六節〈星の光、ゆめと未来に向けて〉

 啜り泣く声が聞こえた。

 苦しそうな声が聞こえた。

 彼らは、亡骸を抱えて花畑に座り込み続ける。


 嗚咽が静まったのは、日がすっかり暮れた頃だった。

 真っ赤に腫れた目元を、テオドールが作り上げた水の玉で冷やしながら、オルガはこれからのことを皆に話す。



「……取り敢えず教会には行かなきゃならん。

 また明日に、とはいかねェ。絶対に今日中だ。」



 教会に向かう理由。

 それは、葬儀を執り行うためだ。


 アリステラ王国では、教会にて葬儀を行うことになっている。

 遺体と共に花を敷き詰めた棺桶を燃やし、細かく砕いた骨を木の下に埋める。


 式典は様々な規模で執り行われるが、今回の場合は最小規模のものが良いだろう。

 規模が大きくなればなるほど費用は掛かっていくし、そもそも、シャーリーの存在はあまり大事おおごとにするべきではない。

 だからこそ、取れる選択肢は一つだけだった。



「行くぞ、テメェら。しっかりしろよ」

「……切り替え早すぎ」

「やらなきゃいけねェことがあんだ。

 切り替えないで何になるよ」



 泣き腫らした目で抗議の視線を向けるウェンディをいなし、オルガは二人を立ち上がらせた。



「……と、そうだ。誰か布か何か持ってねェか?

 シャーリーをこのまま連れて行くのは、少し避けたい」



 彼の呼び掛けに応じ、皆が懐を探すが、誰一人として使えそうなものを持ってない。

 仕方なく、結界術式の壁色を変えることにした。

 あの時と同じような宵闇の帳を下ろし、外から見えなくなったシャーリーを抱えて、レイフォードたちは教会へと向かう。






 星が瞬く逢魔が時。

 町の中心部にあるリセリス教の教会の門は、今日も開いていた。

 

