花葬する魔法使いと、血を吸わないナイトメア

藤宮紫苑

花葬する魔法使いと、血を吸わないナイトメア 1

臆病な悪魔憑き

第1話

 雨が降っている。まだそこまで遅い時間ではないはずだが、空は分厚い雲に覆われて、まるで墨をぶちまけたかのような灰色をしている。古鳥芽亜ことり めあはいつもの癖でスマートフォンの電源ボタンを押すが、画面は暗いままで反応は無い。芽亜はバッテリー切れのスマートフォンをポケットの中に入れると、ため息をついてうなだれた。買い物の途中で友人とはぐれてどれくらいの時間が経っただろうか。連絡手段であるスマートフォンはこの有様で使い物にならず、誰かに道を聞こうにも不自然なくらい誰も歩いていない。芽亜は再び空を見た。雨が降り止む気配は無く、灰色の雲から落ちてくる雨をただ茫然と見ていた。


「自分の分の傘も持ってくればよかったな……」

 芽亜は無意識につぶやくが、返事を返してくれる相手はどこにもいない。まるで自分一人だけが異世界に迷い込んでしまったのではないだろうか、そんな気さえもした。まわりには街灯も少なく、時間が経つにつれて広がる暗闇、次第に強くなっていく雨音と、冷たくなる自分の肌が芽亜の不安を煽る。芽亜は目に見えない誰かにずっと見張られているような不気味な気配を感じるが、当然そこには誰もいない。精神的な不安から来る不快な感情が、その場を支配していた。


 うつむいた芽亜が顔を上げると一瞬人影が見えた気がした。もう一度顔を上げて少し周囲を見回すがその姿は無く、「気のせいか」と言って彼女は再びうつむいた。


「なんか困ってるみたいだけど大丈夫かな?」

 芽亜は突然、すぐ目の前の距離で聞こえた声に心臓が止まりそうになる。顔を上げると目と鼻の距離に傘をさした女が立っていた。周囲には確かに誰もいなかった。芽亜は突然現れた女に対して違和感を感じるも、強い雨でまわりの音はかき消されて、彼女自身も周囲に気を配る余裕は無かった。やっぱり一度見失ったのは気のせいだったのだろうと、その場は深く考えることをやめた。


 女はフードを深く被っており、はっきりとした顔はわからない。芽亜は突然現れた女に対して本当に人間なのだろうか、幽霊やそういった類のものなんじゃないだろうかと、あるはずもない妄想を膨らませる。


 当然そんなことはあるはずもなく、顔さえ見えないが彼女は何処からどう見ても普通の人間だった。女は深く被ったフードを脱いだ。彼女は落ち着いた声色で背も高かったので、きっと年齢は自分よりも上だろうと芽亜は思っていたが、フードから現れた彼女の顔は大人びた雰囲気はあるが、その中に少女の面影を残していて、思っていたよりも年齢は近いように思えた。


 女はさらに顔を近づける。背中まで伸びた濡れ羽色の黒髪は、雨の湿気のせいで白い肌にしっとりと張り付いている。芽亜は女の妖しくも儚げな姿に気が付けば見惚れていた。


「おーい。本当に大丈夫?」

 女は首をかしげて芽亜の顔を覗き込んだ。


「ご、ごめんなさい。色々と電撃的というか、衝撃的というか驚いてしまいました。えっと、迷子になってしまい、困ってました! ごめんなさい!」

 芽亜はして、滅茶苦茶な言葉を並べる。


「うん。迷子なのね。わかったわかった。君ってちょっと面白いね。でもとりあえず少し落ち着いて」

 女は芽亜の勢いに苦笑いするが、状況は察してくれたようだ。芽亜の方はというと、緊張の糸が解けたのだろう。自らの直前の奇行に赤面する余裕ができていた。


「とりあえず座れるところに行こっか。このまま立ち話って言うのもあれだしさ、それにここ寒いし。傘入って」

 少し小さめの傘、芽亜は言われるまま傘の中に入ると、身体を寄せて女に密着した。歩き出す六花に芽亜はぴったりと身体を寄せて付いていく。相変わらず人通りは皆無だが、少し移動しただけで、歩いてみると意外にも街灯は多いことに気付く。


「ここって本当に人通りが少ないですよね。表通りはあんなに人であふれかえってるのに」


「こっちの方は限られた人間しか入ってこないからね。その様子だと、もしかして知らなくてここに来ちゃったの?」


「はい……。なんか気付いたら迷ってて、そんなに危ない場所なんですか?」


「危ないか……。本当に知らないんだね。この辺りは夜になると悪霊が出るんだ」


「あ、悪霊って。あんまり驚かさないでください。……確かに本当に出てきそうな雰囲気はありますが」

 芽亜は背筋がぞわぞわとする感覚に襲われて、無意識のうちに女の腕を強く握る。周囲は明るいが少し遠くを見るとそこには暗闇がどこまでも続いている。芽亜は女の方を向き、あまり周りを見ないようにして歩みを続ける。


