Ⅱ章―第18話 人の世界、聖霊の視点

 部屋の本来の主が不在の今、代理役が堂々と新聞を広げて部屋の真ん中に陣取っていても、何の問題もない。

 誰の目も気にせず、堂々と”ロビン”として行動できるのだ。本物はしばらく街に戻ってこない。鉢合わせる心配はない。

 (新聞というのは、低俗だが語彙を学ぶ上では比較的使えるほうだな)

ざっと目を通したあとは、いつもどおりの時間に養護院へ向かい、いつもどおりに振る舞う。そこにいる人々の名前も、接し方も、ロビンの記憶から学習済みだ。どんな会話が交わされるのかも分かっている。


 裏の勝手口から台所に入ると、まずはジーナに挨拶をする。

 「ジーナさん、おはようございます」

 「ああ、おはようロビン。」

ジーナの隣に数人、女性たちが料理の盛り付けを手伝っているが、これはケイナの代わりにやって来たボランティアと、手伝いに来てくれている近所の主婦の人。マークスの護衛という名目で来ているエマも、不器用ながらなんとか手伝おうとしている。

 彼女たちにも挨拶をして、いつもどおり、食堂へ向かう。

 「ロビン兄ちゃん、おはよー」

幼い少女が、笑顔で駆け寄ってくる。この子の名前も既に知っている。

 「おはようアニ。」

 「こないだ、赤毛のお姉ちゃんが来てたよ。ごはん作るの、手伝いに来るって。ロビン兄ちゃんの友達って言ってたー」 

 「ああ、アリスかな。うん、友達だね」 

 「カノジョじゃなくてー?」

少女と、周囲にいた子供たちが意味深に笑う。普段のやりとりにはない会話だが、本物の”ロビン”が選びそうな受け答えは、だいたい分かる。ここは、曖昧に否定しておくべきところだ。

 「えぇ…。違う…かなぁ…」

 「あははー」

 「あのお姉ちゃん、残念がるねー」

 「ほらみんな、席について。」

キャッキャと騒ぎながら散らばってゆく子どもたちを食堂のほうへ追い立てながら、ロビンは、ちらとマークスのほうを見やる。

 はっとして、マークスは視線を反らした。何か言いたそうな、…微妙な顔だ。

 この教会の中で、今いる”ロビン”が偽物だと知っているのはマークスだけなのだ。そのマークスでさえ、あまりに本物らしくて困惑している。

 「おはようございます、マークス先生」

 「…おはよう」

どこか歯切れの悪い反応をしながらも、マークスは、精一杯の笑顔を作っていた。普段のロビンに対する態度と違うものを見せるわけにはいかないのだ。

 朝食の間じゅう、マークスはずっと、ちらちらとこちらの様子を伺っては、納得がいかないというように小さく首を振っていた。




 朝食の時間の後は、聖廟の開門と掃除だ。これも、いつもロビンがしている仕事と同じ。今日は水曜日で、聖廟を解放する日だった。時間通りに門を開くと、外で待っていたアリステアが一番に入ってくる。

 「やっほー! 会いに来たよん」

 「待ってたなら、声かけてくれればいいのに。寒くなかった?」

 「んー、さっき来たばっかだし! はいこれ、こないだ約束した焼き菓子だよぉ~」

言いながら、彼女は手に提げていた籠を差し出す。

 「ありがとう。お茶を入れるよ、少し温まって言って」

 「わーい。お邪魔しまーす」

ストーブで温まった管理人小屋に彼女を招き入れ、お湯を沸かす。その間、窓の外にはぽつぽつと、参拝に訪れた人々の姿が見えていた。

 「へー、けっこう、人来てるんだあ」

椅子に腰を下ろしてそれを見やりながら、アリステアが呟く。

 「ほとんど、近所の人だよ。今、聖廟のほうがお参りできないから、こっちに来てるっぽい」

 「あーそっか。聖廟もなんか祭壇とかあるもんねぇ~。あ、そういやさあ、うちの兄貴なんだけどぉ、おととい卒業したんだー学校。んでさー、どっか島の教会に赴任するつもりだって」

 「ルキウスさんが? 本土には行かないんだね」

 「そーなんだ。お父さんの言いつけに背いて、卒業の時のギシキ? 聖霊のなんとかーって試験みたいなの受けなかったらしくってー。そんで怒られるの嫌だから顔会わせたくないんじゃないかなー。」

