酩酊の庭、あるいは檻

佐神原仁久

酔も甘いも


「うーし、できたー……」


 精魂尽き果てた。

 今まさにレポートを書き終えた大学生、金沢はまさにそんな感じだった。締め切りには1週間ほど余裕があるので、ここまで全力を注ぐ必要はなかったのだが、なんとなく根を詰めてしまった。

 明日にでもこれを提出して、某企業の最終面接へ行くことになる。趣味の登山だって最近は行ってなかったし、ゼミにもサークルにも顔を出したい。取りたい資格の勉強にも時間がいる。


 やりたいこと、やるべきことは沢山あるが、ともあれ今は達成感に浸っていたかった。


 座布団の上にぼふりと頭を叩きつけて、うあー、なんて意味のない呻き声を上げてみる。弱々しいが、課題への勝ち鬨だと思えば充実感が全身に満ちていく。


 その時、玄関のチャイムが鳴って来客を知らせる。


「んお? なんか頼んでたっけ……?」


 衝動的に通販で変なものを購入して、適当に消費するのは金沢の悪癖の一つだった。ついでに、購入したことを忘れてしまうことも。

 消耗品が多いので大した金額ではないにせよ、浪費癖であることは間違いない。


「はいはい、今開けますよ~って……田島先輩?」


 ドアを開いた先にいた田島と呼ばれた大男は、無愛想に話し始める。


「おう、これから飲みに行かねえか? いいとこ連れてってやるよ」


 唐突な言葉に流石に眉をしかめる金沢。


「いきなり家に来て最初に言うことがそれですか?」

「実は一回連絡入れたんだが、返って来なくてな」

「あー、俺さっきまでレポートやってたんで。集中するために電源切ってましてね」

「マジで? じゃあ俺邪魔だったか?」

「いえ、今終わった所なんで。その達成感に任せてちょうど飲みに行きたいって思ってたところなんですよ」

「そうか。じゃあ完成祝いもかねてパーッと行くか」

「えっ奢ってもらって良いんすか!?」

「しゃーねーな。だが店は俺が決めるぜ?」

「ゴチになります!」


 金沢、願っても無い幸運。

 手早く準備を整えた金沢はドアにカギを付けつつ、田島の後を追う。


「で、先輩。いいとこって、どんなとこなんですか?」

「あ~……」

「教えてくださいよォ~! やっぱ気になるじゃないですかァ~!」

「なんつーか、そこは俺には決められねえんだわ」

「はい? 一見さんお断りって奴ですか?」

「まあそんなところだな。常連が一緒じゃなきゃ入れねえし、入っても常連になれるかはお前次第だ」

「はあ……」


 イマイチ要領を得ない。

 『店主が気に入った奴しか常連にはなれない』という訳でもなさそうだ。もしそうなら『常連になれるかは店主次第』という風な表現になるだろう。


 俺次第……ってコトは、俺の頑張りで何とかなる条件ってコトか……?

 例えば、一回の来店で一定以上の金額使うとか、飲んだ酒の量とか。


「そこにはよ、たった一つだけ、破っちゃならねえルールがある」

「ルール?」

「ああ。それさえ守ってりゃ安いし、美味いし、楽しい。だがルールを破ったら、二度と訪れることはできねえ」

「その、ルールって言うのは、一体……?」

「……」


 田島は少し沈黙した後。


「忘れるな」


 そう、一言だけ呟いた。


「忘れるな? 忘れるなって……何を?」

「さあな」


 それだけ言って、この話は終わりだ、と言わんばかりにスピードを上げる田島。

 もとより無愛想な男である。言葉足らずで不親切など今に始まったことではないが、ここまでの事は無かった。


 曖昧なルールだが、先輩本人もそれ以上知らねえか、言えねえのかもしれねえ。そこまで含めてのルールなのかも。

 しっかし、ここまで客を厳選するとなると、それ相応に良い店なんだろう。


 そんな皮算用をした金沢は、田島の後をついていくことにした。


◆◇◆◇


 駅まで行き、電車に乗り、表通りを避けて、路地をいくつか曲がった先。

 その店……『酩酊の庭』はそこにあった。


「ここだ」

「ほへぇ~……隠れ家的、って感じっすね」

「まあな。ちゃんと道順覚えたか?」

「はい、バッチリっす」


 なるほど、田島の言っていた『忘れるな』とはこの店にたどり着くルートの事か。確かに一発で覚えるのは少し難しい道のりだった。『お前次第』というのもしっくりくる。


 金沢はそう納得する。同時に『忘れるなって言うのはこのことだったんですね!』なんて言葉を飲み込みもした。

 なにせ現常連の田島が口止めされているルールである。下手に藪をつつくことはない。


 店のドアをゆったりを開く田島の後ろをついて歩き、店内へと入る。

 どうやら地下へと繋がっているようで、それなりに長い階段を下って行った。


「広ッ!?」


 その先で待っていた光景は、とにかくデカかった。


 20m? 30m? あるいはもっと?