「でも安心してよ、この辺りは詳しいんだ。寒いし早く入ろう?」


「入るって、どこのお店もシャッター閉まってるじゃないですか。一体どこに……て、あれ?」

 芽亜は目の前の光景に首をかしげる。二人の目の前には日本に住んでいれば知らないものがいないであろう、見慣れたコンビニチェーンが突然目の前に現れたのだ。店の中も特におかしなところは見当たらないが、あまりに唐突すぎて逆に不信感を感じる。


「ねえ、何飲む?」

 女はホット飲料ケースを指さす。芽亜はホットココア、女はホットレモンを手に取る。二人は飲み物を手に入れて店内にあるフードコートに移動する。そこは都内のコンビニでは見たことがない、売り場スペースと同じくらいの広さがある、やけに広い休憩スペースだった。やっぱり異世界にでも迷い込んだのではないかと芽亜はいぶかしむ。二人は一番近くにあったテーブルに座った。


「そういえば自己紹介まだだったね。私は立花六花たちばな りっか。六花でいいよ。君は?」


「古鳥……芽亜です」


「コトリ……? へえ、かわいい苗字だね」


 話をしてみると六花の歳は芽亜と同い年の十七歳で、この近所で知り合いの仕事を手伝って生活してるらしい。彼女によると、やはりこの辺りの治安は良くないらしく、少なくとも芽亜のように女性一人で歩き回るような場所ではないそうだ。六花曰くこんな物騒な場所で、どう見てもただの女子高生の芽亜が一人佇んでいる光景が逆に不気味だったという。


 芽亜は改めて友人とはぐれてしまったことを六花に話すと、六花はコートのポケットから自分のスマートフォンを取り出す。


「お友達の番号って覚えてる? 番号わかるなら私のスマホ使いなよ」

 芽亜は六花の好意に甘えて友人に電話をかける。友人からすれば知らない番号であるが、友人はすぐ電話に出てくれた。友人がすぐに迎えに来てくれるそうで、芽亜は六花に現在地を聞く。すると「現在地は少し難しいかな」と不思議な返事が返ってきた。だがその後に「道なら教えられる」と言って途中まで行けば後は勝手にここまでたどり着くとまた不可解なことを言う。芽亜は少し困惑するも、仕方なくそのままを友人に伝えた。


 一安心した芽亜だったが、それとは別に引っかかっていることが一つあった。


「この辺って何度も遊びに来たことがあるんですが、こんな風に道に迷った事って今まで一度も無かったんです。ここも全然見おぼえないですし、変ですよね……」

 芽亜は首をかしげる。


「そうなんだ。きっと今日はたまたま見えちゃったのか、それとも見えるようになってしまったのか。でもそういう人もたまにいるから気にしないほうが良いよ」


「まただ」と芽亜は心の中で言った。まるで彼女の説明はこの場所が異常であると言っているようだった。確かにおかしいとは思ったが、しかし芽亜は道に迷っただけだ。六花に真偽を聞こうとしたとき、コンビニの自動ドアが開く。


 友人は休憩スペースにいる芽亜の元に駆け寄った。彼女は守月五月もりつき さつき、芽亜の学校のクラスメイトで、黒のラウンドフレームの眼鏡がトレードマークだ。


「あなたがスマホを?」

 五月は六花に目くばせをする。


「うん。困ってるみたいだったから。コトリちゃんも友達が迎えに来てくれてよかったね」


「はい。六花さんもありがとうございます」


「リッカ……?」

 五月は彼女の名前に反応したように見えた。


「五月どうしたの?」


「いえ、なんでもない。先ほどの電話番号って六花さんのもので大丈夫でしょうか?」


「ご名答。私の事が気になるなら、連絡くれても構わないよ。私も二人とお友達になりたいしね。そうだ、コトリちゃんにはこれあげる。番号以外の連絡先はそっちに載ってるから。一枚しかないから後でお友達にも見せてあげて」

 六花はポケットから一枚の紙を取り出す。それは手書き風の加工がされた一枚の名刺で、それを芽亜に差し出す。名刺の裏面を見ると青い押し花がされている。


 六花に見送られて、二人はその場所を後にする。一度だけ振り返ると、六花が胸元で小さく手を振ってくれていた。あれだけ彷徨った裏路地だったが、気が付くと見慣れた大通りの中に戻っていた。


 今の場所について五月は何か知ってるように感じたが、それを尋ねてみると「どうでしょう?」と言ってはぐらかされてしまった。「今度は二人で会いに行きましょう? 連絡先だってわかるし、いつだって会えるんだから」芽亜は五月の言葉にうなずく。五月はさしていた傘を下ろす。いつの間にか雨はすっかり止んでいた。

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