第二部 鷲森アルタ編『私が本当に欲しかったもの』

届いた祈り、届かなかった祈り



 『ほら、あそこに見えるのがホームズ彗星だよ』


 二〇〇七年に観測されたホームズ彗星は突如として増光(アウトバースト)し、望遠鏡を通さずに肉眼でも観測できる程強く光り輝いていた。


 『あれはネブラ彗星じゃないの?』


 彗星の区別なんて全くついていなかった少女は、夜空に光る彗星が幻のネブラ彗星だと信じて疑わなかった。しかし少年は少女の問いを聞いて苦笑すると、望遠鏡を覗きながら言った。


 『僕達はまだ生まれてもいなかったから直接見ていないけど、ネブラ彗星を見つけたおじさんからよく話は聞いてたんだ。夜だというのにまるで太陽のように光り輝く大きな星がやって来て、世間は巨大な隕石が降ってくるだとか世界が終わるだとか大騒ぎになったらしいんだよ。アンゴルモアの大王だなんて言われていたらしいからね』


 まだソ連という国家が存在し、冷戦という情勢が背景にある中で進んだ宇宙開発競争により一九五七年のスプートニク・ショック、そして一九六一年にガガーリンが人類で初めて有人宇宙飛行を果たした直後のこと、まるで世界の終末を告げるような巨大な天体が地球から観測された。

 最初にその彗星を観測した月ノ宮のアマチュア天文家にちなんで『アカボシ』と名付けられた大彗星は、地球の終わりではなく未知との遭遇を知らせるものであった。


 『ネブラ人達は、その彗星に導かれて地球にやって来たんだ。戦火で荒廃した母星から脱出して宇宙を宛てもなく彷徨っていたネブラ人達は、まるで自分達を導くかのように現れた巨大な彗星に誘われ、奇跡の星である地球へとやって来たんだ。とてもロマンチックな話だと思わない?』


 はるか宇宙の彼方からやって来たネブラ人達は安住の地を求めていたが、彼らに敵意がなかったことからすぐに地球文明へと溶け込んでいった。

 ネブラ人を地球へ導いた大彗星『アカボシ』は、やがてネブラ彗星と呼ばれることになる。軌道計算から周期は十年前後と思われていたが、それ以来観測されていない。


 『じゃあ、ネブラ彗星が来たらまたネブラ人の宇宙船がやってくるの?』

 『どうだろうね……地球にやって来た一団だけじゃなくて他にもアイオーン星系を脱出したネブラ人の船団はいたみたいなんだけど、今はネブラ彗星も行方不明だからね』

 『また地球にやってくるかな?』

 『いや、でもまた爆発するかもしれないし……』


 つい先月、この月ノ宮に保管されていたネブラ人の宇宙船が大爆発を起こしたばかり。少年も家族を失い月ノ宮からネブラ人を追放しようという動きも見られたが、少女はいいやと否定する。


 『ネブラ人の人達が悪いわけじゃないよ、あの事件は。そりゃ、朧もあの事件でお父さんとお母さんを失くしちゃったけど……朧は、ネブラ人のことが嫌い?』

 『わかんない。でも、乙女が好きなら好きでいたいと思う』

 

 少年がそう笑顔で答えると、少女も笑顔で答えた。


 『きっとね、朧のお父さんやお母さんも、この宇宙のどこかで光ってるよ。確かネブラ人の言い伝えだと、彗星って神様なんだって。だから祈れば願いを叶えてくれるかもしれないよ。

  朧は何をお願いしたい?』

 『うーん……乙女のお母さんの病気が治りますようにってお願いするよ』


 少年がそう答えると、少女は彼の頭をコツンと小突いた。


 『そうじゃないでしょ。ほら、朧って妹がいたんでしょ? また会いたいとか思わないの?』

 『たまに電話とかするから大丈夫だよ。それよりも乙女のお母さんの病気、大変なんでしょ? だから二人でお願いすれば、きっと神様も聞くしかなくなるよ!』

 『朧……じゃあお母さんの病気が早く治るように、一緒にお星様にお願いしてくれる?』

 『うん!』


 そして少年と少女は一緒に、ホームズ彗星を始めとした星々に祈りを捧げていた。



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 不思議な夢を見た。

 おそらく自分と、知り合いの少女と何かを話していたような気がする。しかし、自分が話していた少女が何者なのかを思い出せなかった。


 僕は窓から月明かりが差し込む病室に寝かされていた。何かあって自分が入院させられていることは理解したけど、一体どうしてこんなことになっているのか……記憶を辿ろうと起き上がると、自分が寝ていた病室に誰かがいたことにようやく気づいた。


 「……!」


 まるで絵画のような光景に、僕は感動して言葉を発せなかった。

 窓の外に広がる星空に向かって、祈りを捧げる一人の少女。窓から差し込む月明かりに照らされて、まるで天の川のように煌めく長い銀髪。そのハーフアップを青いリボンで留め、白のワンピースに青のトップスを羽織った小さな少女は、ただ一心に星に祈りを捧げていた。


 「君は……」


 聖少女のような雰囲気すら醸し出す銀髪の少女は、僕の声に気づくとこちらを向いた。そしてベッドの上で起き上がった僕を見て、そのまま硬直していた。


 「烏夜、先輩……!?」


 綺麗な顔立ちの少女は僕が目覚めたことに気づくと、僕のベッドの側まで駆け寄ってきて、僕の手を小さな両手で力強くギュッと握りしめる。


 「良かった……! やっと、やっと私のお願いが、叶いました……!」


 僕の手を握りしめながら、彼女はボロボロと大粒の涙を流していた。自分が目覚めたことをこんなにも喜ばれるとむず痒い。


 「烏夜先輩は三日も意識不明だったんです。私を庇ったせいで烏夜先輩が死んじゃったらって思うと、本当に怖くて……」


 こんなに可愛い女の子が側にいてくれるなんて、僕はきっと幸せ者だろう。

 しかしそんな僕の感情は感激や感動よりも、戸惑いの方が大きかった。


 「ごめん。変なことを聞くようだけど……」


 そう前置きして、僕は意を決して彼女に聞いた。



 「君は、一体誰なんだい?」


 

 彼女の姿を見てから、僕がずっと抱いていた疑問。


 「え……?」


 僕は、彼女のことを全く知らない。


 「人違いとかじゃなくて、君は僕の知り合いだった?」

 「わ、私はベガですよ? 烏夜先輩とは中学からお知り合いですし、ワキアともよく一緒に遊んでくれたじゃないですか」

 

 ベガ……こと座の一等星か。織姫星とも呼ばれる星の名前であるのはわかるけれど、その名前が目の前にいる少女と全く結びつかないのだ。

 それに加えて、僕にはもう一つ疑問があった。


 「その烏夜先輩ってのは僕のこと?」

 

 目覚めてから、僕がずっと抱いていた疑問。


 「烏夜、先輩……?」


 僕は、その烏夜先輩というのが誰なのかを知らなかった。


 「もしかして、記憶を……失ってしまったんですか?」


 一体、僕は誰なんだ?

 何一つ、僕は思い出すことが出来なかった。

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