第2話 ダンジョン外の治安問題
夜の街。
歓楽街の裏手の路地ともなれば、人気はまずない。
使い魔である犬神、秋田犬の血を引く雑種のあかりのリードを左手にしながら鴨野コウメイは、角を曲がった。右手はポケットの中である。
歳は四十、年齢の割にやや白髪が多いロングコートの長身男である。
三方を鉄パイプが這い回るビルの裏手に囲まれた、いわゆる突き当たりだ。
そこでは、革ジャンパーを羽織った屈強な金髪の青年が狼狽えていた。腰の後ろには、短剣と長剣の中間の長さを持つ、いわゆるバスタードソードを差している。
賞金首、鷲崎ケンタだ。
「探索者でも、さすがにこの高さは飛び越せないだろう」
鴨野が声をかけると、鷲崎がこちらを振り向き、バスタードソードを抜いた。
「ク、ク、ク、ク、クソ!」
刃が、数少ないビルの照明に照らされて、剣呑な光を放っていた。
しかし鴨野は慌てない。
大体、追い詰められた犯罪者は似た反応を示すし、その中でも鷲崎の反応は割と分かりやすい部類に入る。
油断はしないが、楽な相手だ。
「ここはダンジョンじゃない。抜いた時点で、銃刀法違反も追加だな。やめろ。争いごとは好きじゃない。大人しく捕まってくれれば、手荒な真似はしない」
「うるせえ、死ねぇ!」
鷲崎がバスタードソードを構えながら、一気に距離を詰めてきた。
路地は狭くはないが、大きく剣を振るえるほど広くもない。
故に突き。
必殺に剣先が、鴨野に迫った。
「嫌だね」
鴨野は右手をポケットから取り出した。
その手にはカッターナイフ。
鴨野がカッターナイフを軽く振るうと、キンと硬質の音がして、鷲崎のバスタードソードの尖端が折れた。
――いや、鴨野のカッターナイフが斬ったのだ。
「なっ!?」
鷲崎が動揺する――が、突進の勢いは止まらない。
鴨野はカッターナイフをコートの袖に入れ、代わりに滑り出したのは糸車である。
「――『縛れ』」
鴨野が命じると、糸車が回り伸びた糸が鷲崎を縛り上げた。
胴と足を糸でグルグル巻きにされ、鷲崎はその場に倒れ込んだ。
どれだけ暴れても、鴨野の魔術で編まれた糸が千切れることはない。
「ぐぬっ! 畜生、ふざけんな! 何だこりゃ! ありえねえだろ! 何でダンジョンの外で魔術を使えるんだよ」
「そりゃダンジョンで習得した魔術じゃないからな。世の中には、君の知らないことが色々あるってことだ」
世界中にダンジョンが出現して、二十年。
ダンジョンを巡る法整備など様々な問題が生じたが、さすがに二十年も経つとある程度安定するようになった。
探索者はダンジョンで成長する。
ダンジョン内のモンスターに対応できるよう、基礎ステータスは一流アスリートを凌駕し、車に撥ねられても生存できる頑強さを得ることができるようになる。
ただし、ダンジョン内で習得できるスキルや魔術は、ダンジョンの外では使うことができない。
スキルや魔術には様々なモノがあり、それこそ鴨野達を囲むこのビルをひとっ飛びできる跳躍スキルや、火の魔術は人体を丸焼きにすることだってできる。
これらが、ダンジョンの外でも使えたならば、日本の法律は相当に厄介なことになっていだろう。
スキルや魔術が使えないが、ダンジョンの中で鍛えられた身体能力は外でも有効となっている。
一般人を圧倒する、一種の超人である。
そしてその能力を悪用する人間も、当然現れる。
鷲崎は、探索者であると同時に、裏社会の人間として、様々な荒事に従事していた。人も何人か殺めている。
だが、警察もその多くが、通常の人間である。
探索者という超人に対応できるのは、やはり同じ探索者となる。
賞金首が鷲崎ならば、それを狩る賞金稼ぎが鴨野であった。
ダンジョンで習得した魔術は、外では使えない。
だが、そもそもが、この地球の日本で密かに受け継がれてきた魔術師の血統が、その魔術を使うのならば、それはダンジョンのルールには反しない。
鴨野コウメイは、探索者であると同時に、魔術師であった。
「いつものことながら、お見事です主」
使い魔である雑種のあかりが、鴨野を褒め称える。
犬神である彼女もまた、鴨野家で生み出された存在である。
犬神の作り方はやや残酷なモノなのだが、鴨野家では少々特殊な作り方をしているので、あかりは心から鴨野を慕っていた。