 古風な扉をそっと開く。

 こんな時間に礼拝に来るような者は居らず、修道士が一人掃除をしているだけだ。



「すみません。少しお時間よろしいでしょうか?」

「はい、大丈夫ですよ。どうかされましたか?」



 入り口に佇んでいたオルガたちを招き、彼女に軽く事情を説明した。

 そして、何を望んでいるのかも。



「……お悔やみ申し上げます。

 葬儀については、ご要望の通り明日の昼過ぎに執り行いましょう。

 ご友人はわたくしたちの方で丁重におもてなしさせていただきます。

 本日は、どうかご自愛くださいませ」

「……ありがとうございます」



 深く一礼した修道士は、ウェンディからシャーリーの亡骸を受け取る。

 彼らが孤児院に連れて帰るより、教会に任せた方が良いと決めていたからだ。


 打ち合わせも程なく終わり、皆は教会を後にする。

 緊張していたらしいオルガは、ぐっと背伸びをした。



「……案外あっさり終わったな。もっと手間が掛かるもんだと」

「直ぐに葬送しないと、魔物や変異種の寄生が怖いからだったかな」



 レイフォードは、以前、教会の司祭から聞いた話を思い出す。

 魔物の血液である黒血、それによる変性は既に亡くなった者ならば、かなりの速度になるらしい。

 変異種と呼ばれる生物も、遺体に寄生し苗床とするものもある。

 本で見たそれらは、事前に想像していたより大分悍ましかった。



「それに────心変わりする前に見送らせないと、ね」



 しかし、大半の理由はこちらなのだろう。

 この世界には神秘がある。

 神秘があるからこそ、気の迷いを起こしてしまう者も居る。

 死者の肉体に術式を掛け、屍人ゾンビとして蘇らせることを考える者は、そう少なくない。

 一般人に必要以上の精霊術を秘匿しているのは、そのような事例を減らすためだ。


 神秘は万能ではない。

 精霊術のような贋作神秘ならば尚更だ。


 死を否定すること、即ち生物であることを否定すること。

 肉体的衰弱による死は、覆しようがない。


 でももし、それを覆してしまえたのなら。

 蘇ったそれ・・は、果たして本当に『生物』なのだろうか。


 そして、レイフォードは本当にこの世界に生きているのだろうか。

 彼は確かに、一度死んだ。

 世界の果て、星の彼方まで塵一つ残さずに。


 未だ心臓は動いている。

 呼吸もしているし、血は巡っている。

 レイフォードは、紛れもない生者だ。


 けれど、死者なのだ。

 更に言えば、彼らの記憶を含めればもう何度も死んでいる。

 死んで、死んで、でもまだ生きている。


 彼は、彼女は、死んでしまったのに。

 己のせいで、死んでしまったのに。

 自分だけ生きているなんて、それは狡いのだろうか。


 答えてくれる者は、どこにも居なかった。






 そうして、レイフォードたちは教会から暫く歩く。

 現在目指しているのは、オルガたちが住む孤児院。

 遅くなったこともあり、送り届けることにしたのだ。



「ああそうだ、聞きたいことがあるんだけど……」

「ん? 何だよ」



 レイフォードは、頭一つ分ほど上にあるオルガの顔を見て問い掛ける。



「『神様』って何?」



 背後から、悲鳴と噴き出す音。

 振り返れば、口を抑えて震えるセレナ。

 そして、オルガに飛び掛るテオドールが見えた。


 テオドールは石畳を強く踏み切り、オルガの背に飛び付くと彼の胴体に脚を絡ませ、首に腕を掛ける。

 恵まれた身体能力から繰り出される、美しき後絞めスリーパー・ホールド

 抵抗する間もなく、オルガはテオドールに絞め上げられた。

 


「……なんで?!」

「俺、お前許さない。口封じする」

「オレは何も悪くねェだろ! 離せ狂信者バカ!」



 意味が分からず困惑するレイフォード。

 そんな彼を他所に一方的に攻撃を仕掛けるテオドールと、規格外な力の強さに振り払うことのできないオルガ。

 大爆笑により呼吸困難のセレナと、それを気遣うルーカスとウェンディ。

 場は混沌を極めていた。



「そもそもお前が口を滑らせたのが原因だろうが。

 その身を持って償え」

「いや、まさか知らないとは微塵も……」



 更に力を強めるテオドール。

 瞳孔をかっと開いた猛禽類のような目は、今にも人を殺めてしまいそうなほどだ。

 それは洒落にならないと、レイフォードはテオドールをどうにか引き剥がす。

 


「落ち着いてよ、テオ!」

「落ち着いていられるか! 俺の尊厳が掛かってるんだ!」

「だからなんで?! 何も分からないんだってば!」



 じたばた暴れるテオドールを羽交い締めにし、説得しようと試みるも、あまり効果が示されない。

 何故彼はこうも抵抗するのだろう。

 レイフォードは何も思い付かなかった。

 


「……よし。

 テオ、落ち着きなさい。

 オルガ様は何一つ言及しておりませんし、レイフォード様はまだ何も知りません。

 これ以上暴れるとなると、墓穴を掘ることになりますよ」



 息を整えたセレナが、羽交い締めにされたテオドールの背後から肩を掴む。

 ぴたりと動きを止めたテオドールは、振り上げていた拳をゆっくり下ろした。

 


