第2話 僕と彼女の関係

 僕が骨髄ドナー登録をしたのは軽い気持ちからだった。


 西高の最寄り駅に献血車が来て、お菓子でも食べようと思って献血をした際、18歳になっていたので何げなく『ドナー登録をする』にチェックしただけだった。


 それから数週間後、自宅に連絡が入った。


 本来、骨髄バンクでは18歳から登録ができるが、提供は20歳からになっている。なのでドナーの話が自分に来るはずがないといぶかしんでいたのだが、どうやら患者は重症らしく、一刻を争うとのことだった。おそらく誰かが横車を押したのだろう。別に日本国内で18歳の骨髄提供が法律で禁止されているわけでもないので、誰かの命を救えるのであればと、都内の大きな病院で骨髄を提供した。検査採取はものすごく痛かったが、本採取では全身麻酔だったので、術後の軽い痛みが残るだけで済んだ。


 すぐに予定のスケジュール通りに退院し、実際、何事もなく1ヶ月が過ぎた。


 そして体調が優れなくなり始め、最近は歩くのも辛いくらいだった。手術時の感染症が疑われ、ほうぼう検査したが、異常はなかった。


 本当は手術の失敗ではないことを感じていた。


 すぐ近くに誰かがいるような気がして、眠っている間も、その誰かの吐息を聞いているような、そんな感覚を味わっていた。


 誰かとつながった、という確信があった。それも年若い女の子だと何故か感じられた。


 この疲労は彼女とつながったために生じているのだ、と最近は考えていた。


 体調不良は徐々に進行した。登校するにも休み休み歩かなければならないし、時には杖までついて、体育は全て見学した。おそらくつながったのは自分の骨髄を移植された誰かだと感じてはいたが、それを突き止める手段は自分にはない。諦めの気持ちと現れてくれるという予感を抱き、今日まで待っていたのだ。


「私も移植は成功と言われてものすごく喜びました。私の場合、急性でして、倒れたのが受験が終わったばかりの頃で――無事、合格して入学で喜んでいるときで……」


「それは大変だったね」


 店員さんがタルトとコーヒーをテーブルの上に置いていった。


 澄香嬢は頷いた。


「退院もできて、遅れて学校にいって、友達もできかけたところで、体調がまた悪くなって――数値も悪くなっていましたが、日常生活に問題がないので、様子を見ようということになったんです。入学したてで、私が通いたかったものあるのですが」


「でも、誰かの存在を感じた」


 澄香嬢は頷いた。


「すぐに私の中にいる誰かだと分かりました。体調が回復するかもと思っていたので、それは気のせいだと思うようにしていたのですが、検査結果はより悪化していて、私、確信したんです。あなたから命を分けて貰っているんだって。オカルトですけど、それしか考えられなくて、心の奥の何かも、そう言っていて……」


「わかるよ」


「そう考えたら会わないとと思って。父がごり押ししてできた骨髄移植なのに、ドナーの個人情報を教えるなんてとんでもないってことで時間も掛かって……」


「犯罪だよねえ。お父さんって……?」


 ドナーと移植者の個人的接触は基本的にあり得ないのが大原則だ。


「ある政治家の後援会長でして」


「ああ。そんなレベルかなという気はしていた」


 澄香嬢がお嬢様なのは一目で分かるし、公共財団を相手に横車を押す相手だ。よっぽどだろうとは思っていた。その政治家の名前は聞かない方が良さそうだ。


「当然、調べたんです。すると面白いことが分かりました。真田さんのお父さんと私の父がまた従兄弟だったんです」


「面白いというかそんな関係がないとドナー適合しないんじゃないかな」


「それは私も思いました」


「ということは父さんの曾祖父母の親の代だから、高祖父母?」


「よく高祖父母なんて言葉、知ってますね」


「おぼろげに記憶が……そうか。親戚と言えば親戚なんだ。うちは一般家庭なのにそっちはなんかいいお家柄な感じだよね」


「成金なだけですよ」


「それにしても体調悪いのによく西高まで1人で来たね」


「会社の者を随行させようとしてましたが、それは断固断ったので。送っては貰いましたが――それより、ご迷惑じゃなかったですか? 公衆の面前でハグしてしまいましたよ、私たち!」


