第8話 魔石加工の始まり

 世界にダンジョンが発生して、一週間が経過した。

 世界中の様々な研究機関が、ダンジョンにまつわる様々な調査を行っていた。

 政府だけではなく、民間の機関も参加し、さらに細かく分類すれば大小様々な研究室も関わることとなった。

 日本のそれほど有名ではない大学の研究室に籍を置く、大石タマミもその一人であった。


 少し大きめのマンションの三階にある、小岩井家。

 小岩井イナリは大石タマミの妹であり、昼間はスーパーでパート店員をしている、ごく普通の主婦だ。

 子どもは長男が一人、名前をコンという。

 大石タマミも同じマンションの一階に住んでおり、時々、生活の世話になっていた。

 今回は、久しぶりにタマミがマンションに戻ってきたことを知ったイナリにお呼ばれされての訪問であった。


「お疲れー……って本当に死にそうになってるわね」


 キッチンに立つイナリが、テーブルに突っ伏すタマミを見て、苦笑いを浮かべていた。


「ここんとこ、研究室から出てなかったから……お風呂入ってベッドで寝たのも、久しぶり……」


 そしてここで食事を採ったら、また研究室に戻ることになっていた。


「あー、じゃあせっかくだし、美味しいモノ食べようね。どうせ、ロクなもの食べてないんでしょ?」

「近所のコンビニのおにぎりとサンドウィッチは、全種類制覇した」

「……食事というか、最低限の栄養補給って感じだねえ。その様子だと、研究は芳しくないって感じ?」


 イナリが菜箸で鍋を掻き混ぜながら言う。

 出汁のいい香りがするので和風の何かだろうか、とタマミは思った。

 同時に、研究の行き詰まりに、気分が落ち込みそうになる。


「無理無理無理無理、ホント無理。全然、何にも、ビクともしない。どないしろって言うのよあんなもん」

「ああ、砕けないんだっけ」


 イナリには、研究のことも少し話してあった。

 一応研究において口外してはならないことは、当然喋ってはいないが、魔石が砕けない、というのはダンジョンから発見されてから、テレビやニュースでも散々言われている内容である。


「プレス機に掛けてもビクともしない。さすが、異界の鉱物ですわ」


 はー……と、タマミはため息と同時に魂まで抜け落ちそうな気がした。

 そんなタマミの視界の端で、何やら白いモノが蠢いていた。

 タマミの白衣であった。

 もちろん、自然に動くようなモノではない。


「あー、ちょっとコンちゃん、またー! ごめんね、タマちゃん。ホントあの子、白衣が好きみたいで」


 甥のコンはまだ五歳だ。

 成人女性であるタマミの白衣はさすがに大きすぎ、頭を出した彼にはブカブカであった。

 当の本人は、ちゃんと着れていないことに少し不満そうだった。


「いいよいいよ。鼻水と涎は勘弁だけどね。将来は研究者かー。駄目だぞ、私みたいになっちゃ」

「タマちゃん見てると、ちょっとそっちの道は遠慮させたくなっちゃうねぇ。まあ、まだまだ先の話だけどねー。あいよお待ち、親子丼とミニきつねうどん。あとサラダね。野菜が足りてない生活っぽいしね。ドレッシングはどうする?」


 タマミの前に、お盆に載った親子丼と小さなきつねうどん、それにガラスの器に盛られたサラダが置かれた。


「オニオンがあるならそれで」

「了解。で、どうにもならないんだっけ、その魔石ってやつ」


 イナリが冷蔵庫からドレッシングを取り出し、タマミはそれを受け取った。


「うーん、何なんだろうねえ、あれ。力場っぽいのは感じるんだけど、それがどういうものかとかはサッパリだし、その辺はもっとお金持ってる研究機関が調べてるでしょ。私が考えるのは、そういう方向性じゃないしねえ」

「今のところ、有効利用できそうなのは、装飾品ぐらい、と」


 イナリの言葉に頷きながら、タマミは親子丼を口に運んだ。

 卵がトロトロで、鶏肉の皮の脂が実にジューシーだ。

 魔石なら、白衣の中に小さいのがいくつか入っている。

 持ち帰っている間も、何か利用方法はないものかと、考えてはいたのだ。

 何にも思い付かなかったが。


「そうそう。でも形も大きさもまばらだし、よっぽど面白いセンスの人以外は、普通に宝石店行くわ」

「宝石店なんて、一回も入ったことないのに?」


 ニヤニヤと笑うイナリに、とタマミは、グ、と言葉に詰まった。


「言わないでよ。見せる相手もいなけりゃ、使う機会もまったくないし」

「ちゃんと身なりを整えれば、タマちゃん結構イケると思うんだけどなー」

「はいはい、お世辞は結構。あー、癒される。人間の食べる飯ー」


 きつねうどんの出汁を啜る。

 甘めの揚げの味が混じったスッキリ目の汁が、タマミの胃を温めていた。


「おにぎりも作っとくから、晩ご飯に食べてね。こっちの水筒の中身は味噌汁」

「お世話になります」


 タマミは、イナリに両手を合わせた。

 感謝感激である。


「いいってことよ。って、あーーーーーっ!?」

「え、何?」


 急に声を張り上げたイナリに、タマミは妹の視線を追った。


「コンちゃん駄目! それ多分食べ物じゃないから、ペッてしなさいペッ!」


 イナリは息子のコンに駆け寄り、大慌てで背中を叩いた。

 白衣。

 ポケットに入っていた小さな魔石。

 イナリの言葉に、タマミの顔から血の気が引いた。

 飯食ってる場合じゃない!


