助けに来たよ
「私、転校するんだ」
月ノ宮学園の体育祭が終わったばかりの六月一日。帰宅ラッシュと重なる夕方の月ノ宮駅のホームで、僕の幼馴染である朽野乙女の、唐突な別れの挨拶。いつもは鬱陶しいぐらい元気な幼馴染が、そんな普段の姿からは考えられないほど儚い笑顔を浮かべていた。
「私の父さん……八年前の事故を起こした、犯人かもしれないんだ……」
堪えられなくなった感情が決壊し、溢れ出た涙が乙女の頬を伝い、そして彼女は僕の腕を掴み、胸の中に顔を埋めてきて……止められなくなった涙をボロボロと流していた。
八年前のビッグバン事故。月ノ宮海岸に保管されていたネブラ人の巨大な宇宙船が大爆発を起こしたことにより、この月ノ宮の町に甚大をもたらした大惨事だ。宇宙船のエンジンの故障による事故とされているはずだが……確かに当時乙女の父親である秀畝さんは宇宙船が保管されていた旧月ノ宮宇宙研究所に勤めていたとはいえ、あの人にそんな動機があるわけがない。
僕は秀畝さんの人となりも知っているし、あの事故で大切な人を失った友人達が乙女を恨むとは思えない。何なら僕が守ってやるぐらいの気持ちで乙女を引き留めようとしたけれど──。
「でも、もう決めたことなんだ。荷物も全部持っていっちゃったから、今更戻れないよ」
悲しいことに、乙女の決意は固かった。
まだ乙女に残っていてほしい、というのは僕のただのワガママだ。こんな田舎町なら噂はあっという間に広がるし、あの事件で不幸になった人々も多くいる。そんな環境でどれだけ僕達が頑張っても……乙女は過ごしづらいだろう。
「そんな悲しそうな顔しないでよ、朧」
すると乙女は、僕の方へ一歩踏み出すと顔を僕の首筋へ近づけ──その柔らかい唇が、僕の首に触れた。
幼馴染から不意打ちを受けた僕は驚きのあまり心臓が止まりそうになったが、乙女はすぐに僕から離れると、いたずらな笑みを浮かべてケラケラと笑っていた。
「ファーストキスはあげてやらないもーんだ。でも、これならノーカンでしょ?」
「……バカ言え。僕の唇だって高いんだからな」
やめてくれ。
まるでこれが最後みたいなことをしないでくれ。
永遠の、別れじゃないはずだろ……?
「もう、乗らなくちゃ」
そう言って乙女は特急列車に乗り込んだ。僕はドアの前に立ったが、もう乙女を引き戻そうとはしなかった。
「……ありがとね、朧。わざわざ来てくれて」
「まさかこんなことになるだなんて思わなかったけどね」
「本当はね、黙って出ていこうかなって思ってたんだけど……朧にだけは、伝えておきたかったから」
今、僕の目に映る乙女の笑顔は本当の笑顔なのか、ただの強がりなのか……僕は幼馴染の、最後の努力を無駄にしないために笑顔で送り出そうとしたが──。
『さよなら、朧』
「さよなら、朧」
突然、僕は既視感に襲われた。
何故だ。
どうして僕は、この光景を見た記憶があるんだ?
どうして僕の頭に、一度乙女と別れた記憶があるんだ?