「……本当に?」

「本当に。そうですよね、お二人とも?」



 同時に頷くレイフォードとオルガ。

 テオドールは二人とセレナの間を何度も往復すると、ゆっくりとオルガに歩み寄り、彼の肩に腕を回す。



「……言ったら殴り飛ばす」

「言う訳ねェだろ」



 小声で話し合う彼らの言葉は、レイフォードには聞こえない。

 セレナの手で耳を塞がれているのだから、尚更だ。



「……セレナ」

「いけませんよ、レイフォード様」



 別に少しくらい良いじゃないか、という思いは儚く砕け散った。

 それほど繊細な部分の問題なのだろうか。


 知的好奇心が擽られるが、あのテオドールの慌てようからするに、追求は難しい。

 彼の己への対応の甘さは自覚しているが、恐らく、それでも無理だ。

 残念だが、今は諦める他ない。


 発言の元がテオドールであると分かっただけでも十分だ。

 彼が成長して、恥が無くなった辺りでもう一度訊こう。


 レイフォードがそう心に決めた頃には、テオドールたちも密談を終えていた。



「……さあ、帰ろうか!」

「テメェが言える立場じゃねェだろ」



 貼り付けた笑顔で帰路を示したテオドールの頭上に、オルガの手刀が降り注ぐ。

 が、半身をずらし、最小限の動きで躱した。

 無駄のない回避。

 後絞めスリーパー・ホールドと共に、何度もイヴに叩き込まれた近接戦闘の成果である。

 


「……クソッ、一発くらい喰らいやがれ!」

「嫌だ。痛いのは嫌いだし」

「だから、どの口が────!」



 と、文句が始まる前にテオドールが逃げ出す。

 疾風迅雷、目にも留まらぬ早足。

 一瞬にして、彼の背中が小さくなる。 



「アイツ……! 待ちやがれ!」

「何だか分からないけど行くよ、ルーカス!」

「ええ?! 待ってくださいよ二人とも!」



 怒髪天を衝くようにオルガはテオドールを追い、それに続いてウェンディとルーカスが走り出した。

 先程までの混沌に目を回していた二人。

 どれだけ状況が不明でも彼に付いていくのは、彼自身への信用の厚さ故か。


 既に遥か遠くに行ってしまった四人の背中を眺め、返答の分かりきった問い掛けをする。



「……どうする?」

「私たちも走るしかないでしょう」

「だよね……追い付けるかなあ」



 背負いましょうか。

 遠慮する。

 そんな問答を交わしつつ、レイフォードたちも宵闇の街を駆け出していく。


 ぽつり、ぽつり。

 夜空にいくつかの星が顔を見せ始めていた。

 僅かな星月の光が大地を照らしていた。






 息を多少荒くし、膝に手を付くレイフォード。

 隣でけろりと佇むセレナ。

 足元に転がるルーカスと、座り込むウェンディ。

 そして、超小規模の精霊術の応酬を繰り返す問題の二人。


 確かに超小規模精霊術による擬似決闘────《強化版じゃんけん》は、彼らにとっては最適な戦場ではあるのだが。


 火の矢ルイス・セギト

 水の槍リアム・アステ

 風の刃ラウラ・フェム

 土の槌ローク・マレロス

 

 口から発せられる術式全てが、初級とはいえ攻撃術式なのである。

 それを高速で、餅搗きの如く繰り返す二人。

 生半可に介入しようものならば、巻き添えを喰らうことは避けられないだろう。

 

 レイフォードは息を整え、周囲を見る。

 ルーカス、ウェンディは撃沈、セレナは傍観という名の観賞。

 自ら止める気はないようだ。

 つまり、現在彼らの暴走を止められるのは、レイフォードしかいない。


 セレナを説得するという手も無くはないが、例のアレ・・・・を使ったほうが早い。

 最近使うこともなかったことから、丁度良いだろう。


 そうして、レイフォードは一歩、戦場に踏み出した。


 《強化版じゃんけん》とは何か。

 それは、数百年民間で語り継がれている伝統的な遊戯であり、簡易的な決闘である。


 初めに、術者同士は神に誓って契約を結ぶ。

 これをすることで、術式は超小規模になり、例え広範囲、高威力だとしても半径一メートル、強めの拳骨ほどに抑えられる。

 何人かの狂人は契約無しの死合をするときもあるらしい。

 

