6章

51、頂上の者たち

 吹き荒れる風、打ち付ける波、怒れる大地。

 海にぽつんと浮かぶ小さな無人島に最大規模の災害が上陸していた。


『ようやく来たな?』


 孤島の浜辺には先程まで確認出来なかった人型が急に出現した。人型が呟いた声に合わせて風が収束する。黒い小さな竜巻が発生し、その中にぼんやりと人の形が浮かび上がる。


『いきなり呼び出すとは何事じゃ?は忙しいのじゃ。早く要件を言え』

『おーっほっほっほっ!そなたはいつも忙しい忙しいと言うておるなぁ。もう少し暇を見つけてはどうか?それともこなたらと合うのは嫌か?』


 海からも水の人型が出現する。いずれも目だけがギラリと光っている。


『呼ばれた理由は既に承知の筈だ。ノヴァが消滅した。新たな火の精霊王を決める必要がある』

『炎帝ノヴァか。あれが消滅したのは確定で良いのか?前に気配を消して隠れていたこともあったぞ?』

『うふふっまったく意味のないことをしておったのぅ。洒落臭くて即日看破してやったわ』

『つまりそういうことだ。火竜の巣に居付いていたようだが、ある時を境に気配が急に薄弱となり、フッと消えた。まるでロウソクの火を吹き消すかのようにな……』


 土塊つちくれの人型は視線を落として悲しみを醸し出す。


『だ・か・ら、言ったのに〜。皇魔貴族なんかと事を構えても面倒なだけだって。ねぇ?』

『ふんっ……あれらに負けたのならそれまでだったということじゃ。此れにはどうでもよい話。それから、火の精霊王など興味がないわ。ヴォルケンが決めるが良い』

『そういうわけにはいかん。直属の精霊がいない場合は我ら長が決めると規則を設けたはずだ』

『相変わらず堅いのぅ。そんなものノヴァより1つ下の精霊を据えれば良かろうに』

『今回の件でハッキリしたはずだ。ノヴァのような身勝手さはいらないとな。火の精霊は我が強い。曖昧に定めては皇魔貴族のような能力主義が横行することになる。そういうことを擦り合わせて……』

『なんじゃ。もうそこまで決まっとるじゃないか。此れらの意見なんぞいらんな』

『いや、だから先の話はただの一例で……』

『じゃあヴォルケン。あとは頼んだ』


 小さな竜巻はヴォルケンの言葉を待たずに霧散する。ため息を付きそうになるのをぐっと堪えて水の人型を見る。


『こなたも正直どうでも良い。そなたが決めよ』

『なんでそう身勝手なのだ?それではノヴァの二の舞いとなる。力の均衡を失った世界は今の状態を保てなくなるぞ』

『難しく考えすぎであるぞ?真面目も良いが、少しは力を抜いて物事を軽く見てみるのはどうか?気負うことはない』

『……考えなさすぎも良くないぞ』

『まずは話を飲み込むことを覚えよ。そなたは放っておけばノヴァの仇討ちすら考えそうじゃのぅ』

『……考えないのか?』

『……とにかく、こなたはもう行く。火の精霊王の件は任せる』


 水の人型もヴォルケンの返答を待たずに溶けて消えた。


『……はぁ……』


 精霊同士の仲間意識の希薄さに呆れ返り、ヴォルケンはとうとうため息をついた。

 結局、火の精霊王の席は空白のまま放置されることとなる。



 ゆらゆらと揺れるロウソクの火。壁にズラッと並んだ燭台の灯りにぼんやり照らされた部屋。床にしかれた赤い絨毯を踏まないように跪くデーモンたち。玉座が出入り口から一番離れた位置に設置され、その背後の壁には3mはある無骨な鎧が玉座を中心に左右に埋め込まれている。