「うわあああ!? というかそれマジで食べられないから! 歯が欠けるから! いや乳歯だしギリセーフ!?」


 自分でも何を言っているのかよく分からない、タマミである。


「んな訳ないでしょ! っていうかこれ誤飲しちゃったらどうなる!?」

「……多分消化もされないだろうし、お尻から出せる大きさでもないから、お腹を開く……?」

「コンちゃん!?」


 幸い、すぐにイナリの手に、コンは魔石を吐き出した。

 赤いのと黄色いの。

 誤飲はなかったようだが、二つも口にするとかいやしんぼか。


「あまい」


 コンは泣きもせずに、母親の手にある赤い魔石を指差した。


「は?」


 タマミが声を上げる。

 コンは、今度は黄色い魔石を指差した。


「これ、からい」

「んんー?」


 タマミは、頭の中でコンの言葉を咀嚼した。


「……つまり、魔石には、味が、ある?」


 さすがに、舐めるとか食べるとか、そういうのは研究室でも試したことがないタマミであった。

 他の研究員も同様である。


「いや、でもだからどうだっていうと、それはそれで困るし……味……!」


 舐めて味がするなら、食べてもするだろう。

 そっちの方向で、研究は進まないだろうか。

 意味があるかどうかは、後で考える。

 タマミは、イナリを見た。


「イナリ、これ調理して!」

「って出来る訳ないでしょ!? プレス機に掛けても砕けない魔石、ウチの包丁当てても刃こぼれするだけだよ!」

「なら、切れる包丁を――」


 タマミの中で、思考が連鎖する。

 調理をするには、調理器具がいる。

 包丁。

 魔石は砕けない。

 石を砕く。

 石器。

 石器はどう作る?




 研究室に飛び込んできた、白衣の大石タマミに、先輩の研究員が驚いた。


「大石!? お前、今日は夕方からだったんじゃ……」


 その問いに答えず、タマミはバッグを研究室に端っこに投げ捨てた。

 そしてテーブルに積み重なった書類を一気に床に落として、そこに両手を突いた。


「先輩、今ある魔石の中で、一番大きい奴を二つ持ってきて」

「一番大きい奴は一つしなかいぞ」

「国語的なツッコミはいいから、大きいのを二つ!」

「お、おう。それでどうするんだ?」


 小さな研究室なので、国から支給されたモノの殆どは小さな魔石ばかりである。

 とはいえ、一応拳程度のモノが二つ、厳重なケースに保管されていた。

 その二つが、テーブルに置かれた。


「包丁を作ります」

「包丁?」

「魔石は多分、この世界のモノじゃ砕くことが出来ない。でも、なら同じ世界の物質なら……?」


 タマミが両手に魔石を持ち、それを小刻みに打ち合わせた。

 すると、魔石の片方から細かい欠片が落ちていく。


「砕けた!」


 先輩研究員が声を上げた。


「石器の作り方に、こういうのあったよねぇ」


 魔石をテーブルに置いたタマミは、大きく息を吐いた。




 数ヶ月後、ラリアットホテルのパーティー会場。

 そこに、魔石の加工方法を発見した、大石タマミは立っていた。

 さすがに白衣姿ではなく、ドレス姿である。

 化粧もしている。

 本人にその心得がまるでなかったので、ホテルのスタッフによるモノだ。


『――魔石の画期的な加工方法を発見した大石タマミさんの登場です』


 司会の声に、タマミは緊張しながら登壇した。

 あれから魔石の加工は一気に進んだ。

 細かく粉末状にすることで、カッターやチェーンソーの刃に混ぜ込んだり、魔力を込めることで様々な性質が発言するのでダンジョン内に研究室の設置も始まった。

 魔術は外では使えず、ダンジョン内でしか使えないからである。

 その発展も、まずはタマミの発見があったからであった。

 今日は、その表彰式である。


『――おめでとうございます』

「あ、ありがとうございます。でも今回の発見は、私一人の力で発見できたモノではありませんし、そういう意味だと、今回の受賞に伴う研究費のアップとかも嬉しいんですけど、その、もう一つ欲しいモノがありまして……」


 お偉いさんやら同僚やらが見守る中、タマミの頭からスピーチ内容は、ほぼ吹っ飛んでいた。

 とはいえ、最低限言っておかなければならないことは、憶えていた。

 これだけは、言っておかなければ。


『何でしょうか?』

「まだ、そうなるかどうかは分かりませんけど、もしもウチの甥っ子が研究職に進みたいって言い出した時は、教授の皆様、何卒お力添えの程よろしくお願いします」


 頭を下げ、上げる。

 パーティー会場の端っこには、手を振る着飾った妹と、物珍しそうにこちらを見る甥っ子がいた。

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