第044回「快男児黄権」

 明けて建安十六年(二一一)の一月である。関羽と曹仁の対決のあとは、魏国に大きな動きはなく、蜀と漢中の駐留軍は不思議な小康状態を保っていた。


 十万を超えるであろう兵を漢中に駐屯させる夏侯淵と張郃は抑えたばかりの土地の慰撫に力を注いでいるのか、軍を南下させるという気配は微塵もなかった。


 対する、劉備政権も一年近く大きな軍を動かさずに、地力の安定と充足を行っており、それらは諸葛亮の力である程度目途がつくようになっていた。


 ――まずは、曹丕の残した塵掃除を行わねばならぬ。


 巴郡には、張魯が降伏したのちに曹丕が任命した将が三人ほどいた。杜濩、朴胡、袁約の三名はそれぞれ巴東、巴西、巴郡の太守に任じられそれぞれ一万ほどの兵を持ち、郡の境を盛んに侵していた。


 巴郡はもともとひとつであったが、劉璋の時代に三分割されていた。やがて、曹丕の後ろ盾を前面に出した三将は集結して江州を窺うようになる。


 ――このまま黙っては見ておれぬ。

 諸葛亮は、曹丕の権勢を笠に着るこの三者を討伐するよう劉備に進言した。


「と、なると誰を将帥として送ればよいのだろうか」


「ならば、偏将軍の黄権がよろしいかと。彼は、勇気と知略に富み、こたびの遠征にはうってつけでございます」

 と、諸葛亮が言った。


「おお、あの黄権か。確かに、孔明の言うとおり彼ならばたちどころに蛮族の王を蹴散らすであろう」


 劉備から将帥に任じられた黄権は、勇躍、一万余騎の兵を預けられると、すぐさま隊を編成して成都を進発し、ほどなくして巴郡の境に進出した。


「どのように攻めましょうか」


 佐将である費観が整った容貌を吹きつける風に晒しながら訊ねた。黄権はすでに作戦方針が決まっていたのか、言葉を淀ませず応じた。


「敵の将である杜濩、朴胡、袁約はいずれも板楯蛮でさしたる知略もないだろう。ここは、一気に攻め込んで奥地に逃げ帰らせず、まとめて滅ぼすことが肝要だ」


 黄権はそう言うと直ちに軍営から兵を引き連れ、三将の守る小高い丘へと攻め入った。


 素早い攻撃である。黄権は巧みな指揮で歩兵を意のままに操り、まず、なんら備えがなかった杜濩の陣営に襲いかかった。


「慌てるな。劉備の軍は小勢ぞ。落ち着いて押し返せ」


 杜濩は旗本たちに身を守らせながら叫んだ。確かに、この時黄権が率いていた歩兵は三千程度である。


 それに引き換え、蛮族の王たちの兵は少なく見積もっても三万を超えている。陣営には十倍近い兵力がいるのだ。


 杜濩は黄権の攻撃をたやすく押し返せると考えていたのだが、その目論みはあっさりと崩れ去った。


 黄権はたちまちに、杜濩の陣営を破壊すると、弩を乱射しながら一気に本営まで押し入ったのだ。


 黄権の率いた兵は、選りすぐりの精鋭であり、装備も練度も低い蛮族の軍など端から相手にならにほど強かった。


「さあ、者ども、逆賊どもを一気に滅ぼしてしまえ」


 強風が枯れ木をへし折るような容易さで、一気に歩兵たちは敵陣営を蹂躙すると、逃げ遅れた杜濩はたちまちに囲まれて斬り殺された。


 こうなると、残りの二将の命運も尽きたも同然であった。費観の騎兵が地鳴りと共に陣を出た。朴胡も負けじと騎兵を出すが、最初の揉み合いで優劣はすぐさま決まった。


 朴胡はたちまちに潰走状態に陥ると、ロクに交戦もせずに陣を棄てて逃げ出したのだ。黄権は、朴胡を追い詰めて捕斬すると、残ったすぐ隣の陣で沈黙を守っていた袁約に打ちかかった。


