十四節〈月下の約束〉

 満天に煌めく星々。

 爛々と輝く満月。

 快晴だったからか、星はよく見えていた。


 

「……えっと、久し振りだね。

 ……ちょっと痩せた?」



 レイフォードの肩を抱いたまま、ユフィリアは世間話をする。

 あんな別れ方をしたというのにこの話題で良いのか、と自分でツッコミを入れたくなるが、それ以上に思い付くこともなかった。


 しかし、レイフォードは一言も話さない。

 俯いたまま、だんまりしているだけ。


 不安になって覗き込もうとすると、突然彼は動き出した。

 肩に添えられたユフィリアの手を、払い除けようとしているようだ。

 

 だが、力が足りないらしく振り解けていない。

 手を握って震えるだけである。


 やがて、諦めたように手を離し、そっぽを向いた。



「……もう、君とは話さないと言ったはずだ。

 僕から離れてくれないか」

「……うん。いや、ごめんね。

 さっきの見てからそんなこと言われても、面白いなとしか思えなくなっちゃった」

「……なんでえ……」



 レイフォードは顔を覆った。

 やはり、無理して演じているのではないだろうか。


 演者にしては演技がおざなりであるし、爪が甘い。

 羽織っていた役から、彼の素が垣間見えてしまっている。

 彼は嘘吐きではあるが、演技の才能はまるで無いようである。


 立ち直ったのか、レイフォードは再びユフィリアに抵抗する。



「兎に角、僕は君と話すつもりはない!

 だから、放してくれ!」


 

 突き放そうと語気を強くするレイフォード。

 

 しかし、ユフィリアはその要求に従えるほど、彼に従順ではなかった。

 寧ろ、逆らうためにここにいるのだ。



「……でも、あの時。

 『残された僅かな時間。精一杯、楽しんでね』って言ったのは、レイ自身でしょ。

 私のやりたいことをやって、何が悪いの?」

「……言った? そんなこと、本当に……?」



 レイフォードは口を抑えた。

 思い返すのは、半月前のこと。

 レンティフルーレ邸に訪れ、ユフィリアとの関係を絶とうとした。


 その際、不慮の事故でユフィリアが負傷する。

 彼女の出血を見た瞬間、レイフォードは発作────の記憶が蘇り、正気を失ってしまうこと────を起こしてしまう。 

 雪原の中、何かを口走った記憶はあるのだが、その詳細は憶えていなかった。


 そうして、客室で目覚め、ユフィリアと口論をした。

 その後、テオドールと作戦会議。

 あの時、彼は何と言っていただろう。



 ────……ああ、うん……気にしなくていいよ。



 それは、ユフィリアの様子を訊いた時の返答。

 酷く曖昧に答える様に追求するも、詳細を話すことはなかった。



 ────レイくんこそ、ボロ見せないように気を付けてよ。

 今日みたいになっても・・・・・・・・・・になっても、次は同じように修正できるか分からないからさ。



 彼が退室する前に、最後に放った言葉。

 当時のレイフォードは、『発作を起こして気絶し、当初の予定からずれたこと』だと認識していた。

 本来は、突発的にあの部屋で二人きりで話すのではなく、もっと雰囲気作りをしてから挑むはずだったからだ。


 しかし、彼の本当の言葉の意味が『計画の露呈を誤魔化すこと』だったならば。

 正気を失っていたレイフォードが、ユフィリアに計画の一端、もしくはその目的を話してしまっていたならば。

 または、それらを導き出せる情報を漏らしてしまっていたら。



「……いや、嘘だ。嘘だと言ってくれ。

 そうなるとこれ、全部無駄になるんじゃ……?」



 レイフォードは激しく動揺した。

 『計画は滞りなく進んだし、後は消えるだけだな。良し!』なんて気楽に考えていたというのに、一番重要な課題が達成できていないかもしれないと気付いてしまったからだ。

 