 次に、攻手と防手に別れ、攻手は超小規模の術式を発動する。

 対して、受手は術式が現実に効果を及ぼす前に無効化するか、防御術式を展開し己に効果が及ばないようにする。

 それを繰り返し、無効化もしくは防御が出来なくなった方が負けという簡潔な規則ルール


 どちらも精霊術の発動速度が早くなければ成立しない強化版じゃんけんは、術者の技量が高ければ高いほど外部からの干渉が難しくなる。

 何故なら、術式自体に干渉防御をし始めるから。


 通常よりも多くの源素が込められた術式は、数秒にも満たない詠唱時間中に干渉することを許さない。

 よって、ある程度まで行くと、無効化よりも防御をすることが多くなる。

 相手の詠唱中は妨害はされることなく、難易度も防御術式の方が簡単なのだから当たり前だ。

 

 そもそも、無効化は基本危険が大きい。

 失敗したときは防ぐ手はなく、成功したとしても即座に次の手が始まる。

 得られる結果は防御と変わらなく、寧ろ防御中は若干詠唱が出来る。

 無効化を使うのは、『相手を舐め腐っていると宣言しているようなもの』 と言う者だっている。


 だが、しかし。

 相手への干渉が『無効化』ではなく、『改変』だとしたら。

 攻手の術式の向きを変える。

 防手の防御術式を、防手自身に向けた攻撃術式に変える。

 そんなことが出来るとしたら。


 それは────反則チートである。



「〝精霊よリアライズ雷のシャーレ────〟」

「〝堅牢たるロバート・鋼のトゥール────〟」

「〝閃く光ミカラ・レイ!〟」



 思い切り声に魔力を載せ、削りに削った最低限の詠唱を発する。


 レイフォードの身体に宿る、無尽蔵の源素。

 それを極限まで込めた干渉に耐えれる訳もなく、彼らの防御は貫かれてしまう。

 

 突如書き換えられた術式は、閃光を放つもの。

 超小規模であるから、本来の威力の十分の一もない。

 精々軽い目晦ましだが、この暗闇の中だ。

 光が強く見えることもあるだろう。 


 現に、目蓋を閉じたレイフォード以外の二人は、石畳に膝を付き、痛みに悶えている。 

 


「オレの術式が書き換えられた……だと……?」

「……レイくん、それ反則だから禁止って前に決めたよね?!」

規則ルールは破るもの。いいね?」



 良くない、と二人の声が重なった瞬間だった。

 


「何の騒ぎです?」

「あ、やべ」



 がちゃり、と扉が開かれる。

 姿を表したのは、初老の男性。

 ゆったりとした衣服を身に纏い、手には杖が握られている。



「院長! ただいま!」

「『ただいま』ではありませんよ、ウェンディ。

 今から探しに行くところでした。

 帰りが遅くなるならば、予め教えなさい」

「……ごめんなさい」



 ルーカスもですよと釘を刺を刺せば、直ぐに謝罪の声が聞こえた。

 『クソガキ』と呼ばれるほどの二人が素直に謝ったのは、言葉の裏に丁重に隠された不安感を、僅かながらにも感じ取ったからだろう。


 