 澄香は恥ずかしいのか驚いているのかよく分からない表情を浮かべた。


「言い訳しないとならない女の子はいないので大丈夫。男どもには体調が悪くて気分が悪くなった君を介抱していたと言い訳はするけど」


「そうです。合ってます。言い訳じゃない」


「なら、迷惑じゃない」


「ううん。迷惑だったでしょう?」


「君みたいな美人に抱きつかれて幸せにならない男はいないよ。制服が夏服だからよりよく分かったし」


「からかわないでください!」


 澄香は真っ赤になってコーヒーカップに口をつけた。


「からかってなんかないよ。だって校門で君が立っていたら人だかりができていたじ

ゃないか。君はかわいい」


 僕は可笑しくなった。変な関係だが、僕らはその関係を確信している。言葉ではなく、感じるのだ。だから僕が本気で言っているのも彼女は分かるはずだ。


「真田さんも私には格好良く見えますよ」


「それは命を分け合っている相手だからだろうね」


 澄香嬢は頷いた。


「そういう感覚はあります」


 命の危険があるとき、本能的に頼れる者を好ましく思うように人間はできているらしい。おそらくそれだろう。


「フェアじゃないとは思うけどこんなかわいい女の子が移植者で良かった。これで相手がおっさんとかだったらコメディにしかならない」


 僕は肩の力を抜いてタルトを食べる。イチジクのタルトは爽やかな甘さだ。


「それが私の方だったらかなり不幸ですよ。スケベオヤジとかでつけ込まれるような事態になったら、もう死ぬしかないと思っていました」


 どうやら18歳なのに骨髄採取の話は彼女自身はよく分かっていないようだ。知っていたら少なくともオヤジの線は消えるだろう。


「僕はまだ許容範囲ってことだ。ありがとう」


「そもそも男の人とお話しすることもあまりないので。あ、いえ、もしこんな状況でなかったら真田さんが許容範囲でないという意味では……」


 澄香嬢はゴニョゴニョ続けた。


「本当に見た目通りお嬢様なんだなあ」


「別にお嬢様じゃないです。女子校育ちなだけで」


「本来そういう学校って一貫でしょう? でも県立に進んだのはどうして?」


「環境を変えたかったからなんです」


「うん。そういうのいいね」


 僕が頷くと澄香嬢は恥ずかしげに頷いた。


 思わず僕は澄香嬢の頭に手を伸ばし、軽くポンポンとしてしまう。


「えええ???」


「ああ、ごめん。妹にするみたいにしてしまった」


「そ、そうなんですか……」


 澄香嬢は俯いた。怒った様子がないのが救いだ。


「妹、君と同じ歳なんだ。でも、頭ポンポンなんて小学生の時以来だなあ」


「私、小学生ですか?!」


「だから謝っているじゃない……ほんと、イヤな思いしたらごめん」


「イヤじゃ――なかったです。今日、初めてお会いしましたけど、この1ヶ月、真田さんの存在を感じてましたから他人には思えませんし」


「そうなんだよな。そう考えると妹より近い。つながってるの、分かるよ」


 目の前にいるから分かる。自分が彼女を見て、彼女が自分を見ているのが分かるから、時折、自分を見ている気になることがある。距離のせいか、魂のリンクはこれまでで一番強くなっていると思われた。


「だから頭ポンポンですか」


「かもしれないね」


「私の人生初の頭ポンポンだったんですが」


「それは光栄」


 僕は思わず笑ってしまい、彼女も笑った。


「頭ポンポンだけでまた回復した気がする」


 さっき彼女に触れた手がまだ温かい。それを聞いて澄香も応えた。


「頭痛が消えました。たぶん、単純接触が一番リンクの効率がいいんでしょうね」


「ワイヤレスか直結かなら直結の方が余計なエネルギーいらないもんね――やっぱり頭痛する?」


「吐き気とめまいと。でもこうしているとあまり感じないです」


「同じだな。なんでこんな現象が起きているのか突き止めないとだけど、まずは現状を認めよう。そしてなるべくお互いを理解しよう」


「賛成です。でしたら明日、学校はお休みして共同生活を始めましょう」


「なぜ、そうなる?」


 僕は無意識のうちに自分の目を大きく見開いたのが分かった。


「一緒にいたらこんなに楽なんですよ。というか少しでもお互いの命を延ばしたければ近くにいた方がいいと思うのですが」


「それは分かる」


 健康のありがたみは失って初めて分かるというが、また先ほどまでの体調不良に悩まされるくらいなら、彼女の申し出を受けた方が単純に楽だ。


「明後日から夏休みですし、終業式を休むくらい大丈夫でしょう?」


「いいけど僕、受験生だよ。夏期補習もあるよ」


「西高でもオンライン受講できるでしょう? 同じ県立なんだから分かります」


「ああ、そうね。いや、君みたいな美少女と一緒に生活できるのは嬉しいけど、セキュリティは大丈夫なだろうね」


「セキュリティですか。真田さんをお招きしたいのは前に住んでいた一軒家ですが、普通のお宅ですので鍵はかかりますし、機械警備も入ってますが」


「いや、君自身のセキュリティだよ。僕、男だよ?」


「私が真田さんに押し倒されるかもってことですか?」


「――そう」


「真田さんはそんなことしません」


「なんで断言」


「だって分かりますもの」


 澄香は自信たっぷりに笑った。


 それは無理矢理なんて絶対にしない自信はあるが、万が一ということもある。しかしそんなことも感じられているのかと思う。確かに断言したときの想いみたいなものは伝わってきた。逆もそうなのだろう。