 「はい、お茶どうぞ」

 「お茶どうも~」

コップを受け取り、口をつけようとしてふと、アリステアはロビンの顔を見上げた。

 「…あれ?」

 「ん、何」

コップを置いて、アリステアは身を乗り出す。

 「んんー? キミ、ロビンだよねえ」

 「え、そうだけど。急に、何。」

 「なんか、雰囲気変わった?」

一瞬だけ思考してから、ごまかすのが一番と判断した。首を傾げて、とぼけてみせる。

 「…そう?」

 「んー、まあいっか。えっと、さっきのお菓子の感想、聞かせてよ。けっこー頑張って焼いたんだよ~」

籠の中には、何種類かの焼き菓子が綺麗に並んでいる。色合いもよく、香りもいい。意外にも、アリステアはこういったものが得意なほうらしい。

 適当に一つつまみ上げ、口に運ぶ。

 「うん、よく焼けてると思う」

 「……美味しい?」

 「美味しいよ」

 「……。」

アリステアは眉を寄せ、もぐもぐと口を動かしている目の前の少年の顔をじーっと見つめていた。

 やがて、ぽつりと言う。

 「やっぱり、…変。ロビン、そういう感想は言わないと思う」

 「え」

ごくり、と焼き菓子を呑み込んだあと、困った顔を作った。

 「ええ…。そんなこと言われても…。」

 「だってそれ、お酒風味のやつだよー。ロビン、お酒とか飲んだことないじゃん。びっくりさせようと思って作ったのに」

 「いや、それ、お酒口にしたことのない人間にいきなりお酒入りのお菓子食べさせるつもりだったんだ」

 「度数は高くないから酔っ払ったりはしないよー。でもさ~?」

 「……ふっ」

アリステアの不満そうな態度を見ているうちに、ロビンは、――いや、ロビンに成り代わっていた者は、ついに耐えきれなくなて笑いだしてしまった。

 「くく、あはは。なるほど…”本物”との経験値の差、か。こんなことで見破られるとは」

 「あっ?!」

 「あんた、いいカンをしてる。外から観察しないと分からないこともあるもんだな、一つ勉強になった」

 「…マジで偽物だった? うわあ、びっくり。てか、キミ、誰なの?」

 「秘密。教えたら、そっちの名前を呼ばれて他の奴らにバレそうだからな」

 「えーマジ気になる~。てか、本物のロビンは今、どこ?」

 「用事で、一週間ほど外出中だ。まあ本人と連絡はとりあってる。あんたからお土産があったことは伝えておくよ」

 「一週間も?! せっかく焼き立てのお菓子持ってきたのにぃ~。」

アリステアは、偽物がいることよりもそちらが気に入らないようだ。

 「それと、入れ替わりのことは司祭しか知らない。内緒にしておいてくれ」

言いながら、手に残った菓子の残りを口に放りこむ。

 「…酒の味か。なるほど、確かにな。」

 「しょうがないからあげるけどぉ、それ、ほんとはロビンに作ってきたんだからねぇー。」

 「分かってるよ。てか、あいつなら多分、こんなに食べきれないと言って養護院の子供たちに持っていくぞ。そうしたら、どうだ?」

 「んー…。お酒入ってるしな~、ジーナさんにでもあげよっかなー。」

アリステアは籠に元通り蓋をして、あからさまに残念そうにため息をついた。そして、ちらと偽物のほうを見やる。

 「ねえ、それ変装? 声とかもすっごい似てるんだけど、どうやってんの」

 「それも秘密だ」

 「えー。じゃあさー、なんで入れ替わってるの?」

 「聖廟を開けておくためだな。今は、あいつが居ないと気づかれたくない」

 「そうなんだ。なんかロビン、また面倒なことに巻き込まれてるの?」

 「…それは、どうとも言えないな。」

 「あたしを知ってたってことは、あたしのこと、ロビンから聞いた?」

 「そんなところだ」

 「何て言ってた?」

少女は、恐れの無い真剣な眼差しで瞳で、じいっと見つめてくる。

 「――あたしのこと。何か言ってたりした?」

 「それは、あいつが異性として認識してくれているか、という質問だな。」

 「そ、そうだけど…。」

もじもじしながら、口をとがらせる。

 「だって、ロビン、なんにも言わないんだもん。迷惑ってわけじゃなさそうだけど、友達としてだけでさー…」

 「そもそもあいつには、個人的な欲望や情動がほとんど無い。無意識に老若男女全て平等に認識している。その点で言えば、他の女に取られる心配はないが、…思春期の若い男らしい欲望の一つもないのは少々、つまらなくもある。」