「そして、オルガ。

 私の言いたいことは分かりますね?」

「……はい、すみませんでした!」



 見事なまでに直角のお辞儀。

 最早芸術だ。



「……よろしい。今後、このようなことはないように」



 溜息を吐いた院長は、微笑んで彼らを赦す。

 彼がオルガたちを叱ったのは、身の安全を心から心配していたからだ。


 現在はおよそ六時。

 もう少しで三度目の鐘がなるはずだ。


 初冬となり、日も短くなったこの時期。

 暗い中、いつまでも帰ってこない子どもたちを想う彼の心の内は用意に想像が付く。


 無事に帰ってきたとはいえ、何度も同じようなことがあってはいけない。

 今度こそ、本当に事件となる可能性もあるのだ。

 穏やかなこの国でも、『絶対』は無い。

 厳しく言い付けて置くことは、大切なことなのだ。



「遅ればせながらご挨拶を。

 レイフォード様、お初にお目にかかります。

 私はこの孤児院の院長を務めさせていただいております、ジェームズと申します。

 どうぞお見知りおきを。

「お噂はかねがね伺っております。

 アーデルヴァイト伯爵家当主シルヴェスタ・エルトナム・アーデルヴァイトが第三子、レイフォード・アーデルヴァイトです。

 こちらこそ、よろしくお願いします」



 ジェームズと名乗った男性は、細い瞳を僅かに見開く。



「驚きましたか?

 父に……いいえ、父たちに似ているとはよく言われるのです」

「……ええ。

 本当に、よく似ておられます」



 懐かしむように発したその声には、幾分か悲哀か含まれていた。


 彼、ジェームズは、レイフォードの父シルヴェスタの。

 そして、シルヴェスタの兄であるルーディウスの、初等学校時代からの恩師である。

 高等学校の神秘科を卒業していることもあり、時折精霊術の談議をしていたという。


 現在は年齢を理由に教職を引退しており、五年ほど前からこの孤児院の院長を務めている。

 最も、彼を院長に推薦したのは、他でもないシルヴェスタであるらしいのだが。



「……先程はお見苦しいところをお見せしました、申し訳ございません」

「いえ、どうぞお気になさらないでください。

 彼らの帰りが遅くなった原因の一端は、私たちにありますので」

「……そうなのですか?」



 頭を下げ謝罪するジェームズに、レイフォードはオルガたちの擁護をした。

 事実、レイフォードたちが首を突っ込まなければ、事はもっと早く集結していただろう。

 衛兵に隠蔽術式の使用を咎められたり、彼らが知らないままシャーリーが亡くなったり。

 衣を着せずに言えば、『余計なお世話』をしてしまったせいで、これほどまでに時間が経ってしまったのだ。



「詳しくお話したい気持ちは山々なのですが……今日はもう遅いですね。

 また後日、時間の余裕があるときにお伺いさせていただきます」



 本来ならば、事の詳細をジェームズに伝える必要があるのだが、今日は少し都合が悪い。

 今日、というよりは近日中だろうか。

 もしくは彼女が・・・・・・・全てを終わらせた後・・・・・・・・・でないと、レイフォードは動けない。

 

 まだ、今回の件は終わっていないのだ。

 起承転結の結。

 皆が笑顔になる大団円ハッピーエンドを迎えていない。


 今ここで彼に話してしまえば、筋書き通りに進んでくれるかは怪しい。

 彼の性分ならば、もしかしたら彼らの道を阻む『敵』となってしまうかもしれないからだ。 

 だから、彼に伝えられるのは、舞台挨拶カーテンコールの後でなければいけない。

 全て終わった後でなければ。



「では、私たちはこの辺りで……」

「お待ちください」



 レイフォードは話を切り上げようとするが、ジェームズがそれを止める。



「彼らが、話したいことがあるようなのです。

 どうか聞いていただけませんか?」



 ほら、と彼が背を押したのはオルガだ。

 ふと見上げた彼の瞳に、昼のような焦りと乱暴さはない。

 少し粗雑ではあるけれど、確かに上に立つ者の目をしていた。



「……ああ、その。何だ。

 改めて言うのは小っ恥ずかしいんだが……ありがとな。

 オレたちを助けてくれて」

「ありがと、テオドールとセレナさんも!」

「ありがとうございます!」



 照れ臭そうに頬を染め、首に手を添えながら感謝を述べるオルガ。

 後を追うように言うウェンディとルーカス。

 彼らの目元は赤く腫れているけれど、心までは落ち込んでいない。


 哀しくはあった。

 苦しくはあった。

 シャーリーを思い出して寂しくなったり、泣いたりすることもある。

 

