第19話▷船上の約束

 よく晴れた快晴の下。

 波飛沫を上げて青い海を裂いていく帆船の上で、若い娘の軽やかな歓声が上がる。

 わしは「今世では海、初めて見たのぅ」と感慨に浸りつつ、彼女の様子を目を細めて見守った。


「わっわっ、わぁぁぁぁ! すごい! すごいすごいすっごーいっ! こんな速い船、初めて乗ったわ! これが流通すれば貿易に革命が起きるわね!?」

「あははっ。アウネリアは反応が素直で可愛らしいよね。まあ……残念なことに、まだまだ外洋でこの速度は出せないのだけれども。この規模となると燃料とする魔力の問題があるし、目立つから海の魔物に狙われやすくてね。他にも細かい問題がもろもろと」

「消費魔力の効率化と船自体の隠密性が求められるわけね、ふむふむ。でも魔導駆動馬といい、これは移動の新時代も近いわ。やっぱり時代は魔学よ!」



 アウネリアがはしゃぐのも分かるというもの。

 現在わしらが乗っておるのは魔導駆動船エーテルシップ

 魔導駆動馬エーテルホースと同じく魔力を燃料として動く、魔導機構を使用した人工物じゃ。



 いやはやしかし、魔導駆動馬ですらまだまだ流通しておらず貴重だというのに……帆船のような大きさを動かす魔導機構があるとは驚きである。

 クロエの言う通り使える範囲は決まっておるし、半分は普通の帆船なのだろうが。それにしたって驚くべき技術じゃ。

 こんなものを用意出来るところに冒険者ギルド支部長というだけでなく、彼女本人が魔導機構に通じ、用意できる場所に渡りをつけられる人脈があることを察するには十分。

 アウネリアが彼女を後援者として信頼してしまうのも分かるというものじゃな。



「ひゃうああああ〜〜! 早いです! 早いですーー!」

「船とはもっと酔うものと考えていたが、驚いたな。これだけの速度が出ているのに揺れをほとんど感じない」

「魔導駆動を使用している間だけだけどね。それと単純に我が部下の操舵技術も優れている。……ふふふっ、しかし、みんないい反応してくれて嬉しいなぁ!」


 上機嫌のクロエは片目を覆い隠す眼帯の位置を直しながら、わしにも目を向ける。


「エイリス氏も船旅を楽しんでくれているかな?」

「……ああ。それなりにな」

「反応悪いな〜。他のみんなはこんなにきゃっきゃとはしゃいでくれているのに」

「!? 俺は別にきゃっきゃなどしていないぞ!」

「またまた〜。ルシオくん、君って魔導機構にすっごく興味ある人でしょう? アウネリアみたいに目がキラキラしていたよ」

「んなっ」


 反論しようとするルシオ……ルメシオをさらりとあしらって、クロエは一枚の紙を広げた。


「さて、これから行く海底迷宮についてもう一度おさらいしておこうか」




 紙に描かれていたのは建造物の断面図。その周囲には海が描かれている。

 しかし海に囲まれた島にある……などというわけではなく、共に描かれた海もまた海上から海中、海底までの断面図として記されていた。


 わしらが向かっている今回の依頼先は、以前わしとアウネリアが訪れた湖底の迷宮に似た構造の迷宮であった。

 しかし規模はこちらの方がずっと大きい。



「今回の依頼内容は迷宮入り口の不具合の修正、だね」

「確か迷宮の入り口が開くとき、渦潮が発生してこの辺りの海流を乱しているのよね?」

「そう。海中など特殊な場所にある迷宮への入り口は、古代の魔導技術によって異空間を介した魔孔まこうで内部と繋がる。そのさい入り口周辺に影響はないはずなんだけど……古いものだからね。どうしたって不具合は出てくる」

「それを直すのがお仕事だから、今回はクロエさんもついていてくれたのですねぇ。……冒険者ギルドの支部長さんともなればお忙しいでしょうに、そんな技術や知識もお持ちだなんてすごいです」


 感心するように頬に手を当てつぶやくリメリエに、クロエはパチンっと指を鳴らす。


「そういうこと! 僕はアウネリアには才能で劣るけど、一応魔学者の端くれでもあるからね。特に冒険者をしてきただけあって、古いものを直すのは得意なんだよ。こればかりは色んな迷宮を目にしてきた経験がものをいうね」

「ええ。クロエの方が古代技術について、私の何倍も詳しいわ」

「ふふっ、そう言ってもらえると光栄だ。……でも不具合が生じて、結構な時間が経っているからね。内部に強い魔物が巣くっているはずだから、君たちのような心強い護衛が必要というわけ。頼りにしているよ」


 そう言って見えている方の眼でパチンっとウインクをする様子は、とても様になっていた。

 いちいち動作は派手じゃが、それに違和感が無いところがすごい。

 リメリエなどはすかさず背を向けてメモ帳を取り出し「余裕のある大人な男装の麗人……!」などと息を荒くして筆を走らせておる。小説の参考にするらしい。


 ……孫、仕事熱心なのはいいことじゃが、ちゃんと寝られておるのじゃろうか。

 この間などは「一冊分完成しました!」と言って嬉々としてアウネリアに作品を見せておったが、いつの間に書いておったんじゃ!? と驚いたものである。昼間は依頼でへとへとになっているというのに。