 「そうなの?! てかキミ、ロビンのこと詳しい? 友達?」

 「友達、ではないが…昔から、知ってはいる。」

 「そっか、じゃなきゃ入れ替われないよね。じゃさー、じゃさー。好きなものとか教えてよ。好きな食べ物とかさー…」

と、何だかんだと話しているうちに、いつしか時間は過ぎていく。


 はっとして、アリステアは時計に目をやった。

 「やば。もうこんな時間だ。養護院行かないと…あっ、そういえばさ、お母さんからロビンに、伝言預かってるんだけど。どうすればいい?」

 「伝えておく。内容は?」

 「んーなんかさ、スウキキョー? の遣いが来ることになってるーって。教会の偉い人だよ。島の視察だって。」

 「スウキキョウ…”枢機卿”…どこかで聞いたことのある言葉だな。分かった、伝えておく」

 「んじゃっ、あたしもう行くね。偽物さん。…じゃなかった、ロビン。ばいばーい」

手を振って、賑やかに駆け去っていく。

 「アリステア・ライスナー、…か。面白い娘だ。」

管理人小屋の戸口で少女の後ろ姿を見送りながら、ヤルダバオートは、妙に楽しそうだった。




 その日は、特に何ごともなく過ぎていった。

 夕方になり、聖廟を閉ざして訪問帳を確かめたあと、”ロビン”は、普段のように養護院へは向かわずに、司祭の部屋のある居室棟へと向かった。夕食の時間にはまだ少し早い。先に、マークスと話をするつもりだった。この時間なら、まだ居室にいるはずだった。

 「マークス先生」

 扉を叩くと、しばらくして、中から返事があった。

 「…どうぞ」

 「失礼します」

部屋の中に入るところまでは、普段のロビンの行動と全く同じ。マークスは演技しきれず、普段より緊張した面持ちだが、他に誰もいないのだ。ばれることはない。

 「今日、聖廟にアリステア・ライスナーが来た。彼女に速攻で偽物だと気づかれた。」

 「…えっ?」

 「女の勘は何時の時代も侮れないな。口止めはしておいたからそちらは問題ないだろうが――彼女が、母親の伝言を持ってきたぞ」

マークスの表情が目まぐるしく変わってゆく。警戒から驚きへ、驚きから再び、硬い表情へ。

 「マグダレナは、何と?」

 「”島の視察で枢機卿の遣いが来ることになっている”――だ、そうだ。確か、枢機卿というのは法王庁に関わる役職だったな? 司祭、お前なら意味が分かるだろう。どういう状況だ」

 「なるほど。法王庁直々に”目”を送り込んでくる、ということですね。よりによって、この時期に」

マークスは、警戒するように窓の外にちらと視線を向けた。

 「枢機卿とは、全部で十三人いる特殊な聖職者のことです。法皇を選定すると同時に、各自が法皇の候補者でもある。――つまり、全員が『秩序』の聖霊バルベーローの契約者です。法皇になれる資格ですから」

 「ほう」

 「その”遣い”というならば、直属の部下。おそらくは、欠員が出た場合に次の枢機卿と成りうる候補者です。送り込まれてきた理由は…島で起きている”異変”の状況を直に確かめるため、といったところですか。教区司教の報告からでは間に合わず、法王庁が直々に状況調査を開始した、といったところでしょう」

司祭は、ロビンの姿をしたもののほうを見やる。

 「――あなたが地下から実体を表したことも含めて、ね。」

 「『悪魔』の出現に比べれば、些細なことだろう?」

ヤルダバオートは、澄まし顔だ。

 「状況は理解した。教会にとってあるべき”秩序”を決める側の人間が来る、ということだな。」

 「もちろん分かっているでしょうが、今は、あなたの存在自体が”異端”なのです。下手なことをすれば、ロビンも異端者として――」

 「ああ。存分に理解しているとも」

にっ、と少年が笑い、声色を変えた。

 「それじゃ先生、そろそろ夕食に行きましょうか」

 「……。」

マークスの渋い顔。偽物だと分かっているのに、本物としか思えない声や仕草で、戸惑ってしまうのだ。

 そして、そんな戸惑いを明らかに楽しむ、「聖霊」としても異質な存在が、そこにいる。




 そうして、成り代わりの一日目が無事に終わり、二日目になった。

 初日でいきなりアリステアに見破られたのは想定外だったが、それ以外には、誰も気づいた様子はない。順調そのものだ。

 木曜日は聖廟を開ける用事もない。一日、自由行動に使える。

 (少し、この時代の知識を探りに行くとするか)