 過去を懐かしみ、過去に想いを寄せる。

 それは、自らが歩んで来た道を振り返ること。

 未来へ歩み続ける糧とすること。


 彼らはもう、理想ゆめは見ない。

 ただ真実ほんとうだけを見て。

 けれど、心に希望ゆめを抱いて。

 未来まえを向くのだ。


 

「……どういたしまして、でいいのかな」

「寧ろ、それ以外にある?」

「このような感謝は素直に受け取るべきですよ」



 返答に困り背後に助けを求めると、呆れた二人の声が聞こえた。

 慣れていないと分かっているはずなのにと苦笑して、レイフォードは正面に向き直る。



「また困ったら教えてよ。出来るだけ手伝うから」

「そこは『何でも』って言うべきじゃねェの?」

「残念ながら。僕は出来ることしか出来ないからね」



 肩を竦めてみせれば、彼は鼻で笑った。

 


「……じゃ、そういうことで。またな」

「じゃあね、また明日!」

「さようなら!」

「本日はありがとうございました。ご機嫌よう」



 三者三様、いや四者四様の別れの挨拶を交わし、レイフォードたちは孤児院を後にする。 

 夜の街に消えていく彼らの背。

 少年少女は、それらが見えなくなるまで眺めていた。


 そうして、ジェームズは後ろ手に扉を開ける。

 


「……さて、夕飯にしましょうか」

「今日は何?」

蒸煮肉シチューです。好きでしょう?」

「やった!」



 駆け足で入るウェンディとルーカス。

 それにオルガが続くと思っていたが、彼は、空を見上げたまま動かない。



「……どうしたのです?」



 返事はなかった。

 けれど、『答え』は示された。


 紅葉色の瞳を見開いて、輝く星に手を伸ばす。

 どれだけ手を伸ばしても、あの光に届くことはない。

 星は、遥か遠く。

 少年の背に翼でも生えない限り、彼は距離を縮めることなど出来やしない。


 当然、そんなことは起きるわけがない。

 そもそも、少年は、本当に星に手が届くことを願っていないのだ。


 あれは、ただの鑑賞物。

 眺めるだけの美術品。

 

 だから、あんなに近くで星を見ることなんて。

 ましてや、その光に導かれることだって。

 何一つ偶然で、奇跡のようなもので。

 本来、あり得ないはずだった。


 ふっと微笑み、ぐっと手を握る。


 しかし、あり得てしまったのだ。

 星は眩い光を放ち、骨の髄まで残さず灼き尽くす。

 その熱に耐えられるわけもなく、ただ焦がれ続ける。

 あの夜鷹が良い例だ。

 

 彼は星のことを『神様』などと称しているが、その実、星は神ほど優しくなく、神よりも優しい。

 神はどこでも我らを見守り続けるが、手を差し伸べることはなく。

 星は暗く晴れた日の夜にしか姿を表さないが、手を差し伸べてくれる。


 絶望の淵にいる者が、希望を見出すのは果たしてどちらか。

 答えは聞くまでもない。


 ああ、分かるさ。分かるとも。

 星に近付き過ぎた者が正気を失うことが。

 数刻のみ過ごしただけでも火傷してしまいそうだというのに、数年、十数年共にいれば灰も遺らないだろう。


 少年は幸運だった。

 少し目が眩み、肌が灼けるくらいで済んだのだから。

 星に、光に魅せられずに済んだのだから。

 

 少年は鳥にはならず、星に願うこともなく。

 蒼空に飛び立って、かの光に灼かれることもない。


 けれど、まあ。

 少し落ち込んだときくらい、星を見上げることくらいはあるのだろう。



 



 かくして小さな冒険は終わり、これから始まるは終曲エピローグ

 答え合わせと、幸せな結末ハッピーエンドに至るまでの小噺。

 物語は、最後まで見届けるのが礼儀なのだ。

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