寝ていたようだが、同じタイミングで目を覚ましたようだった。僕の方を見ると即座に口を開けた。


「敵ですよ、敵。ヤクザも野良犬も、最後のカミガタも! 陰陽術です!」


「今の僕らが襲われたらひとたまりもありませんな」


 なにせ今こそ体調はいいが、澄香は生きているのがやっとの状態だ。


「――何かありました?」


 大沢さんが僕と澄香を怪訝そうに見た。


 僕らは頷き、それぞれ見たものを彼女にゆっくり説明し始めたのだった。

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