第019回「援軍、来たる」

 連日連夜、絶え間なく合肥の城を攻撃する孫権にもたらされた急報。それは、寿春から合肥に向けて凄まじい速さの移動を始めた曹軍の将と数だった。


「敵の大将は都護将軍曹洪。確実ではありませんが、敵援軍の数、少なくとも五万を超えているとのことでございます」

「五万だと」


 斥候の報告だと、曹洪は徐州の彭城にて兵を搔き集めて軍を編成し、独自の考えで南下し成徳付近にまで至っている、とのことであった。


「公瑾、この情報またもや偽報ということはなかろうか」

「孫将軍。合肥の北に駐屯している程徳謀からも、曹洪がかなり数の兵を率いて向かっていると聞いておりますゆえ、今度は間違いなさそうです」


「よりにもよって曹洪とはな。曹丕のやつめ、寿春周辺の防備を棄ててでも、合肥を是が非でも守り切るつもりか」


 孫権はガリガリと顎鬚をこすると浮かぬ顔で頭上の天幕をジッと睨んだ。

 曹洪は字を子廉といい、曹操の従弟にあたるいまや曹軍の重鎮だ。


 当陽の戦いにおいて古参の将がかなり討ち取られ、いまだ後継がしかと定まらぬ曹一族にとっては切り札に近い将軍である。その曹洪が五万余の軍を率いて来るとなると、数では勝る孫権軍も気を抜くことはできない。


「孫将軍。敵将が曹洪ならば油断はできませぬ。曹軍の中でも曹洪は老練な将です。下手に近づけさせれば、合肥の兵と計り合って挟撃される恐れもあります。幸いにも、まだ曹洪がここに到着するまで幾ばくかの猶予があります。敵の城を気にしながら戦うのは不利。将軍は城攻めをお続けになってください。私どもは精鋭を率いて曹洪を撃破し、後顧の憂いを取り除いてまいります」


 ――だが、敵は五万だぞ。

「ご心配には及びませぬ。この、周瑜、討逆将軍にお仕えして以来、場数だけは踏んでおりますゆえ、曹洪如きにおくれを取りません」


 討逆将軍とは孫権の兄であるいまは亡き孫策のことだ。周瑜は孫権にそう宣言すると、程普、黄蓋、韓当といった孫堅の代から仕えてきた古参中の古参といえる将軍たちを率いて、勇躍、北に向かった。


 これに対する曹洪は半ば悲壮な気持ちで合肥に軍を向けていた。

 ――弱り目に祟り目とはこのことよ。


 曹洪は、荊州の大戦では後陣に位置していたこともあり、劉備が行った火攻による甚大な被害を受けずにいた。つまりは、あの劉備に主である曹操が破れたなどとはどうしても思えなかったのだ。現実感がない、というのが実際だろう。


 曹洪が知る劉備は戦えば負け、すぐ逃げるとてもではないが脅威とは思えない存在だった。新野に進駐した時も、これで劉備の逃げ納めよと思った。居並ぶ曹軍の諸将の気持ちも曹洪とほとんど変わり映えしないものだっただろう。


 ――それが、どうだ。

 劉備は曹軍からすれば、つかもうとすればするりと手の内を抜けてどこかに消えてゆく煙のようなものだった。性質の悪い煙。しかし、煙であるからは、いつか消えゆくなんとも儚い存在のはずだった。


 だが、その煙は稀代の政治家にして兵法家の曹操を討ち破り、落命させた。曹洪は、北帰する途上、いま自分が陥っている状況は、すべて夢のように思えてならなかった。


 許都に戻って間もなく、孫権の北進を耳にした。

 当陽の戦いで曹軍が負った傷はあまりにも大きい。命からがら逃げ延びた仲間たちと話に上るのは、元の兵力に戻すのはどれほど早くても数年はかかるであろうという見通しだった。そんな現実的な話を交わすのも、どこかまだ現実を直視し切れていない部分があったのだろう、といまの曹洪なら理解できる。