 今直ぐユフィリアの持ち得る情報を確認したい。

 彼女の内情を把握しなければ、動けるものも動けないのだ。


 しかし、そうしてしまえば追求は免れない。

 ユフィリアの勘の鋭さは、父たちですら舌を巻く。

 些細な行動一つで、何もかも計画がばれかねないから、いっそのこと一切接触しないようにしようするほどだ。


 ただ、あの状況で、あのように別れて。

 それでも尚、レイフォードを嫌悪せず、話し合おうとする時点で答えはほぼ決まっているようなものではないのだろうか。


 どう動けばいい、どうすればいい。

 悩み続けるレイフォード。

 ユフィリアは、その姿を見て笑いがこみ上げるどころか、最早可哀想だなとまで思ってしまっていた。


 レイフォードは、本当にユフィリアが計画に気付いてしまうことを予測していなかった。

 『ユフィリアに察知されないこと』、それこそが礎であったから。


 だが、現実は無情である。

 信じたくないことばかりが、事実なのだ。



「……ねえ、レイ。

 私ね、多分殆ど分かっているの」

「……それ、は。

 どこからどこまでだとか、訊いても……?」



 震えた声で、レイフォードはユフィリアに問う。

 知りたくないけれど、知らなければいけない。

 そんな彼の心情が声に滲んでいた。



「えっと……まず、レイがあと半月くらいしか生きられないこと」

「……そこから、そこから……?!」



 レイフォードは目の前の柵に手を着く。

 信じられないと言外に伝えているようなものだ。



「次に、お父様やシルヴェスタ様、テオも含めて、色んな人たちが計画に協力していること」



 レイフォードは頭を抱える。

 計画の内容がばれていなくても、それを知られていれば意味が無いではないか。



「最後に……レイが、自分が死んでも私が哀しまないように全部仕組んでるっていうこと」



 レイフォードは膝を付いた。

 完敗だ、隠さなければいけないことの大体が露呈している。

 試合は、始まる前から終わっていたのだ。



「でも、皆の言動から推測しただけだよ。

 誰も……レイとお父様以外は、計画自体について誰も話していないから、安心して」

「何も安心できないし、何してるんだよディルムッド様……!

 娘に甘すぎるよ……!」



 小さな背中を丸めて、レイフォードは嘆く。

 腕に顔を埋めたその姿に、悪役の雰囲気など欠片も無かった。


 

「もうやだあ……家に帰りたい……」



 今日この新年会に来なければ、レイフォードは残酷な真実を知らずにいれたかもしれない。

 

 それでも、結局のところ、ユフィリアにばれているのは変わりない。

 早く知るか遅く知るか、それだけの違いしかなかった。


 しかし、幸運だったこともある。

 一番重要なことを、ユフィリアは知らない。

 あれ・・さえ知られていなければ、まだどうにでもできる。


 だが、だが。

 かなり、結構。

 自分のせいで計画の大部分が露呈してしまったことは、心に来た。

 

 大きく肩を落とすレイフォード。

 その頬をユフィリアは突く。



「……何?」

「拗ねてるなあって思って」

「それはそうだよ。

 だって頑張ったのに、全部水の泡なんだから」



 くすり、と笑う少女。

 それに笑わないでよ、と怒る少年。

 永きに渡る仲違いは霧散し、そこには親しい友達同士の会話があった。


 一頻り笑い終えると、ユフィリアは空を見上げた。



「憶えてる?

 一年半くらい前、シューネの劇場の帰りのこと」

「憶えてるよ。

 あの日も、今日みたいに満月だった」



 王国随一の劇団による演劇、それを観覧した帰りのことだ。

 幾千の星が夜空に煌めき、月輪が淡く輝いている。

 夜風の爽やかさも相まって、とても美しい光景であった。



「あの時……なんで、あんなこと訊いたの?」



 ────例えば、大切な人が亡くなったとき。

 君は、その人を憶えていたいと思う?


 

 それは、レイフォードの迷いの象徴。

 償いきれない罪、後悔。

 


「……なんでだろうね、憶えていないなあ」



 嘘だ。本当は、憶えている。

 


「……そう、思い出したら教えてね。

 ずっと、気になっていたから」



 ユフィリアだって、彼の返答が嘘だと直ぐに気付いた。

 そして、嘘を吐いた理由に、彼の『大切な人』が関わっていることも。

 この状態のレイフォードは、意地でも口を割らない。

 問答するだけ無駄だった。


 互いに無言になる。

 冬の匂いを残す風が草木を揺らし、葉を散らす。

 月明かりに照らされた庭園には、冬咲きの花が植えられていた。



「……来週の夜の曜日、クロッサスに行くの」



 静寂を切り裂いたのはユフィリアだった。

 


