第2話 面倒な奴
「この人、私の彼氏だから。だから無理」
小谷鳥の言葉に一瞬時が止まる。
帰ろうとしていた生徒たちも足を止め、堂々と言い放った小谷鳥――そして俺を見ていた。
……なんだこれ。なにが起こった?
「お、おい小谷鳥。何言って」
「黙って」
「いやいや、黙れるわけが」
「黙って」
「あ、はい」
従うしかない俺に、ふんっ、と鼻を鳴らす小谷鳥。
ようやくもって第三の人物が口を開いた。
「おいおい、何の冗談だ? お前に彼氏はいないって話だろ?」
「いた。それだけよ」
「し、信じられるかよ! ってか、そんなパッとしない男が、お前みたいなイイ女と……」
「私の価値観に口出さないでもらえる? 確かにこの人はパッとしないし面白みもないし、生涯独身を約束されたような人だけど私の彼氏なの。それに必ずしも男女交際においてレベルが一緒である必要はないわ」
言いすぎじゃないか?
なんで勝手に彼氏にされた挙句、勝手に罵倒されなければいけないんだろう。
俺は腐ってもMじゃない。
「はっ! 趣味わる」
「自覚しているわ」
男が開き直ったようにケラケラと笑う。
「あーそうだな、お似合いだよお前ら! 揃いも揃って終わってる!」
「どうも」
ふと攻撃に回った男と目が合う。
「……ってお前、どっかで見たことあると思ったら去年の文化祭の奴じゃねぇか!」
お、まさかこんなにも接点ない奴にまで顔を知られているとは。
学校が狭いというのは本当だな。説立証だ。
「こんな頭のおかしい奴が彼氏とか、見る目ねぇなほんとに! あはは! 傑作だ!」
手のひらの返し方がえげつないな。
しかし、小谷鳥は依然として堂々と、揺るがない瞳で男を睨みつける。
男ははぁ、と呆れたようにため息をついて馬鹿にするような笑みをたたえて言い捨てた。
「頭のイカれた奴同士、どうぞお幸せに」
どけゴラァ! と大衆を退けながら、大股でその場から去っていく。
なんともまぁ胸糞悪い幕引きだ。
「幸せを祈られたな」
「まだ話していい許可を出していないのだけど? それも守れないとは、頭がイカれてる奴という認識は間違いじゃないのかもしれないわね」
「なんで律儀にお前の命令に従わなきゃいけないんだよ。あと、頭がイカれてるって言われてたのはお前もな」
「頭のイカれた人に言われても信ぴょう性がないわ」
登場人物全員頭イカれてんな。今のところ。
「で、なんで俺は巻き込まれたわけ? というか彼氏って何?」
「そこにあなたがいたから。それ以外に理由がある?」
「それ以外の理由が聞きたくて聞いてんだけど?」
「それくらい分からないの? ほんとに高校生?」
「大人が子供と話すとき、大人は子供に目線を合わせるよな? それと一緒で、できる人ができない人に合わせるのは常識なんだよ」
「それじゃあ人間はいつまでも成長しないわ。私のところまで上がってきなさい」
「階段が存在しないんだわ」
どれだけ話を尽くしたって、きっと俺と小谷鳥は分かり合えない。
まぁ実際、なんで俺を彼氏に仕立て上げたのかは分かっているし、別にこれ以上本人からの証言を求める必要はない。
だからこの質問は終わりだ。
「ま、別にいいけどさ。俺はただあいつの前に立って、お前とあいつにボロクソに言われただけだから……って、だけじゃねぇわ『も』だわ」
「大丈夫。私が思っていることと、あの人が思ってることを言っただけだから」
「その何が大丈夫なんだ?」
「だって大丈夫でしょ? 別にあなたは気にしてない」
なんでも見通しているような目が、俺を値踏みするように見ている。
なるほど、小谷鳥は想像以上に面倒な女の子だ。
「気にしてなくても無意識に心はすり減るもんなんだよ」
「そう? この程度ですり減るようならあなた、とっくに学校に来ていないでしょ?」
そうか。こいつもアレを知っているのか。
小谷鳥は同学年なわけだし、知っていて当然と言えば当然なのだが。
「実は毎晩枕を濡らしていることは、誰も気づいてないんだよな」
「ちゃんと洗った方がいいわよ? 枕が清潔かどうかは、かなり重要なことだから」
「マジレスするのやめてくれる? あと、枕は洗ってる」
「そ」
腕を胸の前で組み、キリッとした目で小谷鳥が俺を睨む。
目が合っている人を睨むというのが小谷鳥の基本姿勢なんだろう。
思えばこの不貞腐れているような、刺々しい表情しか見たことがない。
「とにかく、金輪際適当に男を拾っては彼氏、とかいうのはやめろよ?」
「言い方を変えてくれる? それじゃあ私がビッチみたいじゃない」
「ありのままの出来事を誇張無しで言った結果がこれだ。変えようがない」
「あなた、かなり面倒くさいわね」
「そっくりそのままお返しします」
俺の言葉に顔をしかめる小谷鳥。
自分が面倒な奴であることを自覚してないのか? だとしたら自分をもっと見つめ直すべきだ。自己評価が的外れすぎる。
「あら、もうこんな時間。私帰るわ。暇じゃないもの」
「一言多いんだよな、ほんと」
ぷいっ、と踵を返し、校舎に戻っていく。
「じゃあね、――冬ノ
そう言い残して、小谷鳥は消えていった。
小谷鳥とはこれっきり……とはならないんだろうな。
根拠のない予感が違和感のように頭に残る。
その予感が当たっていることに気がついたのは、それから割とすぐのことだった。
◇ ◇ ◇
翌日。
「ふはぁ」
あくびを噛み殺しながら朝の廊下を歩く。
「ねぇねぇ、あの人だよ」
「しかもあの事件の人なんでしょ?」
「嘘⁉ だってもっと他にいい人が……」
今日はやけに視線を集めてしまっている。
もしかしたら直してない寝癖がかなり個性的だったんじゃ……と一瞬でも考えた自分はやはり馬鹿なのかもしれない。
――異変。
そう。明らかに日常がそこにはなかった。
素知らぬ顔で噂する生徒の横を通り過ぎていくと、目的地の教室が見えてくる。
隣のクラスの前に差し掛かった時、たまたまその教室から出てきた女子生徒と目が合った。
「おはよ」
「……お、おう」
なんで俺は今、小谷鳥に挨拶されたんだろうか。
しかも珍しく睨んでこない。
何なら穏やかな表情を浮かべてるまであって、明らかに不気味だった。
ニヤリとほんのわずかに口角を上げて、俺の横を通り過ぎる。
取り残される、あっけに取られた俺。
なぜ周囲にここまで注目されているのか。
そしてなぜ、小谷鳥が俺に挨拶をしてきたのか。
「……絶対面倒なことになってる」
想像に容易い答えに、肩を落とさずにはいられない俺であった。
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