「あかりも、お仕事お疲れさん」
「いえいえ。お役に立てて光栄です。それにわたしはいっぱい徳を積まなければならないのです。もっとお仕事ください」
ぶんぶんと、あかりが尻尾を振る。
鴨野はスマートフォンを古巣である警察に繋ぐと、通話状態にしてあかりの前に置いた。
「じゃあ、通報の対応頼もう。俺は疲れたから一休みする」
「分かりました」
まだもがいている鷲崎に視線をやりながら、鴨野は壁にもたれ掛かって煙草を取り出した。
路地裏に、警察が到着した。
といっても、ここでは事件と呼べるようなモノは特に起こっていないので、極少人数だ。
鴨野の事情聴取を行ったのは、二十代後半の刑事である熊谷ハルナ。
警察時代の鴨野の、元後輩である。
警察を辞めて探索者、そして賞金稼ぎとなった鴨野との縁は未だに切れていない。
「お疲れ様です、先輩。それにしても、今月三人目ですか。さすがですね」
「俺だけじゃ、どうにもならんよ。あかりがいい仕事をしてくれてるんだ」
「ふふん」
あかりが尻尾を勢いよく振り、勝ち誇る。
ハルナに対し、どこか上から目線だ。
「むむむ……相変わらず生意気な犬ですね。ともあれ、これで手続きは終わりです。後はこちらでやっておきますので、帰って頂いても結構ですよ」
賞金稼ぎとして、鴨野はそこそこ有能だ。
なので警察のお世話になることも多いのだが、その担当にはハルナがよく当たる。
知らない人間がやるよりも、互いに慣れた相手の方が手続きは楽だ。
馴れ合いにならないように距離は弁えつつ、今日も鴨野とハルナのやり取りは手早く終わった。
「ああ、じゃあ一杯引っかけてから、帰るとするよ」
「主……」
あかりの尻尾の勢いがなくなり、元気なさそうに垂れた。
この辺りに、あかりを連れては入れる居酒屋がないことを、鴨野は思い出した。
「ま、どこかのコンビニでビールと水買って、公園で打ち上げってとこだな」
「わたしは常々言っていますが、ペット同伴可能な居酒屋をもっと増やすべきだと思うのです! 公園で二人きりというのも、それはそれで乙なモノではありますが」
「一人と一匹では?」
あかりの言葉に、ハルナは首を傾げた。
「わたしが徳を積み続ければ、いずれ人化の術を習得して二人になります!」
あかりには、あかりの目的があるのだ。
ダンジョンの外では徳を沢山積み、ダンジョンでも経験を積んで、いずれ人化の術を得る。
そして、鴨野の番となるのだ。
「その前に、先輩の寿命が尽きる可能性もありますけどね」
「主、ダンジョンに潜る時間ももっと増やしましょう。人化の術は、あちらの方が早いかもしれません」
「その前に、俺が過労死するかもしれんよ。探索者と賞金稼ぎの二足の草鞋だからなあ」
「それは困りますね! 自重しましょう!」
あっさり、己の言を翻すあかりであった。
自分よりも、鴨野の健康状態の維持の方を優先させる、忠犬である。
「第一、ダンジョンの中でしかスキルは使えないんじゃないです? 人化しても、外に出たら犬に戻っちゃうんじゃないです?」
ハルナが疑問を口にした。
「過去に、何度か人化に成功したモンスターが外に出た記録があります」
「でもそれ、ダンジョン産のドラゴンとかだよね。雑種の犬の記録はないんじゃ……」
「ダンジョン限定での人化でも、主の子を孕むだけなら、やりようはあります」
これはいかん、と鴨野の頬を汗が伝った。
「この話はここまでにしとこう。あまりに品がないし、追求するのも普通に怖い」
「先輩の貞操が、ダンジョンで奪われる危機……」
「やめろと今、言ったよな?」
慄くハルナを、鴨野は指差した。
このままここにいたら、日が昇るまでくだらないやり取りが続きそうだ。
鴨野は路地を立ち去ることにした。
「うーん……私も警察やめて、探索者になるべきでしょうかね」
後ろで、ハルナがそんなことを呟いたが、鴨野は無視することにした。
やめとけ、とは思うが、ハルナの人生である。
鴨野が口出しする筋合いのことではない、と判断したのだった。
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