八節〈輝く星は貴方を支えたかった〉

 ぴきり、と何かが割れる幻聴が聞こえる。

 まただ。また、聞こえてしまう。


 もう、限界なのだろう。


 憎たらしいほど優秀な“眼”が、アニスフィアに残酷な事実を突き付ける。

 端から端まで、余すところなく罅が入った彼の魂。

 詰め込まれた中身が、押さえ付ける器から飛び出そうとしている。

 うつわは、いつ壊れるか分かったものではなかった。


 指先一つ触れてしまえば、今すぐにでも崩れ落ちてしまいそうなほど脆い。

 だから、アニスフィアは彼に触れられない。

 毀れてしまうことを恐れて、何も出来なかった。



「俺は……どうしたらいいんだろうな……」



 妹と並んでも遥かに小さな背中を見て、そう呟いた。






 アニスフィアは、あの日レイフォードを一目見た瞬間、その異常性に気が付いた。

 明らかに許容範囲を超えた体内源素量。

 何度も見間違いであれ、と目を擦って見直した。

 だが、それは紛れもない現実であった。



 ────父上!

 レイは……あれは、どうなっているのですか!

 


 父が母との話し合いを終えた時間。

 そこを狙って、彼の部屋に駆け込んだ。



 ────ただの病気だ。

 ……残念だが、これ以上お前に話せることはない。



 しかし、案の定アニスフィアの知りたい情報は引き出せなかった。

 父の口振りからして、碌でもないものであるのは確かだった。


 恐らく、レイフォード自身の生命を。

 そして、王国の根幹を揺るがしかねないものなのだろう。

 でなければ、態々隠す必要はないからだ。


 アニスフィアはアーデルヴァイト伯爵家の次期当主であるが、特権階級であるわけではない。

 将来的にそうであっても、今はまだその権限を有していなかった。


 国が定めたことに、貴族は反発できない。

 父から情報を聞き出すことは、不可能に近かった。


 彼が話せないというのなら、自分で調べるしかない。

 我が家の書庫に行けば、病気自体は分からなくても、症例の似たものや対処法などは見つかるかもしれない。

 国ぐるみの機密事項であるから、難しいかもしれないが。



 ────……分かりました。

 それならば、一つだけ教えてください。



 でも、一つだけ。

 確かに彼の口から聞きたいものがあった。



 ────あれは、治るものなのですか。



 一番大切で、一番気になること。

 何もわからなくても、結局のところ治れば何でも良かった。


 だが。



 ────……すまないが、俺からは何も言えない。



 ああ、それは。

 『治らない』と同義ではないか。


 酷く思い悩んだように、父は話した。


 そこからの記憶は、あまり憶えていない。

 執務室から出て、自室まで歩いて、寝具ベッドに倒れ込んだ。

 何を考えていたのか。

 いや、何も考えていなかったのかもしれない。


 それほどまでに、アニスフィアは衝撃を受けていたのだ。


 ────運命付けられた、レイフォードの死に。


 治る保障もなければ、治らないという保障もない。

 けれど、アニスフィアは予感していた。

 あれは、ちょっとやそっとで治るものではないと。


 例えるならば、砂浜の中に紛れた小さな金剛石ダイヤモンドを一日で見つけること。

 それと同等の奇跡が起きなければ、あれは治らない。

 そう思わせるほど、異常な光景だった。


 脳裏に浮かぶ、ある少年の笑顔。

 レイフォードは、よく笑う子だった。

 大きく円な瞳を細めて、楽しそうに声を上げて。

 星のようにきらきら輝く瞳は、眩い光を宿していた。


 だと、いうのに。

 父に抱えられ、力無くこちらを向いた彼の瞳は。

 闇夜よりも深く、そして虚ろであった。

 

 情けないことに、アニスフィアはそれに恐怖を覚えてしまった。

 大切な弟が、弟ではない『何か』に成ってしまったような感覚。

 得体のしれない怪物、弟の皮を被った人形。

 そんなものに成ってしまったのではないか、という怯えが。


 アニスフィアは知り得ないが、ある意味それは正しかった。

 あの日を境に、レイフォードは今までの『レイフォード』ではなくなった。

 名も知らぬ少女の記憶を得て、ずっと持っていた青年の記憶と混ざり合い、区別が付かなくなってしまった。

 どこからどこまでが自分の記憶で、どこからどこまでが自分の意志なのか、分からなくなってしまったのだ。


 時間の経過と共に、それは重度となっていく。

 しかし、それを気付ける者はいなかった。

 レイフォードは、『自身はレイフォードである』という嘘を吐き続けていた。

 そして、その嘘はレイフォードに近い者であればあるほど、見抜けることは出来ない。

 初めからあった違和感を、改めて違和感と感じられる者はそれほど居ないのだから。


 

 ────……俺にできることは、何かあるのか……?