 そしてその玉座に座るのはアルルート=女王クイーン=フィニアス。癇癪のままに握りつぶした肘掛け部分は既に修復され、玉座はすっかり元通りになっていた。


 ズズズ……


 柱の陰から滑るように姿を現したのは執事バトラー。フィニアスに跪き、報告を始めた。


「……グルガン様が到着しました……」

「……ここへ」


 バトラーはさらに頭を下げ、すぐに闇に消える。それから間もなくしてグルガンがのっしのっしと威厳たっぷりに入ってきた。


「グルガン。待ったぞ」

「すまんなフィニアス、少々込み入っていてな。……貴様ら下がれ」


 グルガンはデーモンたちに命令する。デーモンたちは即座に立ち上がり、すぐに部屋から出ていく。扉がしっかり閉められたことを見計らってフィニアスに視線を戻した。


「それで?呼び出した理由はなんだ?」

「もちろんレッド=カーマインの件だ。グリードまで倒された。このまま刺客を送っても全滅以外の未来が見えぬ」

「チッ……確かにその通りだ。しかしこのまま野放しにするなど有り得んだろう?奴は女神復活を目論む我らの敵なのだからな」


 グルガンの不機嫌な態度にフィニアスはコクリと頷く。一拍置いて意を決した顔でグルガンを見た。


「かくなる上は、このわたくしがレッド=カーマインに引導を……」

「駄目だ。貴様が万が一にも倒されるような事態となれば皇魔貴族は総崩れとなる。犠牲を出したくないなどと言って自分を追い込むような真似は最悪の事態を招く事になるぞ」

「しかし……」

「レッド=カーマインとは、重量を意に介さず、速度も関係なく、数で攻めても無駄。災害級の怪物を向かわせてもどうしようも無い存在なんだぞ。戦闘は避けるべきだ。とくれば最早やることは1つ」

「……どうしようというのか?」

「話し合いだ。直接会って話し合う」

「であるならばここに招待して……」

「それは悪手だフィニアス。一際ひときわあの男が目立ってはいるが、他にも尋常ならざる人間がいるかもしれないのだぞ?ここを教えれば、話し合いの期日を待たず総攻撃を仕掛けて来るだろうよ。そうなれば、負けはせずとも疲弊は免れない。そして背後からの攻撃に耐えうるだけの力はなくなるだろうな」

「背後からの……攻撃?」

「そうだ。上に立つ者の敵は何も外からだけではなく、その地位を狙う内部からの攻撃も警戒しなければならない。そんなこと考えたくもないだろうが、我ら皇魔貴族も一枚岩というわけではない。一丁前に下克上を狙う不届き者を封殺する意味でも、貴様はここでドンと構えていれば良い」


 グルガンはフィニアスの自己犠牲を真っ向から否定し、サッと踵を返した。


「……どこに行く?」

「言っただろう?話し合いが必要だとな。ここは我に任せよ」

「それはつまりそなたが犠牲になるということか?ならぬ。そなたが倒れてはそれこそ皇魔貴族は内側から瓦解する」

「我が死したところで貴様がいれば態勢は立て直せる。そして貴様の不安は杞憂に過ぎん。我はゴライアス=公爵デューク=グルガン!ちょっとやそっとで壊れるほどヤワではないわぁ!!」


 グルガンは肩越しに吼えて部屋を後にした。フィニアスは下唇を噛み、グルガンに対する心配の言葉を我慢する。少し落ち着いた頃、フィニアスはぽつりと呟いた。


「頼むぞグルガン……頼む」


 祈りにも似た切実な思いだった。



 グルガンは急ぎダンジョンの出入り口に向かっていた。緩んで笑みを浮かべそうになる顔を引き締めながらも足取りは羽のように軽かった。


(やはりこうなったか。ふっ……レッド=カーマイン様々といったところだ。……しかしこれほど都合の良いことが立て続けに起こるのは何かの前触れではないかと嫌な考えが頭をかすめる。何もなければ良いが……)


 グルガンの最終目的は人間と魔族の和解である。しかし魔族に対し、人間は脆弱すぎた。ある程度同等の力があるなら和解に持ち込みやすいのだが、圧倒的な差になってくると途端に難しくなる。

 だからこそグルガンは人間を蹂躙されないよう、人間は強いという虚偽を皇魔貴族内に流した。

 ただグルガンが情報を直接流せば変に勘ぐられる可能性があったため、今は亡きダンベルクに情報を自分の手柄として流させたのだ。部下から部下へ、伝言ゲームのように幾重にも渡って伝え、ダンベルクはデーモンから伝えられる有益な情報のみを選定し上に報告する。その賢さと力で一気に男爵バロンにまで昇った。情報源をグルガンと知らず、ていの良いスピーカーとして。


 ここまでは順調だったが、目的に辿り着くには足りない。とにかく人間側に今以上の力を付けさせ、皇魔貴族と泥臭い戦いに持ち込むことが必要だった。

 だが、人間が厄介と知ったフィニアスが乾きの獣を解き放つことまでは予想し切れなかった。そこまで考えなしではないとタカを括ってしまったのだ。

 レッドという存在が居なかった場合、グルガンの策はグリードの襲来でご破算。万が一の場合、グルガン自らが人間の盾となり戦っていただろう。


(ダンベルクが倒されたと聞いた時は驚いたが、人間に対しより警戒を強める結果となった。その上、目障りだったハウザーも、我らでさえ倒すのが難しいグリードをもその身1つで滅ぼした。何百年かかってもおかしくない状況をたった1人で成し遂げた……これが現実に起きたことというのだから恐怖すら感じる)