 ひ孫の睡眠時間が心配でしょうがない。


 ……しかも「わしにも読ませてくれんか?」とお願いしたら「これは駄目」と突っぱねられてしまった。

 なぜじゃ。友達と仲が良いのは嬉しいが、じいは少し寂しいぞ。






「それで入り口の開閉に関わる魔導技術だけど、あるのはここ……一番下の最深部。海底神殿だね」

「神殿、ですか? 迷宮なのに?」


 クロエが紙の中で指し示したのは上部の迷宮と異なり、どこか神聖な装飾で彩られた部分。

 中央には女神像らしき絵も描かれておる。


「うん。迷宮の奥が神殿になっているって感じかな。おそらくこの迷宮は神殿への侵入を阻むためのものだろうね。入り口に不具合が現れる前はこの辺りの港町が年に一度、この神殿を訪れて海の女神を奉じる祭を開いていたという話だよ。今はこんな船でも使わないと到達できないし、内部の魔物の数も増えてしまって難しいだろうが」

「へぇ、お祭り!」

「もし神殿へ向かう途中で、君たちが頑張って魔物の数を減らしてくれたなら……。いずれそのお祭りも、再開する目途が立つかもよ」


 そのクロエの言葉にすかさず口を挟んだのはルメシオである。

 眼鏡を持ち上げ、スパッと言い切った。


「いや、無理だろう。この人数だ。どこかの修道女の体力もあるし、帰路の事も考えれば出来るだけ消耗は少ない方がいい。戦闘は最小限。わざわざ狩ってやる必要もない。それは入り口の不具合を片付けた後、他の冒険者にでも対処させてくれ」

「ちょっと、どこぞの修道女って伏せてる意味ありますぅ!? 一人しかいないじゃないですかー!」

「あっはっは。ルシオくんは効率的な子だね~。あと堅物なようで、優しい! リーエくん、彼は君の事を気遣っているのだよ」

「いや、俺は別に……」

「まあまあ、そう照れずに。だけど了解したよ。あわよくば、と思ったけど欲張るのはやめておこう」


 うーむ。ルメシオも口は達者のはずなんじゃが、どうもクロエの方が上手のようじゃな。

 冒険者ギルド支部長であり、魔学研究者。すらりとした体躯をしているが、ただ細いわけではない。男装に身を包んだその体は良く鍛えられており、体幹にも優れている様子。そこから戦闘においても優秀であることが想像できた。

 ……おそらく三十代ほどじゃろうが、その若さにしては妙な貫禄もある。


 まことに不思議な女人じゃな。







「………………」

「エイリス、静かね」

「ん?」


 ぽんぽんと交わされる会話に少し離れた位置で耳を傾けていると、いつのまにやら側に来ておったアウネリア。

 その特徴的な金赤の髪色は染粉に隠され見えないが、キラキラ光る翡翠色の瞳とその生命力にあふれる表情が快晴と舞う水飛沫によく映える。


 ……眩しいのぅ。


「なに、わしが口を挟まぬとも皆が話を進めてくれるからの。年寄りは楽をさせてもらっておるよ」

「またそういう事を言う。あなた体は若いんだから、もっとしゃんとしなさいよ」

「そうは言うても、ほれ。前にも言うたじゃろ。いくら体が若くとも、一度枯れた心は戻らぬのだと」

「…………」

「そう難しい顔をするでない。存外、わしはこの感覚も嫌いでは無くてな。一歩離れた位置から若者たちが煌めくさまを見るのも、楽しいものよ」


 この位置ならクロエには聞こえないだろうと、前世から慣れ親しんだ口調でこそこそと話す。


「…………。ねえ、エイリス」

「ん? なんじゃ、改まって」


 体の前で手を組み、きゅっと握ったアウネリアがわしを見上げてきた。

 どこか真剣な雰囲気に、一瞬この空間だけが切り離されたような気分になる。

 頬を撫でていく潮風がアウネリアの髪を散らし、海鳥の声がやけに大きく聞こえた。



「あのね。……私、海を渡る前にエイリスに言っておきたいことがあるの」



 海を渡る。それは今この状況を指しているのでなく、魔学の盛んな土地へ渡航する時のことを言っておるのじゃろう。

 クロエは今回の件を"試運転"とも言っておったしな。

 この船、魔導駆動船として使える場には限りがある様子じゃが……。普通の帆船として用いても海外に渡航するには十分なほどの大きさと安定感がある。

 今回の件で船の調整が確認できたならば、いよいよもってアウネリアを海の向こうへ連れていくつもりなのじゃろう。



 さて、それよりアウネリアの要件とはなんじゃろうか。



「ふむ。なにかな?」

「……ここじゃなくて、二人の時に言いたいわ。でも絶対に聞いてもらいたいから、宣言だけしておく」

「なにやら怖いのぉ」

「こ、怖いとはなによ! ただ、このままエイリスの優しさに甘えたまま……なあなあでついてきてもらっちゃいけないと……思ったから! 私なりに、その。……伝えたい言葉があるのよ。……リメリエも私のためだけにお話を書いて、応援してくれたわ」




 頬を紅潮させ必死な様子で言葉を紡ぐアウネリアに、わしはある種の確信を抱く。




(はて。どうしたものか)


 この予想が間違っているならば、わしが赤っ恥をかくだけで済む。

 しかしもしも当たっていたならば……これから彼女と共に居るために、わしはどう答えるべきなのじゃろうか。


(やれ、こんなじじむさい枯れた男に物好きな)




 せめてこれはわしの思い込みであってくれと願いつつ……。

 アウネリアと夜に話す約束をして、わしらは海底迷宮の入口へと向かうのじゃった。

 









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