『皆に、ごめんって言っといて』
「皆に、ごめんって言っといて」
──思い、出した。
僕の脳内に、自分が歩んできたはずのない過去の記憶がなだれ込んでくる。
そう、俺はまた帰ってきた。
俺が前世でプレイしたエロゲ、
この世界に存在するはずの真エンディングを求めて、俺はループを繰り返してあらゆるエンディングを回収してきたが、真エンディング到達のために必要な最後のピースである朽野乙女が、今まさに月ノ宮を去ろうとしていた──。
「待ちなさい!」
ホームに発車ベルが鳴り響くと同時に、特急列車に乗り込んでいた乙女の腕を引っ張って引きずり出した人物がいた。
「わ、わわっ!?」
乙女が列車から降ろされたと同時にドアが閉まり、特急列車は乙女を置いて出発していった。
乙女は困惑した表情で、自分の腕を引っ張った人物の顔を見上げた。そしてそれが何者かわかったのか、すぐに驚いた様子で口を開いた。
「しゃ、シャルロワ会長……!?」
エレオノラ・シャルロワ。夕暮れ時のホームに吹き抜ける風に艷やかな銀髪をなびかせながら、俺と乙女に笑顔を見せていた。首に、金イルカのペンダントを下げて。
ネブスペ2第三部のメインヒロインであり、その攻略難易度の高さや作中でのぶっ飛んだ行動からラスボスという異名を持つ、シャルロワ家のご令嬢。
そして、そんな彼女には裏の顔がある──。
「朽野乙女さん」
「は、はい」
彼女に名前を呼ばれた乙女は、緊張しているのか珍しくたどたどしい雰囲気だった。そんな乙女の緊張を和らげるように、奴は信じられないくらい優しい笑顔で乙女に言う。
「貴方がこの町を出ていく必要はないわ。貴方を悪く言うような虫けら共は全て私の手で叩き潰してやるわ」
「え、えぇ……?」
いや叩き潰すのはやり過ぎだろ。
「そして、烏夜朧」
「……なんでしょう?」
彼女はわざとらしく俺を烏夜朧と呼ぶと、エレオノラ・シャルロワらしからぬ無邪気な笑顔を浮かべて言う。
「もし明日、地球が滅ぶと言われたら何をする?」
これまた唐突な質問だな。
まるで、この地球が滅ぶ運命にあると知っているかのような。
「僕なら、愛する人を守るために地球の存亡をかけて戦いに行きますね」
と、俺は烏夜朧っぽく答えてみる。
「ちなみに朽野乙女さん、貴方は?」
「え、わ、私ですか? えっと……私は、大切な人と一緒にいたいかな……」
いやお前、何乙女チックに答えてるんだよ。そういうのずるいだろ。
「悪くない答えね」
俺と乙女の答えを聞いて、彼女は満足そうに笑っていた。
「ちなみに、ローラ会長は何と答えるんですか?」
俺が彼女にそう問うと、彼女は首から下げていた金イルカのペンダントを外して口を開いた。
「私はね、両方を取るよ」
エレオノラ・シャルロワというキャラらしからぬ口調で彼女はそう答えた。
……待ってたぜ、もう一人の乙女。
俺は、この世界で一度死んでいる。花菱いるかに転生した俺は幾度となくループを繰り返したことでビッグバン事件を防げないことを知り、ヤケクソでネブラ人の宇宙船の自爆ボタンを押したところまでは覚えている。きっと花菱いるかの亡骸なんて見つからないだろう。
ビッグバン事件の真犯人は、朽野乙女の父親である秀畝さんではない、この俺だ。ネブラ人の過激派達の企みを阻止するため、そして彼らからメルシナ達を守るために、あの大惨事を引き起こしてしまった。
どれだけあの大惨事を防ごうとも発生してしまう運命にあるとはいえ、俺はとんだ大罪人だ。しかしどうせ誰かがその罪を背負うことになるなら、俺で良い。
「一度は諦めようとしていたお方が、一体何を言ってるんだか」
多少の不安はあった。もしも今、彼女がここへ来てくれなかったらどうしようかと。その時はきっと次のループへ向かうために潔く命を絶っていただろう。スピカのバッドエンドに突き進んでローズダイヤモンドの肥料になっていたかもしれない。
「でも、約束を守ってくれてありがとうございます」
俺がわざわざ敬語を使って礼を言うと、ローラ会長は俺の頭をコツンと叩いて、そして俺が、花菱いるかとして彼女に託した金イルカのペンダントを俺の首にかけた。
「はい。約束通り、これを貴方に返すわ」
「待っていましたよ、貴方の登場を。さて、これからどうされるおつもりで?」
俺も何十周とループを繰り返してきたが、こうして乙女を引き留めたのは今回が初めてだ。
前世でネブスペ2を完全攻略した俺は、その知識を活かしてあらゆるグッドエンドやバッドエンドを回収してきたが、これから始まるのは筋書きの用意されていない、未知の物語だ。
「そうね。この世界は、いわば貴方のおかげで運命が大きく変わったはずよ。
なら折角だし、貴方のための物語と名付けようかしら……そう、烏夜朧編ね」
第一章、帚木大星編。
第二章、鷲森アルタ編。
第三章、明星一番編。
そして……第四章、烏夜朧編か。原作だと死んでばっかりのモブだった烏夜朧が主人公と肩を並べられるなんて、光栄なことじゃないか。
「あぁ……変えてやりましょう、この世界を」
ピースは揃った。
これまで滅びる運命にしかなかった、未完成のネブスペ2を俺達の手で完成させなければならない。皆が幸せになるための真エンディングを作ってやろうじゃないか。
その真エンディングのために必要なラストピースが、烏夜朧の幼馴染である朽野乙女なのだが……。
「……え、何この状況? もしかして私だけ、置いてけぼり……?」
今の状況を理解できずに、アワアワと混乱しながら自分の頭を掻いていた。
第三部、完。
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