50、心機一転

 キンッ……キンッキンキンッ


 手放した水晶は床に落ち、割れることなく反発を繰り返しながら転がっていく。徐々に停止し、部屋の真ん中に鎮座した。

 濁った水晶。あれだけ元気に脈打っていたピカピカの水晶玉が、切れた電球のように焦げた黒い汚れと、黒煙を閉じ込めたような美しさの欠片もない球体となった。


「……乾きの獣が死んだ……か」


 祈るように待っていたレッド=カーマイン討伐の結果は最悪を超えた。打つ手なし。為すすべ無し。


「興奮と喜悦。かと思えば恐怖と絶望。グリードがこれほど心を乱すとは思いも寄らない。如何様な戦いだったのか興味が湧くが……それ以上に苛立ちが勝る。わたくしの祈りをことごとく無に帰すとは……」


 ミキミキミキ……ベキッ


 フィニアスは静かに肘掛けを握り潰した。



 フィニアスからグリードの死を知った皇魔貴族。レッドという存在を触れてはいけない災害と位置づけ、大半は今まで以上に引きもることを決めた。

 しかしガンビット=侯爵マークェス=ベルギルツだけは危険を顧みずに外に出ていた。グリードの軌跡を追って森でデーモンたちと共に死体を確認していた。


「獣が死した人間の国の側からさかのぼれば、ここが最初の現場で間違い無いでしょう……ふふっ、流石は乾きの獣。無駄のない殺しとは正にこのこと。しかしながら不思議なこともあるものですねぇ……」


 そこにあった戦士ウォリアー森司祭ドルイド、そして弓兵アーチャーの死体に目を落としつつ、焚き火の位置を確認する。


「焚き火が真ん中でここに3人の遺体、そちらから獣がやってきたとしても違和感が拭えない。ここにもう1人居ないと成立しない配置ではないですか?これを見なさい。ここにある靴の跡。どの履物とも一致しません」

「でもベルギルツ様。4人居たとして1人は何処に行ったんです?もしや本当の獣のように1人を後で食おうと持ち去ったとか?」

「あっ!もしや相手がレアなスキル持ちだったとかそんなんですかい?」

「ふぅ……そういう感情など獣にはないですよ。むしろそういう遺体、つまり食べ残しがあることに違和感を拭えません。何かが彼にそうさせた。人間を気に入った?いや、もっと別の何か……」


 ベルギルツは顎を撫でながらゆっくりと歩く。うろうろと歩き回るベルギルツにデーモンたちは顔を見合わせて質問する。


「しかし何故このようなことを……獣の跡を辿っても死体しか出てこないのでは?」

「ええ。それはそうなのですが……あなた方も感じませんでしたか?ここまでの過程であまりにも犠牲者が少ないのですよ。死体の山が積み上がっていてもおかしくないにも関わらず……」


 デーモンたちに理解の色が見えた。となれば最初の犠牲者と思われるこの死体に違和感を感じるのも当然と言える。


「もう少し調べる必要がありそうですね……」


 ベルギルツは部下を伴って現場検証を重ねた。そうして得た情報が、裏切り者への道標となるなど知る由もなかった。



 安宿から出発したレッドたちは街の外へと足を運ぶ。


『そういえばこの国の側にあるダンジョンにはもう潜らないのですか?』


 ミルレースはレッドに少し不満げに質問する。思えばレッドは遠く離れたフレア高山にオリハルコンを採取しに向かい、女神の欠片探しを後回しにしていた。昨日はグリードの介入があったためにダンジョンに潜らなかったので、今日潜るのかと期待していたみたいだ。


「ああ、それ?ごめん。本来ならこの付近のダンジョンに潜るつもりはなかったんだよ。昨日は装備が充実したと思ったから行こうと考えたけど、あの装備は全部偽物だったよね。おかげでお金も時間も全部パァ……もしかしたらあの魔族が『あのまま潜ってたら死んでいたぞ』と教えてくれたのかもしれない。もちろんただの偶然だろうけど……」

「レッド。質問なんだが、ダンジョンとやらはそんなに危険な場所なのか?」

「うん、魔獣や罠がひしめき合ってるからね。それ以上に旨味があるから冒険者たちは攻略に命を懸けるんだ。と言ってもそれぞれのダンジョンには難易度があってさ。各地の冒険者ギルドが冒険者のレベルに合わせて制限をかけてるんだ。危険すぎるダンジョンは立ち入りを禁止してる場合もある。俺たちが昨日行こうとしていたダンジョンは立ち入り禁止とまではいかなくても、かなりの高難易度らしいよ?」

「なるほど、ダンジョンは何処も基本的に危険な場所なのだな?勉強になる」

『えぇ……ということは、もうそのダンジョンには……』

「あっいや、後々のちのち潜るよ。今じゃないってだけ。悲しいことに俺は基本がなってないからさ、まずは少し優しいダンジョンに潜って、汚名を返上するところから始める。昨日自爆した魔族が俺に教えてくれたんだ。何事も段階を踏まなきゃダメって。反省反省……」