新聞や、養護院にいる人々との雑談だけでは、どうにも物足りない。管理人小屋にあった聖典や教会関連の本も一通り読んでしまったし、他に手近な情報源を探そうと、ロビンの姿をした者は街へ出た。

 そもそも、街を出歩くというのも、実に二百年ぶりのことだった。それも、当時はこれほど人が密集して暮らす場所は島には無く、これほど高い建物が集められた集落も存在しなかった。ロビンの記憶を通してあらかたの場所は見ていたが、自分で歩いてみると、新しい発見は在る。

 (本屋、か…。情報はありそうだが)

大通りの途中で足を止め、ガラスケースごしに見えている本の背表紙を一瞥する。

 (いや、あいつなら、こんな店は素通りするだろうな。怪しい行動は慎むとするか)

再び歩きだそうとした時、ふと、視線を感じた。人混みの中からだ。誰かがこちらを見ている。

 聖霊や、悪魔の気配は感じない。ただの人間だ。

 彼は、気づいていないふりをして方向を変え、人通りの少ない小道のほうへ向かって歩き出した。視線もついて来る。


 やがて、周囲に人の気配が無くなったところで、ロビンは足を止めた。同時に、追ってきていた足音も止まる。

 「あんた、聖廟の管理人だな」

 「はい。あなたは?」

 「フィスター・ウィンガルド。振り返るな。手短に言う…教会の管理する異端収容所が襲撃される」

口調からして、妙に焦っているのが分かった。そして、切羽詰まっている。

 「オニールの連中は諦めてない。俺たちは全員、生贄にされる」

 「めてくれ、ってことですか」

返事はない。代わりに、後ろから近付いてきた気配は、すれ違いざまにロビンの上着のポケットに何か紙切れのようなものをねじ込んで、大急ぎで走り去っていく。

 ポケットに手をやると、くしゃくしゃになった茶色い紙切れが出てきた。そこには日時らしきものと、簡単な地図が描かれている。地図のようだ。赤い☓の印がつけられている場所がある。

 顔を上げると、声の主の姿はもう、どこにも無い。

 (罠、とも思えないな。…ふうん)

紙をポケットに仕舞いこみながら、彼は、記憶の中にある、ロビンの関係者の顔を思い浮かべていた。

 (さて。この手の話は、教会の連中が処理すべきことのはずだな。司祭にでも伝えておくとするか)

そう決めて、彼は七つ門教会のほうに足を向けた。

 (だが…生贄とは?)

それに、あの切羽詰まった雰囲気は一体、何だったのか。


 『オニールの連中は諦めてない。』


ということは、収容所を襲撃するのはマクセンの仲間の残党だろう。

 動向を知っているからには、ガルド氏族クランもあの暴動に関わっていて、今は、巻き返しを図る残党を匿っている可能性が高い。

 あの声の主、フィスターと名乗った男は、一族を裏切ってでも彼らの計画を伝える必要があったということだ。

 ――何のために?


 ロビンからの声が伝わってきたのは、ちょうど、その時だった。

 (何かあったの?)

 『少々、想定外のことが起きた。夜にでも共有する』

交換された言葉はそれだけだったが、こちらの僅かな動揺が伝ったように、向こうからの不安な気持ちも伝わって来た。記憶を共有するごとに、精神の共鳴も深まりつつある感覚がある。

 それは、今まで姿を借りた者たち――”ソフィア”の側にいた者たちとの間では、起きていなかった現象だ。

 (…そうか。長くこの世界に留まりはしたが、これほど深く人間の世界に関わるのは初めてなのか)

納得したように彼は微笑み、大通りへと足を踏み入れた。


 裏通りの静けさとは違い、そこには、人混みの喧騒が溢れている。今を生きる人間たちの、息遣いと熱と活気。

 ロビンの姿をしたものは、ゆっくりと、その人の流れの中へと身を投じていった。

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