第八頁 最果ての白紙図書館へ
「――刻、界刻、聞いているんですか?」
「ん? ……っ、ん、聞いてる」
「嘘でしょう、その顔は」
咀嚼しながら、ぼーっとしていたところに相棒の鶴の一声。
嘘を口にすれば、彼女には一発でバレた、なぜだ。
界刻はごちそうさまと言って手を合わせる。
「そういえば忘れていることがあったな」
界刻は立ち上がり、外に出る準備として上着を羽織る。
「え? どうしたんですか? 旦那様」
「夫婦ごっこの続きは後でいい……用事を思い出した」
「……ああ、あの魔女のところですか」
俺は念のため、外に出る用の変装をしてから、上着を羽織る。
「友人だ、行ってくる。ついて来い」
「はいっ」
相棒はぱぁ、っと顔を明るくさせ彼女は俺のスマホケースに擬態する。
俺が好きな青色を基調としたデザインのケースだ。
彼女が人間だけじゃなく物にも擬態できるのはありがたいことでもある。
界刻は扉を開け、ある人の元へと向かった。
界刻は東京新宿区へと訪れていた。
文化の町、新宿。機械的な都市感のある街並みではなく、どことないレトロ感のある雰囲気を帯びた店が何件か並んでいるのが特徴的だ。もし、俺が例えるならば……どことない喪失感にも似たノストロジーの風味がある町、と俺は認識している。
『帰りませんか? 界刻』
「断る」
『拒否権ないんですね』
「当たり前だろ」
ヘッドフォンをつけながら、界刻はとある
もちろん、相棒には陰に潜んでもらっているので何一つ問題ない。会話をしていたとしても、ヘッドフォンで連絡を取っている、と他人に思わせればいいだけだ。
誰にも改築されることはないのは、ここが特別な場所だからと言える。
界刻は合図として、小さく息を吐き言葉を紡ぐ。
「
自分の脳裏に自然と言葉が流れてくる。
【
「……御神渡界刻、小説家だ」
【
『「……我らは言葉の大海に沈む、文字である」』
界刻と透姫は合言葉を唱えた。
【御神渡界刻、無貌少女。両名を認証、開錠を許可します】
脳内に響く声が発した言葉と同時。
『……この合言葉に彼女の
「大事なことなんだからいいだろ、それくらい」
『界刻は本当にあの泥棒黒猫に優しいんですからっ!!』
「何も
【もう、旦那様の馬鹿ぁ!!】
相棒の罵倒は無視しヘッドフォンを首に下ろす界刻。
彼は金色の装飾が施されたドアノブを回す。
開かれた場所に入れば、そこは本好きならたまらないであろう字の海、いいや、行く手数多の並行世界に存在するすべての本が
「二人とも、来てくれたんだね。今日もお疲れ様」
「ああ」
本の海、と評してもいいほどインクの香りと紙の匂いが漂って来る。
数多の本棚が目に入る中で綺麗な声が聞こえてくる。
朗読劇の語り部の口調に似た落ち着いたソプラノの響きが耳に残る。
添えられた彼女の言葉は親しみやすさのある愛嬌を見せた。
三日月にも見える銀色のイルカのヘアピンをしているのがトレードマークな彼女の名は、
この最果ての白紙図書館の司書をしている人物だ。
「真面目だね、他の遺骸殺しはわざわざ来ないのに」
受付の台に置かれた彼女のすらっとした手が伸びる。
指先から上には群青色の七分丈シャツの袖が覗き、背中の中央から上まである黒髪、たまご型の輪郭に整った美顔。深みのある
「……仕事は仕事だからな」
「そう? 仕事熱心なことはいいことだよ、作家と両立はなかなか大変だと思うけど、難しかったらいつでも彼女の
「……それをしたら、俺が死ぬかもしれないだろう」
「まぁ、彼女は用心棒であるのも事実だけどね」
首にはシンプルなループタイにラブラドライトの宝石が輝く。
オーソドックスな黒のプリーツスカートが受付越しから見え、ストッキングと白のパンプスという組み合わせは、どこぞのOLでも着てそうなチョイスだ。だが、群青色の七分丈シャツとイルカのヘアピンで彼女の個性を際立たせているといえよう。
「律儀な男だよね、界刻君は」
「……そういうわけじゃない。俺はこうみえて面倒くさがりなんだ」
体つきまでプリマドンナ級の美貌をしているにも関わらず鼻にかけない彼女、綴理坂さやか今日も相変わらずだ。それとも、俺の何かがこの図書館と関係しているのか、作家としては気になる点だが今はまだ聞けていないでいる。