 天井を見上げ、零す言葉。

 調べて知ったところで、未だ子供であり力の無いアニスフィアは何も出来ない。

 勉学も、精霊術も、剣術も。

 人並み以上には出来ても、秀才の範囲でしか無い。

 それこそ、剣術は二歳下の妹にだって負けそうになるほどだ。

 彼女が剣の、戦の天才であることは抜きにしても、アニスフィアには力が足りない。

 全てを薙ぎ倒し、勝利を掴み取る力が。


 天才には届き得ない『秀才』。

 それが自他のアニスフィアの評価であった。


 父は、勉学も精霊術も最高峰で、領主でありながら精霊術師としての二つ名まである。

 母は、植物学の権威にも認められた研究者であり、幼い頃から幾つも成果を出している。

 妹は、騎士団でも最強と謳われた男の教え子で、八歳ながら騎士見習いにも引けを取らない。

 弟は、子どもとは思えないほど賢く、成長すれば必ず優秀な人になるだろう。


 それに比べて自分は、明らかに見劣りする。

 天賦の才は無く、成長は頭打ち。

 努力はすれど、結果に結び付いていない。


 家族以外にも、自分より上の者は多くいる。

 過去も含めれば、その数は星にも届くだろう。


 では、彼らが解決出来なかった問題を、自分が解決できるだろうか。

 否、あり得ない。

 世界は、そんなに簡単に出来ていない。


 アニスフィアは半ば諦めていたのだ。

 知ってもどうにもならないだろうと、知るだけで終わらせ、事実から目を逸らした。

 ずっと見ていては辛くなるから、と。

 

 その結果がこれだ。

 レイフォードが取り返しが付かなくなるまで、アニスフィアは何一つ出来なかった。

 父や母、他にも様々な人間が手を尽くす中、アニスフィアはただ見ているだけしか出来なかった。


 追い込まれていく彼らの心を癒やすことも、気付かない振りをし続けている妹から事実を隠すことも。

 何も、出来なかった。


 無駄に時間を浪費して、ただ日常を過ごして。

 そして、もう手遅れになってしまったのだ。






 やり場の無い感情をどうしようか。

 ごみでしかないこれを、どこに捨てようか。

 

 救いたいと出来るはずない理想論ばかりで、何後からもないと嘆くばかりで。

 歩くことも前を向くことも出来ない自分は、どうしてしまおうか。


 ここで、消えてしまえばいいと願っても、叶えることは赦されない。

 アニスフィアには、未来があるのだ。


 ────レイフォードと違って。



「……俺の未来を、あの子にあげられたら……」



 ああ、どうして自分が生きているのだろう。

 どうしてあの子が死んで、自分が生きていかなければいけないのだろう。

 自分より、あの子の方が絶対に世界にとって重要で、外せない歯車だというのに。

 どうしてあの子を外してしまうのだろう。

 いらない自分を外した方が、良いに決まっているのに。


 

「……駄目だな、俺」



 そうやって、考えることしか出来ないから駄目なのだ。 

 自嘲気味に笑って、どかりと机に備えられた椅子に座る。


 並べられた本も、資料の数々も、今やただの紙束にしか過ぎない。

 全部ぜんぶ、意味なんてなかったのだから。

 


「……あ、返しに行かないと」



 そういえば、ずっとここに置いてあるばかりで書庫に返していなかったと思い返した。

 様々な分野に手を出して調べていたから、一年と半年掛けてやっと気になるもの全て読み終えたのだ。

 成果は特になかったが。


 ふと気になって、とある一冊を手に取った。

 それは、著者の空想を書き連ねたことに近いものだ。

 筋は通っているが机上の空論に過ぎず、実現など到底出来そうになかった。



「死んだ生物と全く同じ肉体を用意して魂を移す……か」



 神秘学的にいえば、不可能ではない。

 情報的に同じ物体で、どちらも完全に同一であれば、《世界基盤》の修正力も働かないはずだ。

 ただ、物体を用意する段階で一切精霊術等を使わず、更に魂を移し替えるという難題が解決できればの話だが。

 