 曹操が帰還したのだ。

 物言わぬ、骸に変わって。


 曹洪は曹操の遺体が許都に到着すると、誰よりも早く棺に跪き、震える手で縁をガッシとつかみ、天を仰いで哭泣した。

 だが、曹洪がほとんど悲しむ暇もなく、孫権の率いる大軍が江を遡り合肥に向けて襲いかかってきた。


 あまりに早すぎる曹操の死のせいで、曹軍の旗頭はいまだ決まっていなかった。順当にいけば、長子である曹丕が後継となるのが自然であるが、鄴にいる曹植は激しい対抗心を持っているのか、側近を煽り立てて争う姿勢を隠そうともしなかった。


 かつて曹丕には曹操によって嫡男として目されていた異母兄である曹昂がいたが、この悲運の人は宛城の戦いで張繍軍の奇襲により戦死している。予想もしえない曹操の死により態勢の整わない大所帯を切り盛りできるほど、若干二十二歳である曹丕に経験はなかった。


 曹丕は、愚かではない。むしろ、知略に富み胆力も備えていたが、この状況での応変の才を望むのは不可能である。許都の群臣も曹丕に対してどのような扱いをすればよいのかも、定まっていなかった。


 ――だが、我がやらねばなるまい。

 これから長きに渡り、これら並み居るひと癖も、ふた癖もある群臣を率いていくには、独力で解決する覇気を見せねばならないのだ。


 曹丕は張喜と蔣済のふたりを合肥への援軍として送った。途上、汝南において兵を徴募し、数万人を得てから城を攻めている孫権軍を強襲するという目論見であった。

                     

 しかし、送られてくる蒋済の書簡からは思うように兵が集まらないという苦しみの声が立ち昇っていた。                                             このような時こそ悪運は積み重なる。

 曹丕はことが上手くいかぬという恐怖に襲われ、目の前が眩んだ。

 無理もない。実戦経験はあっても、政治的には実がまだ伴っていないのだ。


 蔣済は一計を案じて孫権を撤退させようと虚報を流したのだが、呉の守護神とも謳われた周瑜によってあっさりと見破られ、合肥はいまや風前の灯といってよい。


 これを見かねたのが曹子廉だった。

「儂が自ら兵を率いて合肥に向かう。兵は寿春で集めればよい」


 曹操亡き後、都で曹洪に比肩するほどの、経験と地位と実力を持った将は残念ながら見当たらなかった。だが、曹丕はこの従兄にあたる男の言葉に対して苦々しさを隠そうともせず、あからさまに黙殺した。


 ――小童が。

 曹洪と曹丕は相性が悪い。曹洪は家が豊かであったのにもかかわらず、激しく吝嗇であった。要するにけちなのである。


 前世において、曹丕が東宮であったころ、曹洪に百匹の絹を借りようとして断られたことがあった。曹丕が性格が悪いといわれるのは、こういう些細なことを忘れずにずっと根に持ち、自らが権力を持つとここぞとばかりに借りを返しに走る偏執的な部分があったからだった。


 曹操は、多くの戦をして、多くの人を曹丕などよりもずっとたくさん殺してきたが、このような過去の恨みに執着するような異様さはなく、あったとしてもそれを覆すほどの魅力があった。


 曹丕は、曹洪をねちねちとつけ狙って、彼の食客が法を犯したことを口実に、獄に落として処刑しようとすらしていた逸話がある。この時、曹洪は曹丕の母である卞太后がかばわなければ助からなかったであろう。


 曹洪は曹丕から明確な許可を得ずに、直臣と信用できる数人の将を引き連れると寿春に向かった。この時、曹洪は家財を惜しみなく使って、地方の父老に働きかけ


「いま、我らは曹公を失い、南からは呉の凶賊に侵略を受け、王道が冒されようとしております。みなさま方は、今日まで曹公の名のもとに平穏な暮らしを送っていたのでしょうが、いま、合肥の城が落ちれば今後はどのような賢人であってもそれを保証はできません。よろしく、各地の健児にこのことを説いて、共にこの国を守ろうではありませんか。この頼みが叶えられるならば、この曹洪、身命を賭して最後まで戦い抜きます」


 と述べた。父老は、曹操の死にも屈せず、節を貫こうとする曹洪の意志に打たれて、おのおのの判断で集まり、軍は瞬く間に五万余が集まった。


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