「そうですよ! 界刻は本の虫である貴女みたいな人に会うために来ているわけじゃないんですからね!! 勘違いしないでください!!」
「勘違い? どうして? 私は界刻君が好きで来てくれているのなら心穏やかに仕事の業務が行いやすい、そういう話のはずだけど」
さやかは不思議そうに小さく首を傾げる。
ミステリアスな彼女にはその真意は純粋なのか、それとも計算か。
メアリーは大人な返しをされて言葉を詰まらせる。
「メアリー?」
「……だ、黙ります」
暴走機関車よろしく、仕事以外の話題をぺらぺらと述べようとする気満々だった相棒を強引に黙らせられたのでよしとする。
透姫は不満そうな顔をしつつも、詠唱を始めた。
「汝は
白き極光を纏った透姫は己の姿を界刻が望んだ形へと体を整える。
ガラスなどの壊れ物を扱う手つきにも似た所作で彼女は触れる。
彼女が
「……それで、どうだ? サヤ」
「うん、遺骸殺しとして短期間で契約を結んだ物同士の中でも界刻君は目を見張る物があるよ」
「後、何体異害を倒せばいい」
「
「それは契約違反だろう」
「そうかなぁ……正しい名前を呼ぶことも、縛りの一つだと思うけど。まぁ、彼女を人間にするのはまだまだ並行世界の異害たちを殺さないといけないね……君の人生を全て使ってこの生活を続けなくては彼女を怪異から人間にすることは不可能だって説明したはずだよ」
綴理坂は読み慣れた愛読書のように愛おしげに相棒に触れる。
彼女が指で触れた時に相棒は俺たちの会話は聞こえていない。
まさに魔法。現実にそぐわない行為を行えるのが彼女の権能の一つだ。
「だが、巨大な異害なら彼女は人間になれるはずだろう」
「この最果ての白紙図書館を維持するためにも君のような遺骸殺しは大切。だから、対価として君の願いを聞くのが私の役割……だからこそ、適当で中途半端な判断はできない」
「……お前じゃない司書だったらもっと不満を言ってやるところなんだ」
重々しく溜息を吐く。
やはりまだまだ道のりは長い、ということか。
目の前のクールな見た目の彼女が、柔らかく友人としての笑みを見せる。
「それは私に好意を抱いている、という言葉による遠回しな愛情表現かな。流石作家だね。相手の好意を細やかに気づかれないように相手に伝えると言う言語表現は嫌いじゃないよ。むしろ好ましいくらい」
「……なんだ急に」
「私の個人的感想だよ、君の人格性は嫌いじゃない。私はそう表現をしたいんだ……いけないことかな?」
本当に、話し方は女口調を装おうと努力しているようだが機械的な話し方を好む女だ……この綴理坂さやかという女は。
それはまるで物語の登場人物の心情をあっさりと見抜いてしまう読者とも違う観点でも物事を見ている作者自身のような口ぶりで物事を話す。
おそらくそれはこの図書館の司書であり彼女の性質を表わしていると言えよう。
界刻はそっぽを向き、変な雰囲気を感じて言葉で制す。
「あくまで仕事仲間、という意味だ。他意はない」
「ふふふ、素直じゃないね。君の感情表現は不器用で愛おしいよ。きっと
「何を言っているんだ? アイツは俺の大嫌いな夢小説主人公の類に等しい女に、どうして好意を持つと言えるのか理解に苦しむな」
「ふふふっ……そういうことにしておいてあげるよ。今は、ね」
含みのある言葉と笑みで彼女は
だからこそ、彼女はこの図書館の司書という立場にいると推測できる。
……上から物を見ている、という傲慢な王の言動よりも恐ろしい物言いをする彼女に恐怖感さえ覚える時があるのは、彼女には告げられない本音だ。
「お前のその言動は、本当に嫌いだ」
「ごめんね。私を独占する時はたっぷり、一緒に過してくれる? 界刻君」
「……やっぱり嫌いだ」
「どうして?」
「どうして、って聞く時点で駄目だろう」
「……難しいね、言葉って。私が立派な人間だったら、理解できたかな」
「……サヤ」
界刻はテーブルの上に相棒を置くのを見て、彼女の愛称を口にする。
困ったように、機械的染みた言い方をする彼女の中の傷が垣間見える微小にわずかな棘が俺の胸に刺さるのを覚えた。