 ここが地下空間とは信じられないほど開けたその酒場では、既に8割方の席が埋まっており、各々が自由に今宵を楽しんでいた。

 あるものはストレートに酒を呷ってつまみを貪り、あるものはボードゲームをしながらチビチビと飲み、あるものはアルコールと一緒にニコチンを吸う。


「うおぉぉ……楽しそォ~ッ……」

「金沢。そこの箱に千円入れな。後は自由だ」


 田島の指さした先には、『お代』とだけ書かれた穴があるだけの古ぼけた木箱が壁からぶら下がっていた。


「千円? マジですか?」

「ああ、もっと払いてえって思ったら後でもっと金を入れたらいい。そこの代金も自由だ」


 金沢の常識では考えられない酒場だ。

 だが、それが良い。


 金沢は千円を箱に入れると、田島と一緒に、この自由な居酒屋へと繰り出した。


◆◇◆◇


 まず最初に行ったのは、シンプルに飲んでいるだけの席だ。田島は当然のように既に別の人が座っているテーブルにつき、またそのテーブルに座っていた人も田島が席に着いたことに何の疑問も抱いていなかった。

 その人はテーブルに置いてあったコップに酒を注いで二人に進め、他愛のない雑談をしながら飲むことになった。誰に対しても一定以上に踏み込むことはない、しかしちゃんと共感のできる話題選びもあって酒が進む。

 運ばれてきた料理は基本的に軽食だが、いくら食べても飽きの来ない絶妙な味付けで、これまた酒が進む。


 次にボードゲームで遊んでいるテーブルに着いた。チェスや将棋の様な頭を使うゲームではなく、双六すごろくの様なパーティゲームだ。

 ゲームプレイを主にした席なだけあって、飲んだ量はそれほどでもないが、ただ飲むのとは違う満足感をもたらしてくれる。ゲームというわかりやすい共通の話題があるのも楽しい一因か。


 今度は酒と一緒に煙草を嗜む席へ行った。田島は煙草を吸わないので、ここから金沢と田島は別行動をとることに。

 よく見る紙巻煙草も置いてあったが、この店での主流はいわゆる水煙草であり、備え付けの機材は自由に使ってよいらしい。喫煙者がどんどん隅に追いやられている昨今、彼らの仲間意識は強く、水煙草初心者の金沢にずいぶん親切にしてくれた。

 紙巻煙草とは違う軽さと煙の量を楽しみつつ、度重なる口呼吸で乾く喉を酒で潤す流れは、彼らの黄金パターンであるに違いない。

 隅にある煙管はあとで試してみようと思う。


「ふぃ~……」


 喧騒から少し離れた席で一息つく。

 安くて、美味くて、楽しい店。田島の言った通りに最高の店だ。本当に採算が合っているのか不安だが、これだけ楽しませてくれたのだから、後で料金箱に追加入金しておこうと自然に思えた。


「おうあんちゃん、こっちきて飲まねえか?」


 声を掛けてきたのは音楽を流しているテーブルの男だった。各々持ち寄った、或いは店に置いてあるレコードを選んで、プレーヤーに掛け、それを肴に酒を飲むらしい。


「いや、もう遅いし、そろそろ帰るよ」


 随分飲んだ割に明瞭な頭で考えてみれば、体感で3,4時間はこの店にいた。楽しい時間はあっという間だから、実際はもっと過ぎているだろう。

 そうしてスマホを起動して時計を見れば、表示時刻は20時。日付も変わっていない。


「……は?」

「あんちゃん、まだ学生だろ? 夜はまだまだこれからじゃねえか!」


 飲んだ量相応に空転する頭で、金沢は答える。


「そうだな! おっちゃん、そっち混ぜてくれ!」

「よし来た!」


◆◇◆◇


 それから金沢は飲んだ。

 しこたま飲んだ、ひたすら飲んだ、すこぶる飲んだ。


 ほろ酔いと泥酔の中間、一番心地よい『酩酊』。

 アルコールの影響は常にそこに留まり、そろそろ辞めておくか、という自制が生まれない。


 いつまでここで飲み続けていられるだろう。

 叶うなら永遠にそうしていたい。悩みも苦痛も無く、ただ酩酊していたい。


 この店の外は、辛すぎる。


 ……外?


