第4話 妥協点



「冬ノ瀬君、私の彼氏にならない?」



 小谷鳥の言葉に頭を悩ませる。

 

 予想出来ていた言葉だが、いざ本人から聞かされると言葉に詰まった。

 だが、あらかじめ答えを用意していたので何とか返答できた。


「ごめんなさい」


 そう答えると、ガチャン! と割れるのが怖いくらいに音を立てて小谷鳥がカップを置いた。


「私言ったわよね? 命令だって。だから断るとかありえないのだけど?」


「いやいや、別に断る権利くらいあるだろ俺に」


「あるわけがないわ。だって私から提案してるのよ? 生涯独身の冬ノ瀬君にとっては願ってもない話じゃない」


「勝手に生涯独身だって決めつけられてるのが気に食わないんだが」


 そりゃ確かに、今まで彼女とかいたことないし、モテた経験もないに等しいけど。


 俺だってやるときはやる。まだ来てないだけで、一生の中で絶対にあるはずだ。たぶん。


「ちなみに、彼氏って言うのは要するにガチの彼氏じゃなくて偽の彼氏ってことだろ? 形だけの」


 念を押すように事実確認をしたつもりだったが、小谷鳥が返ってきたのは予想だにしていない言葉だった。



「別に、本当の彼氏でもいいわよ」



「……は?」


 本当の彼氏ってどういうことだ?

 ……それってつまり、正式に付き合うってことか⁉


「いやいや、俺たちまだ会ったばかりだろ」


「出会ってからの年月は関係ないわ。というか別に、そんなの気にしなくていいじゃない」


「あのな、じゃあ聞くけどお前、俺のこと好きなわけ?」


「全くこれっぽちも微塵も好意を抱いてないわ」


「そこまでは聞いてない」


 どうでもいい人からの自分の評価でも、多少傷つくからな。


「両想いじゃない時点で、付き合うのは無理だろ」


「まぁそうね。確かに私たちはね」


「おいなんで俺が小谷鳥に好意を抱いてる前提なんだ」


「違うの? だってここまで二人っきりで私と話したら、大体の人は好きになると思うのだけど」


「自己評価たか」


 まぁ小谷鳥の考えもあながち間違いではないだろう。


 男というのはたいそう惚れやすい生き物で、可愛い子と二人の時間を共有されればわずかでも好意を抱くもの。

 だがここまで面と向かってディスられて、誰が好きになるんだろうか。


「というかそもそも、別に両想いである必要はないじゃない。好意を抱いてなくても、お互いに利益があるのなら付き合うのも不思議じゃないわ」


「じゃあそれぞれにどんな利益があるんだよ」


「私の場合、彼氏ができたことでしつこく告白をされなくなる、周りの女子から嫉妬の目を向けられなくなる、そしてあのチンピラをちゃんと牽制できる」


「俺は?」


「私を一応彼女と言える」


「少ないな!」


 しかも一応って言うあたり、ちょっと抵抗してるな。


「ほら、その照れ隠しは辞めて素直になりなさい。私がここまで付き合ってあげる、と言っているの。滅多にないチャンスよ」


「徹頭徹尾素直だよ」


 俺の固い意志を見せつけると、小谷鳥がはぁとため息をつく。


「よく分からないわね。だって好きな人はいないのでしょう? それに彼女もいない。だったら私と付き合ったっていいじゃない」


「そういう問題じゃないんだよ。なんかこう、付き合うっていうのはそんな冷めたものじゃなくてだな……」


「男女交際をよく知っているような口ぶりだけれど、経験はあるのかしら?」


「それは……ない」


「……へっ」


 うわ、すごい俺を小馬鹿にした顔している。

 だが、黙って小馬鹿にされるほど俺のプライドは腐っちゃいない。


「そういうお前はどうなんだよ。いたことあるのか、彼氏」


「ないわ」


「お前もないのかよ」


「でも私はいないんじゃなくてだけ。作れないとは違うわ」


「お願いしている奴の態度じゃないよなずっと」


 ほんとに命令という認識で小谷鳥は話しているんだろう。


 さすがにこれじゃキリがない。多少強引なやり方だが、話を終わらせることにしよう。


「じゃあ、お前のとやらを聞いて付き合ったとしよう。その場合、俺とお前は恋人だ」


「そうね。ちなみに私は冬ノ瀬君のことを全くこれっぽちも微塵も好きじゃないけれど」


「もう分かったからそれは。で、恋人なら当然、はするんだよな?」


「…………」


「つまり俺が、小谷鳥の胸を揉んだっておかしくないわけだ。なんならそれ以上のことだって俺はする。だって俺たち、付き合ってるんだからな」


 どうだ、と言わんばかりに小谷鳥のことを見るも、小谷鳥は表情を変えず俺の話をじっと聞いている。


「それでいいなら別に、付き合ってもいいけどな」


「……なるほど、確かにそうなるわね」


 少し考えるように上を見て、小谷鳥は断固として言い放つ。



「それは嫌だわ」



「わがままだな!」


 俺の都合なんて考えずに、圧倒的に自分の都合のいいようにしようとしている。


 どっかの王様なのかこいつは。


「完全に盲点だったわ。生涯独身で生涯童貞の冬ノ瀬君のことだから、私と付き合ったところで手は出せないと思っていたのだけど……妄想と実力が伴わない変態なのね、冬ノ瀬君って」


「どこまでも俺を加害者にできるお前が羨ましいよ」


「分かったわ。こうしましょう」


 小谷鳥が人差し指をピンと立てる。


「私と冬ノ瀬君は形式的な恋人関係。つまりは偽の恋人ってことね。ルールとしては、私に指一本触れないこと。触れたら100万の罰金よ」


「強制的にデスゲームに参加させられた気分なんだが」


 勝手に話が進んでいく。俺の同意を得ずに進めているあたり、そこら辺の詐欺師よりもタチが悪い。


「それでいいわね?」


「いいわけがないだろ」


「一つ言っておくけど、この関係は冬ノ瀬君にもメリットがあるのよ」


「さっき聞いたけど、ないだろ全く」


「いや、あるわ。――今校内では私と冬ノ瀬君が付き合ってるという噂が流れている。しかも私があの日、彼氏と明言しているわ。この意味、分かるわよね?」


「…………」


「もしここで冬ノ瀬君が私と付き合ってることを否定して、私が付き合ってると主張した場合、世論はどちらの味方をするかしら? それにこないだの男からどんな仕打ちを受けるか、想像に容易いわね」


 なるほど、もうここに来た時点で盤面は詰んでるというわけか。

 はぁ、と深いため息ついて椅子の背もたれに寄り掛かる。


「こないだの先輩のほとぼりが冷めるまで、だ。それが俺にとっての最低ライン」


「はぁ。ま、そこが妥協点ね。分かったわ、そうしましょう」


 小谷鳥が相変わらずの仏頂面で俺に視線を送る。


 俺は小谷鳥に聞こえるようにため息を吐いて、残りのコーヒーを流し込んだ。





     ◇ ◇ ◇





 朝の通学路。


「ねぇ、分かってるの? 私に触れたら1000万の罰金よ」


「桁が一つ増えてるじゃねぇか」


 小谷鳥と肩を並べて、生徒たちの視線を一手に集めて歩いていく。


 

 ……はぁ、ほんとに面倒なことになった。

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