「でも、男の人と2人きりなんてそんなこと父が許すはずがないので、お手伝いさんに常駐して貰います。それならいいでしょう」


「助かるよ。君の方は僕のことを調べて結構知っているんだろうけど、僕は大林さんのことを名前と学校と学年しか知らない。少し、教えてくれると助かる」


「澄香って呼んでくれると嬉しいです」


「なんで初対面で名前呼び」


「男の人に名前呼びされるなんて憧れだからです」


 澄香嬢は満面の笑みを浮かべ、OKを貰えることを確信したように僕を見た。


「澄香さん」


「なんですか、光輝さん」


「僕の方は真田でいい」


「そうなんですか? 平等じゃないですよ」


「こんな急に距離を詰められても戸惑う」


「だってつながっているんですよ。分かるでしょう?」


 僕は頷く。


 昔のアニメのファーストガンダムのニュータイプ能力とやらがこんな感じなんだろうと思う。そのうちこの能力が強化されれば、彼女と脳内世界を共有したり、先読みができるようになるのかもしれない。


「生きていれば、ですけどね」


 澄香に心を読まれたらしい。


「そうだった。今、体調がいいのは僕らが近距離にいるからだった」


「そうですよ」


 澄香の心がわかる。彼女は楽しんでいる。自分の命の危険が継続しているのに、脳天気というか図太いものだ。自分がいい男ならともかく普通程度なのだから、そんなに喜ぶこともないだろうに。


「だって少女マンガの主人公みたいじゃないですか」


 そういうものか。


「でもこんなにお互いのことが分かったらドラマにならないよ」


「別に心読めてないでしょ? なんとなく分かるだけで。それを判断するのはあくまで自分ですよ。私が今、何を考えているか分かりますか?」


「僕をからかってる」


「違います。リンクした相方がこんなにノリがいいなんて、楽しいことが始まるに決まってるって喜んでいるんです」


「からかっているのと何にも変わらないよ、それ」


 澄香はおどけて笑った。


「正解かも、です」


「確認しよう。まず第1の目的はお互いの体調を考慮して同居すること。2番目は――」


「このリンクを解消するか、原因を突き止める」


「3番目は、これが一番重要だと思うんだけど――真のドナーを探すこと」


 澄香は頷いた。


「このイベントが神様が用意してくれたのはその時間を稼ぐためだったんだって私は思っているんです。真田さんには迷惑でしょうけど」


 僕は首を横に振る。


「ううん。迷惑だとは思わない。誰かの命を救える可能性があるのなら、僕は喜んで協力するよ。そう思ってドナーにもなったし、それは今も変わらない。あと2番目のリンクの解消は、君の病気の回復にめどが立ったら、だからね。それは絶対だ」


「真田さん……」


「しかも命を救った相手がかわいい女の子なら、それはボーナスってことだと思うよ」


 澄香は頬を赤く染めて答えた。


「そんなにかわいいを連発しないでください」


「思っていることを言っているだけなんだけど」


「だからこそ、照れるんじゃないですか。わかるから」


 澄香は俯いて、シャインマスカットのタルトをフォークで食べた。


「親にもこの計画を話さないとな」


 つながっている感覚があるからこう話をスムーズに受け入れているが、親はそうもいかないだろう。なんといっても受験生だし。


「それは父が既に根回し済みです」


 僕の目は点になっていたに違いない。確かに父親同士は鳩子だから、そもそも親戚になる。話は通りやすいかもしれない。


「手際がいいな。っていうか僕が拒否するとか考えなかった?」


「真田さんが優しい人だってことは前から分かっていましたから」


 澄香が顔を上げると真っ赤になったまま恥ずかしそうに笑っていた。


 その笑顔が、僕の心に突き刺さる。


 ダメだ、もう僕はこの子に恋し始めているな、と僕は心の中で言葉にした。


 だが、それが彼女に伝わっているのかもしれないことを思い出すと、僕は申し訳ないような、辛いような、恥ずかしいような、複雑な思いがしたのだった。

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