 レッドは腰に下げたロングソードを握る。


「基本に立ち返ってこいつで行く。武器が強くても持ち手が見合ってなきゃ振り回されるだけだし、コツコツ自分を育てていこうと思ってる」

『え、それ以上育つのですか?』

「そうさ!俺はもっと強くなれる!」

『……島でも斬るつもりですか?』

「レッドはそういう気概で鍛えると言いたいんだ。私は応援するぞレッド」

「ありがとうオリー。それじゃ次の街に出発だ!」


 レッドが意気込んで歩き始めたその時、「レッド」とオリーが静止した。疑問符を浮かべながら前方に目をやると、そこには見知った人物が仁王立ちで立っていた。


「おはようレッド、オリーさん。ふぅ……良い朝だな」

「ラ、ライトさん?」

『うわっ出た!』

「ライト=クローラー。何の用だ?」

「ふっ……そう怖い顔をしないでくれ。ただの挨拶だ。次の街に行くつもりか?」

「あ、はい。夕方には到着するかなって……」

「そうか。実は俺も同じ方向に行こうと思っていてね。良かったら一緒に行かないか?」

「え?でも他の方々は?ライトさんだけしか居ないように見えますけど……」

「その通りだ。ラッキーセブンは解散した」


 一瞬何を行っているか分からなかったレッドはその言葉が浸透するまでほうけていたが、理解した瞬間に驚愕から目を見開いた。


「はぁっ?!解散って……えぇっ!?」

「そう驚くことかな?」

「いや!驚くでしょ!!な、何でまた急に……?」

「ふっ……それに関してはレッド。君がさっき良いことを言っていたな『基本に立ち返る』と。俺が思ったのはまさにそれだ。基本に立ち返り、俺の進むべき道を見定める。そのためには1人になる必要があったんだ」

「そんなまさか……順風満帆なチームを捨てて1人になることが必要なことだなんて……俺には考えられないです」

「ああ、それはそうだろうな。なにせオリーさんが居る。もし俺がレッドの立場なら是が非でも解散したりしない」

「ん?話が矛盾していないかライト=クローラー。ならば何故チームを解散した?」

「それは複雑だが単純なものだ。オリーさん……君が居るか居ないか。それが俺の判断材料となっている。つまり”愛”だよ」


 レッドたちの頭に疑問符が浮かぶ。ライトが何を言っているのか理解出来ない。


「俺は彼女たちの期待に応えられない。もしこのまま旅を続けるのなら、どうしても彼女たちを失望させることになる。俺は中途半端が嫌いなんだ。だから解散した」

「えぇ……そんなことって……」

「……長話しになったがそういうことだ。さぁ行こう。次の街に!!」


 ライトは鼻息荒く息巻いた。レッドは勢いに押されて「あ、はい」と咄嗟に返事をする。


『ちょっとちょっと!そんな簡単に!?』

「……え?だって、ライトさんがいれば千人力だし……」

『だってじゃないですよ!ライトは私を見ることが出来ないんですよ?!レッドがライトに気を遣ったら会話の機会が減るじゃないですか!……反応してもらえないと寂しいんですよ?』

「……いや、それは……」

「貴様ちょくちょく虚空に話しかけている気がするのだが……いったい何をしている?」

『ほらぁっ!』

「あ、えっと……」


 ミルレースの言う通りライトは見ることはおろか気配すら感じていない。ライトが一緒についてくるのは一向に構わないが、ミルレースがストレスを感じてしまうのはかわいそうだ。


「何って、レッドは精霊に話しかけている。目の前に居るだろう?」

「え!?ちょっ……オリー!」

「うん?……ああ、見えていないのか。すまないライト=クローラー。忘れてくれ」


 オリーは会釈程度に頭を下げた。ライトは衝撃を受けた。


「せ、精霊……だと?……聞いたことがある。選ばれしものにしか見えないという神秘の存在。まさか……貴様には見えているのか?いや、聞くまでもないか……なるほど、その共通点こそが君たちを仲間として繋いでいるのだな?」

「あ、その……」

「みなまで言う必要はないぞレッド。ふっ……このまま君たちと旅をするのも悪くないが、精霊が見えない以上、話が噛み合わないことも出てくることだろう。今回は出直すとしよう」


 ライトはレッドとオリーの間を通って魔導国に引き返す。堂々と歩く後ろ姿を目で追っているとライトが急にバッと振り返った。


「いいかレッド!俺は諦めたわけではない!すぐに精霊も見れるようになるぞ!その時は空気も読まずについていく!覚悟しておくのだな!!」


 レッドに指をビシッと差しながら主張するライト。レッドはコクリと頷いた。


「はいっ!いつでも声をかけて下さい!一緒に旅をしましょう!」


 ライトはその言葉に驚愕し、思わず閉口した。恋敵ライバルとして牽制したつもりが受け入れられてしまった。だが、それを宣戦布告と受け取ることでライトは気分を変えた。


「……ああ!その時まで待っていろ!」


 そう言ってライトは魔導国に向けて歩き出した。レッドとオリー、2人と旅をするために解散したというのに出鼻をくじかれたライト。しかしその顔は清々しいまでの笑顔だった。

 ライトの背中を見送り、レッドたちも次なる街へと旅立つ。爽やかな朝日がレッドたちの旅路を照らしているようだった。

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