 レッドの前では肩書き、経歴、そして魔族として最強を自負する戦闘能力すら意味をなさない。全ての生物をまるで赤子同然に捻る規格外の化け物。この男を仲間に加えることが出来たなら、皇魔貴族に対する抑止力として機能することだろう。

 興奮冷めやらぬ気持ちを冷静に保ちながら一歩一歩踏みしめていると、前方に見知った顔がやって来ることに気づいた。


「……ん?ベルギルツか」

「おや?グルガン様ではありませんか。奇遇ですねぇ」


 面倒な手合いだ。ここですれ違うのだから、無論フィニアスの元に行くのだろう。しかし間を置いて約束を取り付けた相手が、フィニアスの手駒であるベルギルツというのは気味が悪い。少し探ることにした。


「貴様もフィニアスに呼ばれてきたのか?」

「呼ばれ……?あ、ああ、ええそうですとも。私も、呼ばれて来たのです」


 奥歯を噛んで何かを我慢する仕草。悔しい、羨ましいという感情が滲んでいる。この反応にグルガンはベルギルツが突発的にフィニアスに何かを進言しに来たことを悟る。


「……そうか。我らを別々に呼ぶとは意味のないことをする。グリードの死で少し取り乱しているようだから無理もないか……」

「まぁ、おおむねその通りでしょう。乾きの獣は私たちの切り札。負けることを想定出来る者などいませんとも」

「ふんっ!それもこれもレッド=カーマインのせいだ!生意気な人間めが!」

「……生意気なのは果たしてレッド=カーマインだけでしょうか?」

「ぬ?どういう意味だ?まさか他にも強い人間がいると言うのか?」

「いえいえ、違いますよ。問題なのはむしろ人間側より魔族こっち側。裏切り者がいるかもしれないということですよ」

「なっ!?う、裏切りだと!」

「ええ、ただ惜しいことに検証出来そうな死体が忽然と消えたのですよ。保管場所を定めている僅かな隙をついて盗まれたようです」

「っ!?何をしているのだベルギルツ!そこまで掴んでおきながら肝心の証拠を盗まれるなど何という失態!まさかそれをフィニアスに伝えるわけではないだろうな!」

「……小耳に入れておこうかと……」

「ならんならん!……はぁ、まったく……話を聞いてなかったのか?フィニアスは今取り乱しておるのだ。証拠があるならまだしも、これ以上煩わせる真似は我が許さん。覚えておけ!」


 グルガンは吐き捨てるようにベルギルツを睨みつけ、了承を得る前に歩き去る。仮面のせいでベルギルツの目は見えなかったが、その空気はピリついていた。


「……グルガン様!」

「ん?なんだ?」

「このことには酷く食い付きますねぇ!もしかして何か隠していることがあるのでは?!」

「……いい加減にしろ。頭を冷やせベルギルツ」

「ふっ……やはりそうですか。私は見ていますからね!」


 ベルギルツは指を差しながらグルガンに牽制した。グルガンは唇を上げて牙を剥き出しにしたが、鼻で笑ってマントを翻した。

 ベルギルツは隠し切れぬほど肩を怒らせて悔しがったが、権威に恐れず立ち向かい、グルガンに牽制した自分を内心褒め称えた。これで良いと自分を納得させ、フィニアスの下へと急いだ。



 魔族界隈で様々な思惑が錯綜する中、魔導国から出発したレッドたちは山を彷徨っていた。


『本当にこっちで良いのですか?』

「うん、多分こっちだよ。いや本当に……ちょっとちょっとそんな顔しないでミルレースぅ。大丈夫大丈夫、思い出して来たからさ」

「かなり急勾配だな。レッド、足元気を付けて。次の街に行くにはもう少し掛かりそうだ」


 体力のことを考えなくて良い3人だが、同じ場所をぐるぐると回っているように感じるのは精神的に良くない。

 レッドは最初こそ足取り軽く進んでいたが、途中で歩いている場所が違うことに気付いた。間違えたことを知られたくない一心でぐるっと迂回して元の道に戻るつもりが、方向音痴であるがゆえに迷ってしまった。迷った時はとりあえずまっすぐ進んでみようとしばらく歩いた結果、街のルートから完全に逸れてしまったのだ。

 焦ったレッドが意地になって誤魔化しつつ歩き回り、勝手に追い込まれながらも道に迷ったことを認めたのは日没後だった。

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