第6話 ネタバレあり 映画ルックバック
はい、いつもの前置きすっ飛ばしてネタバレ全開で行くかんね。ネタバレを避けたい人は気をつけて。
はい、やっと漫画を読んで映画を観て何日か経ってからやっと言葉にできた俺のルックバックの感想でっす。
3回に分けるつもり
1、僕の感じたルックバックの大まかな感想
2、俺なりにルックバックを物語として分解してみる
3、僕の考えたいくつかのルックバックの意味
こんな感じかな。
ただ俺、いっつも見切り発車しちゃうから変わるかも。まあとにかくやってみるね。
1、僕の感じたルックバックの大まかな感想
あ~ うん、なるほどね。端的に言うと創作者の成長物語だったんだね。
最初はただそうしたいからそうしていた。
次に承認欲求を満たそうとして、周囲に流され始め創作する理由を見失う。
そこで、何らかのきっかけで人の想いに応えるために創作するようになるまでの様子を描いた物語だったんだね。
そして、そのことが漫画も映画もルックバックは人間とはなんぞや? という問いに対する答えのひとつを、登場人物の行動で見せてくれたものだったのねぇ。
そして、そのことそのものが創作物の力を改めて感じさせてくれたわ~。
それに創作物の力のひとつとして、人々に行動するエネルギーを与える力があるんだね。
そのエネルギーは創造か破壊のいずれをもたらすのか?
ではなくってさ。
そのエネルギーを受け取った人によって創造と破壊の間の無限に分割できそうな階調のなかのどこかの段階の行動を取らせるものなんだろうね。
まあ、多くの創作者って心のなかで創造対破壊の比が51・1%対49・9%くらいで何かの拍子にその比がひっくり返る振り子みたいに揺れる内面を抱えてるんじゃないかな?
時々振り子がちょうど真ん中に来てただ生きるだけの日々を過ごしたり。
俺はこんな感じなんだけどみんなどうなんだろ?
なんて俺の自分語りはさておきルックバックの大まかな感想続けるね
さて、その違いはどこから現れるのか?
という問いの答えのひとつとして創作者の創作仲間であったりファンの存在が創作者を破壊神に転ぶことなく創造神たらしめている、
ということを伝えてくれた物語だったと思うよ。
言い換えると創作物を媒介に人々が心の深いところで交流できる、ってことだね。
人を喜ばせたい、という想いで創っていればある創作物を喜んでもらえなければ別の創作物を創ればいいという単純な事実を当たり前のこととして受け入れられるようになるものだしね。
別に人を喜ばせるためではなくただ自分がそうしたいからそうするという創作を否定するわけじゃないよ。
むしろ俺は人を喜ばせるためではなく自分がそう書きたいからそう書くってタイプ。
小説の投稿を始めた頃は評価されないことに苦しんだし人を喜ばせるために書くようにしようと思ったけど俺にはそれができそうにないってことを受け入れつつある今日この頃。
ゴメン、創作者の物語だったからか小説書いてる端くれとして自分語りがひょっこり出てきちゃう。
いずれにせよ、創作物と創作者の人格を切り離して捉えることもできるようになるよね、創作者も受けて側も。
そして、承認欲求を満たすためだけの創作は結果を得られないまま承認欲求が強まると危険だよね。
物理的な暴力言葉の暴力を用いて恐怖で支配して自分の価値観を押し付けるようになるからさ、きっと誰でも。
「私のスゴさを理解できない愚民どもにわからせてあげましょう」なんて本当に善意で正義だと思い込んでさ。
俺もそうならないよう気をつけようっと。
ということで次回はルックバックは二つのものを比べることで伝わりやすくする工夫としてどんなことをしたのか考えいくつもりだよ。
それじゃこの辺で。
またね。
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