 袁約は不甲斐なく敗北した二将を眺めながら、静かに迎撃の陣を敷いて待ち構えていた。


 ――愚かな劉備の将よ。我は、かのふたりとはまるで違うぞ。


 袁約は立て籠もった陣から、激しく矢を打たせながら機を見るとすかさず兵を繰り出した。


 しかし、杜濩、朴胡の二将の負けっぷりを見ているだけあって、この兵たちの戦意は悲しくなるほどに乏しかった。


 黄権の兵が鼓を打ちながら波濤のように押し寄せてくると、わずかに揉み合ったきり、たちどころに砕け散った。


 壊乱状態。そう呼ぶのがふさわしい負けっぷりである。


 ――粘りというものがまるでない。

 そう判断した黄権は、費観と協力して袁約を左右から押し包むように攻撃した。四方から兵たちに矢を射かけさせ、さらには隙を見て陣営に火を放った。黄権の火攻だ。


「馬鹿な。撤退だ。漢中に逃げ延び、他日に期すぞ」


 これにはたまらず袁約は悲鳴を上げると、ほとんど軍の形を留めずに逃げ出した。が、黄権はあらかじめ袁約が逃げるであろう逃走路の窪地に伏兵を設けていた。


 袁約がそこを通ると、黄権の兵は弩をこれでもかと浴びせた。激しい射手の攻撃に袁約はなすすべなく、体中に矢を受けて針鼠のようになり、ほどなく戦死した。


 黄権はこうして三巴の敵将たちを撃破すると、歓呼の声に出迎えられ成都に凱旋した。


 ――これで憂いは絶った。


 諸葛亮はあらためて黄権の非凡な軍才を確かめると、心強く思い、ひとり胸を撫で下ろした。


 不幸にも龐統が戦線を離脱したいまとなっては、諸葛亮よりはるかに優れた軍略を持つのは、法孝直と黄公衡のふたりにほかならない。


 この二名をやりくりして、曹丕の持つ大軍を撃ち砕かねば、漢王朝の復興は不可能である。黄権が、成都に帰還してほどなく、蜀郡太守の法正が


「曹丕は一気に漢中の張魯を下して漢中を平定しましたが、この勢いに乗じて巴蜀を攻略せずに、ただ夏侯淵と張郃を漢中に残して北に引き返したのは理由があります。これは曹丕の知力が足りず、能力が及ばなかったというわけではございません。呉の孫権の寿春攻略など国内に放置できない憂慮が逼迫していたためにほかなりません。


 いま、夏侯淵や張郃の才略を見てみますに、我らの将帥には及ばぬのです。もし、劉公が衆人を率いて漢中の討伐に向かえば、必ずや彼らを生け捕りにできるでしょう。我らは、荊州及び益州を併呑して、軍実を蓄え、三軍は諸葛亮の錬磨により精鋭が揃っております。率いる将は、数知れず、これは天が我らに与えてくれた機会であり、時期を見失ってはならないのです」


 と、進言した。

 劉備は法正の意見に賛成しながらも、儒林校尉である巴西の周羣に漢中攻略について尋ねた。周羣は


「土地は手に入れることができても、民衆を獲得することはできません。いま、漢中は曹丕の大軍に占拠され、討伐を行うのは不利かと思われます」と答えた。


 劉備は、深く椅子に腰かけたまま、この言葉を吟味した。そして、ある日、従事の楊洪のみを呼び出すと、漢中討伐について諮問した。


 楊洪は


「漢中は蜀の喉元、危急存亡に関わる地です。もし、いま、完全に漢中の地の領有を失えば蜀も早晩、曹丕の手に落ちるでしょう。これは家門の禍であれば、男は当然戦いますし、女も運搬などを手伝います。兵を発するのになんの疑問がありましょうや」