「まぁ、私はこの図書館での司書という役割を持った登場人物でしかない、君に対して完璧で完全で完成された人格と人生の理解を得るのは難しいよ。けれどきっと、君が死んでこの図書館に君が描かれた本が寄贈された時だけだと思うのは、少し寂しいかな」
「……どういう意味だ」
「私は、もっと君のことを知りたいと思っているのは、本心だよ? 知的好奇心だけだと思わないでくれると嬉しいな、御神渡界刻君。いいや、
……この女は。本当に。
「……それは俺が死んでから完全理解するって意味に過ぎないんじゃないのか」
「違うよ? 君を個人的に好きになるのは君が生きている時しか味わえない体験で貴重、そういうことを言っているんだよ。生きている時だけ、人は花にも等しい華やかさを含んでいるのだから」
彼女の瞳に小さな熱を見逃さなかった。
自分には彼女の熱がなんなのか深く理解できないまま、皮肉を口にする。
「……リップサービスならお断りだぞ」
「もちろん、私は全ての人間に対しての好まれる返答が必ずできると言うわけではないけれど、寄贈された本を見るという行為で君を知るよりも、お互い出会うことを繰り返し、お互い刷り合わせをし合う。物語でも互いの人間同士で高め合っていく恋愛感情は、尊ばれる物じゃないかな?」
俺が綴理坂さやかが恐怖を感じる点は、これを素で、しかも恋愛感情という単語を使ったが俺に対しての恋愛感情を明記していると誤認したっておかしくないような言動をする点にも恐怖感を覚えている。
これが俗に言われる、素直クール、という性質を持つ彼女による言動の威力だろうか……心臓がうるさい。
「……そういうことにしておく」
「なら、嬉しいな。界刻君にはもっと身近で、もっと親しい関係性を気づきたいからさ。だから、まだまだ未熟な
さやかは受け付け机に相棒を置いて、蠱惑的に笑う。
……機械的な物言いなのは確かだと言うのに、時折普通の乙女のような言動をすることもあるからこそ、この女の扱いには困る。
相棒とはまた違った意味で厄介だ。
「何をいちゃついてるんですか!! 界刻は私の旦那様です!!」
「メアリー」
「
「……意気地なしって罵倒される理由がないんだが?」
人間の姿に戻った相棒は俺の背中に犬のようにさやかに
「旦那様なのに本名で呼ばない嫁がいるんだ? 偽装夫婦の間違いじゃないかな」
「新婚夫婦なんです! 界刻は本名を呼ぶと照れちゃう照れ屋なんです!!」
「新婚夫婦の奥さんが旦那さんを仕事名義で呼ぶんだ。仮面夫婦って捉えられてもおかしくないと私は思うよ?」
「っ、そ、それは!! あ、貴方だってペンネームの方で呼んでいるではありませんか!!」
「彼が遺骸殺しとしての名は御神渡界刻で登録したことを忘れたの? 私は仕事とプライベートは分けることができない奥さんは早々離婚案件だと思うけど」
「……うぅっ」
「おい、サヤ」
さやかは不思議そうに相棒に向かって正論と挑発をする。
……後ろにいる相棒が涙ぐむのがわかる。
こういう時のさやかは容赦がない。理詰めの鬼である彼女は、一時期、「正論が自分が用いる感情表現だからね」、と語っていた時は頭を抱えたものだ。
さやかは相棒の首枷を掴んで5センチレベルで顔を近づかせながら説教をする。
「飼犬と主人の立場を理解すべきだよ。君は無貌少女……界刻君は君の主人。だからこそ、契約がなされ互いの主従が決まった。怪異である点に置いて、君は今怪物であることに揺らぎはない。身の程をわきまえることも、奥さんの立場なら当然なんじゃないのかな」
「……っ」
「メアリー……」
「っ、失礼しますっ!!」
相棒は姿を消す……図書館から先に出たようだ。
この空間は特殊だから、退出しようと思えばわざわざ扉を使わなくても出られるのが、この最果ての白紙図書館の便利な点だ。
「……サヤ」
「大丈夫、君は彼女を成長できるように設定は組んであるんでしょう? なら、
「悪い」
「謝らないで。もう少し、君も彼女の設定を追加させた方がいいよ。彼女を
「……ああ、感謝する」
相棒が去る原因を作った彼女は冷静に言いつつも、いつも通りの笑みを作る。
界刻は急いで、図書館から去った。
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