「一人で行く。

 お父様にもお母様にも、ユミルにも。

 皆に内緒で」

「……どうして?」



 ユフィリア一人でクロッサスに来る意味なんて、考え付かない。

 クロッサスで揃うものは、シューネで苦無く揃う。

 態々何時間も掛ける意味が分からなかった。


 真意を探るため、隣のユフィリアの顔を見る。

 いつにもなく、真剣な顔をしている。

 呆けて見つめ続けるレイフォード。

 彼女は、その手を取って自分に引き寄せた。


 空いていた互いの距離が一気に縮まり、その分顔も近くなる。

 息が当たるほどの至近距離だ。


 レイフォードの視界はある一つだけに染まっていた。

 月光を宿した、大きな菫青色の瞳。

 それは、宛ら宝石のようであった。


 薄く薔薇色に色付いたユフィリアの唇が動く。

 その唇と喉が発する音は、レイフォードの鼓膜を心地良く揺らした。



「────君に会いに行くため。

 君に会って、私の気持ちを伝えるために行く」



 言葉にならない声が、咄嗟に出た。

 絶対違う、絶対に違うと分かっているのに。

 その言い方は、言い回しはまるで────告白みたいじゃないか。


 頬が林檎のように赤く染まっていることが、自分でも分かった。

 思わず、掴まれていない方の手で顔を隠す。



「……レイ、どうしたの?」

「……あの、ちょっと……告白みたいだなって思っちゃって……」



 瞬間、ユフィリアの頬も紅潮した。

 どうやら、無自覚だったようだ。


 無自覚であそこまで言ってしまうなんて、自分じゃなかったら絶対に勘違いされてしまう。

 レイフォードは、自身を棚に置いて、そう思った。



「……ごめん、嫌な想いさせたかも」

「全然、そんなことないから!

 どっちかといえば、嬉しい……し……」



 墓穴を掘ったと尻窄みしながら、レイフォードはユフィリアの謝罪を否定する。

 その通りではあるのだが、些か。

 いや、大分気恥ずかしい。

 

 恋愛経験なんて一度も────の記憶は除く────したことがないレイフォードに、耐性なんてあるわけがなかったのだ。

 それは、ユフィリアも同じだった。


 しかし、気不味くなりながらも一ミリも離れないのは、仲が良過ぎるからか。

 それとも、また別の理由があるのか。


 深呼吸をして、レイフォードは拍動を落ち着かせる。

 そして、大きく息を吸った。

 ユフィリアの言葉を返すために。

 


「……待ってる。

 待ってるよ、ユフィのこと」



 これが、今の精一杯。

 これ以上は、色々とぼろが出そうだった。



「……本当に、待っててくれる?

 居なくなったりしない?」

「しないよ、ちゃんと待ってるから。

 ……だから、必ず来てね」


 

 レイフォードの返答を聞いたユフィリアは、不安そうに聞き返す。

 約束を破ったことがあるから、また破られてしまうのではないかと思っているのだろう。

 


「……小指、出して」



 彼女の言う通り、小指を出す。

 白手袋に包まれた手ではなく、それを外した素肌で。


 細く靭やかな指が、レイフォードの指と絡まった。

 解けないようにしっかり結び、二人は約束をする。


 

 ────今度は、絶対に破らないでね。



 なんて、幼い子ども染みた約束を。


 ぱっ、と指を離す。

 契約履行の合図だった。


 長い白髪と礼服ドレスの裾を翻し、ユフィリアは振り返る。



「私の話は、これで終わり。

 ……楽しかった、久し振りに話せて」



 レイフォードに背を向けたまま、彼女は話し続けた。

 振り向いてしまうと、ずっと一緒に居たくなってしまうから。


 新年会パーティーは、まだまだ続く。

 ずっと一緒に居よう、なんて言えない。

 ユフィリアにはユフィリアの、レイフォードにはレイフォードの役目がある。



「じゃあね、また今度!」

「……また今度」



 最後に少しだけ顔を見て、手を振って。

 ユフィリアは会場に戻って行く。

 彼女の髪には、レイフォードが贈った空色の平紐リボンが目立つように編み込まれ、結い上げていた。


 一人になった露台バルコニーで、レイフォードは背中を柵に預け、空を見上げた。


 変わらない星月。

 絵本のように、虚構うそのように美しい。

 


 ────喩え、喪った哀しみや辛さがあったとしても、私は憶え続けるよ。

 憶え続けていれば、その人は永遠に生き続ける。

 だから、忘れたくない。



 それは、あの夜の答え。

 ユフィリアの想い。



「……ごめん、ユフィ」



 それを、僕は踏み躙る。

 ただの自己満足だ。

 彼女の中に、自分を遺したくないから。

 彼女を哀しませるのが、嫌だから。


 だから、レイフォードぼくは何を犠牲にしても君の記憶から消える。

 

 独り善がりなのは分かっている。

 それでも、君に笑っていてほしい。

 希望と幸福に満ちた世界で、永遠に。


 届かない月に手を伸ばした────その刹那、身体中に痛みが迸る。



「……あ、れ……何で……?」



 立っていられず、その場にへたり込んだ。

 激しい頭痛、内側から破裂しそうな肉体。

 レイフォードは、この感触に憶えがあった。


 二年前、祝福の儀で過剰症を発症した瞬間。

 比べるとまだ弱いが、同系統の痛みであった。



「……そんな……!

 いや違う、早すぎる…!」



 もう、“眼”は視えない。

 肉眼だって、超至近距離でしか分別出来ないほど視力が落ちている。

 だから、自分で確認することは出来ない。


 けれど、これは消失の前兆ではない。

 勘が、そう告げていた。



「なら、いったい何が……?」



 その答えは、直ぐに見つかった。

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