 と応じた。


 この言葉により劉備は漢中の征戦を決めると軍の編成に取りかかった。諸葛亮は記憶の断片を探り出しながら、前回における漢中における戦いを思い出しながら戦略を練る。


 ――前世での戦いにおいては、成都の守備隊を出し惜しみしていた。


 作戦は、簡潔である。初戦から物惜しみせずに、出せるだけの兵士と物量をぶつけて曹丕が援軍を送る前に、夏侯淵と張郃を撃破する。この一語に尽きた。


 内は、幸か不幸か傷が回復した龐統が請け負ってくれるであろう。

 益州は常に兵士に送る糧秣に苦しんでいたが、曹軍も潤沢というわけではない。


 やはり最終的には互いの根競べになるだろう。蜀軍は、今回の戦いに参戦する将領は劉備を筆頭に、諸葛亮、法正、黄権、張飛、趙雲、陳到、黄忠、馬超、魏延、陳式、高翔、厳顔、孟達、呉蘭、雷銅、任夔、劉封、張著、張翼などだ。


 対する魏国は、夏侯淵を筆頭に曹洪、張郃、徐晃、趙顒、郭淮、曹休、曹真などである。

 これに、増援として、曹丕、夏侯惇、劉曄、曹彰、許褚などが加わると思われる。


 ――総力戦か。これに対してどのように勝つかで、今後が決まる。


 戦いのおおよそが予想できる諸葛亮の中では、まず、勝利することが確定条件だ。そして、勝ち方にも格というものがある。


 敵の将帥が曹操ならば、蜀軍の取るべく方策は緒戦でできるだけ敵軍を削ってから、漢中の要害に籠っての持久戦一択しかない。


 しかし、曹丕が相手となるとまた話は違ってくる。

 諸葛亮は劉備の戦術を誰よりも買っていた。世間が評するように、劉備の兵術は古今の名将と比べても遜色のないものだ。


 夷陵の敗戦のみで他の将よりも劣ったように言われているが、戦上手で知られる曹操ですら有名な赤壁の敗戦だけを上げても信じられないほどの負けっぷりを見せた戦は枚挙にいとまがない。


 劉備は戦いにおいて負けを見切るのが異様に早いのだ。粘りを見せればと思うような戦いでもあっさりと放り棄てて遁走する姿は、ある意味滑稽であるが、大志を遂げるためには自己の命を第一に保存するという観点からみれば、劉備は超一流である。


 ――とにかく、こたびの戦いは徹底的に勝たねばならない。


 漢中の要害を駆使して、できうる限りの損害を曹丕政権に与えて、その勢力基盤を徹底的に揺るがし、来るべき北伐に向けての前哨戦としたい。


 諸葛亮は政務の合間を縫って、近々迫る漢中討伐に向けての軍編成や兵糧調達の作業に没頭した。


 この兵糧調達に異彩を発揮したのは楊儀である。楊儀はあざなを威公といい、襄陽出身で劉備の益州遠征が成るとすぐに荊州から成都に呼び出され、劉備自ら左将軍兵曹掾に任じられた。


 楊儀の計算能力の高さは諸葛亮が誰よりも知っている。楊儀は適正な計画を立てて部隊編成を行い、軍糧の計算をさせたら右に出る者がいないほどに優れた男だ。


 前世では、常に遠征に随行して激務を厭わず励んだのだが、その努力に見合った地位が得られずに不平を述べる部分が難点であった。


 ――考えれば楊儀は我に仕えてずいぶんと苦労を行った。それだけに報いることができなかったのは我の不明である。


 諸葛亮は、人の才能を見抜き、また使うことに関しては劉備の足元にも及ばないということを知っていた。


 ――楊儀は狷介偏狭な性格であるがそれに見合った地位と功を称えれば背くことはないだろう。


「威公よ。準備は万端だろう。貴卿に任せればこたびの征伐はすでに成功したも同然よ。主もおぬしにずいぶんと期待をかけている。戦で三軍を率いて戦うよりも、軍資を途絶えさせぬことのほうが、功は大きい。よろしく頼むぞ」


 楊儀は喜悦の表情で諸葛亮に首を下げた。建安十六年(二一一)の諸葛亮は三十歳になったばかりだというのに、いまや、軍師将軍という重責を持ち主君である劉備のもっとも信頼する片腕といっていい。その諸葛亮から目をかけられた楊儀の喜びはひとかたならなかった。


 諸葛亮は、土煙を立てて軍兵が運ぶ膨大な軍需物資を睨みながら、羽扇をわずかに揺らし、来るべき決戦の地である漢中に思いを馳せていた。

 


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