 精霊術は、世界基盤を源素と精霊の力を使って書き換えることで現象を起こすものだ。

 世界基盤は、世界全ての法則が記された神秘的記録体で、人が物質的に干渉することは出来ない。

 源素を通したときのみ、干渉することが出来る。


 しかし、書き換えたとしても永遠にそのままというわけにはいかない。

 『結果』は残っても、その『過程』は修正されてしまう。


 例えば、精霊術で炎を起こしたとする。

 それで物を燃やせば、物は燃え続ける。

 しかし、炎は消える。

 『燃やした』という結果は残るが、『炎で燃やす』という過程はなくなってしまうのだ。

 『そこに炎がある』と書き換えた箇所が『何もない』に直されてしまう。

 

 ここで大事なのは、引き起こす現象が世界に与える影響が大きければ大きいほど、使用する源素の量は増え、書き換えることが難しくなってしまうことだ。

 時間遡行などは、その最たる例だろう。

 『そこに無かった』ものが『そこにある』のであれば、世界全体に影響してしまうのだから。

 

 『同一存在の複製』。

 神秘学で、よく議題に上がるものだ。


 基本、物は世界でただ一つしかない。

 同じように見えても、完全に同一であるということはない。

 必ず、細かな違いがあるものだ。


 もし、本当に全て同一な物が複数用意できるなら、それは奇跡だ。

 人の手では起こせない現象。

 正しく神の御業。

 だからこそ、この理論を実現させることは出来ない。

 我々は『人』であり、『神』ではないのだから。


 ああ、でも。

 もし、そんな奇跡が起こせたならば。

 あの子は、レイフォードはこの先の未来を生きることができる。


 肉体が複製できるなら、反対の存在である魂も複製できる。

 彼の壊れた肉体と魂を新たに造れば、彼は生き続ける。


 ────本当にそれが、『レイフォード』であるのかは分からないが。


 アニスフィアは溜息を吐いた。

 そんな空想に耽っている暇があれば、少しでも有益なことをするのが良いに決まっているというのに。

 自分の悪癖に反吐が出る。

 

 本を片付けようと、並べられた物を取り出した。

 瞬間、何かがはらりと落ちる。



「何だ、これ……?」



 手にとって見ると、それは紙であった。

 よくある、ただの紙。

 何も考えずにひっくり返すと、裏面に文字が書かれていた。


 辿々しい字だ。

 手に合わない大きな筆で書いたことが読み取れる。

 洋墨インクは滲んでいるし、線は歪んでいる。

 だが────


 『頑張れ、兄上。』


 ────込められた想いは、何よりも明らかで真っ直ぐだった。


 頬に涙が伝う。

 情けない、悔しい。

 何も出来ない自分が、支えたかった弟に支えられている事実が。



「……ごめんな、レイ」



 こんな兄でも、あの子は『頑張れ』と言ってくれる。

 褒めて、励まして、支えてくれる。


 どうして、今まで気付かなかったのだろう。

 あの子は、こんなにも輝いていたというのに。



「……これじゃあ、名前負けだな」



 アニスフィアは立ち上がる。

 窓に歩き近付くと、空は夜の帳が降りていた。


 両開きの窓を開ける。

 ふわりと吹く夜風は、思考を冷やしてくれた。



「あと、もう少し。

 出来るとこまで……ちゃんとやらなきゃ顔向けできないな」



 今日は快晴だった。

 だからこそ、星がよく見える。

 夜空に煌めく満天の星々。

 目が眩むほど、それらは光を放っている。


 手を伸ばした。

 届かないことは知っている。

 けれど、伸ばさずにはいられない。


 自分は輝くアニスフィアなのだ。

 『誰もが目指す星のようになれ』と、愛しき人々に願われたのだ。

 

 喩え届かなくたって、手を伸ばし続けよう。

 空を見上げよう。

 何も出来ず下を向いて蹲っているより、我武者羅に星を目指す方が良いに決まっているのだから。

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