「ああ……卒論、出さなきゃ」


 唐突に、がたりと席を立つ金沢。

 周囲の人たちはそんな金沢を怪訝そうな目で見る。


 そのままふらりとどこかへ歩き出す。

 店の相当奥まで来てしまっていたのだろうか? 出口が見当たらないが、そんなことはどうでもいい。


「おいどうしたよ、まだ夜はこれからだぜ?」


 そうして男が見せてくる時計は、確かにまだ22時。朝帰りまで経験した事のある金沢からすれば、確かにまだまだこれからだ。


「うん、まだまだこれからだ。でも、この店の外での俺だって、まだまだこれからなんだ」


 酩酊すれど泥酔せず。

 今思えば奇妙なその状態が、金沢を店の外へ歩き出す助けになっていた。


「明日にでも卒論を提出して、最終面接へ行くんだ。趣味の登山だって最近は行ってなかったし、ゼミにもサークルにも顔を出したい。取りたい資格の勉強にも時間がいる。だから、まだまだこれからなんだ」


◆◇◆◇


 気が付くと、金沢は『酩酊の庭』の看板に背を向けて立っていた。


 店の外だ。


「……」


 振り返って看板を見上げる。

 とても静かだ。店内の喧騒が、まるで別の世界の事のように。しかし強く焼き付いた記憶からか、扉の向こうから賑やかさがわずかに漏れ出ているような気がした。


「……帰ろう」


 田島はいない。喫煙席の手前で分かれてから、ずっと見ていない。

 だが、きっと上手くこの店を乗りこなしているのだろう。美味く、安く、楽しいこの店を。


「ああ、そういう事か」


 たった一つのルール、『忘れるな』。

 それはきっと、店の外で続く、自分の人生の事なのだ。それを忘れて酩酊に身を任せれば、きっと本当に、永遠にこの店に滞在できる。できてしまう。


 二度とこの店から出ないのだから、二度とこの店を訪れることはできない。

 『常連』には、なれない。


「ハハ……そりゃあ、ああいう風にしか言えねえや。あの時に『人生を忘れるな』なんて言われても、絶対ピンと来ねえ」


 だが、ピンと来た今、金沢は二度とこの店を訪れはしないだろう。

 こんな蟻地獄との一番いい付き合い方は、『関わらない事』と相場が決まっているのだから。


◆◇◆◇


 それから5年。

 金沢はなんだかんだでとある大企業に就職し、出世競争にもそこそこ勝利して、とりあえずは『勝ち組』と呼ばれる人生を送る事が出来ていた。


 勿論ストレスは多い。蹴落としてきた同期を部下に持ち、無知な新人を世話して、現場を知らぬ上層部へ適度に媚びる。世のオッサンたちが抱える中間管理職の悲哀を存分に体現している事を思い返すと、なんだかおかしい気分になる。

 そんな今でさえ、時折なにもかも投げ出してしまいたくなる。これ以上に昇進して、これ以上にストレスを抱えるのであれば、ちょっとしたきっかけで『この企業を回しているのは私だ。私が……私こそが企業だ!』みたいな発狂をしてしまいそうだった。


 そんな未来が見えるくらいには、金沢は自分の度量を弁えていたので、昇進はここいらで打ち止めにするか、と特に抵抗も覚えず出世街道から外れることにした。


 しかしそうなると、今度はまた違った絶望が金沢の身を襲った。

 『自分の人生には、もうこれ以上の何かは無い』という絶望が。


 人生。その言葉を考えると、金沢はあの酒場を思い出す。


 確かにあの時、自分の人生はまだまだこれからだった。

 だが、今はどうだ? もうこれ以上の何かは無いと見当が付いてしまった、今は?


 自宅のチャイムが鳴る。

 鳴らしたのは、田島だった。


 嗚呼、今度は忘れないでいられるだろうか。おそらく、もうこれ以上が無い自分の人生を。


「おう、これから飲みに行かねえか? いいとこ連れてってやるよ」

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酩酊の庭、あるいは檻 佐神原仁久 @bkhwrkniatrsi

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