第48話 社畜、思い出を振り返る
病室に戻った時には母はぐったりとしていた。
すでに全身が少しずつ冷たくなっており、医師や看護師が死亡時刻を確認し、エンゼルケアをしている段階だった。
人は亡くなった後に元の姿に似たように形を戻す。
「天国で息子さんに会えると良いですね」
看護師は優しい言葉をかけながら、体を拭いていた。
きっと母は亡くなったと思っていた俺の話をしていたのだろう。
「お召し物はこれにしましょうか」
看護師が取り出した服を見て、俺は涙が溢れ出す。
「息子さんが初任給で買ってくれた服なんですよね。20年も前の服なのに、こんなに綺麗に保ってて、大事にされていたんですね」
それは俺が初めてもらった給料で買った服だった。
そんなに高いものでもなく、その辺のショッピングモールで売っているような服だ。
俺にとっては数年前だが、母達にとっては20年前の服になるのだろう。
事前に母は看護師に、亡くなった時にはこの服を着させて欲しいと頼んでいたらしい。
「とーたん、ばぁーたんは?」
ゴボタは母が亡くなったことがわからないのだろう。
ずっと俺の服を引っ張っていた。
「ばぁーたんは亡くなったんだ」
「なくな?」
「そうだ。ないないしたんだ」
ゴボタは気づいたのだろう。
綺麗になった母の口に、ポケットから治癒草を取り出して詰めようとしていた。
俺はそれを必死に止める。
治癒草を入れたら、全てが治るわけではない。
「お孫さんも優しいですね。一緒にご飯が食べたかったのかな?」
そんな俺達を見て、看護師は優しく微笑んでくれた。
俺がいない間、ずっと母のことを気にかけてくれたのはここの病院で働いてくれている人達だろう。
「今までありがとうございました」
「ゴボォ」
俺が頭を下げると、看護師は驚いた顔をしていた。
それでもすぐにさっきのように微笑んでいた。
「私達も大事な時間に関わらせていただきありがとうございました。洋子様、皆様お疲れ様でした」
彼女にとっては当たり前なことだが、自然とみんなを労う言葉を伝えていた。
エンゼルケアを終えた看護師は部屋を出て行った。
母は俺に会うためにずっと待っていたのだろう。
「心菜も今までありがとう」
「お兄ちゃん……」
しばらく病室の中では、俺の泣く声が響いていた。
亡くなった母の顔はいつものように綺麗に微笑んでいた。
数日後、母の火葬は俺達家族だけで行われた。
母の兄や姉は魔物の侵略ですでに亡くなっており、甥っ子や姪っ子に火葬を頼むのを申し訳ないと思ったのだろう。
遺書には心菜に火葬を頼むと書かれていた。
家族ではない心菜を母は信用していたのだろう。
心菜が能力者になって悩んでいた時に、すでに能力者になっていた母が相談に乗っていたらしい。
そこからは俺の代わりに、母と娘のように感じていたと心菜は言っていた。
遺骨になった母を持った俺は、実家に帰ることにした。
正確にいえば元実家になる。
俺が住んでいた実家はすでに売り払われていた。
たまに駅で一緒になった時に駆け上がっていた坂道。
今は隣にゴボタと心菜が歩いている。
「懐かしいですね」
「俺にしたら数年前だけどな」
通っていた通学路も昔のままと変わらない。
今も坂の上で母が笑顔で待っている気がした。
「ゴボタ、競争しようか」
「ゴボォ?」
「よーい、ドン!」
俺は急いで坂を駆け上がる。
昔、母と競争していた坂を今は我が子であるゴボタと競争する。ただ、俺達よりも速い人がいた。
「お兄ちゃんには負けないよ!」
それは心菜だった。
俺とゴボタを置いて心菜は一番に走っていく。
瞬く間に心菜は坂の上にいた。
夕日で心菜の表情は見えない。
俺といる時に心菜が泣くことはなかった。昨日も泣いている俺を心菜が優しく見守ってくれていた。
そんな心菜がどこか泣いているような気がする。
俺は急いで坂を上がっていく。
「はぁ……はぁ……」
結局、俺が一番最後だった。
ゴボタも尋常じゃないぐらい足が速かった。
俺も一応能力者になったかもしれないと言われたが、きっと一般人なんだろう。
むしろダンジョンで生活しているのに、足が速くなった気もしない。
息を整えていると、俺が住んでいた家が見えた。
どこの家もエネルギー不足と魔物が出てくる影響か、20年前と全く変わらない。
変わっていたのは、俺の実家に違う人が住んでいたことぐらいだ。
「パパ、次はお仕事いつ帰ってくるの?」
「あー、一週間は難しいかな」
「そうなんだ……」
「その間、この大事な家を守るんだぞ!」
玄関では子どもの頭を撫でて、仕事に出かけようとしているお父さんがいた。
子どもも寂しい思いをしているのだろう。
それでも元気に見送っている姿を見て、どこかゴボタと俺が重なって見える。
結局付いてきたけど、ゴボタもあんな気持ちになっていたのだろう。
段々と近づいてくるお父さんは心菜を見て足を止めた。
「心菜ちゃん?」
「この間振りですね」
お互い近所だから顔見知りのようだ。
邪魔になると思い少し離れようとしたら、俺のことが目に入ったのだろう。
一応、軽く会釈をしておく。
――ドスン
お父さんはそのまま持っていた荷物を落としていた。
何かあったのだろうか。
「荷物落としま――」
「とおおおおおおおおたあああああああん!」
いきなり衝撃が走ったと思ったら、お父さんは俺を抱きしめてきた。
突然の出来事で俺は状況が把握できていない。
お父さんは泣きながら、俺が離れないように強く抱きしめる。
「すみません。人違いじゃ……」
近くで泣いている姿と俺を呼ぶ愛称で誰かすぐに気づいた。
「お前、生田か!?」
俺の目の前に現れた男は、同じ職場で働いていた同期の生田だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます