語部の綴頁誓言(ニルエンゲージ)

絵之色

第一頁 輝石の断片が眠る場所へ

 パソコン画面を睨みつけ、最後の単語を打ち終え瞬間に椅子にもたれかかる。ようやくできた原稿を見て安堵に満ちた溜息が漏れた。


「……ふぅ、終わった」


 閉じかかる目蓋まぶたをこじ開けるためエナジードリンクを一気に飲み干す。

 自分の背後に飲み終えたドリンクがどれだけあるかなんて興味はない。

 全部やり切ったという思考が締め切りで壊死しかけた思考回路に仮の褒美ほうびを与える必要な処置だ。


「先生ー!! 原稿できましたかー!? わ、汚ったな!?」

「……うるさいぞ、居部いべ


 乱暴に扉を開けて切羽詰せっぱつまっている担当編集者様が俺の部屋に乱入してくる。

 キンキンとした彼女の声は、徹夜の頭には響くな。


「いつも言ってるじゃないですか時間厳守じかんげんしゅですよー!? ギリギリじゃないですかぁ」

「……そんなことを言うならデータ渡さなくてもいいんだが?」

「仕事なんですから、それはきちんとしてくださいっ!! 無職になりますよー有名作家様!」

「……ん」


 だらんと机に突っ伏しながら、右手でスッと居部にメモリースティックを渡す。

 ……ここで下手な反論をして、本当に一文無しになっても困るからな。


「ありがとうございますっ、いやー! 先生本当に遅筆だから、担当編集の私は大変ですよー!」

「……けなしてるのか」


 痛む額に手をやりながらやたら皮肉を言う彼女をじとりと睨む。


「軽いジョークじゃないですかジョーク! なんだぁ、元気じゃないですかー! それでは、御神渡界刻おみわたりかいこく先生の作品今回も売れるよう期待してますので! では!!」


 ファンタジー小説に出てくるダンジョンの魔窟まくつと評しても違和感のない室内を競走馬の名馬の速度にも似た足捌あしさばきで去って行った。

 パタン、と閉じられた音を確認して椅子の背もたれにもたれる。


「はぁ、新作か」


 ……まずは、俺のルーティンを熟そう。

 冷蔵庫から缶コーヒーを取り出し、再度椅子に座ってから一口飲む。

 目覚めにはふさわしい苦みに頭がすっきりしてくる。

 御神渡界刻とは俺の小説家としてのペンネームだ。徹夜して終えた原稿を尻目に、コーヒーを片手に窓から空を眺めるのが俺の日課だ。夜明けの美しいブルーモーメントを眺めるのは俺の小説家人生での癒しの一時である。


「……一仕事終えた後のこの風景は、やっぱりいい」


 有名作家にまで上り詰め、この風景が見えるロケーションのいい物件巡りは大変だったが……なんだかんだで今回も乗り切ったのだから良好という物。いつも締め切り前に彼女にも徹夜させているのは悪いと思うが、そこはご愛敬という奴だ。


「界刻、もう寝てもいいんじゃないですか?」


 口内に心地のいい苦みが占める優雅な一時の中、少女の気配を察知した。

 後ろは振り返らず、缶を口から離しながら苛つきを込めて皮肉を投げてやる。


「……こういう時は楽にさせろ、メアリー・スー」

「あ、ひどいですよ? 界刻。私はまだ、誰にも描かれていない貴方だけのヒロインなんですよっ」

「間違いじゃないんだからいいだろ、未設定ヒロイン」

「もう! だったらはやく私を書いてください!! 旦那様っ」


 姿を見せない相棒に文句を言われる。

 はぁ、と小さく溜息ためいきこぼしつつ意地でも背後は見ない。


「夢遊病にでもかかったか? 怪異様。お前の旦那になった覚えはない」

「ひどいですっ! 唯是透姫ゆいぜとき、そう名付けたのは貴方のはずですよ?」


 少女は不満そうに小さな頬をふくらませる。わざとその言葉を選んでくる相棒に苛つきを隠さず不満を口をした。

 強引に顔を覗いてくる彼女の姿を見る。

 顔面は彼女自身、俺好みの人間の顔の黄金比を保たれている。

 要するに、美人で可憐で愛嬌のある顔である……が、その顔面の皮をいで生ゴミに捨てたくなるほどの憎悪にはよく襲われる。

 老婆の白髪しらがよりは若々しく、つややかに腰より下まで伸びた白の長髪。洒落た両横に長いリボンがある貴族のご令嬢がつけるようなボンネット。

 青みを帯びた灰色の瞳は、針鼠の針と似た視線で俺の内面を見抜かんと虎視眈々と狙っている。人型を得ているだけの獣のような女なのに他人には可憐な少女にしか映らないのがこいつの怖い所だ。


「だったらなんだ」

「だ、だったらって……も、もー! もー!! 卑怯ですっ」

「牛の真似をするな」


 薔薇の模様が穴になっている特殊なレースが使われたスカートをひるがえし、彼女と契約をしてからつけている南京錠なんきんじょうの付いたチョーカーが揺れた。

 ついでに胸元にある白薔薇のコサージュ入りのリボンもおまけ感覚で揺れる。

 全体的にどこぞの絵画で見るどの裸体の女よりも肌も服も色白で、ぞっとするくらいに魔の魅了を秘めた少女の姿を取る怪異に寒気すら覚える。


「もう、界刻は釣れないんですから……まぁ、そこが魅力なんですけど」

「……気色悪い」

「あっ、ひどいです! 私たち、キスだってした仲なのにっ」

「そこに恋慕れんぼはない」


 ぽっとなんて擬音語が聞こえてきそうに両頬に手を当てて顔を赤らめる相棒が

 クイッと残り少ないコーヒーを再度口にする。


「……ふふふっ、そんな界刻も好きですよ」

「……勝手に言ってろ」

「それで、今日も私、可愛いですか? 綺麗ですか?」


 ……どこの口裂け女の名乗り口上だ。

 嬉々の色が含まれた笑顔に缶から口を話して横目で見てやる。


「回答を拒否する」

「えぇー!? 釣れないです……ふふっ」

「なんだ?」

「困った界刻も素敵です」

「勝手に言ってろ」

「勝手に言いましたよ」

「……ふん」

 

 本当に面倒なヒロインを爆誕させてしまったな俺は。

 どこまでも貪欲に俺の好みの存在になろうとしている、困った奴だ。

 俺は生涯、

 時計から、六時の音色が響き出す。


「……そろそろ、お時間です。向かいましょうか」

「休みたいんだが」

「ダメです。契約を守るのは大事なことだと貴方もご存じでは?」

「……しかたないな」


 席から立ち、透姫が指を鳴らす。

 突如として細やかな装飾が施された白の扉は開かれ、向こう側から夜空、宇宙の星々の煌きにも似た空間が中で広がっている。

 扉を前に彼女は俺の手を引く。


「では、参りましょう――――私たちのエデンへ」


 一人の少女と、一人の青年たちは扉の先へと踏み込んでいった。

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